目次
はじめに
一 従来の研究と報告
1.1トゥメン将軍の開拓
1.2被害者陳情書にもとづく研究
1.3タラ副参謀長の回想
1.4趙金宝の記録
1.5孔飛伝の内容と意義
二 中国政府公文書が伝える大量虐殺の推進方法
三 被害者と加害者側の記録
3.1致死者の登録
3.2「間違って傷つけた者」のリスト
3.3加害者の档案
3.4 包風の档案
3.5宋宝林の档案
3.6加害者薄志明の档案
3.7加害者鄥桂英の档案
おわりに
参考文献
本書所収資料の出典
あとがき
第二部 ジェノサイドの被害実態を伝える資料群
資料一 中国政府公文書が伝える大量虐殺の推進方法
1.中共中央关于处理内蒙问题的决定,呼和浩特市大中专院校红卫兵革命造反司令部翻印(1967年4月15日)
2.内蒙自治区和和浩特市各群众组织和人民解放军当地驻军的指战员同志们
(1967年4月17日)
……(中略)……
12.中央首长二月四日接见滕海清同志时的指示,绝密
(1969年2月8日)
13.反革命叛国集团“新内人党”部分罪证,内蒙古自治区革命委员会,中国人民解放军内蒙古军区
(1969年3月31日)
資料二 被害者側と加害者側の記録
一 落实政策材料,挖内人党致死同志登记册,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗(1978年12月5日)
二 落实政策材料,被误伤病故人员登记册,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗
(1979年4月17日)
三 落实政策资料,刘世峰,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗
(1985年9月25日)
四 落实政策资料,鲍风,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗
(1985年9月25日)
五 落实政策资料,宋宝林,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗
(1985年9月27日)
六 薄志明的资料
七 落实政策资料,邬桂英,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗
(1985年9月25日)
八 落实政策材料,后勤机关师以上干部座谈会记录,中共内蒙古军区委员会记律检查委员会卷宗
(1985年10月7日)
九 文化大革命中各种冤假错案情况统计表,呼伦贝尔盟
(1980年12月)
内容説明
本書は内モンゴル自治区でおこなわれた中国文化大革命に関する第一次資料を解説し、影印。内モンゴル自治区の西部、首府フフホト市に置かれている内モンゴル軍区での被害の実態を現地からの公的資料に依拠して報告したもの。
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おわりに より
内モンゴル自治区でいったい、どれくらいのモンゴル人たちが虐殺されたのであろうか。この真相は未だにベールに包まれたままである。中国政府が公開している数字は完全に信用できないのは自明のことである。私は「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料」シリーズを今日まで6冊公開し、被害者報告も本書を含めて2冊だした。「被害者報告書(1)」は内モンゴル自治区西部トゥメト旗の事例であるのに対し、本書の主人公たちは、どちらかというと、東部出身者が多い。中国政府と中国人たちは西部のモンゴル人幹部たちを「根本から赤い延安派」と称賛し、東部のエリートたちを「日本刀をぶら下げ、日の丸を担いでいた奴ら」と蔑称してきた。どちらも、モンゴル人の主体性を否定し、矮小化しようとした呼称である。私は、2冊の被害者報告書を上梓することにより、東西どちらも中国政府と中国人の屠刀の下に犠牲になったモンゴル人たちの声を集めたかったのである。
……(中略)……
限定的な「名誉回復」作業時において、中国政府もそれなりに統計を取ったはずである。本書所収の「資料二の九・機密・文化大革命中における各種冤罪事件の情況統計表」のような資料は各盟や市ごとに集計されていた可能性がある。ただ、中国政府はこのような資料を公開していないので、研究者も上で示したような算定方法を取らざるを得ないのである。今後は類似の資料が発掘され、公開されることを期待したい。
文化大革命は戦時ではない。中国政府はその後文化大革命を「内乱」と表現するようになったが、それでも平時であり、政治運動であることに変わりはない。平時において、これだけのモンゴル人が大量虐殺された事実を国際社会は重く受けとめるべきであろう。モンゴル人たちも、このジェノサイドを単なる過去の惨事として流すのではなく、未解決の人権問題として国際社会に訴えつづけるべきである。この未解決の人権問題が、今日におけるモンゴル人の地位低下と殖民地的な状況 をもたらしているのである。南モンゴルのモンゴル人だけでなく、モンゴル国のモンゴル人、ブリヤートやカルムイクとも関係がある。というのも、大勢のモンゴル人たちは「モンゴル人民共和国のスパイ」や「大モンゴル帝国の再興を企図した」などの罪で惨殺されたからである。民族全体に降りかかった災難を民族全体で考え、対処しなければならないのである。
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編者紹介
楊海英(Yang Haiying)
日本国静岡大学人文学部教授。専攻、文化人類学。
主な著書
『草原と馬とモンゴル人』日本放送出版協会、2001年。
『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』風響社、2004年。
『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』平凡社、2005年。
『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』風響社、2007年。
『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』風響社、2008年。
主な編著書
『《金書》研究への序説』国立民族学博物館、1998年。
Manuscripts from Private Collections in Ordus, Mongolia I, Mongolian Culture Studies I, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2000, Ko¨ln, Germany.
Manuscripts from Private Collections in Ordus,Mongolia II, Mongolian Culture Studies II, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2001, Ko¨ln, Germany.
『オルドス・モンゴル族オーノス氏の写本コレクション』国立民族学博物館、2002年。
『ランタブ―チベット・モンゴル医学古典名著』大学教育出版、2002年。
Subud Erike: A Mongolian Chronicle of 1835. Mongolian Culture Studies VI, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2003, Ko¨ln, Germany.
『内モンゴル自治区フフホト市シレート・ジョー寺の古文書』風響社、2006年。
『蒙古源流―内モンゴル自治区オルドス市档案館所蔵の二種類の写本』風響社、2007年。