目次
序章
第一節 本書の主旨
第二節 文化人類学における中国研究の諸問題
第三節 調査地と調査の概要
第四節 本書の構成
第1部 国家と村落社会の関係とその変動
第一章 村落社会と宗族の形成
第一節 はじめに
第二節 地域開発のプロセスと宗族
第三節 S村陳氏に見る宗族形成の過程とその背景
第四節 一九世紀の村落社会における宗族の儀礼・階層・規範
第二章 二〇世紀初頭、王朝末期の村落社会
第一節 はじめに
第二節 市場集落としてのS村
第三節 村落社会における神々への祭祀
第四節 年中行事と人生儀礼
第五節 二〇世紀初頭の村落、王朝、文化
第三章 中華民国期における村落社会の構造変動
第一節 はじめに
第二節 民国政府の近代化政策と村落社会
第三節 不穏化する周辺社会と村の対応
第四節 ゆらぐ宗族の規範体系
第五節 村の支配をめぐる争いと村落の秩序の瓦解
第六節 民国期の国家と村落社会
第四章 共産党政権下における村落の社会構造
第一節 はじめに
第二節 人民公社期の村落社会
第三節 一九八〇年代以降の村落社会──「改革開放」路線と人民公社の解体
第2部 「伝統文化」の変容と持続
第五章 死をめぐる儀礼──葬送儀礼と祖先祭祀
第一節 はじめに
第二節 葬送儀礼の変容と持続
第三節 祖先祭祀
第四節 死をめぐる儀礼の現状と共産党の政策
第六章 神祇祭祀──年中行事と廟での儀礼
第一節 はじめに
第二節 廟の再建と儀礼の再開
第三節 盂蘭節に見る神・鬼・祖先の現在
第四節 龍舟競渡
第五節 現代中国における年中行事と廟での儀礼
第七章 宗族の再構築
第一節 はじめに
第二節 S村陳氏の事例
第三節 D村陳氏の事例
第四節 宗族の再構築における系譜・歴史・文化
終章
第一節 文化をめぐる国家と村落社会の動態
第二節 伝統文化をめぐるポリティクス
第三節 国家と村落社会にとっての文化
あとがき
引用文献
索引
内容説明
「伝統」を知識と行為の体系とすれば、国家は「正統な知識」を村落に展開し、村落はそれを「忠実に実践」することで、存立を明示してきた。本書は、歴史と現在におけるこれら双方向の力学を動態的に分析し、中国社会の「伝統」の意味に迫る。
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まえがき
中国、特に東南地域の村落を歩いていると、人々の住居よりは目立って大きく、古めかしい造りの建物に出くわすだろう。それは一族の祖先を祀った祠堂であり、観音や関羽や天后など様々な神を祀った廟である。場合によっては、その中に大勢の人々が集まって、祖先祭祀を行っていたり、神々に儀礼を捧げたりしているかもしれない。
これらの地域で人々が祠堂や廟を建て、祭祀や儀礼を行うようになったのは、主に一六、一七世紀からである。中国は今なお広い国であるが、当時であればなおさら、東南部の村から皇帝が住む北京や文化の中心地であった江南までは遠く離れていた。しかしながら、村の祠堂や廟、あるいはそこでなされる祭祀や儀礼は、王朝および儒者官僚たちと密接な関係にあった。人々が祀る祖先や神々、それに儀礼の手順は、もとは民間に自生したものであっても、一定程度の広がりを見せると、王朝がそれをすくい上げて整序し、儒者官僚や地方エリートによるスーパーバイズのもとに、正統なものとして人々のあいだに行き渡ったからである。祭祀や儀礼を正しく行うことは、自らの出自と身分の正統性を明示することであり、王朝の支配を受け入れることであった。翻って王朝にとってそれは、自らの権威が地方末端にまで敷衍され、かつそれが再生産され、そして決して盤石ではなかった統治体制が補完されることを意味していた。中国人であるということは儀礼を正しく行うことであり[ワトソン 一九九四a]、中国を中国たらしめていたのは、文字に加えて、こうしたいわば文化の力によるところが大であった。
二〇世紀に入って王朝が倒されてからも、この祭祀・儀礼は中央政府にとって重要な政策的案件であり続けた。近代化を急ぐ民国政府は既存の文化からの脱却を目指したし、一九四九年に中華人民共和国を建国した共産党は社会主義体制の確立を試みるなかで、より峻厳にそれらを「封建迷信」として排撃した。その結果、祠堂や廟の多くは破壊され、祭祀・儀礼は断絶を余儀なくされた。
この状況は一九七〇年代の末から再び大きな転換を迎える。共産主義の実現を事実上棚上げにして経済発展を軸とした近代化を新たな国是とするに至った共産党政府は、そのために有益だと判断したものであれば、一貫して否定してきた祭祀や儀礼であっても、公認あるいは黙認するようになった。それを受けて人々は、祠堂や廟を再建し、祭祀や儀礼を再開しはじめた。しかし一方で党政府は、経済発展と近代化、ひいては現行の統治体制にネガティブに作用しうると見なしたものについては、引き続き、いや、それまで以上に強い強制力をもって統制あるいは排除を試みている。目下、共産党政府の正統性は豊かで強い国づくりにかかっているから、ひろく文化についての政策はみなそのために立案され、祭祀・儀礼が動員あるいは毀棄されるというわけである。
こうして見ると、一六・一七世紀の明末清初から今日に至るまで、祠堂や廟、およびそこで行われる祭祀・儀礼は、中央の統治者と村落に生きる人々とのインタラクションの所産であったことが分かる。中央からは遠く離れた村でなされる、一見ささいな儀礼にも、国家の政策と人々の思惑が投影されており、そこには「伝統のポリティクス」が立ち現れていた/いるのである。
本書は、広東省珠江デルタの村落をフィールドに、死者儀礼、神祇祭祀、宗族組織に着目して、この伝統のポリティクスについての文化人類学的研究を試みたものである。珠江デルタが位置する中国東南部は、かつて本土が研究者たちに門戸を閉ざしていた時代に、香港と台湾をいわばその代替地とした研究の蓄積がなされてきた地域である。「東南中国」という本書のタイトルには、まだ見ぬ中国大陸を憧憬しながら良質な研究を積み重ねてきた先達の研究者たちの意志と功績を継承しつつ、経済面だけでなく人類学にも(完全にというわけにはいかないが)「開放」された現代中国においてそれらを応用・発展させるという意図が込められている。
同時に本書は地域研究の枠にとどまるのではなく、伝統・文化を介した国家と末端社会の人々との関係を主題としているという点で、人類学全般への貢献も意図している。さらには東洋史や現代中国研究など他のディシプリンとの間で生産的な議論が喚起できればよいとも考えている。
日中両国の関係をめぐる声は喧しいけれども、あるいはだからからこそ、人々の日常に寄り添うという人類学的ないとなみが今ほど求められている時代もまたないのではと思うのである。
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著者紹介
川口幸大(かわぐち ゆきひろ)
1975年、大阪府生まれ。
東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
現在、東北大学大学院文学研究科准教授。
共編著に『現代中国の宗教―信仰と社会をめぐる民族誌』(昭和堂、2012年)、『中国における社会主義的近代化―宗教・消費・エスニシティ』(勉誠出版、2010年)、論文に“Traditional Funerary Rites Facing Urban Explosion in Guangzhou.” (Natacha Aveline-Dubach (ed.), Invisible Population: The Place of the Dead in East Asian Megacities, Lexington Books、2012年)など。