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〈新〉古代カンボジア史研究

〈新〉古代カンボジア史研究

碑刻史料の重層的な分析から、往時の社会史を掘り起こし、アンコール王朝史、東南アジア史に新たな視座を提示。旧著の全面改訂新版。

著者 石澤 良昭
ジャンル 歴史・考古・言語
出版年月日 2013/09/20
ISBN 9784894891708
判型・ページ数 A5・768ページ
定価 本体15,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに─アンコール・ワット研究を通じて「人間」を考える

第一部 古代カンボジア史研究の枠組み

第一章 カンボジア史を通観する─古代から現代まで
 一 帰郷を急ぐ農民たち─カンボジア一九八〇年の出来事
 二 カンボジア史の理解を深める時代区分、そして自然環境と建国説話から
 三 文化改造力を発揮する前アンコール時代(紀元前後〜八〇〇年前後まで)
 四 繁栄のアンコール時代(八〇二~一四三一年まで)
 五 艱難辛苦のポスト・アンコール時代(一四三一頃〜一八六三年まで)
 六 放置されたフランス植民地時代(一八六三〜一九五三年まで)
 七 民族国家建設時代(一九五三〜一九九三年まで)─社会諸矛盾噴出と国際政治に振り廻された
 八 民族再結集と団結─アセアン共生の時代(一九九三年〜現在まで)
 九 カンボジアと日本の交流から

第二章 碑刻史料にもとづくアンコール王朝史考察
 一 アンコール遺跡群の再発見物語
 二 碑文解読から王の在位年代が分かる
 三 古代カンボジア史再構築作業をめぐって─研究史を振り返る
 四 碑文には何が書いてあるか─試訳二例から
 五 カンボジア碑文は雄弁に物語る─碑文の再評価を掲げて

第二部 前アンコール時代─扶南とクメール真臘をめぐって

第三章 前アンコール時代を発掘する─問題点の整理から
 一 前アンコール史の発掘と碑文の再評価から
 二 クメール真臘の勃興を踏まえて碑刻文史料を再考する

第四章 前アンコール史の展開
 一 「扶南」とはどんな国だったか─史料の再精査から
 二 クメール「真臘」の成立・発展・分裂─健在な地方の政治勢力
 三 二大地方政治勢力─シャムブプラ(Śambhupura)とアニンディタプラ(Aninditapura)

第五章 前アンコール時代はどんな社会か──碑文から読み解く
 一 王の支配下にある「郡」と「村」と「神の区域」
 二 社会における「聖」と「俗」の動態
 三 寺院への寄進財貨の所有形態(共有と専有)をめぐって

第六章 冠称者たちが活躍する前アンコール社会
 一 碑文に登場する人たちはどんな活動をしていたか
 二 一般の村人と寺院のクニュム(kñum=奴隷的身分の寺院内労役者)

第三部 アンコール時代の政治と文化

第七章 歴史空白とジャヤヴァルマン二世問題
 一 アンコール王朝では実力で王位を獲得する
 二 アンコール地方には聖山・聖河・聖都があった
 三 後世の碑文に描かれた「ジャヤヴァルマン二世」の実像とは
 四 ジャヤヴァルマン二世の統治年代問題の再考
 五 ジャヤヴァルマン二世(八〇二~八三四年)の各地掃討の足跡をたどる
 六 ジャヤヴァルマン二世の祭儀の背景
 七 ジャヤヴァルマン二世の婚姻関係─活動的な王の事績を検証
 八 五后妃の王子が王位継承権を目指して争う
 九 三世王の後継者にインドラヴァルマン王を考えていた
 十 結論として─歴史の空白を埋める碑文考察作業から

第八章 アンコール時代の宗教と政治
 一 デーヴァラージャ信仰と世襲祭儀家系─新政治勢力と新宗教権威者
 二 クーデタ(王位簒奪)に際して世襲祭儀家系はどちらの王に加担したか
 三 新王家の登場と祭儀宗務家系の役割をめぐって─新王朝と祭儀宗務家系の共助共演関係

第九章 アンコール時代の社会正義
 一 アンコール王朝の繁栄を支えた行政組織・税金・軍隊・給与保有地・盛り土された道路網
 二 王権と王位継承
 三 アンコール時代の罪と罰─法廷と訴訟問題
 四 碑文史料に見えた刑罰体系

第十章 廃仏毀釈事件をめぐる一三世紀のアンコール王朝
 一 政争の影を映す二七四体と六体の廃仏検証から
 二 建寺疲労説とバイヨン寺院の改修工事
 三 交易ネットワークを通じてインド人王師と中国人周達観の来訪
 四 八世王はアンコール都城の再生改修工事を実施していた
 五 アンコール王朝末期の「歴史の書き換え」作業がはじまる

第十一章 アンコール王朝と同時代の東南アジア多文明世界
 一 東南アジアにおける「アンコール王朝( 九世紀~一五世紀)」の位置づけ
 二 インド─東南アジア─中国をつなぐ複数の交易・物流ルート─利潤の高い産物を求めて
 三 東南アジア中世時代における地域個性や固有の文化とは
 四 アンコールの王たちは現人神か、救世主か?
 五 人間を問う大伽藍アンコール・ワットの浮彫り

あとがき──新『古代カンボジア史研究』の刊行に際して

付篇

事項索引・人名索引・王名索引・碑文番号索引・
写真・図表一覧
英文レジュメ・クメール語レジュメ
『隋書』真臘伝の史料批判試論
カンボジア関係年表
カンボジア王統の系譜
大型バライ(人工貯水池)リスト
参考文献案内
地図

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内容説明

カンボジア史・アンコール王朝史に画期をもたらした名著の増補新版。刊行後30年の研究成果を新たに盛り込み、内容を一新。碑刻史料の重層的な分析から、往時の社会史を掘り起こし、多くの仮説を解明。アンコール王朝史、東南アジア史に新たな視座。

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あとがき──新『古代カンボジア史研究』の刊行に際して

 

 

 ……混乱の沈静化から二〇年、前著刊行から三〇年の歳月が過ぎ、カンボジア研究は、今日曲りなりにも関係資・史料や隣接諸科学の情報量が増え、私自身も碑文の読み込みと解読に習熟し、かつての碑文の解釈にも一面的な判断も見つかり、誤訳も判明した。また、漢文史料との比較研究に多くの新史料が見つかり、一層の史料批判が必要であることがわかった。

 ……前著が長い間絶版のままとなっており、これまでに知友やアンコール遺跡に興味と関心をお寄せいただいたみなさんから入手したいとの希望が寄せられ、またコピー版が出回っているので、本書の刊行を決意した次第でもある。

 本書は、今日までの新しい研究成果を盛り込み、それに新しい碑文解釈と、同時にたくさんの判明した新しい史実を書き加えた書き下ろしの新稿である。

 新版の刊行動機は、第一に碑刻文研究に立脚した新しいアンコール王朝史を世に問うことにある。碑文原本をそのまま引用し、出来る限り顔の見える歴史像の構築に努めた。さらに、アンコール王朝とその遺跡群に関する歴史考古学、建築学、保存科学、水利学、地形学、地質学など隣接諸科学の成果から得られた新知見や見解を取り込み、価値づけを行ない、学術的に補強させていただいた。

 第二の動機は、アンコール・ワット建立の謎に迫ろうというものである。約一二〇〇個の碑文中に記載されている「寄進目録」に併記されている宗教・社会・経済等の用語(aṃnoy=寄進、puṇya=功徳、āśrama=寺院、baray=貯水池、thnal=盛土土手道、spean=石橋、rddeḥ=牛車、rājakārya=王の奉仕税、arogayaśāla=施療院、ālaya=灯明の家 等)を抽出し、これらの碑文の文脈を深読みし、「寄進不動産目録」から当時の自然環境と農業を復元し、「寄進動産目録」からは寺院を取り巻く古生活環境を再考察した。こうした作業から、①「富貴真臘」は国際都城アンコール王朝の繁栄を伝えており、②遠隔地寺院への仏像寄進とその盛土土手道(thnal)の検分に加え、③アンコール・ワット建立の社会的・経済的背景を説明できる、といった点を仮説として提示している。

 第三の動機として、若いカンボジア人研究者にぜひカンボジアの歴史研究を世界史の文脈の中に位置づけていただきたいという願いを込めている。私はアンコール王朝史研究に加えて、カンボジア現代史の変転を約五〇年にわたり歴史の証人として立会い、自分のことに引き寄せて関わってきた。特に一九七〇年からは、国際政治力学に翻弄される小国カンボジアを助勢する勝手応援団を自任して、カンボジアの和平に向けて雑誌・新聞紙上等において論陣を張ってきた。そして一九九一年には、和平後の国づくりに役立つ「カンボジア人材養成プロジェクト」を立ち上げ、その一環として上智大学において、大学院地域研究専攻に若手カンボジア人研究者を迎え入れ、二〇〇九年までに修士一一名、博士六名に学位を授与してきた。彼らは祖国カンボジアへ戻り、一九九三年からはじまった国造りの貴重な人材としてプノンペン大学副学長、博物館館長、アンコール遺跡現場の保存修復官などに就任し、陣頭指揮を行っている(カンボジア人若手研究者の学位論文の一覧は第一部第二章の「註」に掲載)。

 加えて、前著に提示した時代区分も修正したいと思っている。これまでジャヤヴァルマン二世とジャヤヴァルマン三世を前アンコール時代末期の過渡期に位置づけ、混沌とした時代と評価してきた。両王には数個の碑文しかなく、どうみても仮説に仮説を加えなければ成立しなかったのである。歴史の混沌という認識は変わらないものの、碑文の再解読と再解釈から、二世王の並外れた行動力や宗教儀礼、新組織の設置、行政的手腕などが再評価でき、前アンコール時代と異なる歴史展開として、両王をアンコール時代の初期に位置づけ、再出発させたいのである。

 だからといって両王についての疑問点や史的位置づけについての問題が解消されたわけではなく、問題点を残しながらの再評価でもある。その理由は、アンコール時代に向けての胎動と時代精神らしき息吹が、後世の碑文の中に言及されているからに他ならない。これも国内外の専門研究者の批判と指摘を賜わりたい。

 アンコール研究ではどうしても越えられない壁がある。それは当時のカンボジア人たちが何を考え、寺院(遺跡)にどんな願いをかけ、祈り、そして去っていったか、その切なる気持ちは何であったのか、である。再筆すれば、私は、時空を越えて今も分からないままタイム・トンネルの入口に立っている。かつてカンボジア人はカンボジアの大地に生まれ、太陽と風と熱気の中で輪廻転生観を育み、それにもとづく平和な日常生活を営んでいたのであった。その当時の黙して語らない社会通念を発掘し、歴史を綴る作業に取りかかっている。私は、往時の人々と同様に、牛車や徒歩で盛土土手道を歩いてみた。これまで見落とされてきた石橋付近の村落跡や礎石を探し、村人から口承伝承を聴く作業も併せて実施してきた。これらをさらに継続していくことが今後の活動である。

 以上のように、本書では、少しでも歴史の実像に近づけるよう、あらゆる関係史料や隣接諸科学の成果を渉猟し、駆使して立論しようと努めてきた。もしできれば本書に盛り込まれた成果を通じ、古代・中世カンボジア史の研究者や関係者に一つの研究材料を供し、いろいろな角度からご意見をいただきたいと願っている。アンコール王朝史研究はもともと史料そのものが少なく、かつて綱渡り的に仮説を組み立て、蓋然性からの判断を指摘したことがあり、今もなくはない。本書が、研究発展の一助となれば、まさる幸せはない。……

 

著者による本書の要点


 これまでアンコール・ワットの建立は多くの「謎」を含み、揣摩憶測が言及されてきました。本書はそうした「謎」を、王朝の歴史展開の史実にそって時系列的に一つずつ解き明かし、その裏付けとなる証拠を当時の石面に刻まれた碑刻文考察から導き出し、新史実を明らかにしました。加えて当時の政治・経済・社会・宗教等についての仮説を組み立て、これまで採りあげられてこなかった碑文情報を深く読み込み、他の碑文とも比較検討しながら、新史実を立論してまいりました。

 「アンコール学」なるものは、1860年にアンリ・ムオの遺跡の再発見によってその幕が開き、約150年間にわたり、フランス、日本をはじめ世界の多くの研究者たちが取組んで参りました。私もアンコール・ワットと出会って約50年の歳月が流れました。

 本書の立論の流れを摘記いたしたく存じます。本書において新しく立論し、提起した新史実および仮説をまとめると以下の通りでございます。

 第1に「碑刻文解読の方法論」を新しく提起いたしました。特に碑文中に言及された当時の村人の日常生活とその副業的活動を採りあげました。当時の信仰を可視化する祭儀は、村人に来世を考えさせ、さらに功徳(puṇya)を深化させることになりました(はじめに、第二章五、あとがき)。

 第2に史実考察として、「オケオ発掘」の結果より当時の東西交易を評価しながら、自給自足的な農業立国を碑文から明確にしました。中国史料を駆使して扶南と真臘の攻防を精査しましたが、逆に中国史料の誤記や年代などの不整合をいくつも指摘いたしました(第三章と第四章)。

 第3に「神の区域(寺院=Āśrama)」の設定、その寄進家産の所有形態(専有または共有)を検分し、私有権が確立していることを確認いたしました。寄進に関与した人たちは当時どんな社会階層であったかを、碑文の冠称タイトルから検分し、「社会的地位に敏感な人たち」が競って寄進奉仕活動を推進していた史実を明らかにしました。こうした視座は斯学において初めての試みです(第五章と第六章)。

 第4に偉君「ジャヤヴァルマン二世」(以下二世王)問題を採りあげ、地方討伐の足跡を地図に落とし込み、「王の婚姻関係」から人質となった后妃たちは、自分の王子を次代の王位に就かせるべく、静かな骨肉の争いがあった史実を浮彫りにいたしました(第七章)。

 第5に神なる王の「デーヴァラージャ」信仰は、二世王登位前にすでに地方デーヴァラージャが存在しており、二世王はこれを真似て国家扱いに昇格させ、王権の永続を願って祭儀職にシヴァカイヴァールヤ一族を指名しました。ところが928年のクーデターに際して地方へ分家した一族が返り咲き、新しく任命されました。その後、11世紀前半のスーリヤヴァルマン一世は、この一族の祭儀職を解任しました。一族の長サーダシヴァは次の王に直訴し、その核心に迫る経緯が碑文(K.235)に残されています。その直訴文を史料批判し、いつの世もある政治世界の権謀術数を碑文考察により明らかにしました。家系図を裏付けとした新しい史実の指摘です(第八章一と二)。

 第6に王の登位に際しては、実務高官の差配があった史実をあぶり出しました。新王ジャヤヴァルマン六世の強行登位(1080年)に際して王師ディヴァーカラバンディタが差配していました。この王師は以後五代の王に対して事前選考を主導し、「キング・メイカー」役を務めました。

 第7に、官僚組織は確認できませんでしたが、「高位実務者集団」が行政・税務・軍隊・総務的業務、法秩序の諸職に就き、国内の平和と安全の確保に尽力し、物流と交易のネットワークを動かしていました。寺院は免税権がありました。社会の安全と正義のため裁判と法廷が機能していた史実を、碑文を駆使して実証しました。世界に先駆けて古代カンボジアの法体系の全容を明らかにいたしました(第九章)。

 第8にアンコール王朝の栄華が残る13世紀後半に「盛土土手道の歴史街道(王道=thnal)」を通じて、ベンガル湾方面からインド人王師が、南シナ海方面から周達観が来訪し、前者は廃仏毀釈事件を誘導し、後者は『真臘風土記』を著わしました。280体の廃仏発掘の結果から、これまでのフランス人研究者の建寺疲労説を覆し、周達観の記録からジャヤヴァルマン八世がアンコール都城を改修増築した史実を指摘しました(第十章)。

 第9にまとめとしまして、東南アジアのほかの地域と比較しながら「物流と交易のネットワーク」(牛車キャラバン・rddeḥ)およびグロリエの水利都市論を再筆しながら、アンコール・ワット建立に奉仕した村人たちの功徳の行動集積が建立工事を遂行するエネルギーの源となり、碑文に書かずにおれない「寄進者の深い信仰の気持ち」となったことを明らかにしました。アンコール・ワットというのは功徳とは何か問いかける大伽藍でもあることを確認いたしました(第十一章)。

 碑文に刻まれた寄進動産・不動産は、高位実務者や村の有力者が生涯をかけて自ら貯めた財貨であり、それを功徳のために「寄進(=aṃnoy)」していたと考えてみると、この功徳の心にはアンコール王朝時代の最も高い社会的価値が含まれております。

 そして、このような篤信行動とその実践は、いつの時代にも感動と共感を呼び起こし、常に「人間とは何か」を、問うてきたのであります。アンコール・ワットの歴史に多くの人が共感を覚えるのは、例えば屹立する65メートルほどの五基の大尖塔、天空へ延びる大階段、神の世界を描く大回廊、大壁面浮彫りの女神たち、どれもが功徳のあとの来世を具体的に描いるように、寺院全体に功徳の心が塗り込まれているからではないでしょうか。

 

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著者紹介
石澤良昭(いしざわ よしあき)
1937年生まれ。1961年上智大学外国語学部卒業。専門は東南アジア史、特にカンボジア碑刻文によるアンコール王朝史研究。文学博士(中央大学)。鹿児島大学教授等を経て、1982年から上智大学教授、2005年第13代上智大学長(~2011)。
*現在は上智大学教授(特別招聘教授)、上智学院学術顧問、上智大学アジア人材養成研究センター所長、上智大学アンコール遺跡国際調査団団長、文化遺産国際協力コンソーシアム会長。
*1980年内戦中のカンボジアに入り、「S.O.S.アンコール遺跡」を全世界へ訴え、1991年から「カンボジア人による、カンボジア人のための、カンボジア文化遺産の保存・修復」を掲げ、現地に研究・教育拠点「アジア人材養成研究センター」を開設、バンテアイ・クデイ遺跡において、2001年と2010年に280体の仏像を発掘。2007年には発掘仏像を公開する「シハヌーク・イオン博物館」をイオン(株)の援助により現地に建設。上智大学大学院における遺跡研究の学位取得者17名(博士6名、修士11名)におよぶ。
*受賞歴は、2003年10月 国際交流基金賞受賞(独立行政法人国際交流基金)、2007年11月 カンボジア王国シハモニ国王からサハメトリ章親授、2012年11月 日本国政府から瑞宝重光章受章。
*主な著書は、『アンコール・王たちの物語』(NHK出版、2005)、『東南アジア多文明世界の発見』(講談社、2009)、『Challenging the Mystery of the Angkor Empire』(SUP上智大学出版、2012)など多数。

 

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