目次
1 概 況
1 むらの位置と地理
2 むらの生業
3 むらの諸施設
2 むらから見た歴史
はじめに
1 中国支配下のベトナムとその独自性
2 城隍神布蓋大王についての伝承と編年
3 王朝期と植民地支配の影響
4 仏領期における儒学
5 抗日・坑仏戦争
6 解放
7 対米抗戦争
8 開放経済体制
9 変化と歴史
おわりに
3 むらの組織
はじめに
1 むらの範囲
2 仏領期末のむらの政治行政組織
3 身分階層制
4 甲
5 現在のむらの組織
6 ソム
7 年齢階梯的特徴
8 むらと国家
9 東アジアにおけるベトナムのむら
おわりに
4 むらの年中行事
はじめに
1 観察にもとづいた年中行事の説明
1 元旦(陰暦1月1日)
2 春祭(城隍即位陰暦、1月10日)
3 旗祭(陰暦2月12日)
4 武使臣忌日(陰暦2月20日)
5 聖母忌日(陰暦3月3日)
6 入夏(陰暦4月1日)
7 関聖帝君忌日(陰暦6月24日)
8 出夏(陰暦7月1日)
9 中元節(陰暦7月15日)
10 秋祭り(城隍忌日 陰暦8月13日)
11 中秋(陰暦8月15日)
12 陳興道忌日(陰暦8月20日)
13 嘗新祭(陰暦9月10日)
14 10月10日のテト(陰暦10月10日)
15 郡主公主の忌祭(陰暦11月19日)
16 城隍誕生日(陰暦11月25日)
17 冬至の墓参り(陽暦12月22日頃)
18 年閉めの儀礼(陰暦12月8日)
19 除夜(陰暦12月30日)
2 東アジアにおけるベトナムの年中行事
おわりに
5 むらの家族
はじめに
1 生活親族集団を表す言葉
2 家屋と生活空間
3 土居と生活集団
4 数量的裏付け
5 東アジアにおけるベトナムの家族
おわりに
6 むらにおける親族
はじめに
1 父系親族集団ゾンホ
2 ゾンホの構造的特徴
3 非父系親族との関係
4 東アジアにおけるベトナムの親族
おわりに
7 人生儀礼
1 葬礼
1 死から埋葬までの諸儀礼
2 埋葬後の儀礼
3 週日毎の供養儀礼
4 東アジアにおける葬礼のベトナム的特徴
2 結婚
1 結婚までの経過
2 結婚式
3 結婚式の旧習
4 東アジアにおける婚礼のベトナム的特徴
おわりに
結語
あとがき
参考文献一覧
潮曲大小事年表
英文目次・要旨
索引
CDの内容紹介
●1 ムービーブックについて
これは、1994年7月から1998年2月まで、潮曲を訪れた延べ8ヶ月の間に撮影した延べ120時間あまりの8ミリビデオテープを編集し、一種の電子ブックとして再編成したものである。
このブックの構成は、年中行事を中心にむらの概況や葬礼を収めた10章19本のムービーを柱にしている。せいぜい4、5分の映像だが、民族誌としての資料性を主にしたため、細かなカット割りが重なっているので、それぞれのムービーにはタイム表示をもとに、要点を1行程度で記すことにした。
また、およその内容については別のページに数行程度で解説したが、詳細は本文を参照されたい。
目次
0-1 むらの中心地と生業 5-1 中元(寺での行事)(7月15日)
0-2 むらの施設 5-2 中元(勅亭での礼拝)(7月15日)
1 元旦(1月1日) 5-3 中元(個人の家での礼拝)(7月15日)
2-1 春祭1(1月10日) 6 秋祭り(8月13日)
2-2 春祭2 7 嘗新礼(9月15日)
2-3 登壽祝い(1月10日) 8 年越し(12月30日)
3 武使臣忌祭(2月20日) 9 婚礼(11月8日)
4-1 出夏(大亭)(7月1日) 10-1 葬礼1(9月23日)
4-2 出夏(館Cau)(7月2日) 10-2 葬礼2(9月24日)
4-3 出夏(義庄)(7月12日)
●2 郷約について
これは潮曲郷約の原文の複写とその日本語訳ならびに若干の解説を施したものである。
底本は、ハノイの通信社会科学院の図書館所蔵(登録番号HUN 469)のものである。本文は、国語の地名、年号、記号、漢字名、年号の入った図書整理用の表紙、漢字で「潮曲郷約簿承抄」と記した表紙につづき、
(A)維新九年(1915)11月7日版(1-31頁)
(B)字喃の保大16年(1941)付加(31-35頁)
(C)漢文の保大5年(1930)10月10日版(37-50頁)
(D)漢文の保大五年(1930)12月18日付加(51頁)
(E)保大5年(1930)7月19日抄本したことを示す付記(52頁)
が合本されている。
潮曲の社会研究にはきわめて有用なのと、日本ではほとんど知られていない字喃郷約の内容の概略を示す意味はあろうかと思う。
●3 潮曲の戸別地図について
この地図は潮曲のむらの全戸の家並みを示すものであり、千戸に近い屋敷(土居)の地図であるが、もとより、素人であり、測量めいたことは一切行っていないので、あくまで概念図である。また、地図作りが調査の目的ではなく、それに時間をあまり多く割くわけには行かなかったので、精度にはまだかなり粗密があることなど、お断りしておきたい。
なお、各戸の表記には、たとえば「B103NDQ」などと略号を用いたが、これは、ソムを表す記号(AからE)と調査番号、そして戸主のゾンホ名(ローマ字2字)、名前の頭文字である。
●4 フィールド・カードについて
本ファイルは、調査中のフィールドノートをパソコンにカード形式で入力したものが原型になっている。今回の出版に際しては、プライヴァシーなどに配慮して整理・加工し、いずれのパソコンでも利用可能なように、テキストおよびHTML形式で収録した。したがって、これは、フィールドノートそのものではないが、内容は、ほとんどそのままの形で文章化したものであり、単なるメモとして記されたフィールドノートに対し、かなりの程度まで第三者が理解可能な形をとっている。
なお、研究目的のためだけに公開するものなので、読み物としての体裁を整えていない。また、ベトナム語表記の部分もそのままにしてある。普通の読者の環境では文字化けが避けられないが、お許しをいただきたい。ただ、LaserVietnameseというベトナム語フォントを使用しているので、お持ちの方は手を加えれば文字化けが解消されるはずである。
内容説明
生業・歴史・親族・行事など、ハノイ近郊村落の民族誌的詳細を記述し、東アジアの視点から祖先祭祀の構造と特色を分析。CDには60分余のビデオ映像を含むマルチメディア民族誌、字喃の郷約の対訳、屋敷分布図、フィールドカード等を収録。
CD-ROMは、フィールド調査で得た映像・文書・その他の資料を「マルティメディアの民族誌」として編集することをめざしたが、時間等の制約もあって実験的な試みにとどまっている。
なお、内容は以下の4種で、それぞれハイブリッド版のPDFファイル(一部テキストファイル)という形式で収録している。
1 ムービーブック(PDF)
2 潮曲郷約簿(PDF)
3 潮曲の戸別地図(PDF)
4 フィールドカード(テキスト、HTML)
付 Acrobat Reader
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序 末成道男
ベトナムの祖先祭祀は、東アジアにおいてどのような特色を持っているのだろうか。東アジア諸社会における祖先祭祀は、個人の信仰や宗教の範囲にのみ留まってはいないので、その理解には、祖先の観念や儀礼の観察だけでは不十分であり、社会生活全体を見渡し、それが祖先祭祀といかにかかわっているかを明らかにすることが必要である。祖先が直接関わってくる文献や位牌の前の礼拝だけを取り上げても、その社会的、文化的脈絡抜きには不十分であるだけでなく、その質的な差異を見逃す恐れがある。これは、東アジアのように、共通の中国文明の影響を受けながらも質的に異なった文化をそれぞれ造り上げているところでは肝要である。
例えば、ベトナムの社会の顕著な特徴として、むら結合の強さが取り上げられるが、これは祖先祭祀にどのように関わっているのだろうか。一連のむらを中心として繰り広げられている年中行事に、祖先祭祀はどのように配置されているのだろうか。祖先祭祀は、その内容から家族、親族とも密接な関連を持つが、ベトナムの家族、親族は、そもそもどのようなものか、その実体が未だ十分明らかにされていない。それで、その具体的な在り方の呈示から始める必要がある。
これらの諸点を解きあかし、これらの活動の契機である人生儀礼に祖先祭祀がどのように組み込まれているかを明らかにすることが、社会生活編である本書の主題である。祖先祭祀儀礼そのものは、宗教生活編として予定している専著において詳しく論じることにしたい。
つまり、本書の目的は、ベトナムの一村落を取り上げ、その社会生活を記述し、そこから抽出される社会構造がベトナムの祖先祭祀を如何に規定しているかについて考察することにある。これは、続編として予定している宗教生活における祖先祭祀の考察の基礎をなすものである。本書には、さらにもう1つの目的があり。それは、マルティメディアを使った新しいモノグラフの形態の模索でもある。以下、この2点についてもう少し詳しく述べてみよう。
・これまでの研究
もちろん、これまでにも、村落、宗教を中心にフランス人たちによる詳細な記述にもとづく研究にはデータや分析で貴重な示唆を与えてくれるものも少なくない。しかし、仏領期の調査研究による、キン族や少数民族の風俗習慣についての緻密な記録は貴重であるが、これらは社会の構造的理解には向かわなかった。戦乱期を経て統一解放後も外国人研究者が調査に入ることが出来ず、長期のフィールドワークを前提とする現代人類学が定着する余裕が無かったのである。
一方、ベトナム人による研究をみると、その一連の村落生活に関する概説や研究は、ベトナム人研究者でなくては把握し難い側面を明らかにするという点で、重要であるが、内部からの視点で重要と認識された問題に限られ、また、調査地や期間を明示した詳細な記録の提示に欠けるため、地域差の大きいベトナムでは分析資料としては必ずしも有効でないという難点がある。
筆者の調査も、総合的な観察、記述、分析を十分行い得ているわけではない。村や県など上級の行政幹部が、筆者の調査を「民俗・文化の調査であって、政治・経済の調査ではない」と規定していたのは、より深い意味に取れば、まったく正しい。すなわち、この調査は、現在のベトナムの経済ないし政治状況自体を把握し、何らかの目的に直ちに役に立つことを目的とするものではない。しかし、このことは政治、経済的背景を本書から全く除外することを意味するものではない。ひとびとの生活にとって、政治・経済とその歴史は、民俗・文化と同様に基本的な重要性をもち、かつ民俗・文化とも密接なかかわりを持っているので、それらを捨象した記述、研究は地元の多くの人々にとって無意味であろうし、筆者の関心の外にある。その意味で、調査中も従来の人類学的調査以上に、現在の政治・経済の動きには関心を持っていたし、上記の地元の理解と抵触しない範囲で聞き取りをする事もあった。時には、「おまえの調査には関係の無いことである」と正面から断られたことも何度かあって、十分な資料を得られなかったこともあるが、本調査を、仏領期の綿密な慣習の調査と比べその違いがあるとしたら、当時行われていた伝統的な慣習の詳細な記述、その 淵源を中国の古典にまで遡る学識といった点ではとても及ぶものではないが、調査時点での人々の生活や意識との係わりが何ほどか示されている点にあろう。
日本人の研究をとっても、松本信広(1942)、仁井田(1981)、牧野(1944)、山本(1938、1940、1961)、綾部(1992)、桜井(1987)などの文献研究も、その扱っているテーマに関しては必読のものである。さらに、独立後徐々にではあるが越僑や外国人による現地研究も行われるようになり、その成果もLuong(1992)、Malarney(1994, 1996a, 1996b)など書物の形ですでに発表されている。歴史学の分野でも地方文書が豊富に存在することが確認され、長期の現地滞在と現地語による収集、調査研究をもとにした成果も発表され、また、現地語による1ヶ月あまりの総合調査を毎年繰り返し行っている百穀調査は、現地語による定点調査と言う点で、人類学的調査と重なり合う点も少なくないものである。
こうして、ベトナムの村落に関する情報は、現段階では決して少なくはないのであるが、人類学では必須の基礎的情報に関しては、非常に手薄である。例えば、家族や親族が実際にどのような形態をもち、どのような活動を行い、他の社会組織や文化とどのような関連があり、他社会のそれらと比べてどのような特徴をもっているかといった情報は皆無に等しい。これは、1カ所の長期定点参与観察調査が少なかったせいもある。南部の宗教に関しては、宇野(1978、1980)、森(1975b)の調査にもとづいた論考がある。北部については、1994年頃より、こうした制限の下で、高岡弘幸、岩井(1995)らにより、ハノイからの通いの調査ながら、1カ所の村落を対象とした長期にわたる調査が試みられているが、その成果の全貌は未だ発表されていない。
さらに、最近の人類学にみられる、人類学的調査や記述自体を問題とし、伝統の創造といった現代的現象に関心をよせる一部の傾向は、過去の社会の歴史変化の過程や現在進行中の伝統の変化といった現象の究明に十分応えられない恐れがある。つまり、ひとつの社会を諸要素の関連しあった統合体として見る総合的モノグラフが流行らなくなり、しかも記述そのものへの疑心とその根拠をめぐる議論を行うことが、人類学内部での主要関心となり、肝心の社会文化の観察・記述という作業がなおざりにされかねない傾向が最近続いているためである。しかし、ベトナムの社会についての基礎知識が欠けている状況においては、現に始まりつつある経済成長で大きく変貌する前の現状を把握し記録しておくことは重要であろう。
・技術的進歩による視野の拡大
本論は、ベトナムの社会はどのようなものかを、1つのむらの限られた時間内の調査ではあるが、事例として集め得た資料とそこから筆者が引き出した推論とをなるべく生の形で提示する。これは、従来の活字のみによる出版形式ではとうてい無理であったが、容量の大きな光化学的媒体(CD-ROM)を利用することにより、ビデオ映像記録および生資料であるカードを公開することが、技術的に可能となった。
このような技術的進展のもとに、本書で新しい試みとして意図したのは次の諸点である。
1)映像の提示と民族誌的分析との結合
映像資料が、全体の雰囲気や儀礼の所作についての映像の有用性は自明のことであるが、それをとりまく人々の動きや、観衆の反応、時間経過など文章では表現不可能な面を伝える上でも有効である。また、映像は、多様な情報を含むから、多面的な説明資料として役立つ。
2)基礎資料の公開
とくに、フィールドノートに相当する625枚のカードの提示は、しばしば議論に取り上げられる人類学的調査と論文との乖離、記述に関する恣意性への部分的回答になろう。これらは著者の調査や資料の分析や推論の妥当性を検証するだけではなく、原資料が著者以外にも広く利用可能になるという意味もある。使用言語の問題は残るが、将来、地元への還元の1つとして、現地の人々にとっても利用する可能性を持った記録資料のひとつでもある。もとより、これらの観察は、地元の人々の協力を得てはいるが、基本的には外部の観察者の目を通しての記録という限界をもつものである。しかし、同時に内部の人々の意識しなかった現象を取り上げているという点で、独自の意味を有していることは確かであろう。
さらに、新しいモノグラフの在り方として提起したいのは、従来のプライベートな調査資料を著者が吟味、利用し、その結果だけが読者に提示されるという方式に対し、このような不完全ではあるが基礎資料を公開し、著者はその1つのヴァージョンを提示するが、これがこれらの資料から得られる唯一の決定版ではなく、読者も原資料に立ち戻って検討しさらには、それと異なるヴァージョンを導き出す余地を拡げておく試みである。もちろん、このようなカード形式の資料はそれ自体選び取られ、文字化する段階で加工されているから、読者がフィールドワークの現場に居るような形での資料の共有ではないが、従来のようなモノグラフでしか検証できないやり方に比べれば、その自由度は大きいと思う。この可能性は次のような技術的可能性によってより広い視野を提供することが予想される。
3)マルティメディアとして文化を描く試み
これまでの文化を書くやり方、つまり文章により記述する方式では、デジタルな直線方式で読者はついて行くよりほかなかった。もちろん本という媒体の特色としてランダムアクセスは可能であるが、人類学的モノグラフという提示の仕方は、その豊富な経験にも関わらず、その資料は個人の頭の中とフィールドノートその他の原資料の宝庫のなかに納められ、鍵がかけられ、読者は著者の展開して行く論理にしたがって、読み進みながら、実態を想像してゆくより他なかった。1922年マリノフスキーの提起した社会人類学的な方法は、様々の限界はあるもののそれまでの人類学に比べ資料の精度をあげ、進化論や文化圏といった従来の理論的枠組みを打ち破る画期的なものであったし、現在でもそれを上回るより良い方法は生み出されていない。しかし、価値観や非言語表現といった領域においては、文字による描写で表現できるものには限界があることも事実である。マルティメディア方式を取ることにより、時間的変化や過程を視覚的ないし同時並行的に提示することが可能になる。さらに、これをインターネットで結ぶことにより、リアルタイムでの資料の共有、および書き描く過程の共有の可能性さえ予測させられる。書く領域に留まる限り、どの言語によるかに依存せざるを得ず、優勢言語によるヘゲモニーの制約から免れることが不可能であるが、映像、画像、絵文字、音を媒介としたより広いコミュニケーションを模索することにはそれなりの意味があるのではあるまいか。
・本書の限界
このような狙いを持って着手したが、経験と時間の不足により、マルチメディアとして、本書で実現できたのは、動画を二層の解説文とメモに簡単にリンクさせただけであり、それ以外のことは、時間的制約から断念せざるを得なかった。
このような技術的な問題でなく、より本質的な内容の点で、現地調査期間が延べ1年に満たないことや、その大部分を通訳を介して行なった調査であるという制約をもっており、現在の人類学で民族誌と称しうる水準に達しているかどうかとなると、忸怩たるものがある。より精度の高い著作をめざしたい気持ちも無いわけではないが、これまでのベトナムの人類学的実地調査の空白を取りあえず満たし、漸く盛んになろうとしているベトナムの人類学的研究に裨益することと、筆者のこれまでの他の東アジア地域での調査経験が多少なりとも、将来のベトナムおよび、東アジア研究の捨て石になることを期待して、取りあえず、公刊する次第である。
・調査について
本書は、筆者の1994年から、のべ256日間にわたる潮曲における現地調査と、1992年以来のべ195日の紅河デルタ村落を中心とする概観調査との合計15ヶ月の調査に基づくものである。もっとも、これらの調査は、初期においては英語通訳を介してのものであり、筆者のベトナム語は、現在なお通常の社会人類学的調査の標準からは、ほど遠いものであり、むらの生活を垣間みたにすぎない。しかし、むらの人々やベトナム社会科学院民間文化研究所(VVDG)のスタッフをはじめ通訳・助手の協力を得て、筆者が単独では到達できないようなレベルと範囲の資料を収集することも出来た。もちろん、言葉はほとんど解らなくても、現場に居て会話のやりとりを観察していたことは、質問の方向づけや後の資料の位置づけや分析に役立っていることは言うまでもない。
こうして、拙いものとは言え、ともかく形をなしえたのは、きわめて多くの方々の好意と助力による。潮曲むらを管轄する新潮社幹部、およびむらの方々には温かく迎えていただき、社会科学院には調査許可や入国査証の手続きから、調査地への紹介に至るまでいろいろとお世話になった。
個人的にも、桜井由躬雄教授には、初めてハノイの土を踏んで以来ベトナム研究について、数え切れない助言と教示を得た。飛び入り参加させてもらった百穀調査からも、多くの示唆を得ている。同計画に参加された、ハノイ国家大学のPhan Huy Le教授および Phan Dai Doan教授、大阪大学の桃木至朗教授、慶應義塾大学の嶋尾稔助教授、大阪外国語大学の八尾隆生助教授、千葉敬愛短期大学の高田洋子教授をはじめ当時学生であった多くの方々との会話からベトナムの社会についての様々な見方を教わった。
潮曲の調査に当たっては、ベトナム社会科学院民間文化研究所所長のNgo Duc Thinh教授をはじめ Chu Xuan Giao、Pham Quynh Phuong両研究員のお世話になった。とくに、同所では潮曲と姉妹関係を結び、独自の調査を進めていて、その成果は、すでに草稿(VVHDG n.d.)の形でまとめられており、出版前の草稿を見せていただくことが出来た。このような密接な協力関係は、本書の刊行後も研究上の相互交流という形で発展させて行くことを望む次第である。漢喃研究所のNguyen thi Oanh氏には、旧郷約の訳出など多大なご尽力いただいた。このほか、宮沢千尋、比留間洋一、高谷浩子、川上崇の諸君には通訳・助手・共同調査者として、同行お手伝いいただいた。
したがって、本調査は、一種のチームによる調査としての側面を持っている。全員が、同時に参加して行われる通常のグループ調査とは異なるが、筆者を軸にして適宜お手伝いいただきながら進めた共同調査と見ることもできよう。また、この共同研究の一環として民間文化研究所に世帯票調査を委託したり、1996年9月の2週間比留間君に、1998年1月と2月にそれぞれ2週間川上君に筆者の所用による留守中のフォローをお願いしたこともある。Giao君には主に葬歌や祈誦文などのテープおこしと解説をお願いした。すぐれた人類学的センスをもちベトナム社会の中の観察者の立場から語ってくれた同君の説明は、本書および続編で詳しく扱うベトナムの祖先観についての考察の発端となった部分が少なくない。
郷約については、現地で調査中にNguyen thi Oanh氏に字喃部分を逐条読解していただき、帰国後、そのベトナム語訳をもとに、松尾信之、岡田建志の両氏に加わっていただき、読書会形式でその解釈と漢文部分の訳を検討した。字喃は勿論、ベトナム語、漢文の読解力も怪しい小生が、この郷約資料を手がかりに過去の潮曲のむらの政治、祭祀について、聞き取りだけでは不可能なイメージをまがりなりにも描くことが出来たのは、これら諸氏のお蔭である。このような協力を得て成った本書は、むしろ、これらお手伝いいただいた方々の共同作成物で、筆者はその代表者にすぎないと言えよう。したがって、収集した原資料は、なるべく共有するよう努力したいと思う。調査カードをCD-ROMに入れたのもその一環である。ただし、資料の整理、編集、本文の執筆は、筆者が単独で行ったものであり、本書の誤りは一切筆者の責任であるし、その解釈は筆者個人のもので、将来、他のメンバーにより同一の原資料をもとに書かれるであろう論文が、別の見方をとったり、異なる結論に到達することを制約するものではない。
そして山田由美子、戸谷由加両氏には資料整理に助力いただいた。風響社社主の石井雅氏のお蔭で和文の中に多量のベトナム語表記を混在させ、僅か1年足らずの内にマルティメディア方式のCD-ROMの形でまとめることが可能になった。本書は、このような大勢の方々の好意と協力の賜物である。ここに記して、厚く感謝の意を表したい。
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著者紹介
末成道男(すえなり みちお)
1938年東京都生まれ。1962年東京大学教養学部卒業。1970年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。1971年社会学博士(東京大学)。
東京大学東洋文化研究所教授
主たる著書に、『仲間』(原忠彦・清水昭俊と共著、1979年、弘文堂)、『台湾アミ族の社会組織と変化』(1983年、東京大学出版会)。主たる編書に、『中国文化人類学文献解題』(1995年、東京大学出版会)、『東アジアの現在:人類学的試み』(1997年、風響社)、『東洋文化』78 特集“ベトナムの人類学的研究”(1998年、東京大学東洋文化研究所)。