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モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 4

毒草とされた民族自決の理論

モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 4

ウラーンフー(烏蘭夫、雲澤)の自決と自治の理論を政府と党がどのように問題視し、故意に歪曲したかを物語る資料。

著者 楊 海英
ジャンル 書誌・資料・写真
出版年月日 2012/03/30
ISBN 9784894898844
判型・ページ数 A4・936ページ
定価 本体20,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

     ●第一部 資料解説


序論 中国の民族問題と「毒」

     毒矢/毒草と芳しい花/モンゴル人の毒草/毒草の移植

一 従来に公開されたウラーンフーの著作群

     中国公刊の档案史料は改竄されている/マルクス・レーニン主義と弁証法に基づく改竄

二 民族自決と自治の「毒」を読む………………………………………………

  2.1 自決
  2.2 自治
  2.3 抵抗
  2.4 別版テキストの内容と意義

結論 「毒草」の移植と謎…………………………………………………………

     「毒草」の剪定と「毒」の成分抽出/エートスにも由来する文明間の衝突/暴露された無尽の謎

参考文献
本書所収資料の出典

     ●第二部 「毒草」を構成する資料群

資料一 「毒草」
  1,毒草集,烏蘭夫反革命言論選編,第一集(1945-1954)
   (1967年9月)

  (中略)

  7,反革命修正主義民族分裂主義分子烏蘭夫在教育方面的言論
   (1967年11月)

資料二 「毒草」の移植

  1,把烏蘭夫反毛澤東思想的“黑講話”拿出來示眾
   (1967年6月7日)
  2,烏蘭夫黑話摘錄(烏蘭夫在慶祝二十周年籌委會召開的座談會上的講話的摘錄)
   (印刷年月不祥)

  (中略)

  10,烏蘭夫反動言論匯編
   1967年9月5日)
  11,徹底批判反革命修正主義,民族分離主義分子烏蘭夫的黑“十論”資料專輯
   (1971年8月)

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内容説明

本書は内モンゴル自治区でおこなわれた中国文化大革命に関する第一次資料を解説し、影印。ウラーンフー(烏蘭夫、雲澤)の自決と自治の理論を政府と党がどのように問題視し、故意に歪曲したかを物語る資料。 

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序論より

 

 ……中国共産党が「有毒」だと認定したのはチベット人のパンチェン・ラマの報告書だけではなかった。モンゴル人で、内モンゴル自治区の党と行政、それに軍の最高指導者だったウラーンフー(烏蘭夫)も同じ運命をたどり、彼の著作群も「有毒」と認定された。彼がおこなった一連の演説と論文類は「毒草」だと文化大革命の発動とともに判断されたのである。「毒草」と対照的な存在は「香花」だった。

 もっとも、中国人たちは彼らが理解する共産主義イデオロギーと異なる思想をもつ文芸作品を「毒草」だと決めつけて批判する伝統は古い。社会主義制度に疑問を呈した知識人たちを一掃しようとした毛澤東は1957年1月27日に全国の各省自治区の党書記らに以下のような指示を出している[毛澤東 1999:192-197]。

 

 百花斉放、百家争鳴という方針は正しい。……香りのいい花はつねに毒草との比較のなかで闘争を通して育ったものだ。……どの国家だろうが、観念論(唯心主義)と形而上学は事実上、全部毒草だ。ソ連にはたくさんの毒草があるが、すべて香りのいい花に化けて現れている。ソ連の多くの怪しい議論も唯物主義や社会主義現実主義の帽子をかぶっている。しかし、われわれは唯物主義と観念論、弁証法と現実主義、香りのいい花と毒草との闘争を公式に認めている。……われわれプロレタリアートが独裁する国家において、毒草の繁栄を許してはいけない。党内においても、思想界と文芸界においても、主要な地位を占め、支配するのは香りのいい花でなければならない。毒草、すなわち非マルクス主義的なものや反マルクス主義的なものは、支配される地位にある以外にない。

 

 毛澤東のスピーチは、合計約120万人もの知識人たちを「右派」として粛清する準備が始まった初期における政策である。一カ月後の2月27日になると、毛澤東はさらに『人民内部の矛盾を正しく処理する問題』という論文を公にした。「われわれはあらゆる毒草に反対しなければならない。しかし、どれが本当の毒草で、何が真に香りのいい花なのかを弁別しなければならない。われわれは群衆とともに慎重に香りのいい花と毒草を識別できるよう学ばなければならないし、正しい方法で毒草と闘わなければならない」、と呼びかけている。毛澤東は続ける[毛澤東 1999:233]。

 

 いわゆる香りのいい花と毒草だが、階級や階層によって、また社会集団によって見方もおのずと異なる。では、香りのいい花と毒草を弁別する、広範な人民大衆の観点にもとづいた基準はどうあるべきだろうか。……

 

 毛澤東が示した基準は、全国各民族の人民の団結に有利か否か、社会主義建設にプラスかどうか、共産党の一党独裁に有益か否か、などの六つだった[毛澤東 1999:234]。ソ連を揶揄している点から見ると、すでに始まっていた中ソ対立も中国国内におけるイデオロギーの面での締め付け強化の一因であったと考えられよう。有名な知識人たちはほとんどが台湾に渡り、居残った無名な読書人の存在も許さずに「勝利裏」に終わった「反右派」運動 のあとも、「毒草」除去の勢いは止まらなかった。1962年6月2日に中共中央文化部から出された「目下の文学芸術工作における若干の意見」という通達には、「毛主席が『人民内部の矛盾を正しく処理する問題』という論文のなかで出された六つの基準に合致しない文芸作品と論文はすべて毒草だ」、と決定している [宋永毅 2006]。

 

モンゴル人の毒草

 

 「毒草」とのタイトルがつけられて公開されたウラーンフーの作品群は、少なくとも三冊ある。いずれも1967年秋に「フフホト市革命造反連絡総部」と「ウラーンフー反党集団を批判闘争する連絡センター」が合同で編集し、出版したものである。この二つの団体は内モンゴル自治区革命委員会準備グループ(籌備組)の命令にしたがって形成された政治組織で、中国政府の意向を忠実に行動に移す人々からなっていた。『毒草集―ウラーンフーの反革命言論選』の第一集は彼が1945年から1954年までにおこなった演説29篇、第二集には1955年から1964年までの著作7編、そして第三集には1965年11月から翌1966年2月までの作品12篇がおのおの収められている。合計48篇の作品であるが、ウラーンフーの著作のもっとも原初の姿である点を強調しておきたい。

 ウラーンフーは中国文化大革命が発動される前に事実上すでに失脚させられていた。言い換えれば、モンゴル人のウラーンフーの手中からあらゆる実権を剥奪し、内モンゴル自治区を中国人(漢人)が意のままにコントロールできるようになってから、文化大革命が発動されたのである[楊 2009a:21-24]。三冊の『毒草集』は、死に体と化したウラーンフーにさらに致命的な打撃を加え、モンゴル人の自治区を解体し、民族自決の理論と自治政策を完全に否定するために編まれたものである。本書では、この三冊の『毒草集』を全部収録することにした。……

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編者紹介
楊海英(Yang Haiying)
日本国静岡大学人文学部教授。専攻、文化人類学。
主な著書
『草原と馬とモンゴル人』日本放送出版協会、2001年。
『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』風響社、2004年。
『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』平凡社、2005年。
『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』風響社、2007年。
『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』風響社、2008年。
主な編著書
『《金書》研究への序説』国立民族学博物館、1998年。
Manuscripts from Private Collections in Ordus, Mongolia I, Mongolian Culture Studies I, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2000, Ko¨ln, Germany.
Manuscripts from Private Collections in Ordus,Mongolia II, Mongolian Culture Studies II, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2001, Ko¨ln, Germany.
『オルドス・モンゴル族オーノス氏の写本コレクション』国立民族学博物館、2002年。
『ランタブ―チベット・モンゴル医学古典名著』大学教育出版、2002年。
Subud Erike: A Mongolian Chronicle of 1835. Mongolian Culture Studies VI, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2003, Ko¨ln, Germany.
『内モンゴル自治区フフホト市シレート・ジョー寺の古文書』風響社、2006年。
『蒙古源流―内モンゴル自治区オルドス市档案館所蔵の二種類の写本』風響社、2007年。

 

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