目次
序章 問いの射程
第一節 本書の目的
第二節 開発と仏教が交差するところ
第三節 「開発僧」をめぐって
第四節 本書の視点
第五節 調査の概要
第六節 本書の構成
第一章 開発に巻き込まれる仏教
第一節 国家の開発政策と仏教
第二節 政府とサンガの協力関係
第三節 オルタナティブ開発と「開発僧」言説
第二章 地域コミュニティのなかの寺院と僧侶
第一節 村の概況
第二節 寺院の歴史的経緯
第三節 寺院の居住者たち
第四節 寺院を支える仕組み
第五節 僧侶と在家者との関係性
第三章 地域コミュニティにおける僧侶の「開発」
第一節 僧侶のライフヒストリー
第二節 師弟関係をとおした「開発」思想と実践の継承
第三節 サンガを介した国家開発の受容
第四節 居住の問題
第五節 高齢者の問題
第六節 エイズの問題
第四章 変貌する地域コミュニティと僧侶の「開発」
第一節 地域コミュニティをめぐる政策の変化
第二節 地域レベルでの新しい医療保健・福祉システムづくり
第三節 国際NGOの介入と「開発」のグローバル化
第四節 僧侶を取り巻く社会空間の拡大
第五章 経験を共有する僧侶コミュニティ
第一節 新しい僧侶グループの誕生
第二節 グループの参加者たち
第三節 グループの目的、組織および活動内容
第四節 経験の共有にもとづく共同性
終章 「開発」を生きる仏教僧
第一節 カリスマ性の追求とアイデンティティの構築
第二節 今後の課題
あとがき
参考文献
内容説明
「開発僧」の概念から離れ、多様な開発言説の生産過程とその中に巻き込まれる僧侶を対置。現実的課題に取り組むことによって僧侶としてのアイデンティティを構築していく姿から、タイ社会の開発のあり方、上座部仏教の現代的様相を描き出す。
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はしがきより
本書は、近代化ならびにグローバル化に直面する東南アジア大陸部のタイ社会において、「開発」を生きる仏教僧の実践を、民族誌的アプローチを用いて明らかにするものである。後に詳述するように、本書は、タイの仏教僧という特定の対象について人類学の立場から論じた研究成果であるが、社会学、地域研究や開発論といった隣接分野の研究者や学生、国際援助の実務者、そして僧侶や一般の方々にも広く関心をもってもらえるようことを願って執筆している。というのも、本書が扱うのは、あくまで北タイの都市近郊のある仏教僧に過ぎないが、しかしこの事例がそれにとどまらず、開発言説の生産と宗教実践の変容が相互に連関しながら展開する現代世界の普遍的な現象として位置づけられると考えるからである。……
「開発僧」とは、経済発展中心主義的な政府の開発政策とは異なり、仏陀の教えすなわち仏法に基づく独自の開発活動をつうじて、社会の問題を解決することに取り組む僧侶たちのことである。彼らは、一九七〇年代頃から、オルタナティブ開発の担い手としてタイ国内外から注目を集めるようになった。しかし、「開発僧」をめぐる議論の大半は、開発論の立場からのものであり、しばしば開発論者たちの思い描く理想的なローカル・アクター像が投影されている。また、社会学や地域研究の立場からの研究は、より客観的な視点で「開発僧」の役割や社会的位置づけを分析しているが、世俗社会の課題に取り組む僧侶たちを「開発僧」としてきわめて実体的に捉えており、個々の僧侶の経験に深く接近することができていない。そこで本書は、まず、彼らいわゆる「開発僧」が、なぜ積極的に世俗社会の課題に取り組むのかを、できる限り僧侶自身の立場に立って微細な視点から理解することが必要であると考える。従来、「開発僧」とひとくくりにされ、開発論や社会学などを中心に論じられてきた対象に、民族誌的アプローチを用いて考察の対象と位置づけている点に、本書の大きな特徴がある。
もちろん、タイの上座部仏教にかんする人類学の先行研究においては、農村部における伝統的な宗教実践のみならず、急速な経済発展のなかでの実践の変容をめぐる議論が豊富に蓄積されてきた。都市生活のなかでの自己の探求としての瞑想、高僧信仰や護符の生産・流通・消費、菜食主義のもとで自給自足型コミュニティの形成など、変わりゆく社会のなかで生まれた新たな宗教実践が明らかにされる一方で、それらは在家者を対象とするものが大半を占めていた。他方、僧侶については、僧侶が伝統的に地域コミュニティにおける儀礼や民俗知識の継承を担ってきたことや、サンガという教団組織を介して王権や国の政治と深くかかわってきたこと以上に十分な関心が向けられてきたとは言い難い。
それに対して本書が試みたことは、資本主義的な開発がすすむタイ社会において、仏教僧がどのように社会のなかに自己を位置づけて生きているのか、それを彼らの「開発」から読み解くことである。第二次世界大戦以降、世界各地でみられる開発現象を扱う開発人類学において、一九九〇年代以降盛んに用いられてきたのが開発の言説分析アプローチである。このアプローチは、開発現象を言説の束として捉え、その言説が生産される過程における第三世界の知や文化の表象の仕方を主題とする。このアプローチを用いるならば、「開発僧」を実体としてではなく、タイ社会に特有の開発言説のひとつとして捉え、また同時に、こうした言説との相互作用のなかで生み出されている僧侶の実践を明らかにすることが可能となるはずである。この点に本書のもうひとつの特徴がある。
なお、従来、「開発僧」と言えば、東北タイの農村地域で貧困の解消に取り組む僧侶たちが注目を集めてきたが、本書は北タイの都市近郊のある僧侶の事例に着目している。北タイにおいても東北タイと同様に、一九六〇年代以降の開発の時代において、貧困は常に主要な課題となってきただけでなく、一九八〇年代末頃からはエイズや環境破壊などの課題が急務とされてきた。本書が対象としている僧侶は、ある特定の課題のみならず、貧困もエイズも、その他にもさまざまな課題の解決に取り組んでいる。そのような僧侶を対象とすることで、本書は、ある特定の課題に対する実践的な解決策を提示するのではなく、僧侶が「開発」に取り組むことで、決してそれだけにとどまらない何かを追求する姿を描き出すことを主眼としている。また、その姿をとおして本書は、タイという東南アジア大陸部における一上座部仏教社会の開発が、宗教と不可分に結びつきながら展開する様態を解明することになるだろう。
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岡部真由美(おかべ まゆみ)
1978年大阪府生まれ。
2010年総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻単位取得満期退学。博士(文学)。専攻は文化人類学および東南アジア地域研究。
現在、日本学術振興会特別研究員PD(国立民族学博物館)。
主論文に、“Beyond Localities: Community Development and Network Construction among the Buddhist Monks in Northern Thailand”, in Liamputtong, P. (ed.), Contemporary Socio-cultural and Political Perspectives in Thailand, Springer, in press, 「タイにおける開発の進展と僧侶による水平的なつながりの構築:『北タイ・コミュニティ開発僧ネットワーク』を事例として」岸上伸啓(編)『みんぱく実践人類学シリーズ第7巻 開発と先住民』(明石書店、2009年)、「『社会のために』生きる僧侶たち:北タイ・チェンマイ県D寺のある僧侶を事例として」『年報タイ研究』(第9号、2008年)など。