目次
序章
一章 伝統社会の葬儀と死体
第一節 伝統社会の葬儀
第二節 伝統社会と死体
二章 衛生と死体──統治期初期の死体と火葬をめぐる状況
第一節 植民地統治と死体
第二節 密葬と火葬
三章 植民地支配と葬儀──一九一〇~二〇年代を中心に
第一節 「旧慣」としての葬儀
第二節 郷紳層と葬儀
第三節 民族運動と葬儀
四章 台南墓地移転問題
第一節 都市と墓地
第二節 住民と墓地
小結──移転問題の結末
五章 皇民化政策と葬儀
第一節 戦時下の葬儀のゆくえ
第二節 改善葬儀の周辺
第三節 文学作品のなかの「葬儀改善」
六章 植民地の日本仏教──臨済宗妙心寺派の活動を中心に
第一節 台湾における臨済宗妙心寺派の活動
第二節 日本仏教と寺廟整理運動
第三節 日本仏教化する葬儀
終章
あとがき
主な参考文献・略年表・索引
内容説明
葬儀は、その社会の価値体系が集約的に示され、最も重んじられる儀礼である。本書は、植民地支配の中で葬儀がどのように日本化されていったのかをたどり、受容・抵抗・やり過ごしを通し、支配・被支配双方の「近代」を見つめ直す。
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序章より
……当然のことながら広大な中国では地域ごとに葬儀の細部は多様化し、さまざまに変容した。しかし本書第一章で触れるように、ワトソンがあげた葬儀の「一定の構造」と照らしてみると、一九世紀末まで中国の周縁にあった台湾もまた、「中国人であること」の証として伝統的な葬儀の構造を受け入れ、人々によって実践されてきたことがわかる。その様式は、中国南方地域の習俗に強く影響されているとはいえ、伝統的かつ標準的な規範に沿ったものであった。
一八九五年に日本が台湾を領有すると、「近代」の体現者を自認する日本人たちは、台湾の葬儀を「陋習」とみなし、統治期初期の段階から近代的価値観に基づいて実行された行政や制度、教育などを通じて、台湾人に葬儀の「改善」を促した。一九一〇年代にはそれは末端の行政組織による「風俗改良運動」の一環としておこなわれ、一九三〇年代後半以降のいわゆる皇民化期には、まさに「日本人であること」の証として、生活改善運動の主要な項目となった。その結果台湾人の多くは伝統的葬儀の施行に強い制約を受けたばかりでなく、新たに「内地式」として仏式や神式の葬儀を押しつけられた。また死体の埋葬や墓地の選定に関しても、総督府による近代的な衛生観念の普及とあいまって土葬から火葬への移行を余儀なくされたり、風水思想が「迷信」として否定されたりした。
このように植民地では、自分とは異なる文化をもつ他者、すなわち統治者が、制度や教育、文化などあらゆる場面で絶え間なく日常生活に入り込んでくる。それらには「近代」や「日本」という価値が内包されており、植民地人として生きる以上、彼らは押し寄せる異物と抗ったり妥協したりしつつも、最終的には主体的選択によってそれを取り込まなければならない状況に置かれたのである。
そのとき台湾人は支配者が持ち込んだ葬儀という異なる文化を、どのように受けとめたのだろうか。その過程で人々は、何に抵抗し、何をどのように受け入れたろうか。それらを取り込んで生きることは、結果的に台湾人をどのように変えたのだろうか。
葬儀はまた、死者とそれをとりまく人々の「身体」が表現される場でもある。死体をどう扱うか、あるいは死者を悼む者がどのように身体で悲しみを表現し、共同体に示すのか。これらの身振りを統治者が規制し、改めさせようとすることは、近代における「身体の植民地化」につながるものでもあるが、そうした状況はどのような場面でみられるのだろうか。
このように葬儀は、「死」をめぐるさまざまな作法であると同時に、「生」を映し出す鏡でもあるといえる。植民地人として生き、死んだ台湾人の生活の諸相に、葬儀というテーマからアプローチする試みは、植民地社会の記憶を取り戻すための有効な方法のひとつであろう。
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著者紹介
胎中千鶴(たいなか ちづる)
1959年、東京都生まれ。
立教大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。
現在、目白大学、立教女学院短期大学非常勤講師。
主な著書論文に『植民地台湾を語るということ:八田與一の「物語」を読み解く』(2007年、風響社)、「日本統治期台湾の齊教に関する一視点」(『史苑』第60巻第2号)などがある。