ホーム > 「私たちのことば」の行方

「私たちのことば」の行方

インド・ゴア社会における多言語状況の文化人類学

「私たちのことば」の行方

公用語のコーンカニー語、主流の英語やマラーティー語は、カースト・経済的地位などで選択される。言語から人と社会の在り方を問う。

著者 松川 恭子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2014/02/20
ISBN 9784894891913
判型・ページ数 A5・312ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
表記について
序論
 一 本書の目的
 二 先行研究と本書の理論的位置づけ
 三 調査地の概要
 四 調査の概要
 五 本書の構成

第一章 「私のことば」を決定する社会関係
 一 コムニダーデ─土地と結びついた社会制度
 二 コムニダーデと「村の人」ガウンカールの現在
 三 地主・小作関係
 四 ゴア外への移動
 五 ゴア内での移動
 六 解放後の変化
 七 小括

第二章 「私のことば」の分裂と多言語状況の現在
 一 ゴアにおける多言語状況の概観
 二 植民地支配の記憶につながる「私のことば」─ポルトガル語
 三 ヒンドゥー教徒の宗教・教育言語としての「私のことば」─マラーティー語
 四 解放後の社会上昇を可能とする「私のことば」─英語
 五 小括

第三章 「私たちのことば」で書くということ
 一 方言か独立言語か
 二 「私たちのことば」で書く作家の登場
 三 コーンカニー語作家と普及機関
 四 教育現場の問題
 五 小括

第四章 もう一つの「私たちのことば」
       ─キリスト教徒にとってのローマ字筆記
 一 宣教師とコーンカニー語研究
 二 ボンベイのゴア人コミュニティとローマ字筆記のコーンカニー語
 三 第二ヴァティカン公会議と典礼の現地語化
 四 教会コーンカニー語の実践
 五 小括

第五章 多言語状況における現地語公共圏の形成
 一 現地語公共圏の分裂
 二 州公用語化運動と印刷メディア
 三 非書記メディアとしてのパフォーマンスの機能
 四 小括

結論

あとがき
参考・引用文献

このページのトップへ

内容説明

400年余のポルトガル支配を経たゴア。話し言葉のコーンカニー語を公用語とした後も、英語や隣州のマラーティー語が書き言語として主流となっている。宗教・カースト・経済的地位など様々な力学で選択される言語状況から、人間集団と言語の関係を考察。

*********************************************

はじめにより

 多言語状況という言葉については本論で詳しく説明するとして、ここでは複数の言語が並存する状況と述べるにとどめておこう。ゴアの多言語状況の特徴は、現地で最も話者数が多く、州公用語として認定されてもいるコーンカニー語(Konkani)が読み書きに広く使用されていないという点にある。ゴアでは、英語や隣州マハーラーシュトラ州の州公用語であるマラーティー語(Marathi)が読み書き言語としてふさわしいと考えられている。インドの他地域をみれば、一九八〇年代以降、各州の公用語による新聞の発行部数が増えている。また、それぞれの言語で高等教育を受けることも可能である。なぜ、ゴアでは他州のように現地語の地位が低いのだろうか。まず、コーンカニー語をめぐる政治的状況を簡単に説明することから始めよう。
 
 コーンカニー語をゴアの人々にとっての「私たちのことば」とする動きは、既に一九六〇年代には始まっていた。一五一〇年から四五一年間続いたポルトガル支配が終わり、ゴアがインドに編入されたのは一九六一年のことである。この出来事は、ゴア史において「解放」と呼ばれている。解放後、新しくインドの一部となったゴアを連邦直轄地のままとするか、あるいは隣接するマハーラーシュトラ州に編入するかで議論が巻き起こった。一九六七年には住民投票が行われ、連邦直轄地派が編入派の票を僅差で上回った。ゴアがインドの一部になったのは、言語に基づいた州再編が実施された直後だった。一九六〇年にはボンベイ州が分割され、マハーラーシュトラ州とグジャラート州が誕生した。州再編プロセスの中で地域と言語の結びつきがクローズアップされるようになったことも、ゴアで言語が政治的に問題となった原因の一つとして考えられる[井坂 二〇一一]。
 一九六〇年代に起こったゴアの政治的位置づけを巡る議論は、文化的位置づけへの問いかけでもあった。つまり、ポルトガル支配の結果生まれたゴアという地理的区分をどう捉えるかということである。植民地支配を受けたゴアを独自の文化を持つ一つの場所として認めるのか、周辺地域と連続したものと考えるのか。その過程で、ゴアの人々の話しことばであるコーンカニー語が、「アームチ・バース(āmchi bhās)=私たちのことば」と呼ばれ、ゴアの文化的独自性を証明する要素として前面に出された。
……

 このようにコーンカニー語を支持する人々がいる一方で、周辺地域とゴアとの連続性を強調する人々は、隣州マハーラーシュトラ州の公用語であるマラーティー語こそがゴアの言語であると主張した。一九八七年二月四日にコーンカニー語を公用語として定める法令が出され、同年五月三〇日にゴアが連邦直轄地から州になった後も、両者の見解の間に横たわる溝が完全に埋められることはなかった。公用語令の中に「マラーティー語はいかなる公的目的のためにも使用されうる」という一文が挿入されたために、「私たちのことば」の統一は果たせなかったのである。マラーティー語をゴア州公用語として求める動きは続き、二〇〇〇年三月には、ムンバイ高等裁判所パナジー支部でマラーティー語州公用語化の訴えを棄却する判決が出されている。
 それでは、公用語化とは一体何を意味したのだろうか。運動の中で使用されたスローガンが、公用語化とは何かという問いに対する答えを端的に示している。そのスローガンとは、「コーンカニー語を話そう、コーンカニー語を書こう、コーンカニー語を学ぼう(Konkani uloi, Konkani boroi, Konkani shikui)」である。この呼びかけの前提は、コーンカニー語が人々の言語領域全て─話すこと、読み書きすること─を包括する唯一の言語として存在するべきだ、というものである。
 しかし、州公用語となった後、コーンカニー語を読み書き言語として確立する動きは難航している。現在のゴア(筆者が調査に入った二〇〇〇年以降)では、「コーンカニー語を話そう、コーンカニー語を書こう、コーンカニー語を学ぼう」というスローガンのうち、「書こう、学ぼう」の部分が抜け落ちてしまっている。そのような語りは知識人の間では今なお強く見られるものの、人々の日常生活の中で直接耳にすることは難しい。コーンカニー語運動は沈静化してしまったように見える。知識人たちもそのことを感じているようで、「どうして、皆ゴアの言語を学ぼうとしないんだ」と嘆息している。人々の多くはコーンカニー語を日常的に話しことばとして使用するものの、読み書きの言葉としては捉えていないようだ。ヒンドゥー教徒の間ではマラーティー語が、キリスト教徒の間では英語が読み書きの言語としての地位を占めている。二〇一一年現在では、ゴア全体で英語教育を初等レヴェルから行おうという動きが強くなっている。なぜ、ゴアの人々が日常的に使用する言語であるにもかかわらず、コーンカニー語を「読み書きし、学ぶ」言語として確立する試みが失敗に終わったのだろうか。
 本書は、以上の問いに対する回答を文化人類学の観点から探る試みである。この作業を通じて、たとえば日本語を使用する日本人のように「単一の言語を所有する共同体が世界には複数存在する」という、我々の認識の背後にある言語的近代の影響力について考えたい。

*********************************************

著者紹介

松川恭子(まつかわきょうこ)
1972年生まれ
2000年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士課程(M.Phil.)終了。
2006年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。
専攻は文化人類学、南アジア地域研究。
現在、奈良大学社会学部准教授。
主著書として、『コンタクト・ゾーンの人文学 第4巻 Postcolonial/ポストコロニアル』(晃洋書房、2013年、共著)、『南アジア社会を学ぶ人のために』(世界思想社、2010年、共著)、『日本文化の人類学/異文化の民俗学』(法藏館、2008年、共著)、論文として、"The Formation of Local Public Spheres in a Multilingual Society: The Case of Goa, India"(『南アジア研究』17号、2005年)など。

このページのトップへ