リン家の人々
台湾農村の家庭生活
台湾漢族の伝統的大家族の中で暮らした米人女性人類学者。農村社会、家庭生活、人間関係の記述は、中国社会を知る最上の入門書。
著者 | ウルフ,M.(マージャレイ) 著 中生 勝美 訳 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | アジア・グローバル文化双書 |
出版年月日 | 1998/10/30 |
ISBN | 9784938718206 |
判型・ページ数 | 4-6・231ページ |
定価 | 本体2,500円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
はしがき(モーリス・フリードマン)
リン家系図
第 一 章 都会と町
第 二 章 村
第 三 章 家と家族
第 四 章 父 リン・ハンツ
第 五 章 長男 リン・ホェリン
第 六 章 二番目の妻 リン・ソーラン
第 七 章 妻と姉妹 リン・アポゥ
第 八 章 養女 タン・アホン
第 九 章 拒絶された花嫁 イゥ・ムィムェ
第 十 章 高価な妻 リン・チュイイン
第十一章 狭い心
第十二章 誇り高き贈り物
最 終 章 分家
訳者解説
内容説明
台湾漢族の伝統的大家族の中で暮らした2年間。米人女性人類学者の眼から見た親族・宗教・性……。生き生きと描かれた1960年前後、農村社会、家庭生活の肌触り、様々な人間関係は、中国社会を知る上でも、最上の入門書である。
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まえがき M・ウルフ
夫が、中国研究を専門とする人類学者だったことから、私は一九五九年に台湾北部の小さな村に住みこむことになった。それから二年間というもの、私たちは大家族リン家の自宅に間借りしていた。それにしても北ペイ后ホー店ティエンのリン一族が、どうして私たちを受け入れてくれたのだろうか。私たちの家賃は、他の台湾人よりは高かったけれど、私たちを住まわせることは、もっとリスクを伴うものだった。北后店に住む大多数の人々は、それまでアメリカ人と会ったことも、話をしたこともない。私たちの大家リン・チンツァは、私たちの青い目、高い鼻、不健康そうな白い肌にも関わらず、台湾人のよそ者にくらべて、リスクが必ずしも高くないと決めた。リン・チンツァは、私たちを紹介した校長先生に借りがあったのか、あるいは、彼が学生を保護することで、アメリカから何らかの利益があることを期待したのだろうか。たぶん、単に好奇心を充たすためだったのか、あるいは私たちが現われたことで、彼の家族の内部で膨らみつつあった緊張が緩和できると期待したのかもしれない。
リン家で数ヶ月過ごすうちに、私たちはその幸運の大きさに気づき始めた。なぜならば、二世代にわたってリン一族は、北后店で公的ではないが隠然とした力を持っていたので、村の中で尊敬され、時として恐れられていたからだ。私たちはその家の客人なので、だまされたり、物を盗まれるようなことはなかった。誰もが、私たちの後ろ楯を怒らせたくなかったのだから。けれども、私たちは彼らの面子を保つ責任をも借り受けたのだった。もしも私たちが不注意に小銭をごまかされると、リン家がごまかされたことになった。村の大工が私たちに過分な請求をした時、リン・チンツァは巧妙であるけれども、公衆の面前で社会的な制裁を加える必要があると思った。別の場面で、リン・チンツァは私たちの面子のために、招待を受けた村中の宴会に顔を出すべきだと助言してくれた。たとえそれが一晩に十数ヶ所かそれ以上の宴会であろうとも。彼は後で私たちの助手に、私たちはリン家の面子のためにもそうさせねばならないと言っていた。
初めは冗談で、リン家のことを「我が家では」といっていたが、後になって奇妙な帰属意識が生まれた。もしも、私たちがリン家の「一族」のごとく振る舞うならば、それはまちがった感情移入と、未熟な社会科学のそしりをまぬがれないであろう。しかし数ヶ月たって、一族は私たちに慣れてしまい、いわゆる他人行儀な表情から自然な振る舞いになり、私の目の前で強烈な喧嘩をしたり、悔し涙を見せたりするようになった。私が一家の喧嘩と内紛に対して維持した客観性とは、科学的原則よりも二つの文化の間に横たわる深い溝と、自分自身の臆病さによるものだった。リン・チンツァと寡婦の兄嫁との緊張関係により、私は二人の板ばさみになってしまった。二人ともいい人なのだけれど。その緊張は、中国の家族制度における権威の衝突という抽象的問題ではなく、双方とも相手から、より丁重に扱われなければならないということである。一家のなかにいる可愛らしくて若い売春婦の悲しい生涯と、がみがみどなっている彼女の母の行為は、それが結婚や家族への選択肢のない文化における、未婚や不妊の問題への対処の好例であるだけに、私は一層心を痛めた。
いまや六年もたち、遠くに離れているので、私は感情移入をせずにフィールドノートを読み、主観的言葉ではなくリン家で起きたことを評価できる。数年前から、私はリン家やその隣人から集めた情報や応答のごく一部を引き出し、それらを結び付けてひとつの物語にしはじめた。このリン家像は、結果として外国人により描かれているものの、けっしてアメリカ人の気持ちで台湾人の行動をとらえることのないよう努力した。やむをえず幾つか出来事とそれによる何人かの人生への影響を整理したが、そうした出来事は、私の推測に基づいた。ただ、私が何かを推測したり、そのことについて何かを語った時には、読者にはっきりと解るようにしたつもりだ。会話の部分は、家族や隣人、親戚が語った言葉を翻訳したものだ。家族の大多数と私との会話がぎこちないのは、皆の北京語がつたなく、そして私がミン南語を全く解さないためだ。幸いにも、私の助手をしてくれた、地元の村出身の少女は、私たちと一緒に仕事をするうちに、最大漏らさず会話を翻訳する、類まれな能力を身に付けてくれた。さらに、彼女は記憶力がすばらしいので、一五分もの会話を逐語的に思い出すことができ、やりとりの内容をその通りに何度もくり返すことができた。彼女がいなかったなら、会話の細部は決して記録されなかっただろう。彼女は目立たない解説者であり、歩くテープレコーダー以上の存在だった。控え目ながら協調性のある人柄のおかげて、彼女はたくさんの友人を持つことができたし、私にとっては、人々と、その生活に関する地域の習慣についての図書館であった。
私は人類学者ではないけれども、私と同じくらいリン家を知っている人類学者の夫に、原稿を注意深く読んでもらった。この本で、私は三つの点に留意した。中国で理想的と考えられた家族形態に基づく緊張に興味を抱く社会科学者へ、事例研究を提示すること。中国に関心を寄せる一般の人々へ、村落生活の知られざる側面を提示すること。そして心温まる話をすることである。事例研究については夫の助言が大きな役割を果たした。台湾の村落生活について一般の読者が何に興味を抱くだろうかは私が判断した。そして物語の展開は、リン家の人々にまかせることにした。
イダ・プルーイットの『漢の娘』や林耀華の『ゴールデン・ウイング(金の翼)』のような著作は、我々が中国社会を理解するうえで大きく貢献をした。指導者や政治家が云々するところの社会を作っているのは、結局、地位もない無名の人々なのである。政治家は国家の世俗的運命を左右してもよいが、長い歳月に渡るその存在は、農民や商人、麺職人などに依存しているのである。数世紀に渡る中国史は、指導者の力によって変化したが、誰が支配者であろうと、何が政治的危機であろうと、民衆は中国人であり続けた。私は、この決して重要とはいえない一族についての研究が、中国人とは何であるかを理解する手掛かりになることを希望している。
本書のすべては、リン家、そして北后店の人々のおかげである。そして表立ってはいないが、我々の調査に助力してくれた助手たちの、忍耐強く苛酷な仕事は、いつまでも感謝とともに思い出すことだろう。そのなかには、私たちの台所を取り仕切り、家計をやりくりし、テーブルマナーを直し、ボタンを繕ってくれたチビさんたちも含まれる。私の夫、アーサー・ウルフには、さらに深く感謝している。彼がいなければ、本書は描き上がらなかっただろう。彼が自分で書くのでなければ。また本書を草稿の段階で手助けしていただいた次の方々には特に感謝をしたい。シュー・ピーユン女史は、登場人物の仮名を、本物の台湾名のようになるよう丁寧に選んでいただき、シドニー・メラー女史には、初稿を読むというやっかいな仕事をひきうけていただいた。アーサー・ビディッヒ教授からは多くの重要なアドバイスをいただいた。最後にロンドン・コーネルプロジェクトのコーネル委員会からは、助手を依頼する基金を援助をいただいたことを付け加えておく。
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はしがき モーリス・フリードマン
控えめな著者になりかわり、このすばらしい本の序文が書けるのを光栄に思う。ウルフ女史はまえがきにおいて、自身が人類学を専攻しているわけではないと述べ、続いて本書の三つの目的を明らかにしている。すなわち「中国の大家族の事例研究を示すこと」、「中国に関心を持つ一般の読者に、村落生活の知られざる側面を示すこと」、そして「心温まる話をすること」である。見事に簡潔で控え目なこの言い方により、読者は、続く内容がまるで文学的技巧をこらした手ごろな小説にでもなってしまったかのように思いこまされるかもしれない。そして、リン家の人々から学び、かつ楽しませてもらったと思ってこの本を閉じたなら、それは著者の巧妙なわなにはめられたのである。私の役割は、そんな読者に注意を喚起し、ウルフ女史は望まないだろうが、彼女に対する賛辞を送らせることである。
本書は、収集した断片的事実をアレンジすることによって、非常にうまく構成されている。もちろん、ウルフ女史が自分は人類学者でないと主張するのなら、彼女の辞退を尊重せねばならない(たぶん、古き良き時代の名残なのだろう。昔の良い時代には、学位や肩書きなどにこだわらなかったものだ)。しかし、それならなおさら私は、彼女の問題意識と研究対象に用いた方法論において、いかに人類学が重要だったかを示す必要があると考えている。私は本題に立ち返り、それらの方法について触れたい。
ウルフ夫妻は、本書で描かれた家庭に二年間住み込んだ。それは、村落生活を多面的に調査するのが目的だったのだが、その一方で二人は自分たちの家主やその友人を身近に研究する機会に恵まれた。「研究」という言葉は、読者に冷たい印象を与えるかもしれない。特にリン家の立場に立たれた読者は、彼らは家庭生活や喧嘩などのすべてが外国人の冷たい目に晒されていることをどう感じたのだろうと思われるだろう。しかし人類学は、観察者と被観察者が同じ立場に立ち、客体のみを研究対象とはしない学問である。調査者と被調査者は、社会的関係の中にある。そして研究対象についての事実は、(あらゆる系統的な質問と同様に)正確であるため繰り返し検証されるだけではなく、学生が先生に対して正直であるべきように、その研究テーマを追究する探求心と友情への義務とを一致させるように、方法を確立せねばならない。人類学は、民衆を丹念かつ誠実に研究している。私は、ウルフ女史が最も熟達した専門家も敬意を表するほど上手にこの二つの方法的義務を果たしたと確信している。観察における配慮と集中力は、その繊細で敏感な表現に反映している。
感情移入は人類学の敵だ。制度や信念を異にする人々を理解し記述するために、人類学者は対象者のありのままを見るように努力し、そして見たままを記述することを要求される。人類学者は現地の人々を観察し、彼らが用いる言語を通じて彼らの行為の意味を把握するように努めねばならない。なぜならば、彼らは人類学者が接する特権を持った友人なのだから。しかし彼らは異なる言語を話し、異なったシンボルで考えるので、人類学者は異文化の壁を破らねばならない。我々が、研究成果を受けとるために、人類学者は他言語を我々が使う言語に翻訳せねばならないが、翻訳のプロセスで、自らの調査結果をゆがめないように注意せねばならない。ウルフ女史の本は、上品な英語で書かれ、彼女はいわゆる同時通訳ではなく、むしろ創造的な解釈者の役割を果たしている。彼女は本書で中国人の生活の断片を把握し、秩序の意味を抽出し、彼女が理解したことをうまく我々に伝えている。
この研究で扱われたリン家は台湾人で、ウルフ女史は本書の副題とまえがきをのぞき、中国一般ではなく台湾について書いていることを示している。私は彼女の言葉を尊重せねばならないが、誤解を生まないように説明をつけ加えるのも私の役割だ。(現在の社会学的観点からでは不可抗力なのではあるが)現代史における二つの時代を通じて、台湾は分断された「地域」と考えられがちである。すなわち一八九五年から一九四五年まで台湾は日本の植民地であり、一九四九年からは、内戦によって中国大陸から切り離された。しかし台湾は中国の一部であって、中国独特の社会組織や行動パターンを知る人にとって、一般の中国人としてリン家とその隣人たちを認識するのは難しくないだろう。たしかに彼らの母語は北京語ではないが、中国大陸の数億の民と共通の特質を持つ。
この点は強調する価値がある。なぜならば、台湾(そしてイギリス領香港)でおこなわれた研究を読むと、それらを辺境に取り残されたものとみる傾向があるからだ。当然、中国に興味を持つ社会科学者は、中国大陸で調査ができないことに不満がある。そして、中華人民共和国の建国以後、より多くの欧米の人類学者と社会学者が中国社会を研究したいと願っていることは、実際に面白くない逆説として存在する。しかし、この本で強調しているように、非常に重要なフィールドワークは、台湾で──もちろん香港でも──可能なのだ。当時台湾では、ウルフ教授とウルフ女史以外にも、何人かのアメリカ人が調査しており、それはまた別の人々によって継続されている(英国の学生も、台湾が受けいれを拡大した人類学者の中の一人として加えられたことを嬉しく思う)。近年、台湾と香港におけるフィールドワークによって、中国研究は、現代の社会科学の問題と技術に照らして体系的に検証される学問領域に格上げされた。
本書は、村落生活を多面的に触れている。農業、商業、宗教、若者の組織(ロームアの描写は特筆される)、親族、セックス(売春の記述は強烈である)等々。しかしその全ては、一つの家族の研究でつらぬかれている。いまや、中国の家族は研究しつくされたテーマだと思う読者もいることだろう。家族について書かれた中国や諸外国の書籍・報告書は多く、特にその「大」家族の研究は、西洋知識人が数世代にわたり親しんだ教養である。しかしここで注意したいのは、中国の家族研究は決して終りのない分野であり、読者はますます洗練されていく報告を見て、今までの先入観を捨てねばならないということである。本書によって読者は、中国家族の伝統的形態に、もっとも現代的な状況の縮図を見いだすはずだ。
リン家は、ウルフ夫妻が同居していた時点で「大」家族だった。この点においてリン家は、中国社会の中で典型的であり、かつそうでなかった。つまり理念的には典型的なのだが、実態としては例外的だった。リン家が北后店で唯一の大家族であり(つまり例外)、金持ちだったのは偶然ではない。大きいことは誇らしいことだが、大家族を維持している人々は、ウルフ女史が示しているように分裂への絶え間ない軋轢に耐えなければならない。なぜならば、大家族を性格づけるのは、数ではなく、その複雑さである。そしてその複雑さからウルフ女史が明瞭かつ豊富に記述する問題が生まれてくるのである。
(中略)
これらすべては、中国研究の主要な問題であり、ウルフ女史が北后店のことについて記述していることは、中国全体の家族制度の分析に役立つよう一般化することができる。中国社会に精通している読者なら具体的事例から一般論へ飛躍することは難しくないだろう。しかし台湾のことに限定しているように見える本書において、一般化が不適切な感を与えるであろう事柄もある。ウルフ女史はリン・チンツァの父の世代に、北后店の半数の男性が「●[女+息]婦仔」と結婚していたと述べている。これは、将来息子と結婚させようとして、家に連れてきた幼女のことである。「幼い義理の娘」としての●[女+息]婦仔は、夫を持つまえに義理の両親が与えられる。しかしこの習慣は、実際中国全土で知られており、台湾で大規摸におこなわれていたに過ぎない。つまり、この慣習が中国全土で見られるから、ウルフ女史が豊富な実例から得た分析も生きてくるのである。私は、ウルフ女史の述べた次のような点に特に注意を払うべきだと思う。すなわち、●[女+息]婦仔の結婚が、(少年と少女が兄弟姉妹として育てられることによって)増加させた性的な不適合と、両親が結婚相手の選択を、もはや決定的に命令することができない状況で、この慣習がすたれていったことである。
ウルフ教授とウルフ女史が北后店から持ち帰った資料は、(私の知るかぎり)中国の民族誌における宝物の一つである。本書の読者は、事例研究と物語の両方を作るために集められた、一家族に関する資料を読むことができる。事例研究は物語にも劣らない文学であり、物語はすばらしく語られることで、人類学的でなくなることはない。本書が北后店研究による長い物語の第一巻にすぎないことを、あえて希望したい。この村は、いまや中国研究者にとって重要な地点となっているのである。
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著者紹介
Margery Wolf(マージャレイ・ウルフ)
1953年、サンフランシスコ・ステイト・カレッジ卒業。1985年よりアイオワ大学人類学部教授。中国社会を女性の視点から研究した著作で、台湾のみならず中国大陸の女性にも研究分野を広げている。
主な著作は、『Women and the Family in Rural Taiwan』『Revolution Postponed』『A Thrice Told Tale』などがある。
訳者紹介
中生勝美(なかお かつみ)
1956年、広島生まれ。社会人類学専攻。1979年、中央大学法学部卒業。1987年、上智大学文学研究科史学専攻博士課程満期退学。中国・香港・台湾・沖縄をフィールドにする。
現在、和光大学人間関係学部助教授。
代表的著作は、『中国農村の権力構造と社会変化』(アジア政経学会、1989年)、その他「親族呼称の拡張と地縁関係」『民族学研究』第56巻第3号、1991年、「香港の離島コミュニティに見られる都市性」瀬川昌久編『香港社会の人類学』風響社、1997年、「民族研究所の組織と活動:戦争中の日本民族学」『民族学研究』第62巻第1号、1997年、など社会構造・儀礼・植民地人類学に関する論文多数。