目次
序 章 北部ラガ──人々とその生活
一 ヴァヌアツ共和国
二 カストムとスクール
三 ラガ語
四 北部ラガでの日常生活
●第一部 親族と婚姻
はじめに
第一章 親族集団と地縁集団
一 親族集団の分節構造
二 分節相互の関係
三 地縁集団
第二章 親族関係
一 親族概念と親族名称
二 親族間の関係
三 性関係と性的表現
第三章 婚姻体系
一 規定婚
二 娘交換の仕組み
三 基本的縁組構造
四 限定交換と一般交換
第四章 出自・親子関係・キンドレッド
一 出自論
二 集団への帰属と祖先とのつながり
三 リニアリティとラテラリティ
四 親族構成における祖先中心と自己中心
●第二部 儀礼における交換と支払い
はじめに
第五章 ボロロリ儀礼
一 伝統的交換財
二 ボロロリ儀礼
三 豚のやり取り
四 最初のボロロリ
第六章 豚に関する“ビジネス”
一 貝製のビーズに対する支払い
二 様々なエンブレムに対する支払い
三 豚のやり取りと支払いの手順
四 “ビジネス”のもめごと
第七章 人生儀礼
一 誕生と誕生儀礼
二 婚姻儀礼前日
三 婚姻儀礼当日
四 死と葬送儀礼
第八章 人生儀礼における交換
一 親族間での豚とマットのやり取り
二 互酬的なマットのやり取り
三 互酬的な豚のやり取り
第九章 交換と支払いの諸相
一 支払い概念
二 交換概念
三 互酬性
四 支払い概念と交換概念の関係
第一〇章 贈与・互酬性・交換
一 贈与とハウ
二 互酬性の論理
三 贈与交換の論理
●第三部 位階階梯制とリーダーシップ
はじめに
第一一章 位階階梯制と秘密結社
一 階梯・集会所の炉・秘密結社
二 ブェタ儀礼とガイバラシ儀礼
三 秘儀
四 ゴナータ儀礼
五 ボロロリ以前
第一二章 タブーと女性の位階
一 位階階梯制とタブー
二 二種類のタブー
三 出産と月経
四 女性の“ビジネス”
五 女性の階梯
六 男性と女性
第一三章 あるリーダーS氏の生活を巡って
一 チーフ・カストム
二 独立前と独立後の政治状況
三 S氏の履歴
四 ビッグ・チーフS氏
五 S氏の挫折あるいは挑戦
第一四章 リーダーシップの構造
一 交換とリーダーシップ
二 リーダーの世俗的な力
三 リーダーと評判
四 社会関係を律する価値観
第一五章 ビッグマン制・階梯制・首長制
一 ビッグマン・グレートマン・チーフ
二 階梯制
三 辺境のチーフ
四 辺境のビッグマン
五 差異化の指標
六 タイトルとしての“大物”
終 章 まとめと結論
一 一般交換と限定交換
二 祖先との結びつきと集団への帰属
三 互酬性と贈与交換
四 交換とリーダーシップ
五 位階制とビッグマン制と首長制
六 個別社会研究と比較研究
あとがき
註
引用文献
索 引
内容説明
おびただしい豚の撲殺が階梯の登攀に不可欠な社会。平和な島に残るさまざまな秘儀を、人類学の立場から精密に記述し読み解き、親族・婚姻体系、政治体系研究に新たな理論を提示。オセアニア研究に再検討を迫る。
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序 吉岡政徳
本書の舞台となる北部ラガとは、メラネシアの現ヴァヌアツ共和国に属するペンテコスト島(ラガ島)北部を指す。ヴァヌアツは、現在の人類学において特に注目を集めている地域というわけではないが、人類学史の中では少なくとも二つのテーマに関して問題提起の舞台となってきた。一つは、複雑な親族・婚姻体系に関するものであり、他の一つは秘密結社、階梯制結社に関するものである。
ヴァヌアツは、コドリントン(Codrington 1881, 1885, 1889, 1891)やリヴァーズ(Rivers 1914)の先駆的な研究によって当時の人類学には知られていたが、その名をさらに広めたのはディーコンである。彼は、マレクラ島での長期のフィールド・ワークからの帰路アンブリュム島に立ち寄り、その親族組織を調査した(Deacon 1927, 1929, 1934)。そして彼は、アンブリュムには六セクション体系が存在すると主張するに至って、ヴァヌアツに人類学的な関心が集まったのである。当時オーストラリアにおけるセクション体系が盛んに議論されていたという背景があり、オーストラリアでは発見されていなかった六セクション体系は大きな興味を集めた(Seligman 1927, Radcriffe-Brown 1927, Barnard 1928a, 1928b)。以後、アンブリュムを巡って華々しい論争が展開されたが、ディーコンのアンブリュムでの調査は六週間にすぎなかったため、その資料は決して詳細なものとは言えず、結局、論争は混乱し、何の結論をも得るには至らなかった(1)。
ヴァヌアツの各島に見いだせる親族・婚姻体系がセクション体系であるとされたのは、アンブリュムだけではなかった。人類学的に大きな論争にまでは発展しなかったが、レイヤードはマレクラ沖のスモール諸島の体系を一二セクション体系として整理する試みをした(Layard 1942)。また、本書の対象である北部ラガ社会もその例外ではなかった。北部ラガの社会組織についての最初の報告は、リヴァーズによってもたらされたが(Rivers 1914)、その親族・婚姻体系も、セクション体系との関連で考察されたのである(Seligman 1928)。しかし、こうした視点は結局市民権を得ることなく今日に至っている。その理由は、民族誌的な資料が決して十分なものではなかったということによる。北部ラガの場合も、リヴァーズは長期のフィールドワークに基づいて資料を提示したわけではなく、彼は、北部ラガに滞在経験のあるバンクス諸島出身者を主たる情報提供者としていたのである。
セクション体系の研究が一段落し、これらの体系が規定的縁組論との関連で再び再考され始めるようになると、こんどは北部ラガの親族・婚姻体系を非対称的な規定婚として捉える視点が生まれてきた。しかし、北部ラガの体系は非対称的な縁組というだけではなく、人々はその縁組を対称的と捉えているという指摘がB・レインによってなされることによって、今度は対称的な縁組(限定交換)と非対称的な縁組(一般交換)との関連を巡って、一連の論争が生まれることになった(Lane, B 1961, 1962, Leach 1961a, Needham 1963b)。B・レイン自身は、夫のR・レインと共にペンテコスト島南部での長期のフィールド・ワークを実施し(Lane, R. B. 1956, 1965, 1971)、当地での調査の途中に北部ラガに立ち寄っている(Lane, B 1961)。しかし彼女は、北部ラガの婚姻体系に関する資料を全く提示しないまま、つまり、民族誌的事実を棚上げした形で架空の理論的構築を先行させたため、結局、この論争も実りあるものにはならなかったのである。
親族・婚姻体系に関するものと較べると、秘密結社(secret society)、階梯制結社(graded society)に関する問題提起はそれほど華々しい論争の対象となったわけではない。しかし、重要な民族誌的な事例としてしばしば取り上げられたことは事実である。コドリントンやリヴァーズの時代には、これら結社の存在が大きな関心を集めており、メラネシア社会はその宝庫であると考えられていた。そして、ヴァヌアツの人類学的研究の先駆者達は、これらに関する資料を、他の資料にも増して多く提供することに心がけていた(Codrington 1891, Rivers 1914, Deacon 1934, Layard 1942)。秘密結社も階梯制結社も、政治的な制度としての側面を強く持っていた。したがって、その側面に着目していれば、オセアニアにおける画期的な政治体系研究はヴァヌアツから始まったかもしれない。しかし、当時は、そうした点に注意が向けられるよりは、「秘密」結社の持つ特殊性ないしは異文化性に関心が集まっていた。したがって、これらの結社は、「秘密」対「公開」という対比の中においてのみ議論されることが多かったのである。
オセアニアにおける秘密結社、階梯制結社の研究は、マリノフスキーのトロブリアンドに関する研究が公表される頃から影を潜めることになる。トロブリアンドはそれらの存在する地域ではなかったことがこの場合の大きな要因ではあるが、マリノフスキーの研究を最後として、基本的には、人類学的関心の対象はオセアニアからアフリカへと移行していった点も見逃すことは出きない。マリノフスキー、及びラドクリフ=ブラウンに教育された弟子達は、アフリカにおいてきわめて実証的な研究を進め、伝統的な政治体系に関しても着実な成果を納めていった。そして、すぐれて政治的な制度であるはずの階梯制結社は、アフリカ研究最盛期には、人類学の関心からは忘れ去られることになったのである。
しかし、アフリカ研究が一段落すると、再び、アフリカ研究に対する批判がオセアニアの研究者達から生まれてくることになる。周知のように、その一つは単系出自論に対する批判であり、もう一つは、ビッグマン制や首長制研究という政治体系に関する問題提起であった。後者においては、政治体系を経済的な側面と結びつけて考察するという視点が打ち出され、リーダーシップと儀礼における財の交換、あるいは財の分配などとの関連が詳細に研究されていった。しかし、この時点に至っても、ヴァヌアツの階梯制結社は議論の外にあり、ニューギニアとポリネシアを中心とした研究が進むことになった。
政治制度としての階梯制結社が正面から捉えられ始めたのは、一九六〇年代から一九七〇年代にかけてヴァヌアツでのフィールド・ワークを行った研究者達が登場してからである(2)。これらの成果は、一九八一年にアレンが編集した『ヴァヌアツ──メラネシア島嶼における政治・経済・儀礼(Vanuatu : Politics, Economics and Ritual in Island Melanesia)』によって、ようやく一部に注目されるようになったが、依然としてオセアニアにおいてはビッグマン制と首長制を中核とした伝統的政治体系研究が継続されており、階梯制結社の研究は大きなインパクトを与えるまでには至っていないのが現状なのである。
以上のような状況にあるヴァヌアツ研究であるが、その点を踏まえて、本書では二つの目的を設定している。一つは、北部ラガ社会の詳細な民族誌的データを提示することである。これまで論争の舞台となりながら、資料が不足していたため有益な結論が得られなかったという点においても、また、これまで長期の人類学的なフィールド・ワークが行われたことがなかったという点においても、民族誌的な資料を提示する意義は十分存在するであろう。筆者のフィールド・ワークは五次に亙っている。第一次調査は、一九七四年八月から一二月にかけて、第二次調査は、一九八一年四月から一九八二年三月にかけて、第三次調査は一九八五年八月から十月にかけて、第四次調査は一九九一年七月から九月にかけて、第五次調査は一九九二年七月から十月にかけて実施した。北部ラガの村落には通算約一七ヶ月滞在し、それ以外の期間は、基本的に都市部在住の北部ラガ出身者を対象に調査を行っている。コドリントンは北部ラガに立ち寄ったかもしれないが、フィールド・ワークが行われたわけではなく、リヴァーズも数日は立ち寄ったようであるが、北部ラガに関する資料の大半をバンクス諸島出身者から得ており、レイン夫妻もせいぜい数日間しか滞在していないと考えられる。したがって、北部ラガ社会での住み込みのフィールド・ワークとしては、筆者のそれが唯一ということになる(3)。
二つ目の目的は、北部ラガ社会の事例から提出される問題点を整理することにより、人類学における親族・婚姻体系研究と政治体系研究に新たな理論的寄与をすることである。両研究は、まさしく一九世紀から二〇世紀初頭にかけてのヴァヌアツの人類学的研究が先鞭をつけながら、民族誌的資料の不足などから理論的に発展させることの出来なかったものである。しかし、ヴァヌアツの事例の独自性に当時の人類学的関心が集まったことは確かであり、民族誌的データが蓄積されつつある現在は、益々その独自性が浮き彫りとなっている。現に、本書で詳細に記述されるが、北部ラガ社会はこれまでの人類学があまり対象としてこなかったような親族・婚姻体系、政治体系を持った社会なのである。架空の状態を想定した論争は実りがないが、民族誌的事実に基づいた論争は、従来の理論に修正を迫る。ここに、北部ラガ社会を研究することによって、新たな理論的寄与が可能となる条件が生まれるのである。
本書第一部では、北部ラガの親族・婚姻体系を詳細に記述する。その過程で明らかになるが、北部ラガの体系と類似の体系が見いだせるのは、ニューギニアのイアトゥムル社会においてだけなのである(Bateson 1932)。イアトゥムルの親族・婚姻体系は、規定的縁組論が登場することにより注目され、分析の対象となったが(Korn 1973)、その資料が豊富なものではなかったため、結局は中途半端に終わったと言わざるを得ない。本書では、この点を含めて規定的縁組論の理論的基盤である「関係名称による人々のカテゴリー化」そのものを問い直すことになる。また、北部ラガは規定婚の体系を持っているが、一般交換と限定交換が並存する体系を持っている。しかし、同じレベルで両者の交換形態が見いだせるのではない。前者は姉妹交換として、後者は娘交換として成立しているのである。二つの交換形態がいかなる関係を持っているのかを中心に議論が進むが、その中で、構造主義的な研究の前提となっている「女性は生まれおちた集団間で交換される」という視点が問い直されることになる。
北部ラガの事例は、このように従来から縁組論と呼ばれていた研究に大きな問題提起をしてくれるだけではない。出自論に対しても大きな問題提起をしてくれるのである。というのも、北部ラガの親族集団は、祖先からの系統ということではなく集団への帰属という点を規準に構成されており、出自論で従来から議論の対象であった「系統」と「帰属」の問題を再検討することを迫るからである。出自論と称される理論的な研究はきわめて豊富に存在するが、学説史的には、常に比較研究という問題と裏表の関係にあった。本書第一部の最後では、オセアニアにおける親族集団構成の比較研究をすすめながら、出自という手垢にまみれた概念を用いないで、比較を行うための新たな試みが展開されている。
第二部と第三部は、階梯制結社を伴う政治制度、すなわち本書で言うところの位階階梯制と関連する部分である。これらに関しては、第一部で取り上げる親族・婚姻体系ほど北部ラガは独自なものを持っているとはいえない。しかし、ビッグマン制とも首長制とも異なった階梯を伴う政治制度であるという点で、やはり独自の存在を主張することが出来るのである。先述のアレン編『ヴァヌアツ』がそれほど大きなインパクトを与えなかったのは、ヴァヌアツという一地域からの報告だったという点以外にも、大きな問題がある。それは、階梯制結社の仕組みをランク・テイキング・システムと名づけて、ビッグマン制のヴァリエーションとして捉えた点である。しかし、この制度における権力のあり方をビッグマンとしての視点だけから捉えるのは一面的であるといえる。
太平洋全体における伝統的政治体系の研究においては、今日までビッグマン制と首長制に関する議論は詳細になされてきたが、そこから抜け落ちている体系が存在することに気がつく。それは年齢階梯制である。ミクロネシアにおける年齢階梯制、特に、キリバス南部におけるそれは、従来の太平洋の政治体系研究からは無視されてきたといってよいであろう。ヴァヌアツ北部の体系が、集中的に研究されるようになってからも、ビッグマンとの関連ばかりが問題とされ、この年齢階梯制との関連で考えようという視点は皆無であった。しかし、“ミクロネシア人”の起源に関する議論では、先史時代にヴァヌアツ北部の人々がキリバス(ギルバート諸島)へと移動していったという説も唱えられており(Tryon 1984、高山、石川、高橋 1992)、キリバスとヴァヌアツに共に階梯制が存在していることは、きわめて示唆的であると捉えるのが自然であろう。こうした点で、筆者はヴァヌアツ北部に広く見られる政治体系の最も大きな特徴は、階梯の存在にあると考え、これらの体系を位階階梯制と命名することにしたのである。
ところで、オセアニアにおけるビッグマン制や首長制の研究が、儀礼における財の交換や財の分配という経済的側面との関連で論じられてきたわけであるが、財の交換という問題を考慮した上で政治体系を論じる必要性は、位階階梯制でも同様である。第二部では、位階階梯制における階梯を登るために行われるボロロリ儀礼を中心に記述・分析を行うが、この儀礼がまさしく交換と支払いの場なのである。したがって、ここでは交換というテーマを扱うことになる。第三部は、位階階梯制におけるリーダーシップの問題とかかわる。第二部で論じるボロロリ儀礼は、階梯を登ってゆくために必要不可欠な儀礼であり、そこで展開される豚やマットの交換は、リーダーシップのあり方と密接な関連を持っている。しかし、ビッグマン制社会でさかんに議論されているように、交換における富の操作がリーダーシップの獲得にそれほど大きな要素を占めているわけではない。この点がヴァヌアツ研究者の間でも見過ごされており、それが、位階階梯制の独自性を、ひいてはビッグマン制と首長制のステレオタイプ化されたイメージを問い直すことが出来なかった理由であろう。第三部では、位階階梯制独自のリーダーシップのあり方を探ることにより、オセアニアにおける伝統的政治体系研究を再検討する試みが行われる。と同時に、親族・婚姻体系、交換体系、政治体系を貫いて見いだせる北部ラガ社会の社会関係を律する独自の価値観をも議論することになる。
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著者紹介
吉岡政徳(よしおか まさのり)
1951年、奈良市生まれ。1973年、埼玉大学教養学部卒業。1979年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位修得退学。社会人類学専攻。
東京都立大学人文学部助手、信州大学教養部助教授、神戸大学国際文化学部助教授を経て、現在神戸大学国際文化学部教授(同大学院人間科学研究科教授兼任)。
社会人類学博士。
主たる論文に、“The Story of Raga : A Man's Ethnography on his Own Society I, II”(1987年、1988年、『信州大学教養部紀要』21,22)、「〈場〉によって結びつく人々──ヴァヌアツにおける住民・民族・国家」『国民文化が生まれる時』(1994年、リブロポート)。編著に、『社会人類学の可能性I 歴史のなかの社会』(須藤健一、山下晋司両氏との共編、1988年、弘文堂)、『オセアニア3 近代に生きる』(清水昭俊氏との共編、1993年、東京大学出版会)など。