目次
凡例にかえて─本書の表記
序章
一 本書の目的と方法
二 エジプト沙漠開発の枠組み
三 バドル郡地域の概要
四 フィールドワークと資料
五 本書の構成
第一章 歴史の声─『タフリール県は革命の申し子』から
一 はじめに
二 『タフリール県』との出会い
三 歴史を書く者、書かれる者
四 バドル郡への長い道のり
五 おわりに
第二章 個人の声─町の住民Gの語りから
一 はじめに
二 Gとの出会い
三 Gの人生譚
四 町のモスクに関するGの見解
五 おわりに
第三章 沙漠地の法─民法第八七四条を中心に
一 はじめに
二 死地蘇生について
三 民法第八七四条の形成
四 一九五〇年代以降の特別法
五 おわりに
第四章 売買契約書─国有地を私有する仕組み
一 はじめに
二 バドル郡地域におけるタムリーク
三 沙漠開拓地の売買契約書の形成
四 沙漠開拓地の所有権の多層構造
五 おわりに
第五章 苗農場で働く─沙漠開拓地における農業実践
一 はじめに
二 沙漠開拓地の農業と農作物
三 Z農場との出会い
四 マシタルをする人、しない人
五 おわりに
第六章 喜びを分かちあう─結婚の祝宴と社会関係の実演
一 はじめに
二 結婚と祝宴の関係
三 ファラハに参加する
四 ファラハを開催する
五 おわりに
おわりに
あとがき
参考文献
索引
内容説明
本書は、沙漠開発が組み込まれた社会状況の中にいる人間に注目し、フィールドワークにもとづき、その人間を取り巻く法や制度、慣習、社会組織の全体像を描き出すことを目指すという意味で「民族誌」的方法論をとる。それは、開発の中で静かに進行する国家機構の拡大と人々による日常的抵抗の過程に注目し、私たちと同様、否応なしに「国家ある社会」を生きなければならない現代エジプト社会の姿を描き出すことを意図したものである。(「はじめに」より)
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はじめに
二〇世紀中ば、ちょうどナイル川の流れを完全にせき止めるアスワーン・ハイダムの計画が始まった頃、近代の進んだ技術をもってすれば、人間は沙漠を征服し、緑に変え、新たな地平を開くことができると信じられるようになった。沙漠に水を撒き、作物を育てるために、運河が掘られ、ポンプ場が建てられた。実質的主権を勝ち取ったばかりの新しい国民国家体制にとって、この発想はあたかも天与のものとみなされ、国家的開発計画に取り入れられた。二一世紀初頭の現在に至るまで、この沙漠開発の思想は、エジプトの政治・社会風土の中にしっかりと根を張り、生き残っている。
本書は、この現代エジプトの沙漠開発という現象を、「民族誌」という方法を中心に論じたものである。沙漠開発の状況や言説は、エジプトの社会・政治を映し出す鏡となると考えられてきた。しかし、沙漠開発に関する論議は、多くの場合、経済的効果や雇用機会の統計、耕作地の範囲や住宅戸数の多寡、政策報告書をめぐる果てしない解釈に終始し、「誰が畑を耕しているのか」に触れないまま沙漠の耕作事業の成否が語られ、「誰が住んでいるのか」を知らないまま、沙漠の住宅建設の成否が判断される。この上滑りの論議の一方で、沙漠開拓地に何が起こり、この現象に直接・間接に関わる人々が、何をどのように感じ、考え、行動しているのか、といった基本的な事柄は明らかにされないまま、放置されてきた。
「民族誌」が含む意味は多種多様であるが、ここでは、現地社会の中に入り込み、活動をともにしながら観察するフィールドワークの手法と、ある程度限定された地域や集団を全体論的に理解しようとする姿勢の二点を強調しておきたい。すなわち本書は、沙漠開発が組み込まれた社会の中にいる人間に注目し、フィールドワークにもとづき、その人間を取り巻く法や制度、慣習、社会組織の全体像を描き出すことを目指すという意味で「民族誌」的方法論をとる。それは、開発の中で静かに進行する国家機構の拡大と人々による日常的抵抗の過程に注目し、私たちと同様、否応なしに「国家ある社会」を生きなければならない現代エジプト社会の姿を描き出すことを意図したものである。
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本書には観察者であり執筆者である私の主観と関心、私を取り巻く人間関係が織り込まれている。この意味で本書は、私という特定の人間が、二〇一〇年代初頭という特定の時期に、エジプトのブハイラ県バドル郡という特定の場所で行ったフィールドワークと、そこで出会った特定の人々の記録でもある。バドル郡地域は─これから本書の中で繰り返し述べるが─、一九五〇年初頭に実施された開発計画によって耕作地と住宅地が整備された土地、「沙漠開拓地」である。バドル郡に向かう沙漠道路の途中に「緑の沙漠」という店の看板があるが、沙漠開拓地は、まさに「緑」と「沙漠」という矛盾した要素の組み合わせからなる。一面に広がる黄色い砂礫地の中で、スプリンクラーが機械的な音を響かせ、水を撒かれた部分だけに芝生が茂る姿には、近未来的な非現実感が漂う。
しかし、部外者の目にどれほど奇異に映ろうとも、その土地に生まれ育った者にとっては、そこが故郷である。沙漠開拓地に生まれ育った人々は、その土地をどのようなものとみなしているのだろうか。バドル郡に住むある人は、直截的な言葉で「おれはこの土地を買った」と表現した。これは、二〇一〇年にバドル郡地域でフィールドワークを始めた頃─実は私はその五年ほど前に同地域に一、二ヶ月滞在したことがあったが─、旧知のYと再会し、彼の新居で聞いた言葉である。Yは両親と同居していたが、二〇一〇年には同じ村の少し離れた一画に自分の家を建て、妻子とともに住んでいた。Yの村には一九六〇年代には公営住宅が二四戸があったが、二〇〇五年には自力で建てた新居を含めて約五〇戸に倍増し、二〇一〇年にはさらに増えていた。
私はYに「新居はイブニー・ベータックのおかげか?」と尋ねた。イブニー・ベータック(ibnī bēt-ak)とは、エジプト口語アラビア語で「あなたの家を建てよ」を意味し、当時のアフマド・ナズィーフ内閣が経済格差を縮めるため、若者や地方住民に住宅建設を支援した政策プログラムの呼称である。しかしYはこれを即座に否定し、「それは都会向けで、ここではそんなものはやられていない」と断った後、次のように述べた。
おれはこの土地を買った。ナセルの頃は「耕せ、そうしたら土地の権利を与えよう、水も電気も与えよう」だったのに、いまじゃ「先に金を払え、それから自分で耕せ」だ。難しい。入ってくるのは投資家ばかりだ。
この時私は、Yが公的支援を受けずに自力で土地を買い、家を建てたという「事実」を述べただけだと思った。しかし後になり、この時Yは自らが住む地域の生活世界を構成する重要な「真実」を明かしていたことに気づくことになる。「土地を買う」ことは、当然のことながら、土地の所有権や売買契約の証明や登記など複雑な仕組みを要する。Yの家が建っている場所は、二〇〇五年頃には単なる空き地に見える場所であったが、実際その頃にはYはすでにこれを「買い」、土地を管理する組合に登記していた。ナイル川流域内の農地の私的土地所有権は一九世紀末に確立したことが知られるが、近代的な土地所有体制は、いつ、どのようにしてナイル川流域外の沙漠地にも広げられたのか。Yのような人々は、どのようにして金を稼ぎ、土地を買い、これを故郷と呼ばれる場に変えていったのか。本書では、沙漠開拓地にまつわるこれら問いの答えを、バドル郡地域という特定の場所に生きる特定の人々の経験から探っていきたい。
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本書は、序章と本論六章から構成される。序章では、本書の目的と問題意識、現代エジプト沙漠開発の状況、バドル郡地域の概略、フィールドワークにおける対話者と資料の種類が述べられる。本論で扱う契約書の表現に準えて言えば、「序章は本書の分割されざる一部」であるが、詳細な背景情報であり、「はじめに」と重複する部分も多いので、読者各位の判断で読み飛ばしていただいても構わない。
本論の六章は、全三部、各部二章から構成される。各部ではそれぞれ沙漠開発における歴史、法、社会関係を論じる。
第一部「開発の評価と歴史認識」では、調査地バドル郡地域の歴史的側面を扱う。第一章「歴史の声─『タフリール県は革命の申し子』から」では、同地域の基礎となった一九五〇年代の国家的開発事業「タフリール県計画」が半世紀の歳月の中で「バドル郡」という一つの地方行政機構に変容していった過程と意義を、当の地方行政機構が記した「歴史書」の記述から考察する。これに対し、第二章「個人の声─町の住民Gの語りから」では、バドル郡地域の中心部の町、通称「マルカズ・バドル」に住む五〇代の男性住民Gの個人史と町のモスクに関する語りから、「歴史書」に含まれない地域社会の展開と、特に慈善を行う地方名士の存在を取り上げる。
第二部「沙漠開拓地をめぐる法制展開」では、バドル郡地域を構成する沙漠開拓地を「買う」仕組みを論じる。第三章「沙漠地の法─民法第八七四条を中心に」では、一九四八年に制定された現行民法の中の沙漠地の所有権と取得に関する第八七四条の形成とその後の特別法による修正から、「誰のものでもない」土地であった沙漠地が「国有地」となっていった過程を跡づける。これに対し、第四章「売買契約書─国有地を私有する仕組み」では、バドル郡地域における沙漠開拓地の所有という現状を出発点として、土地占有の合法化を進めたタムリークという手続きとその展開を検討する。
第三部「人々が依拠する社会関係」では、バドル郡地域で沙漠開拓地を利用し、それによって暮らしを成り立たせている人々の社会関係に目を向ける。第五章「苗農場で働く─沙漠開拓地における農業実践」では、沙漠開拓地を用いた農業実践の一つである苗農場の事例を取り上げ、その方法と風景、経営と労働をめぐる人間関係を描き出す。第六章「喜びを分かち合う─結婚の祝宴と社会関係の実演」では、同地域における社会関係の結節点の一つである結婚について、その不可欠の一部とみなされる祝宴の開催と参加をめぐる人々の間の互酬的関係性のあり方を論じる。
本書は、これら六章から沙漠開発における人間と社会的制度を論じる中で、沙漠開拓地という土地が、個々の人間にとって重要な財産となり、生計と自己アイデンティティーの道具、日常生活の場となっていることを示す。民族誌という方法を通じて、沙漠開発が国家から不断の介入を受ける現代エジプト社会の縮図であること、そして国家権力と付き合う人々のしたたかさを描き出してみたい。
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著者紹介
竹村和朗(たけむら かずあき)
1980年生まれ。
2015年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。
専攻は、地域研究(中東・エジプト)、文化人類学。
現在、日本学術振興会特別研究員PD(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)。
単著として、『ムバーラクのピラミッド:現代エジプトの大規模沙漠開発「トシュカ計画」の論理』(風響社、2014年)。共著として、『現代エジプトを知るための60章』(明石書店、2012年、鈴木恵美編)、『動乱後のエジプト:スィースィー体制の形成(2013〜2015年)』(アジア経済研究所、2018年、土屋一樹編)。共訳として、『女性をつくりかえるという思想:中東におけるフェミニズムと近代性』(明石書店、2009年、アブー=ルゴド編)。論文として、「エジプト口語アラビア語の諺:異文化を見る窓として」(『アジア・アフリカ言語文化研究』82号、2011年)、「エジプト2012年憲法の読解:過去憲法との比較考察」(上・下、『アジア・アフリカ言語文化研究』87・88号、2014年)など。