チンギス・ハーン祭祀
試みとしての歴史人類学的再構成
ハーンのみならず多くの人物を織り込みながら形成・伝承されてきた祭祀を、様々な文書や各地の口承から復原・再構成を試みた労作。
著者 | 楊 海英 著 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | アジア・グローバル文化双書 |
出版年月日 | 2004/12/25 |
ISBN | 9784894891067 |
判型・ページ数 | 4-6・360ページ |
定価 | 本体2,500円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
第一章 チンギス・ハーン祭祀の政治構造
一 従来のチンギス・ハーン祭祀研究
二 八白宮の祭祀者集団ダルハト
三 八白宮の実態
四 八白宮の祭祀
第二章 黄金家族の祖先祭祀
一 祖先祭祀に関する従来の研究
二 歴史文書に見る末子トロイ・エジンの祭祀状況
三 祭祀者が伝えるトロイ・エジン祭祀の実状
四 トロイ・エジン祭祀と八白宮の関連
五 祖先祭祀の政治性
第三章 モンゴル帝国の国旗白いスゥルデの祭祀
一 白いスゥルデの歴史的背景とそれに関する従来の見解
二 白いスゥルデの祭祀者集団
三 白いスゥルデの祭祀
四 白いスゥルデの供物
五 テキストに見る白いスゥルデの祭祀
六 白色の象徴性
第四章 アラク・スゥルデの祭祀
一 アラク・スゥルデに関する従来の研究
二 文書史料から見た祭祀状況
三 祭祀者が語るアラク・スゥルデの実態
四 アラク・スゥルデの祭祀
五 アラク・スゥルデの血祭
六 スゥルデ祭祀の政治性
第五章 チンギス・ハーン祭祀の現在的な意義
一 近現代史のなかの八白宮
二 考古学資料の発見とその解釈
三 スゥルデに託した願い
あとがき
参考文献
図表写真一覧
索引
内容説明
13世紀以降、ハーンのみならず多くの人物を織り込みながら形成・伝承されてきた祭祀を、様々な文書や各地の口承から復原・再構成を試みた労作。近年の考古学的発見と相まって、その作業から民族総体としての「歴史」が浮かび上がる。
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序
本書は五つの章からなる。いずれもすべて現地調査に基づいて書いたものであり、その資料はモンゴル人の経験と記憶から得たものである。この経験と記憶を档案資料と照合して補強すれば、より完全な歴史像が復元できるであろう。口頭と文字両方の面でモンゴル人は豊富な資料を有しており、研究者はこの二種の資料を有効に利用しなければならないのである。
私は本書のタイトルに「チンギス・ハーン祭祀」という言葉を用いることにした。チンギス・ハーン祭祀は、地域祭祀ではない。チンギス・ハーン祭祀はまた、一部族の祭祀でもない。『蒙古源流』(一六六二年)の著者サガン・セチェンは、チンギス・ハーンの祭殿を「あまねく国々の守護神」と呼んでいる。それは、チンギス・ハーン祭祀はモンゴルの左右両翼六つの万戸を統轄した国家祭祀であることを意味している。従って、われわれは全モンゴルの視点に立ち、通史的にチンギス・ハーン祭祀を研究しなければならない。
チンギス・ハーン祭祀は、今日に至るまでの歴史的なプロセスのなかで形成されたものである。一三世紀のモンゴル帝国時代の人物や軍神類のみが祭祀の対象になったのではなく、それ以降の歴史のなかで登場した人物たちも次から次へと祭祀体系に吸収されていった。たとえば、陰暦の三月二〇日の夜にはチンギス・ハーン一族の祖先を祭る儀礼がある。この時には清朝時代に至るまでの「黄金家族」の系譜を唱える。翌三月二一日の春季大祭にはモンゴル中興の祖たるバトムンク・ダヤン・ハーン(在位一四七〇─一五四三)の時代に活躍した人物たちの名も朗誦される。祭祀の場で使用されている系譜には、モンゴルの歴史観が反映されている。
本書は、主として以下三種類の資料に依拠している。
まず第一に、祭祀活動を実際に担ってきた祭祀者たちの経験と記憶である。一九九一年五月から翌一九九二年六月まで、私は故郷のオルドスで一年間にわたる集中調査を実施した。馬に跨るか、車をチャーターして草原を駆け巡る毎日であった。一九五八年から一九八〇年代初頭まで諸種の祭祀活動は事実上中断されていた。調査を始めた時、祭祀者たちの多くは既に高齢に達していたため、私はまず生きた証言を記録することに重点を置いた。長期間の集中調査が終ってから、毎年のように帰郷した際も、祭祀者たちへのインタビューは続けてきた。今となって、彼らの証言は重要な資料的価値を持っていることを改めて認識している。
第二に、『金書』である。『金書』は、チンギス・ハーン祭祀の歴史的指針書であり、これなくしてチンギス・ハーン祭祀を研究するのは、不可能に近い。言い換えれば、『金書』はチンギス・ハーン祭祀に関する、最も権威のある史料集である。しかし、文化大革命という未曾有の破壊を経た後、『金書』を見つけだすのは至極難しくなった。そのため、私の初期の研究においては、『金書』を参照することができず、どうしても口頭資料に偏りがちだった。幸い、その後内モンゴルから一種、モンゴル国から二種類、合計三数種の『金書』を収集できた。私はそれらを『〈金書〉研究への序説』(一九九八)と題して公開した。生きた証言と『金書』の双方を結合させながら研究を進めることが、今後は可能となったのである。
第三に、チンギス・ハーン祭祀に関する清朝時代の膨大な文書(档案)資料である。この文書資料をいち早く公開したのは、地元オルドスの伊克昭盟档案館であり、『チンギス・ハーンの八白宮』と題する七輯の文書集を一九八五年から一九八七年にかけて、謄写版で世に呈示した。
文書集の編集と出版を陣頭で指揮したのは、オルドスのウーシン旗出身のナラソンである。七輯の『チンギス・ハーンの八白宮』は、祭祀の詳細な記録を初めて公表したことに大きな意義があった。しかし、当時の状況では、祭祀に関するすべての档案資料を包括することはできなかったため、資料を一層充実させて公表する必要性をナラソンら内モンゴルの知識人たちは痛感した。彼らの努力の成果として、一九九八年に新たに『チンギス・ハーンの八白宮』が内モンゴル文化出版社から出版された。編集者のひとりナラソンは私に、そこには中国全土から集めた千点以上の档案が網羅されている、と語っている。まさに、この文書集には、祭祀者たちが書いた祭祀の経過と結果に関する報告書、祭祀者の名簿、祭祀器具の詳細なリスト、祭祀において唱えられる各種祭詞など豊富な内容が収録されている。
最後に、本書で使用するモンゴル語年代記に関して私自身の観点を明示しておかなければならない。『モンゴル秘史』は、エルデンタイとアルダシャブ両氏が註釈し、一九八六年に内蒙古教育出版社から出版されたものを引用した。モンゴル各部の方言はもちろん、トルコ語やダウール語、満洲語についても豊富な知識を持つ両氏の注釈が、数多い『モンゴル秘史』の訳注書類のなかでも、最も適切である。何よりもチンギス・ハーン祭祀を観察し、祭祀の指針書である『金書』を引用した註釈は、前人未踏の画期的な作業であり、チンギス・ハーン祭祀を研究する私のような人類学学徒に最も有用であった。またロブサンダンジンの『黄金史』は一九九〇年にウラーンバートルから影印の形で出版されたものを利用した。ただし、『黄金史』の節の分割については、内モンゴルの歴史学者であるチョイジ(蕎吉)の校注本(一九八三)を参考にしている。『蒙古源流』はヘイニッシュが一九五五年にベルリンで公開したいわゆる「ウルガ本」を使っている。
本書で取り上げている諸祭祀は決してチンギス・ハーン祭祀の全容を示すものではない。あくまでもその一部に過ぎない。いわば、最低限度のアウトラインを描こうとしたものである。本来ならば、チンギス・ハーン祭祀の一環を成す他の祭祀についても、同様にまとめなければならない。たとえば、オルドス地域オトク旗のエレーン・トロガイの地でおこなわれていたチンギス・ハーンの弟ブケ・ベルグータイの祭祀、ウーシン旗南部で維持されてきたチンギス・ハーンの左翼軍の長官ムハライの祭祀(別名『真の英雄』のスゥルデ)、ダラト旗のザンダン・ジョーで祭られてきたオゴタイ・ハーンの軍神スゥルデの祭祀等についても、私は調査はしたが、まだ論文として公表していないので、本書に収録するには至らなかった。そういう意味で、チンギス・ハーン祭祀の研究は、まだ残された課題が多い。
なお、本書において、人名と地名のカタカナ表記はオルドス・モンゴル語口語発音に近い方式を採ったことをお断りしておく。
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〈著者紹介〉
楊海英(Yang Haiying)
1964年、中国内モンゴル自治区オルドス地域生まれ。モンゴル族。
1987年、北京第二外国語学院大学アジア・アフリカ語学部日本語科卒業。同大学助手を経て1989年春来日。1995年、総合研究大学院大学博士課程修了、文学博士。
現在、静岡大学人文学部助教授。
主な著書: 『草原と馬とモンゴル人』(2001年、日本放送出版協会)、『オルドス・ モンゴル族オーノス氏の写本コレクション』(2002年、国立民族学博物館・地域研究企画交流センター)