目次
第一章 序論
一 はじめに
二 前著の三つの過ち
三 筆者はなぜ過ちを犯したのか
四 「オープンテクスト」としてのエスノグラフィ
●第一部 文化と歴史
〈解説〉
第二章 フメイ
一 はじめに
二 小川一族の会社としてのフメイ
三 擬似宗教団体としてのフメイ
四 日本の会社としてのフメイ
五 結論
第三章 香港の経済社会史(一九〇〇~一九九七)
一 はじめに
二 香港の政治経済史
三 香港のニューミドルクラス──住宅事情と中心に
四 結論
第四章 フメイの香港進出
一 はじめに
二 八〇年代初期における中英交渉
三 小川海樹──一人の歴史的エージェント
四 香港でのフメイの成功──予期せぬ結果
五 国内地方スーパーのパターンを踏襲したフメイ香港
六 スーパーからデパートへ
七 フメイグループ本部の香港移転
八 フメイの中国本土進出──更に予期せぬ結果
九 結論
●第二部 文化から権力へ──媒介としての経営コントロル
〈解説〉
第五章 経営支配の物質的基礎
一 はじめに
二 フメイ香港の組織構造
三 職務の組織化と分担方法
四 フメイ香港の日本人社員の等級システム
五 フメイ香港の現地人社員の等級システム
六 フメイ香港の日本人社員の給与システム
七 フメイ香港の現地人社員の給与システム
八 フメイ香港の日本人社員の昇進システム
九 フメイ香港の現地人社員の昇進システム
十 結論 233
第六章 経験とアイデンティティのポリティックスと経営のコントロール
一 はじめに
二 海外における日系企業の二元的人事制度
三 習慣化
四 自然化
五 経営コントロールとへゲモニックな権力
六 文化と権力
七 日本の会社と経営実践
八 家と会社──伝統の創造性
九 結論
●第三部 文化と個人
〈解説〉
第七章 フメイ香港の日本人社員間の関係
一 はじめに
二 フメイ香港の日本人社員
三 日本人社員の集団分化
四 社内経営管理から分離された飯田社長の存在
五 栗厚、西脇、山本、門口──四人の部長
六 積極的社員
七 マージナルの山本派メンパー
八 消極的社員
九 反抗的社員
十 反抗的社員から積極的社員へ
十一 日本人女性社員
十二 結論
第八章 日本人社員と現地人社員との関係
一 はじめに
二 日本人社員との関係──現地人社員間の競争の焦点
三 自己表現
四 日本人社員と現地人社員との友人関係
五 日本人社員の意識に対する香港文化の影響
六 結論
第九章 現地人社員間の関係
一 はじめに
二 積極的社員と消極的社員
三 第一グループ──主婦の職場復帰組
四 第二グループ──製造業界からの転職組
五 第三グループ──積極的社員
六 結論
第十章 オープン・テクストとしての結論
王向華氏の新たな著書によせて(瀬川昌久)
「社会現象」としてのフメイという可能性
─一日本人香港研究者の無いものねだり(河口充勇)
コメント(芹澤知広)
筆者からの返答
あとがき
引用文献
索引
内容説明
香港人の著者が日系スーパーの経営風土や日本人社員の職業生活を追ったエスノグラフィー。オックスフォード大学の博士論文を、自己批判的に改訂邦訳、瀬川昌久氏らとのオープンテキスト化によって、「間主観的現実の構築」を目指した好著。
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まえがき
本著は日本のスーパーマーケットであるフメイ香港社における日本人社員と現地人社員の間の人間関係、ならびにインタラクションに関する人類学的研究である。この人間関係とインタラクションは衝突、人為的操作や友情関係なども含まれ、非常に複雑であるがゆえに、これらのどれか一つに集約するということは不可能である。本著はこれらの人間関係とインタラクションにおけるダイナミクスについて分析することを目的としている。フメイは当初、日本の地方スーパーであり、香港に進出したのは一九八四年のことであった。その後十三年の間にフメイはマカオに一店舗、そして香港に九店舗を展開するに至ったが、一九九七年に倒産の憂き目を見ることとなった。
一九六三年に生まれた筆者は、昨年四十歳を超えた。人生の半ばを過ぎた筆者は、ここ数年のあいだ「中年の危機」に直面してきた。中年の危機とは、今まで何をやったか、何を達成したか、また、何を達成してなかったかを反省したり、自分のキャリアの限界が見えてきたことやこれから残された人生を如何に過ごすかということに悩んだりすることであろう。本著はこの悩みの一部であり、前著であるJapanese Bosses, Chinese Workers: Power and Control in a Hong Kong Megastore [1999]の自己批判ならびに大幅な修正である。本著を読んでいただければ分かるように、この自己批判は、人類学者の研究とその研究成果であるエスノグラフィが、人類学者の育った社会環境、家族、階層的背景、教育遍歴、パーソナリティ、フィールドワーク経験などに強く影響されることを暴露することになる。こういう自己批判によって、人類学のエスノグラフィが不可避的に不完全なものであることが明らかとなる。とはいえ、あらゆるエスノグラフィが人類学者の主観性に左右されることは「客観的」事実の一部でもある。それゆえ、筆者は、自らの学術活動を遂行する社会環境を自己批判的に考察してゆくことを本著の一部に含めることとし、序論として掲載した。主観性を暴露するこの自己批判により、エスノグラフィをいっそう「客観的」なものとすることができる。換言すれば、人類学者が自己批判をすればするほど、人類学の限界が見えることになるのではなく、人類学の客観性をいっそう増加させることになるだろう。
とはいえ、本書は、自己批判と自己反省のみに終始するものではない。もしそうだったとしたら、本書は「生産的」なものにはならないし、人類学者の自我の問題にばかり注目したものになる。本書は、自己批判の成果に基づいて、より良いエスノグラフィ、少なくとも前著よりも良いものを書くための試みである(当然、最後の判断は読者に任せることとなるが)。それゆえ、本書において筆者は前著を大幅に修正した。まず、前著の第二章と第三章に加筆訂正し、本書の第二章とした。香港社会史に関する第三章を新しく設け、また、フメイの香港進出にかかわる第四章を大幅に加筆訂正した。これら三つの章が本書の第一部をなしている。次に、前著のフメイ香港の組織と空間構造に関する第五章は削除し、また、前著のフメイ香港という会社の組織文化にかかわる第六章、第七章、第八章を大幅にアレンジし直し、加筆訂正も行って、本書の第二部、第三部とした。第二部の二つの章は、経営コントロールとそれにともなう強制的権力とヘゲモニックな権力という二種類の権力が如何に招来されたのかについて考察している。また、第三部の三つの章は、日本人社員の間の人間関係、日本人社員と現地人社員との間の人間関係、現地人社員の間の人間関係について論じている。さらに、本書の三つの部すべてに新たに解説を付け加え、各章の記述に確固とした方向性を与えるための理論的枠組みを提示するよう心がけた。
本書は、筆者と瀬川昌久氏、芹澤知広氏、河口充勇氏らネイティブ人類学者との、クワヤマのいう「間主観的現実の構築」に向けた対話の場でもあった。というのは、本書はクワヤマが主張するところの「オープン・テクスト」としてのエスノグラフィを目指したものであり、筆者は日本社会と香港社会の双方に詳しいこの三人の学者に依頼して、本書に対するコメントを書いてもらった。彼らのコメントは本書以外のものとして見られるのではなく、筆者の彼らのコメントに対する応答とともに本書の結論部を構成することになる。その意味で、彼らは、本書最終部分の共著者である。
なお、本書刊行にあたり、関係者、または団体のプライバシー保護のため、社名、人名、宗教団体名はすべて仮名とした。第一部のフメイの発展史、小川家の歴史、またフメイと万有教に関する記述は多くの文献を参照したが、匿名としたため、表示を避けた。また、第二部の会社のマネージメントシステムについての詳細や第三部の日本人社員間の関係、日本人社員と現地人社員との関係、また、現地人社員関係についても関係者のプライバシー保護のため、故意に変更した部分があるが、本著のストーリー全体としての真実性は保たれたままである。
最後に、本書の各章(第五章、第六章、第七章、第八章の一部を除く)を翻訳して頂いた河口充勇氏、結論の章での筆者の応答を翻訳して頂いた広江倫子氏、また、日本語表現のブラッシュアップをして頂いた瀬川昌久氏と鈴木真由見氏に謝意を表したい。
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著者紹介
王向華(おう・こうか、Wong Heung Wah)
1963年香港生まれ。
英国オックスフォド大学博士、専攻:社会人類学。
香港大学日本研究学科副教授。
主著にJapanese Bosses, Chinese Workers: Power and Control in a Hong Kong Megastore (1999, Curzon Press) など。