目次
第一章 序論
第一節 本書の主題と研究の方法
Ⅰ 「第一の風水思想史」と「第二の風水思想史」の交錯
Ⅱ 「儒教知識人」の内実と、彼らと風水思想の交渉を取り上げる理由
第二節 先行研究の回顧と検討
Ⅰ 中国風水思想史研究の開始
Ⅱ 「第一の風水思想史」に関する研究の進展
Ⅲ 「第二の風水思想史」に関する研究の進展
Ⅳ 風水思想をめぐる文化人類学的研究からの示唆(ⅰ)
――「風水知識」の成層的な分配における「儒教知識人 兼 風水理論家」の特殊性について
Ⅴ 風水思想をめぐる文化人類学的研究からの示唆(ⅱ)
――「道徳と無関係な技術」としての風水、そして「機械論的風水観」と「人格論的風水観」
第三節 本書の構成
第二章 風水思想の概要
第一節 風水という術数
第二節 風水思想における「吉地」の条件
Ⅰ 龍と穴と砂と水
Ⅱ 儒教知識人による吉地のケースワーク――『人子須知資孝地理心学統宗』を用いて
第三章 『四庫全書』に示された術数学の地位――その構成原理と存在価値について
第一節 はじめに
第二節 『四庫全書総目提要』子部総叙と術数類叙が語る術数学の地位
第三節 術数類の案語と文献解題が語る術数学の地位(一)――主にその構成原理について
第四節 術数類の案語と文献解題が語る術数学の地位(二)――主にその存在意義について
第五節 術数概念の三時期説と四庫館臣
第四章 儒教知識人による風水思想の「発見」過程──朱熹以前から朱熹以後へ
第一節 はじめに
第二節 風水による墓地選択を「正しい礼教」に取り込むこと
第三節 風水思想を「正しい宇宙観」に取り込むこと
第四節 風水思想批判の論陣に生じた変質
第五節 朱熹以前から朱熹以後へ
第五章 王権に献げられた風水言説――朱熹の風水理解をめぐって
第一節 はじめに
第二節 風水思想の応用としての「地政学」
︱︱『朱子語類』巻二・巻七十九・巻八十九から
第三節 風水思想に従った帝陵造営の建言――「山陵議状」から
第四節 「王権に献げられた風水言説」の力と非力
第六章 「儒理」に基づく風水理論の再編――伝蔡氏撰『発微論』をめぐって
第一節 はじめに
第二節 『発微論』の撰者と執筆目的
第三節 『発微論』の構成と各篇の論述内容
Ⅰ 計一六篇の名称と、それらの配列
Ⅱ 「陽中有陰、陰中有陽」の存在論、及び「地理」と「人事」の相関論
Ⅲ 「陰陽配対」「陰陽中和」を念頭に置いた選地原理
Ⅳ 「気を逃さずに受け止めること」を念頭に置いた選地指導
Ⅴ 天と人の相関論――風水的世界システムにおける人為の偉大と限界
第四節 『発微論』の思想的特徴――「儒理」の在処をめぐって
第五節 儒教知識人からの風水思想批判に応えて
第七章 気の理論に施された改造――『劉江東家蔵善本葬書』鄭謐注をめぐって
第一節 はじめに
第二節 『葬書』という風水理論書、
及び『劉江東家蔵善本葬書』というエディションについて
第三節 『劉江東家蔵善本葬書』の鄭謐注に見る気の理論(一)
︱︱その一般的な局面において
Ⅰ 「新刊名家地理大全錦嚢経」及び『古本葬経』との本文比較・注釈比較
Ⅱ 『葬書』の本文に見る気の理論と、鄭謐注による「道学化」
第四節 『劉江東家蔵善本葬書』の鄭謐注に見る気の理論(二)
――陰宅風水に関する局面において
Ⅰ 『葬書』本文に見る陰宅風水のメカニズム
Ⅱ 「人格論的風水論」の導入による、風水的世界システムの拡張
Ⅲ 道学の語る「祖先と子孫の関係論」との符合
Ⅳ 朱熹に由来する、新しい「両刃の剣」性
第五節 『劉江東家蔵善本葬書』が『葬書』注釈史に与えた影響
第六節 儒教知識人からの風水思想批判に対する、もう一つの応え方として
第八章 選地技術を牽制する天︱︱風水を道徳と結び付ける言説の諸相
第一節 はじめに
第二節 『発微論』以後の展開――風水理論書に現れた選地技術と天の交渉論を分類する
第三節 「儒教知識人 兼 風水理論家」の自覚
第四節 天に関する言説が風水理論書の末端にのみ現れること
第五節 「儒教知識人 兼 風水理論家」の停滞と転進
第九章 機械としての墓と、人格を持った祖先
︱︱福建上杭『李氏族譜』に見る風水言説
第一節 はじめに
第二節 福建上杭李氏と『李氏族譜』の概要
第三節 始祖の墓をめぐる機械論的風水観
第四節 人格論的風水観の参入
第五節 天の役割への言及
第六節 始祖の墓に関する風水的言説と、宗祠に関する風水的言説
第七節 機械論的風水観と人格論的風水観の渾然一体化
第一〇章 結論
後記
参考文献
中文摘要
《儒學眼中的風水──自宋至清的言論史》
索引
内容説明
儒教知識人は風水という文化事象にどのように対処しようとしたか。儒教思想史研究・儒教知識人論の領域に新たな展開を試みる好著。
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本文より
緒言
風水に出逢って、二〇年と少々の時間を経た。一九九四年の秋、文化人類学を専攻する大学三年生だった筆者は、ふとした機会に風水という名前を知り、その中身に関心を持った。あくまで外部からの観察者として、学術的・中立的な立場から関心を抱いたのだったが、筆者のこうした態度は、今なお不変である。
さて、直接に風水を研究題材とした書籍や、何らかの形で風水に論及した書籍を図書館で探してみると、それらは文化人類学(日本十進分類法では三八〇番台に属する)のみならず、更に東洋思想(同一二〇番台)・心理学(同一四〇番台)・東洋史(同二二〇番台)・地理(同二九〇番台)・科学史(同四〇〇番台)・建築学(同五二〇番台)など、実に様々なラベルの下に分類・配置されていることが分かった。なおかつ、当時は学界の随処で風水が注意を集めており、目に触れる関連書籍や論文は、時を追うように増えていったのである。筆者は書架と書架の間を歩き回りながら、風水をめぐる研究には幅広い可能性があるらしいことを、おのずと教えられた。
大学院に進むに当たって、文化人類学との繋がりは維持しつつも、思想史学を主軸とする勉学に転じた。風水への関心も途切れることがなかったため、筆者は爾来長期的に、中国という地域において儒教を旨とした知識人たちと、風水の思想との一筋縄では行かない交渉史を研究対象としてきた。特に、宋代から清代に至る一部の儒教知識人が風水思想の「矯正」を図り、手ずから風水理論書を執筆したり、既存の風水理論書に注釈を加えたりしたという行為に着目して、彼ら「儒教知識人 兼 風水理論家」たちの具体的な言論を検討することに力を入れた。在学中もその後も、「風水に関連する研究」という領分にばかり閉じ籠もっていたわけではないし、況んやそれがルーティーン化、或いは自己目的化したことは一度もない。むしろ少しずつ勉強が進むにつれ、風水思想や、儒教知識人の対風水認識について理解を深めることが、中国的な「知」の世界の構造、また儒教思想の変遷過程や、各時期における儒教知識人の思考のかたちを理解するために、当初には思いがけなかったほど有効であることを確信するようになった。筆者は、このような研究履歴を通して得られた幾許かの成果を、自らの歩みの中間報告というつもりで一巻にまとめ、謹んで世に問う次第である。
本書は、純粋な意味での「風水の思想史」記述を意図した作品ではない一方、宋代〜清代の儒教思想史や、それを構成する個別の学派や人物についての記述は、「儒教知識人の対風水認識」という問題に関係する範囲に集中している。風水思想史の著作として見た場合には浅薄さを逃れ得ず、儒教思想史・儒教知識人論の著作として見た場合にも狭隘さを免れないこと、またこれらの「欠点」が、本書の主題の特質に由来するわけではなく、書き手における知識集積の不足と論考能力の脆弱に帰せられるべきことは、筆者自身が十分に承知済である。但しいずれにせよ、筆者が本書を通して描き出したかったものは、標題に表した通り「儒学から見た風水」の像なのであって、逆の方向から言えば「儒教知識人たちが風水思想に向き合った時」の有様に他ならない。そのような試みが、結果としてどれほどの意義を持ち得たのかという尺度から、ご批評を頂戴できれば幸いである。
(中略)
第一章 序論
第一節 本書の主題と研究の方法
Ⅰ 「第一の風水思想史」と「第二の風水思想史」の交錯
「風水」という名の術数が、「士大夫」「士人」「読書人」などと呼ばれる中国の儒教知識人の間で、絶えることなく話題となり続けた。本書では、主として宋代(北宋九六〇〜一一二七、南宋一一二七〜一二七六)から清代(一六四四〜一九一二)中期の乾隆年間(一七三六〜一七九五)に至る儒教知識人が、風水の思想に対して肯定或いは否定の態度を示した言説を分析する。そして、彼らが風水思想を論評した際の具体的な論理を系譜付け、更にそれを当該時期の中国思想史の中に定位する。言い換えれば、本書執筆の主眼は、風水思想それ自体の沿革を記述することよりも、むしろ「風水という文化事象に、彼らがどのように対処しようとしたか」という切り口を通して、儒教思想史研究・儒教知識人論の領域に一つの展開を試みることにある。風水思想の概要については第二章第一節を、及び術数については第二章第一節と第三章を参照していただきたい。
中国における(広義の)風水思想史は、風水思想それ自体の通時的変遷(狭義の風水思想史)と、儒教知識人たちが彼らの思想に基づいて風水思想を論評することの系譜が、相互に絡まりながら形成されたものだと述べて差し支えない。儒教知識人の風水思想に対する態度は、ややもすれば不信や蔑視、或いは警戒に傾くものだったが、そうした批判的な態度は、個々の儒教知識人の言論として現れる場合もあったし、儒教を統治理念とした歴代王朝の禁令として現れる場合もあった。しかしその一方で、彼らは各自の価値意識に照らして、むしろ風水思想に対して肯定的な態度を示すこともあったし、更には自ら風水理論書やその注釈を執筆することによって、風水思想に積極的な「矯正」を施し、彼らが「正しい文化」だと見なした体系の中に、それを取り込もうとするような動きさえ見せることがあった。より俯瞰的かつ正確に指摘するならば、あくまで「部分否定=部分肯定」の範囲内で各自の態度を表明するというのが、そもそも儒教知識人が風水思想に向き合うに当たっての大勢だったと言うべきである。彼らが風水を「強く否定」しても、必ずしも「完全否定」にまで至らず、逆に「強く肯定」しても、必ずしも「完全肯定」にまで至らなかったのである。いずれにせよ、彼らが風水思想に関して発した言説は、あたかも第二の風水思想史と呼べるほどに充実した流れを形成していた。そこで本書では、狭義の風水思想史を「第一の風水思想史」と名付け、そして風水思想に対する儒教知識人の言説史を、上述のように「第二の風水思想史」と名付けることにしよう。筆者が本書において関心の重点を置くのは、「第二の風水思想史」の中でも特に、基本的な方向性として風水思想を肯定する型の言説であり、それらの内でも、儒教知識人の一部がいわば「儒教知識人 兼 風水理論家」となって展開した、風水理論書などの執筆活動を、「第二の風水思想史」における重要な足跡として大きく取り上げることにする。
筆者が本書で用いる具体的な研究方法は、次の通りである。嘗て文化人類学者モーリス・フリードマン(Maurice Freedman)は、風水の本質が「道徳と無関係(amoral)な技術」だという説明概念、及び風水的世界システムが本質として「機械的」に構築されているという説明概念(これらを総合して「機械論的風水観」と呼ばれる)を提示したが、本書では、そうした説明概念が、歴史上の儒教知識人たちの風水思想理解(特に、彼らが風水思想を批判した際の論点)を把握するためにも有効であることを確認した上で、彼らが風水という「道徳と無関係な技術」の暴走を抑止するべく風水思想を改造し、「正しい文化」の中に取り込もうとした思想的営為の通時的過程や共時的諸相を、儒教思想の歴史や、彼らの術数観の歴史という文脈上に描き出すことを試みる。彼らの言説を整理し検討するための資料には、彼ら自身が著した風水理論書や、既存の風水理論書に彼らが付けた注釈、及び彼らが風水的言説を盛り込んで執筆した「私礼」(親族集団内部で挙行する儀礼の詳細を規定するもの)や上奏文などの著作を用いる。こうした文献は後三者を含めて、「儒教知識人 兼 風水理論家」というあり方を選んだ者たちの作品と言えるわけだが、それらは「第二の風水思想史」が「第一の風水思想史」と、最も端的に交錯する場として位置付けることが可能なものである。「第二の風水思想史」の言説史に着目するに当たって、特に宋代〜清代中期を視野に入れることにした理由は、改めて第三・四章で述べるように、まず宋代(中でも朱熹〈一一三〇〜一二〇〇〉が活動した南宋代)に、儒教思想の新しい潮流である道学の出現と擡頭によって、儒教知識人による風水思想肯定の言説が枠組を固めたと考えられるからである。道学は「宋学」「理学」などと総称される新型儒教思想内の一派であり、朱熹の学統を受け継ぐものを特に「朱子学」とも呼ぶ。そして、清代の乾隆四七年(一七八二)に清朝考証学の金字塔として成立した『四庫全書総目提要』により、風水を初めとした術数一般に対する儒教知識人の認識や評価が、完成形と呼ぶべき段階に至ったと考えられるからである。こうした枠組は、川原秀城(と三浦國雄)が「術数概念」の沿革を三時期に分け、第一期と第二期の境界を南宋代中期に求め(朱熹と蔡元定〈一一三五〜一一九八〉の活動を以て画期とする)、第二期と第三期の境界を清代中期に求めた(『四庫全書総目提要』の成立を以て画期とする)ことに依拠して得られたものである。フリードマンの学説については第二節Ⅴを、及び川原・三浦の学説については第三章を参照していただきたい。……
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著者紹介
水口拓寿(みなくち たくじゅ)
1973年生。東京大学教養学部(文化人類学)卒業、同大学院人文社会系研究科(東アジア思想文化)修士課程・博士課程修了、博士(文学)。博士課程在学中に、松下アジアスカラシップ(現・松下幸之助国際スカラシップ)により台湾・中央研究院民族学研究所に留学。日本学術振興会特別研究員-PD、東京大学大学院人文社会系研究科助教、武蔵大学人文学部准教授を経て、現在は同教授。2011年、第11回日本道教学会賞受賞。2015年、第2回松下正治記念学術賞受賞。著書に『風水思想を儒学する』(風響社、2007)、共編書に『もっとアジアを学ぼう――研究留学という生き方』(風響社、2012)など、共著書に『東アジア海域に漕ぎだす2――文化都市 寧波』(小島毅監修、早坂俊廣編、東京大学出版会、2013)などがある。