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近代日本の植民地博覧会

近代日本の植民地博覧会

膨張する帝国日本のアジアへの眼差し。国威発揚と統治の成果が謳い上げられた植民地での博覧会。日本の異民族・異文化像を探る。

著者 山路 勝彦
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2008/01/25
ISBN 9784894891258
判型・ページ数 4-6・332ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

カラー口絵

はじめに

●第一部 近代日本の他者像
第一章 〈野蛮人〉の表象、あるいは植民地主義の起源
 「無主の野蛮人」という言説
 牡丹社での戦闘
 「野蛮人」の表象
 もう一つの出会いと「野蛮人」像の再生産

第二章 拓殖博覧会と「帝国版図内の諸人種」
 植民地を展示する博覧会
 日本見学旅行と博覧会
 明治記念拓殖博覧会
 和期の博覧会と「原住民の演出」

●第二部 植民地の博覧会
第三章 朝鮮博覧会という幻想
 博覧会のなかの朝鮮館
 植民地・朝鮮での博覧会
 朝鮮博覧会の挙行
 国威発揚の博覧会

第四章 満洲を見せる博覧会
 植民地からの博覧会参加
 「進歩一世紀市俄古万国博覧会」における満洲
 大連勧業博覧会
 満洲代博覧会
 大東亜建設博覧会、そして終焉

第五章 統治手段としての展覧会
 台湾勧業共進会の意義
 警察主催の展覧会

六章 台湾博覧会:植民地は今花盛り
 台湾博覧会の開催
 博覧会での展示
 博覧会での催し物
 沸き立つ大稲[土+呈]住民
 踊る「原住民」
 博覧会の宴は終えて

おわりに・索引

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内容説明

「植民地博覧会」とは、植民地で開催、あるいは植民地そのものを展示の主題にした博覧会のことであり、欧米諸国には見られない日本独自の形態である。その内容や図像をつぶさに見るとき、近代日本のアジアへの眼差しが如実に浮かび上がる。


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はじめに


本書は近代日本において行われた植民地博覧会を取り扱っている。植民地博覧会とは植民地で開催された博覧会、および植民地そのものを主題にした博覧会のことである。植民地で開催された博覧会であるゆえに、主催した植民地行政府の意向が直接的に反映されていて、いわば植民地統治の一環として行われたという性格を持ち合わせている。このため、植民地権力がむき出しに露呈された場面が数多く見られ、帝国主義の暗い部分を映し出していると言うことは可能である。


万国博覧会の光の部分が産業のめざましい発展を展示することなら、その傍らで、この植民地博覧会は暗い闇の部分もまた持ち合わせていたのである。博覧会が華やかさを増していく一九世紀から二〇世紀にかけては帝国主義の時代であって、西欧列強は世界各地に植民地を持ち、互いに覇を競っていた時代であった。博覧会もこのような世界情勢と無縁ではなく、植民地支配の実績を誇るために植民地各地の農産物、手工芸品、さらには植民地の住民の展示が万国博覧会の目的の一つに数え上げられていたことは、この時代の大きな特徴であった。その典型的な博覧会は、「一日間世界一周旅行」を謳い文句にして、一九三一年にパリで開催された「パリ万国植民地博覧会」であった。


パリ万国植民地博覧会にはマダガスカル、モロッコ、インドシナなど、フランスの多くの植民地からの出展が見られた。異国趣味を誘い、西洋文明を際立たせるため「見世物」として植民地の住民を会場内に配置し、西欧支配の秩序を合理化するために植民地世界をスペクタクルとして一望させること、これがパリ万国植民地博覧会の目的であった。もっとも、展示された植民地の姿は博覧会場では「異種混交(ハイブリッド)」が見られ、例えば、原型に似せて再現されたアンコールワットが異国趣味を呼び込む一方で、内部は現代的に設計された展示空間が広がっていた。こうした異種混交性にもかかわらず、観客を魅了させたのは会場内に連れてこられ歌舞を演じた植民地住民の存在であって、植民地住民を劣った「人種」として位置づけることで、西欧を頂点にした「人類進化」の歴史を語る筋書きができあがっていたのである[モルトン 二〇〇二:第六章]。


西欧を後追いする形で、明治期の日本でも博覧会開催の機運は高まっていた。すでに幕末期の日本も一八六七年のパリ万国博覧会に参加していたが、明治の時代に入ると、西欧の博覧会を模して日本国内でも博覧会が開催されるようになった。明治四(一八七一)年には日本初の博覧会、「京都博覧会」が開かれ、明治一〇年には「第一回内国勧業博覧会」が開催されている。初期の博覧会は珍品・奇品を陳列する物産会まがいの域を出なかったけれども、その後の国力の増大に連れ博覧会は回数を重ね、規模も大きくなっていった。ただし、最初に断っておくが、ここで言う博覧会とは広義の意味を持っていて、明治期に盛んに試みられた「共進会」など、類似の催しをも包括している。


日本での博覧会を一望した時、西欧諸国と著しく違った特色があるのに気づく。それは、植民地において博覧会を開催した経験をもっていたということである。明治以後、日本が帝国主義的野心を露にし、海外に新領土を求めた時、その植民地もまた博覧会と深い関係に置かれたということである。パリで万国植民地博覧会が開かれたと同じように、日本においても植民地そのものを対象にした博覧会が開催されたし、一般的な博覧会でも植民地からの出展が相次いだ。海外の植民地でも、例えば台湾総督府や朝鮮総督府が、日本本土で行われたのと同じ形式を踏まえて博覧会を組織し開催していたことは、歴史的事実であった。

(中略)

植民地博覧会は時流を敏感に反映する催しであり、植民地の特殊性も映し出していて、日本本土では見られない独自性を持っていた。とりわけ、台湾博覧会での加熱ぶりは如実に台湾の置かれた状況を映し出している。それとともに言えることは、植民地であった台湾、朝鮮と、植民地でありながら日中戦争の戦場と化していた満洲とはおのずから博覧会に対する地元民の態度は違っていた、ということである。あるいは、総督府の全面的な指導のもとで展開された朝鮮、台湾の博覧会と、大連市を主体にした博覧会とは比べてみること自体が理にあわないことなのかも知れない。とはいえ、近代日本が関わった植民地博覧会を通観する著作が今までにない以上、東アジア全域を視野に置いた本書の試みは決して無駄ではないと考える。本書は、こうした側面に留意し、日本の植民地で行われた博覧会の状況をつぶさに記述する試みである。

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著者紹介
山路勝彦(やまじ かつひこ)
1942年生まれ、東京。
1973年、東京都立大学大学院博士課程、社会人類学専攻修了。
現在、関西学院大学社会学部教授
著書 『台湾の植民地統治:〈無主の野蛮人〉という言説の展開』(2004年、日本図書センター)、『近代日本の海外学術調査』(2006年、山川出版)。

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