ホーム > 中国農村の生活世界

中国農村の生活世界

中国農村の生活世界

農村とそこに生きる農民に、変わらぬ内実があるとすれば、それは何か。「中国農村慣行調査」の現地を、80年代から再調査した成果。

著者 中生 勝美
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2023/01/20
ISBN 9784894893122
判型・ページ数 A5・360ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

第1章 『中国農村慣行調査』研究の系譜

 はじめに
 1 慣行調査の企画と戦争責任――末弘厳太郎の調査指針
 2 第1世代――満鉄調査部関係者とその周辺の成果

第2章 歴史研究

 1 華北村落の形成史――洪洞県移住伝説
 2 『中国農村慣行調査』の限界と有効性

第3章 社会構造

 1 華北農村の社会関係
 2 漢族の民俗生殖観とイトコ婚
 3 中国山東省の婚姻儀礼
 4 婚姻贈与と婚姻連帯――漢族の婚姻体系と地域性

 コラム 戸口制度

第4章 世代ランク

 1 中国の命名法と輩行制
 2 親族呼称の拡張と地縁関係

第5章 宗教

 1 中国華北平原の雨乞い――中国山東省の二つの村落の事例を中心に
 2 華北の墓地風水

 コラム 多元磁力の中国農村

第6章 市場圏

 1 華北の定期市――スキナー市場理論の再検討

 コラム 秤と暮らし――山東農村の度量衡

終章 結論

 1 満鉄調査の評価と継承
 2 フィールドワーク論
 3 中国社会の地域性
 4 華北の社会的特性――世代ランク

補論1 歴史認識と人類学――満鉄資料『新疆ニ於ケル楊柳青人』について

 1 はじめに
 2 『新疆ニ於ケル楊柳青人』
 3 調査員の山本斌について
 4 日本帝国の新疆工作
 5 結論

補論2 戦中期における上海の不動産取引と都市問題――満鉄の報告書を中心に

 1 上海都市史研究
 2 資料の背景
 3 上海土地不動産慣行調査
 4 結論

おわりに

参考文献

索引

このページのトップへ

内容説明

1940年代に満鉄調査部が行った「中国農村慣行調査」の現地を、著者は開放直後の80年代から再調査し、その報告群から本書は生まれた。80年の歳月を経た農村とそこに生きる農民に、変わらぬ内実があるとすれば、それは何か。中国の来し方行く末を考える、ロングレンジの定点的論考。

*********************************************

はじめに





 戦前に、南満州鉄道株式会社という国策会社があった。満鉄総裁に後藤新平を迎え、いわば旧満州の植民地経営全般を担う会社として、鉄道だけでなく、鉄道沿線の行政、経済に及ぶ、広範な調査事業も展開した。

 筆者が華北農村慣行調査を知ったのは、1981年に提出した修士論文を作成する過程で、仁井田陞の『中国の農村家族』(1952)を通じてだった。修士論文のテーマを探してアジア経済研究所の図書館で、当時日本で読むことができるようになった中国の地方新聞を見ているとき、興味深い資料がいくつも出てきた。それは「売買婚反対」キャンペーンが繰り広げられ、読者投書欄に結納金を親が受け取り、娘に結婚を強制している内容だった。いわゆる「新中国」に、「封建遺制」ともいえる「売買婚」が残っている、という資料に興味を覚えた。その背景を理解するため、『中国の農村家族』の資料を読んでいくうち、仁井田陞が引用している『中国農村慣行調査』全6巻(1940〜44年の調査、刊行は1952から58年、以下慣行調査と略記する)を図書館で見つけ、生の農民の声を記録した資料を興奮して読んだ。

 修士論文は、中国の売買婚についての慣習、その法的な対応を中国婚姻法の法社会学としてまとめ、問題関心が法律から、その背景にある慣習へ移り、専門を社会人類学に変更しようと考えていた。修士論文を書いた後、いくつかの研究会や学会で発表したが、その時の反応は「植民地調査の慣行調査をつかうなんて」とか「毛沢東の農村調査は読んだか」と冷淡なものだった。植民地調査だから信憑性がない、という評価に驚いて、それならば自分が現地を再調査して、その内容を確認する、というのが強い願望となった。

 当時中国への留学は日中友好協会での特別枠で、語学研修しかなかったが、改革開放のスローガンの下で、留学生に門戸を開き始めており、文部省が募集する中国政府留学が始まっていた。中国語の学習と人類学の基礎理論の勉強を続けているうち、ある研究会でプラジェント・ドアラ氏と出会った。彼は当時ハーバード大学の人類学の大学院生で、東京大学に留学に来ていた。彼から、慣行調査の研究会があると聞き、それに参加して驚いたのは、彼らは中国近代史の研究者で、すでに数年も前から慣行調査の読書会をしていて、1巻から分担を決めて報告し、慣行調査の内容を議論していたことである。ほかの研究会での冷淡な反応の話をすると、そのメンバーもそのことは熟知しており、それでも慣行調査の詳細な内容に資料的価値を見つけて、地道な読書会を継続していた。

 紆余曲折があり、大学院博士課程に進学してすぐに中国の語学研修へ行く計画を立て、1983年秋に北京の中央民族学院の語学研修コースに入った。調査地について北京近郊の順義県沙井村はどうかと考えたが、村までの距離が遠くて通うのは難しいことが判明した。そのためほかの慣行調査の村で、調査可能な場所を求めて天津の南開大学と済南の山東大学を訪れた。そして山東大学で自転車を借りて冷水溝荘まで行ってみた。山東大学は済南市の西の郊外にあり、冷水溝荘まで自転車で1時間の距離であった。また農村から近く、自由市場には多くの農民が野菜を売りに来ていた。住み込みの農村調査は無理だとしても、この条件ならば調査が可能ではないか、という感触を得て帰国し、中国政府留学生試験を受け、晴れて1984年秋から山東大学の高級進修生として在籍し、調査を始めた。山東方言は、標準語とは異なる声調で、慣れるまで時間がかかった。また調査をすぐに始められるわけではなく、図書館での調査や指導の時間が終わると、ひたすら郊外を自転車でまわり、土地勘を付けることから始めた。当然詳細な地図など売っていないため、戦前の日本陸軍参謀本部の地図を頼りに回ったが、集落名の発音は合っているものの漢字の表記が異なることなどを見つけて、当時の地図の作成法を垣間見る思いがした。

 山東で調査をしているころ、香港では瀬川昌久氏が、台湾では植野弘子氏が、それぞれ住み込みで調査をしていた。筆者の調査は住み込みのフィールドとは程遠いが、研究対象が慣行調査の村というので、大きな制約がありながらもやり遂げるしかないと思っていた。こうしたフィールド環境の違いは、当然、その後の民族誌の形態や、研究内容にも大きく影響したが、巨大な中国を研究するという意味で、華北の調査は貴重だと思っていた。

 本書に収録した論考は、主として1980年代の山東での調査、および1990年代の慣行調査の読書会メンバーで共同調査した河北省・山東省の農村調査の資料の一部を使って発表したものである。

 第1章の慣行調査の系譜は、最初の部分は、冒頭部分に慣行調査の限界と有効性の研究史をまとめ、その後の展開について加筆している。特に、1990年代に慣行調査に基づいたアメリカのホァン(黄宗智)とドアラの研究が中国語に翻訳されたことにより、アメリカや日本での研究が中国でも注目され始めた。従来、慣行調査の研究は日本とアメリカに限られていたのが、慣行調査が中国語にも翻訳されたことにより中国にも拡張され、資料的な評価が高まったことについてまとめてみた。

 第2章の歴史研究では、華北農村の形成史について分析した。河北・山東省には一般的に村落の起源として、明代の初めに山西省洪洞県から移住した伝承が多くあった。資料は、山東省濰県の地方誌が、現地の族譜から移住起源を収集してまとめていたものを使用した。つぎに「中国農村慣行調査の限界と有効性」では、慣行調査の評価が、村の指導層からの聞き取りであることが、資料的な偏りとして批判されていたことについて論じている。筆者が主として調査した冷水溝荘で、聞き取りの対象となった甲長が、はたして支配者層と言えるような、一般農民から遊離した存在であったのか、また調査資料を検証して、どのような部分に日本軍の支配が影響してバイアスがかかっていたのかを具体的に論じたものである。

 第3章の社会構造では、1「華北村落の社会関係」で、1990年代の慣行調査再調査の成果の一部を、家族、宗族などの社会関係としてまとめた。2漢族の民俗生殖観とイトコ婚は、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』に触発されてまとめたものである。中国の事例として自らの観点で分析できないかと考え、民族誌に出てくる「血と肉の流れ」という民俗観念を数理的に概念化して、マルセル・グラネの研究などを参照しながらまとめた、理論的なものである。3中国山東省の婚姻儀礼は、冷水溝荘の婚姻儀礼の過程をまとめた。4婚姻贈与と婚姻連帯-漢族の婚姻体系は、修士論文のテーマである中国で復活したという「売買婚」の社会機能を、主として慣行調査の資料を基に、80年代の冷水溝荘の調査を加えて分析したものだが、文献資料で論文の骨子を書き、フィールドデータで若干補充した。

 第4章は、1中国の命名法と輩行制、2親族呼称の拡張と地縁関係の構成で、本書の最も中心テーマである。これは、同一村落に住む人であれば、異なる宗族であっても、あたかも宗族のような世代の上下関係をつける習慣を分析したもので、これを筆者は世代ランクと命名した。

 第5章は、宗教として1中国華北平原の雨乞いについて論じている。冷水溝荘の慣行調査に記載された記録を、現地で当時参加した老人に確認しながら再現した儀礼の過程とは、対照的な雨乞い儀礼であった別の村(蒲家荘)の雨乞い儀礼と比較している。これはエコロジカルな状況の違いが儀礼に反映しているのではないかという観点から分析した論考である。2華北の墓地風水は、冷水溝荘でおきた風水争いの資料を、フィールドワークから得られた現地の土地勘を生かして分析したものである。

 第6章は、経済として、1970年代から中国研究の学術界で、強い影響力を持ったW・スキナーの市場圏理論を、冷水溝荘での調査をもとに、社会単位として、村落ではなく市場圏とする理論仮説に関して論じている。市場圏は経済交易の空間単位であり、社会単位としては村落であるという結論をフィールドデータによりまとめたものである。第4章では、世代ランクが同一村落に居住している村民、つまり地縁関係がある人には、擬制的世代が形成されることが、社会単位としての村落が空間的にも意味があると筆者は展開した。それを、本章では、スキナーの市場圏を用い、検証した。

 第7章は、華北農村の地域性や、人類学研究での意義について、本書の結論として書いた。

 補論の「新疆の天津商人―山本斌『新疆ニ於ケル楊柳青人』」は、満鉄調査部の調査員であった山本斌に焦点を当てた。彼は、華北農村慣行調査に従事しており、彼については他の調査員とは異なるユニークな人物として注目していた。そして、日本に所蔵のない満鉄の調査報告『新疆ニ於ケル楊柳青人』の著者であることから、筆者へ天津の共同研究者より打診があり、まとめた論稿である。山本斌は華北農村調査プロジェクトが完了した後に、西北地区の基礎調査に従事していた。そのことを筆者が明らかにしたものとして、本書に加えることにした。

 また、「戦中期における上海の不動産取引と都市問題――満鉄の報告書を中心に」は、南満州鉄道の慣行調査において、農村部として華北農村慣行調査、都市部として都市不動産慣行調査が並行して実施されたことから、満鉄の別の慣行調査の実施として、本書に収録した。

 1980年代から90年代にかけて発表した論文を、このように一冊の著作として公表するためには、個々の論文の引用書式を統一する必要があるとともに、発表後の研究をフォローすることに意を割いた。しかし、人類学の研究方法が、親族やコミュニティ研究からポストモダン研究に大きく変わり、過去の論文を読み返して、本書で論じたテーマは時代遅れではないかという危惧が付きまとっている。しかし、外国人の調査が難しいと言われた中国大陸でのフィールドワーク、そして膨大な調査資料を残した南満州鉄道調査部の研究の継承という点において、出版の意味があるのではないかと思い、この書を世に問うこととした。




*********************************************
著者紹介
中生勝美(なかお かつみ)
1956年広島生まれ
中央大学法学部、明治大学博士前期、上智大学博士後期満期退学。2015年京都大学より博士(人間・環境学)の学位授与。
宮城学院女子短期大学、大阪市立大学等を経て桜美林大学教授。
主要な業績は、『中国村落の権力構造と社会変化』(アジア政経学会、1990年)、『広東語自遊自在』(日本交通公社、1992年)、編著として『植民地人類学の展望』(風響社、2000年)。その他、中国、香港、台湾の社会・文化、植民地関係の論文多数。

このページのトップへ