ホーム > 仏教モダニズムの遺産
目次
はじめに
序論 仏教ナショナリズムの系譜学
一 シンハラ仏教社会研究
二 植民地エリート
三 系譜学
四 過去の現前
五 帝国の植民地支配
●第Ⅰ部 アナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯
第一章 在俗の出家者
一 ドン・デヴィド・ヘーワーウィターラナ
二 仏教対キリスト教
三 仏教への「改宗」
四 異教的な儀礼の排除
五 アナガーリカ・ダルマパーラ
第二章 約束の地セイロン
一 プロテスタント仏教
二 アーリヤ神話
三 大王統史史観
四 シンハラ仏教ナショナリズム
五 二つの法輪――正当化される暴力
第三章 仏法の戦士
一 大菩提会
二 ベンガル・コネクション
三 シカゴ万国宗教会議
四 仏教モダニズム
五 ヒンドゥー教と仏教
第四章 東と東のすれ違い
一 ダルマパーラの日本
二 日露戦争の衝撃
三 田中智學と岡倉天心
四 近代主義者
五 衣装とナショナリズム
第五章 文化ナショナリズム
一 印刷資本主義
二 大衆文化の効用
三 禁酒運動
四 一九一五年暴動
●第Ⅱ部 シンハラ・アーリヤ神話の遺産
第六章 仏教の新展開
一 無冠の帝王
二 政治比丘
三 セイロン独立
四 シンハラ・オンリー
五 仏教一元化
第七章 マイノリティ戦略
一 聖トマス伝説
二 大英帝国の支配
三 宗教民族政策の転換
四 ムーアとマレー
五 ドラーヴィダ・ナショナリズム
第八章 テロリズムの横行
一 J・R・ジャヤワルダナ
二 徳による政治 290
三 一九八三年 「闇黒の七月」
四 仏教王イメージ
五 近隣ファースト
結論 宗教の暴力性
あとがき
引用文献
年譜
写真・図・表一覧
索引
序論 仏教ナショナリズムの系譜学
一 シンハラ仏教社会研究
二 植民地エリート
三 系譜学
四 過去の現前
五 帝国の植民地支配
●第Ⅰ部 アナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯
第一章 在俗の出家者
一 ドン・デヴィド・ヘーワーウィターラナ
二 仏教対キリスト教
三 仏教への「改宗」
四 異教的な儀礼の排除
五 アナガーリカ・ダルマパーラ
第二章 約束の地セイロン
一 プロテスタント仏教
二 アーリヤ神話
三 大王統史史観
四 シンハラ仏教ナショナリズム
五 二つの法輪――正当化される暴力
第三章 仏法の戦士
一 大菩提会
二 ベンガル・コネクション
三 シカゴ万国宗教会議
四 仏教モダニズム
五 ヒンドゥー教と仏教
第四章 東と東のすれ違い
一 ダルマパーラの日本
二 日露戦争の衝撃
三 田中智學と岡倉天心
四 近代主義者
五 衣装とナショナリズム
第五章 文化ナショナリズム
一 印刷資本主義
二 大衆文化の効用
三 禁酒運動
四 一九一五年暴動
●第Ⅱ部 シンハラ・アーリヤ神話の遺産
第六章 仏教の新展開
一 無冠の帝王
二 政治比丘
三 セイロン独立
四 シンハラ・オンリー
五 仏教一元化
第七章 マイノリティ戦略
一 聖トマス伝説
二 大英帝国の支配
三 宗教民族政策の転換
四 ムーアとマレー
五 ドラーヴィダ・ナショナリズム
第八章 テロリズムの横行
一 J・R・ジャヤワルダナ
二 徳による政治 290
三 一九八三年 「闇黒の七月」
四 仏教王イメージ
五 近隣ファースト
結論 宗教の暴力性
あとがき
引用文献
年譜
写真・図・表一覧
索引
内容説明
宗教の持つ本源的な暴力性を問う
タミル分離独立をめぐる内戦、ムスリムとの対立、そして2019年の同時多発テロ は、仏教聖地スリランカを根底から揺るがせた。本書は、植民地支配下に独自の改革仏教を創始したダルマパーラの思想を根源から問い直し、そこに潜む暴力性について人類学的、系譜学的に明らかにした労作である。
あとがき
スリランカとの関わりは、修士論文から数えて四〇年以上になり、一九八一年の初めての現地調査からも四〇年が経っている。その後も比較的短期の現地調査を継続したが、一九九〇年代に入って調査村でも内戦の影響を受けるようになってすっかり足が遠のいてしまった。つまり筆者とスリランカとの関わりは、宗教・民族紛争の歴史とほぼ重なっていることにお気づきであろう。その後、一九九〇年三月から一九九一年二月にかけて南インド、タミルナードゥ州で現地調査を実施し、帰国した直後にLTTEによるラジーヴ・ガンディー元インド首相の暗殺という驚愕すべき事件を迎えることになった。
また、一九九〇年代末のインドの週刊誌『フロントライン』(Frontline)に、政府軍が討ち取ったタミル・ゲリラの遺体の写真が掲載されたが、そこに写っていたのは、ほぼ十代前半と思われる少年少女兵だった。ラジーヴ暗殺を題材にしたサントーシュ・シヴァン(Santosh Sivan)監督の映画『ザ・テロリスト――少女戦士マッリ』(マッリの種、The Terrorist Malli, 2002)や、少年少女兵の訓練の場面があるマニ・ラトナム監督の『頬にキス』(Kannathil Muthamittal, 2002)などに描かれていたのはフィクションなどではなく、現実だというところに戦慄しないわけにいかなかったのである。
タンバイヤーは『仏教は裏切ったのか?』(一九九二年)の冒頭で、仏教は非暴力を唱えるのに、現在のスリランカでは政治的暴力が横行するのか」と問われたことからはじめて、仏教ナショナリズムについて考察を行った。しかし本書での問いはもっと根源的なものだ。つまり、人はなぜ、宗教の名の下ではかくも残虐になり得るのか、という問いである。それも、もともと攻撃的でミリタリーな性格を持つ人びとではなく、むしろ善意で気弱な人びとの方が残虐だという不可思議が伴っている。
そして、二〇一九年の同時多発テロによって、結論でも引用した「スリランカからインドにかけての混乱は、……近代の矛盾を抱えた世界の縮図である」と述べたことが、ただのレトリックではなく悪しき現実になってしまった。世界の、それも悪い面が集中的にスリランカという島国に覆い被さってきたのである。ながらくこの国に関わってきた者にとって、その衝撃は計り知れない。
このような現実をみるにつけ、二〇〇四年に久しぶりにスリランカを訪れたときに、まだ解決していなかった内戦について、もうスリランカの人間ではだめだから、外の人間にやって(支配して)もらった方がいい、と言いきっていたオートリキシャのドライバーの言葉が妙にリアリティーをもって思い出される。たしかに内戦で次代を担う多くの若者が命を落とし、ガーミニー・ディサーナーヤカやニーラン・ティルセルヴァムなど将来を嘱望されていたエリート政治家が次々と暗殺されていったことを思えば、その人的損害はことのほか大きかった。植民地支配とはかくも過酷な結果を生み出すものなのか、戦争経済に依存する大国の利害は小さな島で平和な暮らしを求める人びとをかくも蹂躙し尽くすものなのか、という思いを抱いたところから、本書の構想は出発している。
何度も繰り返し強調しているように、アナガーリカ・ダルマパーラ個人にその責めを帰することはできないのであるが、時代の要請に応えたであろうダルマパーラ個人の善意からきた仏教モダニズムが、時代が変わって大衆的な仏教ナショナリズムとして発動され、当人の予想もつかない結果を招いていることは事実である。まことに、地獄への道は善意の石が敷きつめられている。旧稿を再編集して一書にまとめようとしたのには、こうした事情が働いている。
さらにいえば、大学時代以来半世紀を超える長きにわたってその学恩に浴してきた佐々木宏幹先生が最近まとめられた『スピリチュアル・チャイナ』(大蔵出版、二〇一九年)に大きな刺激を受けたことが決定的であった。しかも、そこにまとめられている論考には筆者が南山大学人類学研究所で組織していた研究プロジェクトの成果として公刊されたものが含まれていた。
本書で取り上げているスリランカ研究もまた、大学院時代に先生のご指導をうけながら細々と始めたいきさつがある。まだまだ拙い研究にすぎないが、本書が先生から受けた学恩への幾ばくかのお礼になれば幸いである。・・・・・・・・
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著者紹介
杉本良男(すぎもと よしお)
1950年生まれ。
博士(社会人類学)(東京都立大学)。
国立民族学博物館名誉教授。専門は社会人類学、南アジア研究。
南アジアの文化・宗教ナショナリズム、神智協会と南アジア・ナショナリズムなどについて調査研究を行っている。主要業績に『インド映画への招待状』(青土社、2002)、『スリランカで運命論者になる―仏教とカースト制が生きる島』(臨川書店フィールドワーク選書14、2015)、『ガンディー―秘教思想が生んだ聖人』(平凡社新書、2018)など。