目次
凡例
序論
第1節 ベトナム考古学の問題
第2節 本書の対象と分析視角
1 ベトナム考古学の歴史性と政治性
はじめに
第1節 仏領インドシナ時代の東洋学と「中国モデル」
第2節 仏領インドシナ時代の東洋考古学
:ヤンセとインドシナ考古調査
第3節 国民国家ベトナムの考古学と「ベトナムモデル」
小結
2 古式銅鼓の編年と分布
はじめに
第1節 学史的検討
第2節 Heger分類の再検討
第3節 プレ・HegerⅠ式銅鼓の分析
第4節 型式分類
第5節 編年
第6節 空間的位相
小結
3 ドンソン文化の復元
はじめに
第1節 学史的検討
第2節 ドンソン遺跡資料の復元
第3節 ティウズオン遺跡の検討
第4節 「北属期」のドンソン文化
小結
4 ベトナム漢文化の復元
はじめに
第1節 学史的検討
第2節 ベトナム漢系墓資料の復元:ヤンセ第3次調査資料
第3節 ベトナム漢系墓の編年
第4節 ベトナム漢系墓の構造と特質
小結
結論
第1節 まとめと「解釈」
第2節 総括と展望:「中国モデル」「ベトナムモデル」を超えて
あとがき
文献一覧
ベトナム考古学関連年表
図表一覧
索引
内容説明
ベトナムの考古学をめぐり、フランス、中国、ベトナムが行ってきた「解釈」を、仏領インドシナ時代に集められたベトナム考古資料の復元と分析により「解体」。古代とは誰のものかを問い直す、大胆にして緻密なメタ・考古学の試み。
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まえがき
人間にとって「過去」は一回限りである。しかし「過去」は何度でもよみがえる。そのような話をむかしミャンマー人の考古学の友人に話したら、あなたはお坊さんみたいですねと一笑されてしまったことがある。今は故人となったこの友人は、輪廻観のことをいいたかったのだろう。科学的な意味では、「過去」はよみがえらないかもしれない。しかしそうした感覚は、みなが実感として心に持っていることではないだろうか。
ベトナム考古学という場合、ベトナム古代についての学問という意味と、ベトナムによる考古学の両方の意味がある。すなわち、ベトナム古代という「過去」を探るという意味と、この「過去」を探る側のベトナムの考古学の思考という意味である。この2つを理解することではじめて、ベトナム考古学におけるそのような「過去」について、現代社会における文化・社会の境界性/非境界性を洗い直し、すなわちいったいなぜ異なる国家や集団、個人によって、異なる「過去」がよみがえるのかを再考することが可能となる。そしてそれは同時に本書が狙いとするベトナム考古学にみられるナショナリズムとオリエンタリズムの相克を解きほぐすことにもつながる。
ネーション(国家、国民)とは、ベネディクト・アンダーソンの定義によれば「イメージとして心に描かれた想像の政治共同体である──そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」[アンダーソン1997: 24]。言い換えると、ネーションに基盤をおいたナショナリズムは、本来的、主権的な「内部」とそれとは異質な「外部」を創出する。ネーションの「外部」「内部」は、各集団の歴史的・文化的範疇において、弁証法的枠組みの中で分節された表象であるにもかかわらず、帝国主義/植民地主義や資本主義の権力的・経済的な不平等や抑圧を導き出し、同時に、ベトナムに限らず世界のあらゆる地域において、植民地支配に対抗する側の「闘争」の原理ともなった。オリエンタリズムが焦点となるのはまさにそのような脈絡においてである。
オリエンタリズムとは、東洋学(東方学)とされる場合もあるが、ここでは宗主国が植民地に対して、あるいは支配的/中心的集団が、被支配的/周辺的集団に対して抱く、潜在的な優越性や差別、言説や態度のすべてを指す。エドワード・サイードの著書『オリエンタリズム』[サイード1986]により広まった考え方である。以降、「脱植民地主義」(ポストコロニアリズム)の思想は、脱植民地化の過程の中での支配構造(新植民地主義)への反対から、やがて中心/周辺という分節化そのものに対する疑問を投げかけるようになった。そこでは本質主義に対する批判、雑種性・異種混交性、言説を発する主体の場所性などが主張されている。
そもそも考古学という学問自体、近代の国民国家の歴史の中にあり、東洋学やアジアの考古学も、オリエンタリズムの申し子として誕生したという過去を持つ。そこには文化/文明の歴史的興亡や異質な世界への憧憬が生み出すロマンティシズムやエキゾチシズム、本来的に国家事業としての考古学が創り出すナショナルな文化や伝統などの偏ったイメージが存在している。また、研究者といえども、現代社会に生きているわけだから、考古学の実践、少なくともプロフェッショナルとしての実践において、それら近代の烙印、すなわち表裏一体としてのオリエンタリズムとナショナリズムから脱却し、なおかつ、「他者」の分断された「過去」を結びつけ、よみがえらせることは容易いことではない。その一方で、研究者個人(あるいは「主体」)も、時代性や場所性において「外部」「内部」それぞれの視角を同時に持ちうるのであり、現代の一見不安定であり続けるグローバル化とローカル化の狭間にこそ、その解釈の「真実」が隠されているはずである。
本書は、脱植民地主義の思想を専門的に論じるものではない。いわんやその問い対する答えをすべて準備するものでもない。しかし、現時点での「過去」の復元は急務であり、「過去」の学史的評価を繰り返すばかりでは前進しない。したがって、本書では、ベトナムの考古学をめぐる歴史性や政治性という問いを設定しつつ、その中でなされてきた具体的な「解釈」、フランス、中国、ベトナムなどにおいてなされてきた「解釈」に対して、仏領インドシナ時代に集められたベトナム考古資料の復元と分析により回答を試みる。本書のタイトルを「脱植民地主義のベトナム考古学」とした理由はそこにある。
最初に述べたように本書は、ベトナム考古学の歴史とベトナム古代の考古学という2つの内容によって構成されている。後者については考古学の専門的記述が中心となり頁数も多い。そこで考古学の専門家以外の読者にとって理解の一助となるよう本書の「ナヴィゲーション」を以下に記す。
まず、序論に目を通していただきたい。序論ではベトナム古代史の概要や本書の問題意識、構成などを述べており、本書の概要を理解することが容易である。続く第Ⅰ章では、ベトナム考古学に関する歴史的検討を行う。ベトナム考古学の歴史性と政治性について論じるもので、「序論」と並んで本書の第1の内容にとって重要な部分であり、序論とあわせて全体を読んでいただきたい。
第Ⅱ章から第Ⅳ章までは考古学の専門的内容が中心となる。第Ⅱ章は、ベトナム/東南アジアの代表的青銅器である「古式銅鼓」を中心に論じる。第2〜4節は統計的手法による分析や専門的な記述が続くが、当該部分の検証などは専門の方におまかせするとし、各節の「まとめ」と「小結」を読むだけでも概要をつかむには十分である。第Ⅲ章は、ベトナムの代表的な古代文化の1つである「ドンソン文化」を中心に論じる。専門の読者以外は各節の最後の部分と「小結」を読むだけでも十分であるが、より深く知るために第4節(「北属期」のドンソン文化)を読み進めていただきたい。第Ⅳ章は、ベトナム古代の「漢系墓」を中心に論じる。同じく各節の最後の部分と「小結」を読むだけでも十分であるが、より深く理解するために第4節(ベトナム漢系墓の構造と特質)を読み進めていただきたい。以上、各章の「学史的検討」は、各テーマに関する研究の流れや問題を論じており、あわせて読むことで該当章の理解に役立つはずである。最後に「結論」では、各章の検討結果を総合した考察と序論、第Ⅰ章で提起した問題に対する考古学からの回答、研究の意義、展望について述べる。
本書で扱われるベトナム古代の銅鼓やドンソン文化、漢文化をあわせた研究の成果は、学史的に見てこれまで十分検討がなされなかった部分に光を当てるものである。本書が、いわば「メタ考古学」の成果として、あるいは考古学プロパーによる実証的な成果として、人文・歴史・学史分野における研究の基礎となれば幸いである。
なお、本書執筆にいたる調査の実施にあたっては、日本学術振興会、松下国際財団アジアスカラシップなどの助成を受けた。また、本書出版にあたり、公益財団法人松下幸之助記念財団から2013年度第1回松下正治記念学術賞の受賞と助成を受けた。
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著者紹介
俵 寛司(たわら かんじ)
1967年、長崎県対馬生まれ。
2003年、九州大学大学院比較社会文化研究科日本社会文化専攻(比較基層文明講座)修了。
比較社会文化博士。
現在、大韓民国嶺南大学校文科大学文化人類学科国際教育教授。
主な業績:
『境界の考古学─対馬を掘ればアジアが見える』(風響社、2008年)など。