生き残れ! 日本の職人文化
日本の鍛冶屋をフィールドワーク
いつの間にか姿を消してしまう業種・業態は多い。その理由は何か。生き残っている店のフィールドワークから現代社会を見る。
著者 | 齋藤 貴之 著 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | 京都文教大学 文化人類学ブックレット |
出版年月日 | 2013/03/30 |
ISBN | 9784894897694 |
判型・ページ数 | A5・50ページ |
定価 | 本体600円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
1 旅の始まり
2 鍛冶屋とは
3 なぜ鍛冶屋なのか
4 秋田の鍛冶屋との出会い
Ⅱ 現在の鍛冶屋
Ⅲ なぜ多くの鍛冶屋が姿を消したのか
1 鍛冶屋の利用者に生じた変化
2 鍛冶屋に生じた変化
Ⅳ 今後の鍛冶屋
1 現在も順調に営業を続ける鍛冶屋とその特徴
2 鍛冶屋が今後も生き残っていくために必要なこと
Ⅴ おわりに
参考文献
本書をもっと理解するために
巻末資料
内容説明
いつの間にか姿を消してしまう業種・業態は多い。その理由は何か。生き残っている店のフィールドワークから現代社会を見る。歩きながら考え、発見する、フィールドワークの面白さ。
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……かつて鍛冶屋は、ひとつの地域に一軒、あるいはひとつの集落に一軒というほど数多く存在した。農具や山林道具、漁具、工具類などの仕事の道具から、包丁などの家庭の道具に至るまでさまざまな鉄製品を製作・修理し、人びとの暮らしに深い関わりを持つ身近な存在であった。民俗学者の朝岡の言葉を借りるならば、「ほんの少し以前まで、あちらこちらの小さな町の通りに面して、あるいは村の集落の中に紛れて、場合によってはちょっとした漁港のはずれに、煙出しの煙突を突き出した、煤けた佇まいの鍛冶屋を見掛けることができた」、そんな状況であった。
ところが今はどうであろう。「今でも鍛冶屋というものは存在するのか」という声が聞かれるほど、遠い存在になってしまった。トラクターの導入などによる農業の機械化、さらには、輸入材の隆盛にともなう国内林業の衰退やチェーンソーの導入などによる林業の機械化により、鉄製の農具や山林用具はその活躍の場を失った。そして、安くて便利な大量生産による工業製品の普及、ステンレス製のサビない刃物の登場などが、人びとの暮らしの中からも鍛冶屋製品の存在価値を奪いつつある。このままでは、鍛冶屋の姿が完全に失われてしまう日も近いかもしれない。いや、私がいくら調査したとしても、もうすでに数多くの鍛冶屋が姿を消してしまっていて、大きく変化してしまった鍛冶屋どころか、一軒の鍛冶屋を探し出すことさえできないかもしれない。
こうした状況の中でも営業を続けている鍛冶屋がいるならば、それはどんな姿で営業を続けているのだろうか。どんな変化が生じているのだろうか。なぜこれほどまでに数を減らしてしまったのだろうか。そして、今後どのように生き残っていくのだろうか。これらの疑問の答えを見つけるために、わずかな希望を胸にして、鍛冶屋を訪ね歩く私の旅は始まった。……
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齋藤貴之(さいとう たかゆき)
1978年生まれ。京都文教大学人間学部文化人類学科教務補佐。北海道大学大学院文学研究科専門研究員。
著作に「野鍛冶の生存戦略―秋田県における現在の野鍛冶の生存に向けた対応」『文化人類学』70巻1号(2005)など。