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インド人ビジネスマンとヒンドゥー寺院運営 31

マールワーリーにとっての慈善・喜捨・実利

インド人ビジネスマンとヒンドゥー寺院運営

経済発展を牽引する地縁・血縁集団と寺院との関わりから現代インド社会の断面に迫る。多様な受け皿を担う寺院運営組織の現在を繙く。

著者 田中 鉄也
ジャンル 人類学
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》
出版年月日 2014/10/25
ISBN 9784894897724
判型・ページ数 A5・52ページ
定価 本体600円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

一 インドの商人コミュニティ
 1 インド社会とカースト
 2 族譜におけるアグラワールのすがた
 3 マールワーリーとは

二 マールワーリーとヒンドゥー寺院運営
 1 ヒンドゥー寺院運営の歴史的変遷
 2 消費活動のプラットフォームとしてのヒンドゥー寺院

三 ケーリヤー・サバーの百年史
 1 ケーリヤー・サバーとの出会い
 2 調査地の梗概
 3 英領インド期におけるケーリヤーの族譜
 4 「ケーリヤー支援協会ならびに基金」の創設史
 5 独立以降のケーリヤーの結集活動とケーリヤー・サティー寺院運営
 6 マールワーリー新世代と神話的故郷

おわりに

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内容説明

宗教ビジネスでもなければ、篤信でもない
経済発展を牽引する地縁・血縁集団と寺院との関わりから見える、現代インド社会の断面。多様な受け皿を担う寺院運営組織の現在を繙く。

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はじめに

 本書は、躍進するインド経済を牽引する存在であり、インドで最も成功したビジネス・コミュニティとして知られる「マールワーリー」によるヒンドゥー寺院運営の意義を読み解く。

 マールワーリーとは、インド西部・ラージャスターン州を「故郷」とする、すなわちその地域への帰属を強く意識するコミュニティ(第一節で後述する)である。彼らは英領インド期の一九世紀から植民地経済の交易拠点であるカルカッタ(現コルカタ)を中心に全国的に拡散した。インド経済界では最も多くの「財閥」を輩出したコミュニティとしても知られる。二〇一二年インド版フォーブス誌で「インドの長者番付でトップ一〇の半数が、そしてトップ一〇〇の四分の一がマールワーリー出身である」と紹介されたように、彼らの名声は現在も留まるところを知らない[India Forbes 2012. Dec.31: 162]。

 マールワーリーの経済的成功を論じた書籍はこれまでも多くあったのだが、彼らのコミュニティ・アイデンティティに迫った文化論や社会史という分野では先行研究は限られる。本書は、彼らのヒンドゥー寺院運営を手掛かりに、植民地期になぜ彼らがそれに乗り出したのか歴史的経緯を明らかにし、その文化的意味づけや社会的役割を詳らかにすることによって、マールワーリーの社会史として描き出す試みである。

 二〇一〇年から二年間、私はデリー大学で留学する機会を得た。それはインド経済の躍動と旺盛な消費社会の到来によって生じた人々の価値観の揺らぎを間近で体験する貴重な経験であった。インド経済の成長は、一九九〇年代初頭にそれまでの国内市場を重視した規制的経済システムから規制緩和・自由化が図られて以降、急激に加速したと言われている。二〇一〇年までインドはGDP成長率で九%前後を達成するほどの高い成長を継続してきたが、二〇一一年以降は減速し始め、二〇一三年には四%台まで落ち込んでいる[経済産業省通商白書 二〇一三]。しかし約二〇年間にわたる経済成長で拡大した消費志向型の中間層に支えられた活発なインド市場は、依然として海外の企業から熱い注目が注がれている。

 インド市場に注目する存在として日本企業もその例外ではない。留学中には私もインド市場での事業の成功と拡大を狙った多くの日本人ビジネスマンと出会い、彼らの奮闘記に耳を傾けていた。その時によく話題に上がったのがインドのビジネス・コミュニティである。特に「マールワーリー」はインド経済界での立身出世のモデル・ケースとして話題に事欠かなかった。

 私のフィールドワークでの体験談を披露する際に、彼らから「なぜマールワーリーは寺院運営を行うのか」という率直な質問をよく受けたことを記憶している。それは「ビジネス」と「寺院運営」とのつながりに対する違和感から生じる素朴な疑問と言える。金銭的な利益を「社会貢献」という形で社会へ還元すると表現すると、日本人にとっても比較的咀嚼し易くなるだろうか。とはいえ当初はその社会貢献がなぜ寺院運営に至るのかという疑問を明確に説明できなかった。我々にとって社会貢献とはあくまで「世俗的な」慈善活動の印象が強い。社会的な名声を獲得する、もしくはモラルからくる使命感を果たすためにビジネスマンは「篤志家」になる。しかしそれが必然的に「信仰者」とイコールとはならないところに、説明の難しさがある。だからと言って、なぜマールワーリーは寺院を運営するのかという疑問に対して、インド人は信心深いからと答えるわけにはいかない。そうすると「宗教の国、インド」という安易なステレオタイプの再生産に加担することになってしまう。

 しかしながら、興味深いことに、マールワーリーたちもまた自らの寺院運営を「信仰(āsthā)がゆえに行う」と十把一からげに説明しがちである。寺院運営に関わるマールワーリーへ聴き取りを始めた当初、彼らになぜ寺院を運営するのかと率直に質問をしたところ、「信仰がゆえに」という判で押したかのような答えが返ってきた。しかしその活動の内実を観察すると、「信仰」という範疇を大きく逸脱し、多岐にわたる「世俗的」な慈善活動を含んでいることに気付き始めた。

 本書では、彼らの寺院運営を分析する上で、「信仰」というマジックワードを極力避けることを心がける。彼らの社会貢献の営為としての寺院運営が歴史的にいかに登場し、伝統的規範としてどのように培われてきたのか、詳らかにしていく。そして現代インド社会においてその文化的意義をいかに理解すべきか、マールワーリーが現在「他者からどう見られたいか」そして「自分たちはどうあるべきか」というコミュニティの自己同定を鍵に、明らかにしていく。

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著者紹介
田中鉄也(たなか てつや)
1979年、大阪府生まれ
関西大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。博士(文学)。現在、日本学術振興会特別研究員(PD)、国立民族学博物館外来研究員、大阪学院大学非常勤講師。
主要論文に、「ポストコロニアル・インドにおける『伝統』の変革―現代のサティー論争におけるアシス・ナンディと批判的伝統主義」(『宗教研究』第360号、2009年)、「ポストコロニアル・インドにおける法と宗教のかかわり―サティーの法規制の歴史的変遷」(『マイノリティ研究』第7号、2012年)などがある。

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