郷土中国
建国の前年(1948)に刊行された重要著作。中国社会の近代化への道筋を追究、家族・男女・血縁から社会や国家まで本質をえぐる。
著者 | 費 孝通 著 西澤 治彦 訳 |
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ジャンル | 人類学 社会・経済・環境・政治 |
シリーズ | 風響社あじあブックス > あじあブックス別巻 |
出版年月日 | 2019/03/20 |
ISBN | 9784894892668 |
判型・ページ数 | A5・272ページ |
定価 | 本体2,000円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
訳者まえがき
旧著『郷土中国』再刊の序言
一 「郷土社会」の本質
二 文字を農村へ
三 再び「文字を農村へ」を論ず
四 差序的な構造配置
五 個人間を繋ぐ道徳
六 家族
七 男女に別あり
八 礼治秩序
九 訴訟のない社会
十 無為政治
十一 長老統治
十二 血縁と地縁
十三 名と実の分離
十四 欲望から需要へ
十五 後記
訳者解題
訳者あとがき
索引
内容説明
「差序格局」(差序的な構造配置)モデルで知られる名著を新訳
近現代中国社会学の泰斗・費孝通。本書は建国の前年(1948)に刊行された、彼の重要著作の一つである。中国社会の近代化への道筋を追究する論考は、個人・家族・男女・血縁から、社会や国家まで鋭く本質をえぐり、今日でも色あせない古典。
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訳者まえがきより
『郷土中国』訳出の意義
『郷土中国』の重要性は日本においても思想史や政治史、社会学、人類学などの分野において早くから指摘され、注目されてきた。なかでも第四章の「差序的な構造配置」〈差序格局〉のモデルは、中国人社会の成り立ちを説明する上で、しばしば言及されてきた。しかしながら、その結果、『郷土中国』のなかでも「差序的な構造配置」だけが一人歩きしている感も否めない。この傾向は、中国においても同様である。もっとも、中国の場合は、『郷土中国』のなかでも「差序的な構造配置」のモデルを議論する限りは政治的な問題が発生しない、という理由もあろう。
それはともかく、費孝通が『郷土中国』のなかで論じようとしたのは、端的に言うなら、中国社会の近代化への道筋である。イントロダクションである第一章「『郷土社会』の本質」に続いて、第二章「文字を農村へ」および第三章「再び『文字を農村へ』を論ず」で費が強調しているのは、文字を知らないからと言って、農民は決して愚かではない、という点である。これには晏陽初らが進めていた平民教育運動に対する批判が込められている。即ち、晏の言う中国農民がかかえる「愚、貧、弱、私」という「四大病」のうち、最初にあげられている「愚」に対する反論として書かれているとも言える(この点については訳者解題で詳述)。その上で、費は、自分が考える最大の問題は「愚」ではなく、「私」であるとし、満を持して、第四章「差序的な構造配置」でこの問題を論じているのである。従って費が考えた「差序的な構造配置」のモデルは、あくまで「私」の問題を解き明かす為のものであって、必ずしも彼が本書で一番、訴えたかったことではない。しかもそれは西洋の「団体的な構造配置」との対比のなかで生まれたモデルである。続く第五章「個人間を繋ぐ道徳」もこの延長線上の議論である。
その上で、第六章から、「差序的な構造配置」の根幹をなしている家族の問題に移り、続く第七章「男女に別あり」でもこの延長線上の議論を行っている。これ以降の章は、対象範囲を個人や家族から拡大し、国家の統治の問題に移行する。即ち、第八章「礼治秩序」では、人治と法治に対して、中国特有の「礼治」を問題にし、続く第九章「訴訟のない社会」もこの延長線上の議論となっている。第十章「無為政治」では、権力構造について論じ、第十一章「長老統治」もこの延長線上の議論となっている。第十二章「血縁と地縁」で再び血縁関係の問題に戻り、近代化の過程における血縁から地縁への転換が論じられている。第十三章「名と実の分離」、および第十四章「欲望から需要へ」は、単行本化する際に新たに書き下ろされた章で、激動する時代にあって、中国社会を近代的な民主国家に変えていく上で何が必要なのかが模索されている。
このように、「差序的な構造配置」のモデルは、こうした全体の文脈の中で理解されるべきものである。この意味でも、入手しやすい形で『郷土中国』の新たな邦訳が日本で出される意義は、出版から七〇年を経た今日でも十分にあると言えよう。
改革開放以降、復権した費孝通は、小城鎮研究など、中央政府の政策に則った研究が主な対象となっていった。一度、右派として認定され、文革で闘争にかけられた経験を持った人間としては、やむを得ないことであった。それ故、彼は民国期の研究を全て封印せざるを得なかった。それでも、聶莉莉が指摘しているように、費は晩年の文章や談話において、『江村経済』や『生育制度』などの著作については何度も言及し、解説を行ってきたが、『郷土中国』にはついぞ触れることがなかった。唯一の言及が重刊に際しての「旧著『郷土中国』再刊の序言」であった(「費孝通──その志・学問と人生」二九〇─一頁)。
人類学者や社会学者が知る費孝通像と、中華民国史や思想史の研究者が知る費孝通像との間には微妙なずれがあるように思う。それはまた中華民国期と中華人民共和国との間の断絶に対応していよう。中華民国期の費孝通は、中国民主同盟に加盟し、憲政による民主的な国家の建設を模索する、リベラルな知識人の一人であった。その中でも彼は非常に優秀で、影響力のある知識人であった。実際、『郷土中国』の基となる論文を連載した『世紀評論』は、腐敗した国民党でも、共産党でもない、第三の道を模索する雑誌であった。そうした民国期における費の著作の中でも、『郷土中国』は、費自身が書いているように、最も知的な冒険をした一冊であった。一般には、彼が書いた「知識分子的早春天気」によって右派に認定されたとなっているが、費の思想的な経歴や儲安平との深い関係を考えれば、費が連坐して右派に認定されるのは時間の問題であった。
改革開放後の、名誉回復された以降の費孝通の研究しか知らない読者にとっては、本書を通読することによって、費孝通の全く異なる姿を目にすることになるであろう。また、『郷土中国』の存在を知っていても、「差序的な構造配置」の部分を中心に目を通した読者(かつての私もそうであったが)にとっては、『郷土中国』の全貌というか、本来の姿を目にすることになるであろう。
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著者紹介
費孝通(ひ こうつう)
1910年、江蘇省に生まれる。北京の燕京大学で社会学を学んだ後、清華大学大学院に進学し、シロコゴロフの指導を受ける。1936年、ロンドン大学大学院に留学し、マリノフスキーのもとでPeasant Life in Chinaを書きあげる。帰国後、雲南にて研究、教育活動に従事、米国訪問、英国再訪の後、北京に戻り清華大学教授となり、『生育制度』『郷土中国』『郷土重建』などを発表する。
中華人民共和国成立後、民族識別工作などに従事するも、1957年の反右派闘争で右派とされ、文化大革命でも迫害を受け、長らく研究の中断を余儀なくされた。改革開放以降、名誉回復され、中国社会科学院社会学研究所長、北京大学社会学研究所長などを歴任、中国社会学会長に就任し、社会学・人類学の再建に尽力する。改革開放以降の費孝通の研究は、民族問題や小城鎮問題、社会学史など多方面にわたり、『小城鎮大問題』『中華民族多元一体格局』など多くの論文や著作を刊行。名誉回復以降の研究は民国期の著作とともに、『費孝通文集』『費孝通全集』など複数の文集に編纂されている。2005年、95歳にて永眠。
訳者紹介
西澤治彦(にしざわ はるひこ)
1954 年広島県生まれ。筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学・総合研究大学院大学)。武蔵大学人文学部教授。著書に『中国食事文化の研究ー食をめぐる家族と社会の歴史人類学』(風響社 2009)、『中国映画の文化人類学』(風響社 1999)、共編著に『フィールドワークー中国という現場、人類学という実践』(風響社 2017)、『中国文化人類学リーディングス』(風響社 2006)、『大地は生きているー中国風水の思想と実践』(てらいんく 2000)、『アジア読本・中国』(河出書房新社 1995)、共訳書に費孝通著『中華民族の多元一体構造』(風響社 2008)、フリードマン著『東南中国の宗族組織』(弘文堂 1991)など。