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モンゴルの親族組織と政治祭祀

オボク・ヤス(骨)構造

モンゴルの親族組織と政治祭祀

ヤス(骨)のもつ社会的機能と象徴的意義に注目、従来のオボク=氏姓論を超えて、モンゴル人の政治原理と社会構造を明らかにした大著

著者 楊 海英
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2020/04/10
ISBN 9784894891609
判型・ページ数 A5・326ページ
定価 本体3,600円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

第1章 モンゴルの親族組織に関する記録と研究

  1 モンゴル人の記録と記憶
  2 モンゴルの親族組織に関する人類学的研究
  3 日本のモンゴル研究のなかのオボク解釈
  4 先行研究の総括と本書の目的

第2章 オルドス万戸とオルドス地域

  1 モンゴルのなかのオルドス万戸
  2 オルドス地域の歴史
  3 清朝時代の旗制度とオボクの編成
  4 オルドス・モンゴル人の生活

第3章 オボク・ヤス構造

  1 モンゴル人自身のオボクとヤスに対する認識
  2 ヤスの階層性と象徴性
  3 ヤス・タイ・オボク
  4 ヤス・ウグイ・オボク
  5 ヤスの形成と消失に関する仮説

第4章 チンギス・ハーン祭祀とオボク・ヤス集団

  1 チンギス・ハーンの祭殿「八白宮」
  2 祭祀者ダルハトのオボクとヤス
  3 八白宮の祭祀に貫徹された系統理念

第5 章 オボク集団の祭祀

  1 旗ダルハトのオボクとヤス
  2 「旗ダルハト」が主宰する「白宮」
  3 オボク集団の祭祀
  4 オルドス祭祀の全体的調和性と政治的統合性

第6 章 オボク・ヤス構造とその機能の歴史的変容

  1 遊牧社会における「オボク・ヤス構造」
  2 「八白宮」祭祀の統合機能
  3 ヤスとオボクの現状

あとがき

補記――オルドスとウズベキスタン

引用文献

索引

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内容説明

「ヤスをもつオボクは生き残る、ヤスのないオボクはつぶれる」
12代も先祖を遡ることができた血縁の国モンゴル。だが、清朝支配や文化大革命によりオボク(親族組織)は半壊、ヤスも忘却されつつある。本書はヤスのもつ社会的機能と象徴的意義に注目、モンゴル人の政治原理と社会構造を明らかにした大著。

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まえがき


(前略)
 本書は以下3項目に示す主旨で記述と考察を進めるものである。モンゴルの親族集団オボク(obuɣ, obugh, omoɣ)とヤス(yasu, 骨)の実態について記述し、両者の相互関係を分析することによって、モンゴル人社会における集団編成の政治原理と社会構造の性質を明らかにする。

 モンゴルの社会構造に関する従来の研究は、ほとんどが歴史資料に依拠したものであった。そのなかでオボクは常に研究の対象とされてはきたが、その実態は決して明瞭なものではない。現実の社会生活のなかで、モンゴル人はオボク集団の一構成要素となるヤスを重視する。ヤスが象徴的な機能と政治的意義を帯びているからである。したがって、社会構造の本質を明らかにするには、ヤスの社会的機能と象徴的意義に注目してオボクを研究し、ヤスとオボクの相互関係から考察する必要がある。それは、現代におけるモンゴル人の社会構造研究の空白を埋める基盤になるであろう。

 本書では、まず第1章において、モンゴル人自身が父系親族集団であるオボクとヤスについて抱いている認識を呈示する。そのうえで、ユーラシア世界におけるテュルク・モンゴル系諸集団に関する文化人類学的研究の成果を回顧し整理する。

 つづく第2章では、モンゴルのなかでも独自の歴史を有し、政治祭祀を運営維持し、中世から清朝時代に激しい再編成がおこなわれたオルドス・モンゴル(Ordus Mongɣol)の性質と特徴について述べる。

 第3章ではオルドス・モンゴルの各オボク集団の分布と移動の経緯を明確にする。同時にオボクとヤスの関係を詳細に分析し、集団の内部構成を究明する。オボクとヤスの関係はきわめて流動的なものであり、その流動性には集団編成の政治的原理が内包されている。両者の流動関係はまさにオボクとヤスから構築する遊牧社会の流動的社会構造を特徴づけるものである。

 モンゴル人は、オボクとヤスをセットで記憶し、その規約を遵守し、共通の祭祀に参加することによって、自らの父系親族集団への帰属を明確にしている。これらの父系親族集団が統合されてモンゴル人社会を形成する。

 つぎに、モンゴル全体の政治統合と民族意識の維持方法について考察する必要が出てくる。そこで登場するのが、政治祭祀である。チンギス・ハーンをはじめとする政治祭祀(törü gürün-ü tayilɣ-a)、およびその他の諸政治祭祀について考察し、儀礼の果たす政治統合の役割を明確にする。

 オルドス・モンゴル人は、チンギス・ハーンを対象とする祭殿を維持し、その祭祀を主宰してきた特殊な集団である。祭祀を直接担当する者はモンゴルの各集団から選ばれた、出自の枠を超越した集団である。この超出自集団が主宰する祭祀は、決して個々の父系親族集団の維持と統合をはかる祖先祭祀ではなく、モンゴル人全体の統合を維持促進する政治祭祀であった。

 清朝の成立により、モンゴル人は社会構造の変容を余儀なくされた。清朝の行政機構のなかでは、オルドス・モンゴル人は、モンゴル全体の政治統合に関わる集団とは認められなくなった。広範な地域に散住するモンゴル人の政治的統合は断たれ、オルドス・モンゴル人がつかさどる祭祀の目的も、地域の利益を守ることのみに限定されるようになっていった。政治祭祀の役割とその変容について第4、第5 章で述べる。

 以上の内容を受けて最終章の第6 章において、オボクとヤスの機能とその歴史的変容を総括する。先学が以前にユーラシアのテュルク・モンゴル系遊牧民の社会を「オボク構造」(obok structure)と呼んだのを筆者は更に発展させて、「オボク・ヤス構造」(obugh and yasu structure)論を提示する。

 筆者は、1991 年から1992 年にかけて、オルドス地域のなかでも特にオボクとヤスの維持を重視しているとされているウーシン旗(Ügüsin qosiɣu=Üüsin qosiɣu。旗は行政組織。詳しくは後述)、オトク旗(Otoɣ qosiɣu)とオトク前旗(Otoɣ-un emünetüqosiɣu)、それにエジン・ホロー旗(Ejen qoroɣo qosiɣu)などにおいて現地調査を実施した。その後、1995 年から現在に至るまで、調査の範囲を更にダルト旗(Daludqosiɣu)とハンギン旗(Qanggin qosiɣu)、それにジュンガル旗(Jegünɣar qosiɣu)に広げるよう努めた(地図1、地図2)。本書が依拠している資料と情報はすべて上記の調査期間中に収集したものである。

 本書は以下の原則に沿って記述する。

 第一、調査の対象者を「モンゴル人」と位置づけ、「モンゴル民族」や「モンゴル族」といった表現は避ける。その理由は、現代中国で使用されている「民族」は政治的な概念であって、客観的な学術概念ではないからである。特に、近年の中国政府から推奨されている「中華民族」等は国家統合と同化を目的とした強烈な政治的な用語であるので、「民族」は学術研究に政治色をもたらす可能性があるので、極力回避する。更に、モンゴル人は中華人民共和国の国境を越えてユーラシア全体に広く分布している。「蒙古民族」や「少数民族」のような、一国内の政治団体という枠組みに束縛されると、歴史と文化の全体像がみえなくなるからである。

 第二、同様な観点から、いわゆる漢族をすべて中国人と定義する。それは、モンゴル語でかれらを指すKhitad(Irgen kün)という言葉の正確な訳語が「中国人」だからである。筆者は以前からモンゴル人とウイグル人、それにチベット人の歴史と文化は中国が唱えるところの「民族」という政治的範疇に収まらないと主張し、一貫してそのような視点で研究を続けてきた[楊 2014a: 47, 2016:11]。近年では、他の研究者もモンゴル人と満洲人は国籍上、「中国の人」(peopleof China=Zhongguo zhi ren)であるにすぎず、「中国人」(Chinese=Zhonguoren)ではなく、両者を厳密に区別しなければならないと指摘している[Dmitriev & Kuzmin 2015: 71-72]。日本の研究者もこうした国際学界の動向に注意する必要があろう。

 第三、モンゴル語のローマ字表記はウイグル文字やキリル文字を転写したものである。モンゴル語のカタカナ表記はおおむねオルドス方言に準じるが、モンゴル国と内モンゴル自治区における標準語の発音にも配慮する。一般的にオルドス方言では母音のo とu、ӧ とü を標準語と逆転させる場合が多い。例えば、モスタールトも初期の論文ではOrdos Mongol をUrdus Mongol と表記している。また、č とj, Z の混用も普通である[Mostaert 1926: 851-869; Eerdunmengke 1999: 63-71]。日本語の資料を引用する際に、古い仮名遣いと旧漢字をすべて現行のものに直した。(後略)


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著者紹介
楊 海英(Yang Haiying)
1964 年、中国内モンゴル自治区オルドス生まれ。総合研究大学院大学修了、博士(文学)。専攻、文化人類学。
現在、静岡大学人文社会科学部教授。
主な著書として、『草原と馬とモンゴル人』(日本放送出版協会、2001 年)、『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』(風響社、2004 年)、『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』(平凡社、2005 年)、『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社、2007 年)、『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』(風響社、2008 年)、『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上・下2009 年、続 2011 年、岩波書店)、『植民地としてのモンゴル―中国の官制ナショナリズムと革命思想』(勉誠出版、2013 年)、『中国とモンゴルのはざまで―ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(岩波書店、2014 年)、『ジェノサイドと文化大革命―内モンゴルの民族問題』(勉誠出版、2014 年)、『チベットに舞う日本刀―モンゴル騎兵の現代史』(文藝春秋、2014 年)、『逆転の大中国史』(文藝春秋、2016 年)、『モンゴル人の民族自決と「対日協力」―いまなお続く中国文化大革命』(集広舎、2016 年)、『「知識青年」の1968 年―中国の辺境と文化大革命』(岩波書店、2018 年)、『最後の馬賊―「帝国」の将軍・李守信』(講談社、2018 年)、主な編著に『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料』1 〜 12(風響社、2009 年〜 2020 年)など多数。

The Kinship Structure and Political Retuals of The Ordos Mongol: The Changging Functions of obugh and yasu( Bone) Structure in Historical Contexts
Yang Haiying, 2020, Fukyosha Publishing, Inc. Tokyo

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