目次
序章 神と鬼の間
―中国の神霊観における無縁死者の位置づけ
第一章 聖なる死者
―海陸豊地域における「聖人公媽」信仰
第二章 鬼から神へ―聖人公媽信仰の成立と展開
第三章 清代潮汕地域における無縁死者の埋葬と祭祀
第四章 近代潮汕善堂の勃興と宋大峰信仰
第五章 無縁死者の表象とその変容
―民国期から改革開放期まで
終章 無縁死者をめぐる表象のポリティックス
附論 台湾の義民爺信仰
あとがき
引用・参考文献
索引
内容説明
死者を祀りて神となす……
「聖人公媽」「百姓公」「有応公」「義民爺」など、華南沿海に広く見られる無縁死者への信仰。民俗の下層に沈潜するこれらの事象を分析し、東アジアに共通する霊魂観への視座を掘り起こした労作。
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序章より
本書は、中国東南部沿海地域、とくに広東省東部(粤東)の潮汕地域及び海陸豊地域を主なフィールドとし、さらにこれらの地域と関わりの深い福建省沿岸部や台湾の事例も参照しながら、当該地域における無縁死者の埋葬と祭祀の諸相を明らかにするとともに、その歴史的変遷をたどることを目的とするものである。
本書で言うところの無縁死者とは、野ざらしになった身元不明の屍骨、海岸に流れ着いた水死体、祀り手の絶えた墳墓や位牌などを指し、日本の民俗では「無縁仏」と呼ばれる死者に相当する。「まえがき」で紹介した海豊県の「聖人公媽」も「古先人」も、そのような無縁死者を埋葬した無縁墓、すなわち「義塚」の一種であり、墓そのものがご神体となっている。中国東南部沿海地域では、この他にも「百姓公」、「大人公」、「将軍」、「元帥」、「義塚老爺」、「有応公」、「義民爺」、「万善公」、「聖公聖媽」など、さまざまな名称を持つ無縁死者の墓や祠が分布しており、人々の信仰の対象となっている。 ……
地方志にはまったくと言っていいほど記載されておらず、碑文もほとんどなく、人々の記憶も曖昧という民間信仰の歴史を研究するにあたって、筆者は類似の信仰形態に関する資料を、口述、文字資料を問わず、できるだけ多く集めることにした。口述資料は聞き取り調査による由来譚や霊験譚、文字資料は聖人公媽や百姓公媽と呼ばれる義塚の墓碑銘や碑文が中心となる。これらの資料から墓の建立・改修の年代や経緯についての情報を集め、全体的な変遷の傾向をとらえるようにした。
二〇〇六年からは、粤東地域全体、さらには福建、台湾も視野に入れた広域的な調査に切り替え、聖人公媽と類似の信仰形態のヴァリエーションと地理的分布に注目しながら、その変遷過程を把握することにした。これに無縁死者をめぐる埋葬と祭祀に関する文献資料―これも豊富であるとは言い難いが―を組み合わせることによって、聖人公媽のような無縁死者の信仰がどれほどの広がりを持ち、そこにはどのような共通する特徴が見出せるのか、またそうした信仰形態はどのように形成され、どういった歴史的状況下において変化してきたのかを、ある程度は明らかにすることができたと考える。
最後に本研究の発展的可能性について触れておきたい。無縁死者にまつわる埋葬や祭祀の研究は、中国の民俗宗教だけでなく、東アジア地域、とくに東シナ海一帯の霊魂観や死者供養にも関わってくるテーマである。日本では一般に「無縁仏」と呼ばれる無縁死者の祭祀は、中国漢民族のみならず、日本、沖縄、朝鮮半島を含む東アジア全域に普遍的なものであり、東アジア共通の基層文化の一部を成している。この基層文化の上に、外来の仏教、土着の道教信仰や鬼神崇拝が習合し、地域ごとに特色ある宗教文化伝統が形成されてきたといっても過言ではない。中国本土での当該分野に関する研究は、台湾や福建省の一部を除いては、ほとんど未開拓のまま残されている。本書の研究成果は、この分野に新しい資料を提供し、将来の比較研究に寄与するものと確信する。
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著者紹介
志賀市子(しが いちこ)
1963年東京都生まれ。 筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。
専攻は文化人類学、民俗学、中国華南地域の道教及び民間信仰研究。 現在、茨城キリスト教大学文学部教授。
主著書として、『近代中国のシャーマニズムと道教―香港の道壇と扶乩信仰』(勉誠出版、1999年)、『中国のこっくりさん―扶鸞信仰と華人社会』(大修館書店、2003年)、『日本人の中国民具収集―歴史的背景と今日的意義』(風響社、2008年、共編著)、『東アジアにおける宗教文化の再構築』(風響社、2010年、共著)。論文として、「民国期広州の道教系善堂―省躬草堂の活動事業とその変遷」(『中国―社会と文化』第22号、2007年)、「地方道教之形成:広東地区扶鸞結社運動之興起與演変(1838-1953)」(『道教研究学報:宗教、歴史與社会』第二期、2010年)、「先天道嶺南道脈的思想和実践―以広東清遠飛霞洞為例」(『民俗曲芸』第173期、2011年)など。