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広西移民社会と太平天国(本文編)

広西移民社会と太平天国(本文編)

新史料・族譜の分析から、移民・少数民族接触地域の社会的流動性と階層上昇エネルギーを跡づけ、運動参加に至るメカニズムを解明。

著者 菊池 秀明
ジャンル 歴史・考古・言語
出版年月日 2001/02/20
ISBN 9784938718053
判型・ページ数 A5・608ページ
定価 本体8,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

 はしがき

 序 章 太平天国史と中国移民社会史研究をめぐる諸問題
    1 中国民衆反乱史研究をめぐる課題──太平天国と義和団、白蓮教
    2 中国社会史研究をめぐる新動向──移住と宗族、少数民族

●第1部●「客籍」エリートの成立と土官の「漢化」──広西における「上等の人」の形成と変容

 第1章 「客籍」エリート集団の形成と変容──桂平県「安良約」のリーダー達をめぐって
    1 桂平県北部における漢族移民の入植
    2 「客籍」エリート集団の形成
    3 「客籍」エリート集団の成熟と安良約──古程村黄體正1族を中心に

 第2章 チワン族土官の「漢化」と科挙
    1 明代広西における新設土官の活動と「漢化」──藤県五屯覃氏と忻城県莫氏
    2 清初広西西部の少数民族政策と土官──泗城府岑氏の改土帰流を中心に
    3 広西西部における土官の「漢化」と科挙──西林県岑毓英一族の軌跡

●第2部●移民宗族のリーダーシップと地域社会──「中等の人」の上昇、下降移動と「オン食」

 第3章 新興宗族と彼らをめぐる社会関係──桂平県江口地区の族譜分析を中心に
    1 非官僚移民の移住原因と成長過程──いわゆる「オン食」の諸相
    2 「客籍」エリート集団への参入
    3 新興勢力をめぐる社会関係と成功──「結拝兄弟」と団練結成

 第4章 平南県における中流宗族の動向と国家──胡以晄一族の「オン食」と太平天国参加
    1 平南県北部における漢族移住
    2 清代中期における軍人移民の没落とその原因
    3 太平天国期における中流宗族の「オン食」とその特質
    4 中流宗族のリーダーシップと「客籍」エリート、国家
 
●第3部●客家・チワン族の移住と中国専制王朝──「下等の人」をめぐる民族関係と太平天国

 第5章 両広南部における客家移民と国家──広東信宜県凌十八蜂起の背景
    1 両広南部地区における客家の入植──「新図」の形成と国家政策
    2 定着期の客家に対する国家政策の影響──辺境ゆえの科挙熱と宣講
    3 客家の生業形態と国家政策──いわゆる「オン食」をめぐる対立

 第6章 広西チワン・漢両民族の移住と「漢化」──桂平県「講壮話」韋昌輝の拝上帝会参加
    1 明代チワン族の桂東南入植と漢族移民──桂平県武靖土州の事例を中心に
    2 清代チワン族の階層分化と「漢化」──桂平県古城村侯氏と容県龍胆村陸氏
    3 太平天国前夜におけるチワン族と「客籍」エリート、中国専制王朝
    4 チワン族の「漢化」と漢族下層移民──韋昌輝親子の拝上帝会参加
 
●附編●桂平県・藤県山区の移住と拝上帝会──紫ケイ山・大黎郷における太平天国調査報告

 第7章 「金田団営」の前夜──桂平県紫ケイ山区における移住と拝上帝会
    1 紫ケイ山の現在──1989年の調査から
    2 紫ケイ山における移住──大藤峡ヤオ族反乱の弾圧とチワン族佃戸の入植
    3 清代中期における客家移民の紫ケイ山入植──石人村王氏と大冲村曾氏
    4 紫ケイ山における客家移民と少数民族──拝上帝会参加者をめぐって

 第8章 藤県北部における移住と太平天国──李秀成ら「四王」の族譜分析を中心に
    1 大黎の現況と太平天国調査の報告
    2 明代藤県北部の開拓──五屯千戸所と漢族の移住
    3 清代前期の大黎開拓──漢族諸宗族の形成
    4 太平天国前夜の大黎──宗族組織の発展と社会矛盾

 終 章 広西移民社会と太平天国

  あとがき
  索引(事項・人名・地名/図表一覧)

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内容説明

現地踏査で得た新史料・族譜の精緻な分析から、移民・少数民族接触地域における社会的流動性と、階層上昇エネルギーを跡づけ、運動参加に至るメカニズムを解明。史料編には、40余の史料に解題・註・系図等を付す。


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はしがき(本文編) 菊池秀明


名古屋郊外の私立大学に赴任して5年、著者はいつも学生に「国際人になるためには、まず地元の歴史に強くなろう」と教えている。異文化を理解するためには、自分達の足下から見つめて欲しいという願いをこめてそう話しているのだが、実際のところ我々日本人の生活は相当に無機質なものになっており、「生きること」の意味を問い直す手がかりを捜し出すのは決して容易ではない。


中国は長い間「近くて遠い隣人」であった。古くから日本は中国を師と仰ぐことで自らの文化を形成してきたが、わずかなケースを除いて中国社会に直に触れるチャンスは存在しなかった。こうした傾向は日本の中国史研究においても例外ではない。中華人民共和国の成立に軍国主義の道を歩んだ日本と異なる「近代」の可能性を見た時代、文化大革命の主張に少なからず影響を受けた時代は無論のこと、華僑に代表される移民のバイタリティーに関心が集まる現在もなお、我々日本の研究者は中国人の「素顔」を明らかにし得たとは言いがたい。


本書は中国近代史上の重要事件であった太平天国運動(1850年~1864年)の社会的背景を、実地調査の成果に基づいて解明しようとする試みである。特に運動の発祥地となった広西移民社会の形成とその特質について、著者が現地で発見、収集した第1次史料を中心に分析を進める。この第一次史料は多くが族譜(日本の家系図に相当)や碑文であり、野に埋もれていたこれらの史料を系統的に発掘出来たことは太平天国史及び中国社会史研究の進展において大きな意義を持つものと考えられる。また歴代祖先の誕生から死までを綴ったこれらの史料は、当時の人々の息づかいや様々な「想い」を鮮明に伝えてくれている。なおそのうち重要な4十3篇の史料については、『広西移民社会と太平天国』【史料編】に収録した。併せて参照して頂ければ幸いである。


本書はこれらの史料と農村調査における知見をもとに、広西移民社会の構造と太平天国運動の発生原因について人口及び社会階層の流動性、異民族間の接触(とくに少数民族の「漢化」)に注目しながら検討する。本書が繰り返し投げかける問いとは、「太平天国の参加者(または反対者)である彼(彼女)は、いかなる歴史的背景の下に生まれ、育ったのか」「いかなる理由から太平天国に参加(もしくはこれと対立)したのか」という問いである。それは辺境における移民の入植によって今日のスケールまで膨張を遂げた中国社会において、その担い手であった民衆が何を求め、どのように生きたかを理解する作業にほかならない。


本来歴史家の使命とは、文字史料の行間に隠れた人々の「想い」や「痛み」を掘り起こし、これを後世に伝えることにある。また異文化世界の歴史を描くことは日本人である我々を相対化し、見つめ直す上で不可欠の作業であろう。本書は広西フロンティアを彩った移民達の行動様式と、安定や成功を求める彼らの情熱が生み出した様々な社会現象を取り上げることで、中国民衆の「素顔」に迫ろうとするものである。混迷を深める現代日本において、我々が「遅れた社会」という名の下に否定ないし無視してきたアジアの農村と、そこに生きた人々の姿に目を向けることは、我々自身のあり方を問い直す上で大きな意味を持っていると思われるのである。


なお本書では、史料用語などの漢字にふったルビは原則的に普通話プートンホワ(北京官語)音を用いるが、いくつかのキーワードについては調査地の標準語である「白話バッワー(広東語系の土語)」「客家話ハッガーワー(客家語)」音を用いる。煩雑を避けるため、両者の区別は特に必要がない限り注記しないことにしたい。


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著者紹介
菊池秀明(きくち ひであき)
1961年、神奈川県生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、文学博士。
1987年から1990年まで広西師範大学歴史系、広西社会科学院歴史研究所に留学し、農村調査を行なう。
現在、中部大学国際関係学部助教授。
〈主要論文〉
「太平天国前夜の広西における移住と『客籍』エリート」
「明清期、広西チワン族土官の『漢化』と科挙」
「明清期の両広南部地区における客家移民の活動と国家」

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