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西アフリカ内陸の近代

国家をもたない社会と国家の歴史人類学

西アフリカ内陸の近代

国家に抗するシステムとその解体、イスラームの改革主義運動の苦闘……。断片的で偏在する史資料から、アフリカの近代を構想。

著者 中尾 世治
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2020/08/20
ISBN 9784894891685
判型・ページ数 A5・606ページ
定価 本体7,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序論

    1 歴史人類学の地平:史資料のもつパースペクティブ
    2 西アフリカ内陸の近代と歴史人類学
    3 史資料の認識とそれぞれの分析手法
    4 本書の枠組と構成

●第1部 19世紀までのムフン川湾曲部における持続と変容:政治・経済・イスラームの新たな複合の萌芽

第1章 西アフリカ内陸の農村社会の形成と特徴

    1 狩猟採集文化の変容:サバンナと森林地帯の2つの複合(紀元前5千年紀から紀元前3千年紀)
    2 緑のサハラにおける牧畜と採集の混合経済(紀元前4千年紀から紀元前3千年紀)
    3 栽培種と家畜をもつ狩猟採集民(紀元前2千年紀から紀元前1千年紀)
    4 定住:農耕と牧畜の専業化(紀元1千年紀)
    5 10世紀以降の西アフリカ内陸の社会変動(10世紀から16世紀)
    6 村落:親族原理と先住原理
    7 国家
    8 本章のまとめ

第2章 ムフン川湾曲部の歴史的世界

    1 グル語派の分布と地理的特徴
    2 ムフン川湾曲部の言語分布の意味
    3 ムフン川湾曲部の概観
    4 ムフン川湾曲部の村落の人口規模と特徴
    5 先着原理と村落の分離
    6 ムフン川湾曲部における戦争
    7 国家に抗するシステム

第3章 ムフン川湾曲部における周縁的なジハードと国家形成

    1 16世紀までのヴォルタ川流域へのマンデ系諸民族の拡散
    2 16世紀から19世紀初頭までのイスラームの変容
    3 ムフン川湾曲部におけるムスリムの拡散
    4 マフムード・カランタオのジハード
    5 ムフン川湾曲部における政治、経済、宗教の再編成の萌芽

●第2部 植民地統治の確立:植民地統治による政治・経済・宗教の変容

第4章 国家をもたない社会における「平定」と暴力の独占

    1 探索とローカルな政治関係
    2 「空白地」における「平定」
    3 ヴォルタ–バニ戦争と暴力の独占
    4 「平定」と国家をもたない社会の消滅

第5章 内陸における植民地経済

    1 フランと人頭税
    2 人頭税と植民地統治
    3 換金作物の経済
    4 フランによる植民地経済
    5 家畜による資本形成
    6 植民地経済とは何か

第6章 宗教─政治の出現:植民地行政、カトリック宣教団、イスラームの接触領域

    1 教育とライシテ:植民地行政とカトリック宣教団の宗教-政治
    2 フロンティアの変貌
    3 マサラにおける抵抗運動と監査官による事件化
    4 植民地統治以降の宗教をとりまく条件

●第3部 ブラザヴィル会議以降の政治とイスラーム:ムフン川湾曲部における新たな政治・経済・イスラームの複合

第7章 オート・ヴォルタ植民地における政党政治

    1 ブラザヴィル会議からオート・ヴォルタ植民地再構成まで:ボボ・ジュラソ/ワガドゥグ、RDA/UV
    2 第三勢力の出現とムフン川湾曲部における政党政治
    3 オート・ヴォルタ植民地における政党政治
    4 かつての国家をもたない社会における政党政治とは何か

第8章 ボボ・ジュラソにおけるイスラーム改革主義運動

    1 第二次世界大戦までのボボ・ジュラソにおけるイスラームの展開
    2 ボボ・ジュラソ事件と植民地行政の介入による意図せざる結果
    3 「外来者」と「土着民」の対立とイスラーム改革主義の形成
    4 ボボ・ジュラソにおけるイスラーム改革主義運動

終章 西アフリカ内陸における近代と国家

    1 プロセスとしての西アフリカ内陸における近代
    2 西アフリカ内陸における近代とは何か

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内容説明

「近代とは、すなわち、国家の出現であった」
村々の国家に抗するシステムとフランス植民地統治によるその解体、植民地通貨と政党政治による混乱、イスラームの改革主義運動の苦闘……。本書は断片的で偏在する史資料から、アフリカの近代論と新たな歴史人類学を構想した気鋭の論考。
(第33回日本アフリカ学会研究奨励賞受賞)

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まえがき




 本書は、西アフリカ内陸のムフン川湾曲部(現在のブルキナファソ東部から中部にまたがる地域)の近代、すなわち、19世紀から20世紀半ばまでを叙述することを目的としている。19世紀末からのフランスによる植民地統治以前、この地域には、小規模の国家と国家をもたない社会が広がっていた。そうした社会は植民地統治以降、どのように変容していったのだろうか。

 国家をもたない社会には、国家を生みださないようなあり方があった。そうしたあり方も、それ自体として不安定なもので、植民地統治直前には、国家形成の運動が生じていた。そうしたなかで征服がなされ、植民地統治が成立した。

 文字を利用する人びとがほとんどいなかった地域に、文書を大量に生産する植民地行政が成立するとどのようなことが生じるのか。

 タカラガイを貨幣として部分的に用いていた地域に、植民地政府によって発行された貨幣が導入され、一律の徴税がなされるとどのようなことが生じるのか。

 イスラームと在来宗教が混在している地域に、一方ではカトリック宣教団が入植し、他方ではライシテ(脱宗教性)を掲げる植民地行政が成立すると、どのようなことが生じるのか。

 そして、これらが生じた後に、第二次世界大戦後、政党政治が持ちこまれると、この地域では何が生じたのか。

 こうしたことが、この地域での近代の経験として呼びうるものである。しかし、同時に、近代における変容を述べるには、近代以前からの変容も述べなければならない。近代における変容は、それ以前の状態との対比において、変容と認識しうるからである。そうして、つぎのような問いも生じさせるだろう。すなわち、西アフリカ内陸の植民地統治以前の長い歴史のなかで、国家と国家をもたない社会がどのように成立してきたのか。

 これらの問いは、国家とは何かという問いに収斂される。西アフリカ内陸の近代がいかなるものであったのかを叙述することによって、国家をもたない社会の存在していた地域において国家とは何か、という理論的な問題に貢献することができるだろう。

 ジェームズ・スコットがいうように、一般的にいって、国家をもたない社会では文字があまり用いられず、歴史叙述を蓄積させる装置を欠く傾向にある[スコット 2013 [2009]]。本書で扱う地域においてもまた、文字史料は圧倒的に少ない。その意味で、本書は、史資料の少ない地域での歴史叙述がいかに可能であるのか、という歴史人類学の根源的な問いを内包している。かつて、人類学は、対象地域の文字史料の少なさによって、歴史学と人類学との区別を主張していたことがあった。本書の主張は、文字史料の少なさや偏りそのものが、歴史を研究するための認識を構成すると同時に、対象となる社会のあり方そのものを捉える認識を構成するというものである。

 近代を指す指標は、いくつもあげられるであろうが、紙の大量生産・大量消費が本格化したのは製紙技術の革新の生じた19世紀後半以降である[ドゥ・ビアシ 2006 [1999]]。それは、ちょうど、西ヨーロッパ諸国による西アフリカ内陸の征服がなされた時代である。西アフリカ内陸の近代とは、フランス語で書かれた行政文書が植民地行政機構によって大量に生産されるようになった時代でもある。そして、行政機構の再生産は、フランス語の読み書き能力の学校教育を不可欠とし、この学校教育によって行政機構内部で働く「エリート」――植民地統治時代において、ホワイトカラーはほとんどいなかった――が生みだされることになる。近代の国家とは文書を生産する。それによって、歴史を再構成する史料が生みだされる。つまり、近代の国家はそれ自体として歴史の語りを可能とする史料を生みだす機構である。

 一般的にいって、口頭伝承においてもまた、国家の起源と展開についての多くの語りがなされる。一方で、国家をもたない社会のなかでは、地域全体を包括するような歴史の語りはほとんどみられない。私はムフン川湾曲部のいくつかの村々をまわって、村の起源譚、村のなかにある街区の起源譚、村のなかのモスクの設立経緯などを聞いてまわった。この地域の国家をもたない社会は、基本的には、村が政治的に自律したひとつの単位であった(第2章第4節第2項)。村のなかの歴史についての語りは、基本的に村のなかの社会構造を反映したものとなっている。つまり、村がどのように始まり、村の構成要素である街区がどのように始まり、村や街区に移り住んできたリネージがどのようにやってきたのかについて語られる。もともと住んでいた村やその村に行き着くまでの経路については語られる。しかし、それらは地域のなかの膨大にある村々の広大な海のほんのわずかな点と点を結ぶだけである。つまり、口頭伝承もまた、国家を中心に歴史の語りを多く生みだし、国家をもたない社会ではまばらである。

 本書は、国家をもたない社会のなかで国家がいかに生じ(そこない)、それがどのような帰結をもたらしたのかを政治・経済・宗教の側面から包括的に論じるものである。また、ここで述べたように、国家の有無それ自体が史資料の偏在を引き起こしており、本書で述べる記述と分析それ自体に国家の有無が影響を与えている。この史資料の偏在によって、本書では時代やトピックごとに、一方では非常にローカルな出来事に焦点化するためにレンズが絞られ、他方では地域全体にピントをあわせてレンズの絞りが開かれることになる。序章では、このような史資料の偏在を踏まえた、歴史の記述と分析のためのメタ方法論が語られることになる。その意味において、本書はムフン川湾曲部の近代における国家をもたない社会と国家の記述・分析だけではなく、国家をもたない社会と国家の生みだす史資料の偏在についてのメタ方法論の提示とその実践でもあり、その両者の歴史人類学である。


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著者紹介
中尾世治(なかお せいじ)
1986年生まれ。
2017年南山大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人類学)。
総合地球環境学研究所特任助教。
専攻は西アフリカ史研究、歴史人類学。
著書として、『生き方としてのフィールドワーク』(東海大学出版部、2020年、共編著)、『アフリカで学ぶ文化人類学』(昭和堂、2019年、共著)。論文として、「特集・序――西アフリカ・イスラーム研究の新展開」(『年報人類学研究』11号、2020年)、「植民地行政のイスラーム認識とその運用――ヴィシー政権期・仏領西アフリカにおけるホテル襲撃事件と事件の捜査・対応の検討から」(『アフリカ研究』90号、2016年)など。

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