目次
●第1部 表象装置としてのメディア
《民族図説》の成立とその時代
19世紀初、伯麟『雲南種人図説』に見るシプソンパンナーの辺疆風景 武内房司
一 はじめに
二 《図説》編纂とその目的
三 伯麟『雲南種人図説』とその周辺
四 おわりに
一九世紀前半の四川凉山彝族地区における民族関係とその影響
台湾故宮博物院所蔵の案史料を中心とする分析 菊池秀明
一 はじめに
二 嘉慶期における凉山彝族の蜂起と漢族移民、清朝の辺境統治
三 道光中期の凉山彝族反乱における民族関係とそのイメージ
四 凉山彝族・漢族移民のイメージ形成と清朝辺境統治の挫折
五 道光末年における彝族地区の動向と漢族移民
六 小結
中華人民共和国成立前後の広西における壮族へのまなざし
劉介と黄現の著作を中心として 塚田誠之
一 序言
二 劉介と『嶺表紀蛮』
三 黄現と『広西僮族簡史』
四 結びに代えて
雲南の神像呪符「甲馬子」の民俗神像
イメージの引用にみる図象化の諸相 川野明正
一 雲南の神像呪符「甲馬子」
二 中国における神像呪符類の概略
三 雲南における神像呪符の受容と展開
四 イメージの引用にみる神像呪符の図象化の特徴
五 結論──中国伝統的メディアの雲南における様相
エスニック・メディアをめぐる認識と表象
雲南省「苗族」の事例から 谷口裕久
一 はじめに
二 「民族」をめぐる論理
三 「ラジオ放送メディア」とアイデンティティ
四 利用されるメディア
五 サブ・エスニシティの台頭と電子メディア
六 おわりに
●第2部 民族表象と文化的アイデンティティの動態
「西番」諸集団の社会
──四川省木里県水洛郷の〈西番〉チベット族を事例として 松岡正子
一 はじめに
二 「西番」という名称の歴史
三 〈西番〉チベット族とシュミ・チベット族の社会における紐帯
四 〈西番〉チベット族とシュミ・チベット族における新年「ヲシ」
五 おわりに
大凉山彝族における民族表象と宗教儀礼
──動態的帰属集団表象の観点から 樊秀麗
一 はじめに
二 彝族の下位集団のカテゴリー
三 民族識別をめぐる論争
四 大凉山彝族における帰属集団表象
五 動態的帰属集団表象
中国からの連続性とタイにおける示差
タイにおけるユーミエン(ヤオ)の自民族表象 吉野 晃
一 はじめ
二 通時的自民族表象──中国との連続性
三 共時的自民族表象──他民族との差異
四 考察
五 おわりに
ハニ族「文化」の政治学
──出版から見た民族表象 稲村 務
一 「『文化』の客体化」と「『文化』の実体化」
二 出版されたハニ族「文化」の表象主体
三 「ハニ族」文化の表象
四 ハニ族「文化」の政治学
五 おわりに
●第3部 民族表象をめぐるポリティクス
ベトナムにおける黒タイ家霊簿の現在 樫永真佐夫
一 はじめに──タイ系言語集団としての黒タイの独自性
二 黒タイの父系的同姓集団
三 黒タイの家霊簿とは──ソー・フィー・フオンと家霊簿、保持の状況
四 黒タイ家霊簿の形式、内容について
五 黒タイ家霊簿の用法について
六 おわりに──近年の黒タイ家霊簿編纂
中国における民族表象のポリティクス
ミャオ族の張秀眉塑像建造運動を例にして 曽士才
一 はじめに
二 苗王──抵抗の歴史と記憶
三 張秀眉像建造運動とミャオ族のエリートたち
トゥチア族の成立とその民族文化表象運動 瀬川昌久
一 はじめに
二 トゥチア族の分布地域とその言語・文化
三 トゥチア族前史──民族識別以前の湘西・鄂西地区
四 トゥチア族の生成──民族識別工作と民族自治州設立
五 一九八〇年代以降の「民族成分回復」とトゥチア族の歴史文化運動
六 生成されるトゥチア族の歴史・文化表象
地域文化の表象と再構築
雲南省騰衝県和順郷の事例に基づいて 韓 敏
一 はじめに
二 華僑の故郷から観光地へ
二 政府主導・官学民参加の観光開発と文化生態村の建設
三 政府、観光エージェンシーおよび民衆による文化表象
四 結論
民族表象としての「孔雀舞」
タイ族における「民族文化」の創作 長谷川 清
一 はじめに
二 「多民族国家」と少数民族の舞踏芸術
三 演出される「多民族国家」
四 「孔雀舞」と民族表象
五 考察
六 まとめ
編者あとがき
索引
内容説明
中国南部とその周辺の諸民族が、いかなる表象を紡ぎ出して自己と他者の境界を創り、エスニシティとアイデンティティの多様性を生み出してきたかをめぐる実証的論議から、「民族」を語る今日的基盤に迫る。民博共同研究の成果。
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序文 塚田誠之
本書は、中国における民族表象をめぐる諸問題について歴史学と人類学の視点から検討し、その研究領域に新たなパースペクティブを切り開くことをめざした論文集である。おさめられている論文は、平成一二年度から平成一四年度にかけて実施した国立民族学博物館共同研究「中国における民族表象の歴史学・人類学的研究──南部地域を中心とした整理と分析」での研究報告をもとに書かれている。この共同研究では、中国南部および隣接する東南アジア大陸部に居住する諸民族が、様々な接触交流や相互関係のなかでいかなる表象を紡ぎ出して自己と他者の境界を作り出し、エスニシティや文化的アイデンティティの多様性を生み出すにいたったかについて、具体的な事例分析にもとづく相互比較を試みた。これまで同地域の諸民族については、移住と拡散にともなう諸集団の分岐、融合、再編、民族間関係とエスニシティの動態、漢化、民族的境界維持のメカニズムなどの諸問題をめぐり、フィールドワークの成果をふまえた事例研究が蓄積されてきた[cf. 竹村卓二編 一九九一、同編 一九九四、塚田・瀬川・横山編 二〇〇一]。上記の共同研究では、そうした研究成果の論点をさらに発展させる一方、民族表象という分析視角を新たに導入することによって、中華帝国からその再編期をへて今日の中華人民共和国へといたる各時期において進行してきた、マジョリティ/マイノリティ間の文化的ヘゲモニーをめぐる力学や文化的アイデンティティの再構築など、中国/中華世界の民族表象の研究方向に対して一定の見通しをつけることをねらいとした。
これまでにもしばしば議論されてきたように、漢族及びその他の諸集団は、様々なメディア=文化装置と表出様式において、自己や他者を表象してきた。こうした表象をここでは便宜的に「民族表象」と呼ぶが、それは民族間関係の歴史的文脈のなかで生み出されてきた点がまず指摘できよう。諸民族の間に伝えられてきた図像、絵画、文字テクスト、歌謡、口頭伝承、宗教儀礼などは、社会文化的レベルにおける不均衡や格差、不均質な力関係を背景とする場合も多く、これらの表象がまさしく民族間関係の歴史的産物=テクストであることを示している。
近年の文化人類学におけるポストモダンの議論、すなわち誰が誰をどのように描き、それは何のためかといった、書く側/書かれる側の権利や民族誌記述をめぐる諸問題、E・サイードのオリエンタリズム批判やA・グラムシ、S・ホールのヘゲモニー、文化的アイデンティティをめぐる一連の議論の影響などを受けた、表象の政治性や操作性に関する諸問題の検討は、文化人類学における一つの潮流になりつつある。この点は、様々な要因からそれまで十分な理論的な展開ができないままでいた、中国諸民族を扱った文化人類学の分野でも同様である。一九八〇年代以後、中国での調査研究が可能になったことを受けて、改革開放政策への転換や市場経済の進行が諸民族の生活世界にもたらした諸変化などを記述し、分析や解釈を行う人類学的研究がさかんになってきた[Blum 2002]。中国政府の民族政策がいかに少数民族のアイデンティティの再構築に関与したか、少数民族の側はいかに国家の側と関わり合い、自文化の再構築や「民族」としての再編を実践してきたかなどをテーマとした民族誌も書かれるようになっている[cf. Litzinger 2000, Schein 2000]。こうした状況に先立ち、S・ハレルは、中国/中華世界における中心/周縁という問題系と「文明化のプロジェクト」という分析視角から、周辺地域の諸民族を対象とした比較研究を推進した。ここでは中華帝国期の儒教、中華民国期のキリスト教、そして中華人民共和国成立以降におけるマルクス主義といった、各時期を特徴づける啓蒙化のイデオロギーが諸民族にいかに作用したかを比較し、中国的な「文化」観にもとづいて構築された、中心/周縁間の不均衡な力関係にもとづく諸民族のエスニシティやアイデンティティなどの様態について検討した[Harrell 1995]、これは、中華世界のオリエンタリズムとでも呼びうる社会文化状況の実態の解明に多大の示唆を与えたが、諸民族の多様なエスニシティの動態や表出様式については「交渉」という視角からも検討されている[Brown 1996]。
しかし、欧米の人類学者を中心に進められてきたこれらの研究は、中国/中華世界におけるヘゲモニーやオリエンタリズムなどについての理論的な議論を優先するあまり、地理的にも民族構成的にも多様性を内在するはずの中国の地域性やローカルな民族間関係など、個別の民族社会に作用している諸要因をややもすれば従属的なものとして扱いがちであり、文明世界における中心と周縁、文明化と啓蒙のプロジェクトの諸問題といった、過度に一般化された議論に陥る傾向をもっていることは否めない。これに対し、本書におさめられた各論文が示すように、多様な内実をともなった政治的、経済的、社会的、文化的諸関係のなかで、どのような表象主体が形成され、いかなる回路をたどって表象行為が進行し、民族表象のテクストが生成してきたかについて、特定の地域的文脈を対象に、実証的な事例研究を積み重ねることを看過してはならないと思われる。
今日の中国において「民族」は多義的に使われている。それは「中華民族」(Chinese Nation)というような、国民国家レベルのネーションを意味する場合もあれば、エスニック・マイノリティとしての「少数民族」、あるいは更に下位レベルの集団を指す場合もあり、「民族」という語りやその政治的含意の多義性を解釈していくことが可能である[納日碧力戛 二〇〇〇a]。すでに明らかにされたように、「民族」という語彙は近代日本がネーションの翻訳語として発明した概念である。「民族主義」や「五族共和」という政治的言説とあわせて、知識人を介して中国社会に普及したが、中華人民共和国の成立後は社会主義イデオロギーの影響のもとに再成型された。多民族国家を作り上げる必要性から、中国政府はスターリンによる「民族」の定義を参照し、エスニック・アイデンティフィケーション(民族識別工作)を全国的規模で実施していくのである[横山 二〇〇四]。
この民族識別工作は、華夷秩序的な政治支配体制のもとで保持されてきた諸集団のアイデンティフィケーションの多様性やエスニシティの状況を明らかにした点において画期的な意義をもつものであったが、それまでローカルな民族間関係の文脈のなかにあったエスニックな諸集団を「民族」として再定義し、社会主義建設に動員していった。同時に、それぞれの集団は、「民族」を単位とした自己意識の更新や自己の文化伝統の再編を国家のまなざしと管理の下で実践していくことになるのである。しかし、国家によって公式的に再定義され、その境界を画定された「民族」が、識別作業が実施される以前から単一の集団としての明確な自己意識を持っていたとは限らない。近年、中国では「民族」とその下位レベルの集団(支系)の関係や重層性をめぐって、欧米のエスニシティ理論やエスニック・グループの概念などを受容し、「民族」内部の下位集団レベルの歴史的記憶や自己意識、集団的なカテゴリー化をめぐる諸問題が検討されるようになっている[納日碧力戛 二〇〇〇b、周大鳴編 二〇〇二]。
中国における民族表象のありようを論じる場合、民族表象にかかわるテクストがいかなる歴史・政治・社会的状況や民族間関係を背景にして表出、生産されてきたのかを歴史学との連携のもとに解き明かしていくことは大きな課題である。中国歴代の王朝支配の下で作られた案史料、地図、地方志、図像、図録、木版画、族譜など、民族誌的なテクストはかなりの量にのぼっている。それらは民族表象の研究に厚みと広がりを持たせてくれる題材である。中国の南縁部は、フロンティアとしての地理的特性を有し、漢族の移住と拡散、土着の諸集団との接触交流の歴史が繰り広げられてきた。これらのテクストがいかなる諸関係を背景にして表出、生産されてきたのかをメディアの様態や編成様式の吟味とともに個別に検討を加える必要がある。
これまでに多く論じられてきたが、中国王朝の側は華夷秩序的な「文化」観にもとづき、教化されるべき対象として、その視界の下にある未開の諸集団を「生蛮」や「熟蛮」として識別し、その風俗や習慣、エスニックな文化的特徴などを記述してきた。文化的な他者として描かれた非漢族に関する資料は、中華世界における諸民族の文化的状況を記述した民族誌でもあった。これらは書く側/書かれる側という相互関係において、不均等な力関係を内在していた。こうした他者認識を根底でささえたのは、「中華」の理念を至高の価値とする「文化」観であり、それを内面化した為政者や知識人の視線であった。彼らは中国文化の素養や高い読み書き能力を取得し、それが自己と他者の風俗習慣や特徴を客体化する規範的なイディオムでもあったのである。
その際、何が民族の文化的アイデンティティを特徴づける要素として選ばれ、記述され、自己と他者の境界を形づくるのか。そもそもどんな文化要素をもって独自の宗教信仰や儀礼、習俗とするのだろうか。これらを表象する主体はどういう立場の誰なのか。この問題は民族表象の根幹にかかわる重要な検討課題である。しかし同時に、中華世界において進行した諸民族の文化形成は、多数派による文化的影響の側面ばかりでなく、それを実践してきた集団における文化的な自己編成の過程としても理解しておかねばならない[塚田 二〇〇〇]。二〇世紀になると、中国には欧米流の民族学や文化人類学、民俗学が本格的に導入され、伝統的な「文化」概念の刷新とともに、衣食住、宗教、儀礼、年中行事など、諸民族が保持してきた様々な文化要素や文化伝統は学問的な研究対象になった。近代以降の諸民族のエスニシティやアイデンティフィケーションについては、こうした中国人類学の研究成果などをふまえ、今日の中国の国家的文脈において制度化される「民族」カテゴリーの政治性や下位集団との関係、あるいは諸集団の保持する文化伝統の共通性や相違点、齟齬やズレなどを明らかにしていくことも必要であろう。
最後に重要なポイントは、民族表象が為政者によって操作され、歴代王朝の統治体制や国家統合の政治的文脈において民族政策の対象になってきた点である。国家を上位とする各レベルの政治権力、ローカルな地域社会における非対称的な民族間関係、エスニックな集団内部における重層的な権力関係や宗族・親族などの社会組織において見出される表象の選択や流用、棄却、再解釈といった、文化的なヘゲモニーと表象主体の競合やその力関係は、文字通りの意味において、表象の政治学の核心をなしている。今日の中国では、生産や流通、消費といった民族表象が循環する回路は、観光開発や民族文化の活性化の動きに顕著に見いだせるように、拡大の一途をたどっている。多様な表象主体が競合する観光地などでは、表象する側/される側に二分することがもはや不可能な状況にあるが、それほど表象生産の担い手や主体間の関係は錯綜しており、諸民族の伝統文化や宗教信仰などの文化資本をめぐって様々な政治的駆け引きや交渉が展開されている。こうしたなかで、民族文化の創出や伝統文化の再定義にはたす自民族出身のエリートや知識人の役割はますます重要になっている。
中国の諸民族についての表象は近年、これまで汎用されてきた文字メディアのみならず、電子メディアを含めた様々な形式によって、国家の内外にむかって多方向に流通している。こうした動きは、国境にまたがって居住する民族集団まで巻き込み、彼らのローカルな生活世界のありようを根底から変質させている。中国において「民族」は誰によってどのように表象されていくのか。こうした検討課題に応えるために、メディア=表象装置の諸様式、表象生産の担い手や主体形成、歴史的文脈性などをめぐって、歴史学と人類学の連携が今後ますます不可避となるだろう。中国/中華世界は、民族表象に関する豊富な事例や題材を提供してくれるが、未解決な課題もまた多いのである。
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執筆者紹介(掲載順)
武内房司(たけうち ふさじ)
1956年、栃木県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。
現在、学習院大学文学部教授。
論文に「中華文明と『少数民族』」『岩波講座 世界歴史 第28巻・普遍と多元』(岩波書店、2000年)など。
菊池秀明(きくち ひであき)
1961年、神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。
中部大学国際関係学部講師、同助教授を経て、現在、国際基督教大学準教授。
著書に『広西移民社会と太平天国』【本文編】【史料編】(風響社、1998年)など。
塚田誠之(つかだ しげゆき)
1952年、北海道生まれ。北海道大学大学院博士課程修了。
現在、国立民族学博物館先端人類科学研究部教授。
著書に『壮族社会史研究──明清時代を中心として』(国立民族学博物館、2000年)、『壮族文化史研究──明代以降を中心として』(第一書房、2000年)など。
川野明正(かわの あきまさ)
1967年、東京都生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学後、博士学位(文学)取得。
東京都立大学助手を経て、現在、東京理科大学講師。
著書に『中国の〈憑きもの〉──華南地方の蠱毒と呪術的伝承』(風響社、2005年)など。
谷口裕久(たにぐち やすひさ)
1962年、京都府生まれ。神戸大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、龍谷大学非常勤講師。
論文に「新しいカミの創造と『癒し』──タイ少数民族における女性神信仰の誕生」京都文教大学「宗教と癒し」研究会編著『宗教と癒し─救いの手がかりを求めて』(三五館、2000年)など。
松岡正子(まつおか まさこ)
1953年、長崎県生まれ。早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。
現在、愛知大学現代中国学部教授。
著書に『中国青蔵高原東部の少数民族──チャン族と四川チベット族』(ゆまに書房、2000年)など。
樊 秀麗(はん しゅうれい)
中国河南省洛陽市生まれ。広島大学大学院国際協力研究科博士課程後期修了。博士(学術)。
専攻:教育文化。
現在、大阪大学人間科学研究科外国人招聘研究員。
著書に『大凉山彝族における葬送儀礼と霊魂観を通してみた帰属集団意識の形成』(勉誠出版、2004年)など。
吉野 晃(よしの あきら)
1954年、東京都生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。
東京学芸大学講師、助教授を経て、現在、同大学教授。
論文に「中国からタイへ─焼畑耕作民ミエン・ヤオ族の移住」塚田誠之他編『流動する民族──中国南部の移住とエスニシティ』(平凡社、2001年)など。
稲村 務(いなむら つとむ)
1966年、佐賀県生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退。
現在、琉球大学講師。
論文に「中国ハニ族の『支系』について──民族識別と『支系』概念の整理」(『歴史人類』30号 筑波大学歴史・人類学系 2002年)など。
樫永 真佐夫(かしなが まさお)
1971年、兵庫県生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、国立民族学博物館助手。
論文に「ベトナム──小中華の国家統合」(青柳真智子編著 『国勢調査の文化人類学──人種・民族分類の比較研究』古今書院、2004年)「(注釈)クアム・トー・ムオン──ムオン・ムオイの黒タイ年代記」(『ベトナムの社会と文化』4号,風響社、2003年)など。
曽 士才(そう しさい)
1953年、兵庫県生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、法政大学教授。
共編著書に『世界の先住民族─ファースト・ピープルズの現在 01東アジア』(明石書店、2005年)など。
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、花巻市生まれ。
現在、東北大学東北アジア研究センター教授。専攻:文化人類学。
主著に『族譜──華南漢族の宗族、風水、移住』(風響社、1996年)など。
韓 敏(かん びん)
1960年、中国遼寧省生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。
東洋英和女学院大学講師、助教授を経て、現在、国立民族学博物館助教授。
著書にSocial Change and Continuity in a Village in Northern Anhui, China: A Response to Revolution and Reform. (Senri Ethnological Studies No.58 国立民族学博物館、2001)など。
長谷川 清(はせがわ きよし)
1956年、埼玉県生まれ。上智大学大学院博士後期課程単位取得退学。
岐阜聖徳学園大学助教授を経て、現在、文教大学教授。
論文に「中華の理念とエスニシティ──雲南省徳宏地区、タイ・ヌーの事例から」塚田誠之他編『流動する民族──中国南部の移住とエスニシティ』(平凡社、2001年)など。