ホーム > 中国の民族文化資源

中国の民族文化資源

南部地域の分析から

中国の民族文化資源

文化資源という概念で「もの」「こと」を見直す時、多様な存在形態と諸主体との関係性が、新たな相貌をもって立ち現れる。

著者 武内 房司
塚田 誠之
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2014/03/20
ISBN 9784894892019
判型・ページ数 A5・436ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序(武内房司・塚田誠之)

●第一部 文化資源の存在形態とその多様性

毛沢東バッジの語りと活用(韓 敏)

はじめに──毛沢東バッジに関する人類学的研究の可能性
一 毛バッジに関する先行研究
二 使用者の語りからみる毛バッジの大衆化
三 現代文物としてのバッジおよびその多様な活用
結び──多元化された毛バッジの象徴

タイ北部、ユーミエンにおける儀礼文献の資源としての利用と操作(吉野 晃)

一 「資源」の意味
二 文書という固定枠
三 利用するに際して必要な能力
四 ユーミエン社会における文書資源
五 文書資源の利用
六 文書資源を活用するための条件整備
七 結論

ベトナムにおける黒タイの祖霊観と葬式の変化(樫永真佐夫)

一 はじめに
二 ソンラーにおける黒タイの生活
三 伝統的な黒タイの葬式
四 二〇世紀を通じた葬式の形式の変化
五 没個性的な祖霊観の変化
六 おわりに

客家エスニシティーの動態と文化資源(瀬川昌久)

一 はじめに
二 客家正統漢族論の系譜
三 正統漢族論への批判的客家研究
四 もうひとつの客家──マイノリティーへの指向
五 第三の客家像? 地方文化集団としての客家
六 おわりに

●第二部 観光資源としての文化資源

「貝葉文化」と観光開発──西双版納における上座仏教の資源化と文化的再編(長谷川 清)

一 はじめに
二 タイ族と仏教文化
三 現代化と伝統文化の位相
四 西双版納における観光開発と貝葉文化
五 貝葉文化をめぐる資源化のポリティクス
六 おわりに

棚田、プーアル茶、土司──「ハニ族文化」の「資源化」(稲村 務)

一 日常語彙としての「資源」
二 学術用語・行政用語としての「資源」からみた問題系
三 中国における「文化資源」
四 ハニ族における「民族」+「文化」+「資源」
五 棚田の「資源化」──元陽
六 「資源」としてのプーアル茶──普洱と西双版納
七 資源化する「土司」遺跡
八 むすび

四川のチャン族における民族文化の復興と資源化
    ──五・一二汶川大地震後の北川羌族自治県を事例として(松岡正子)

一 北川チャン族における民族回復と民族自治県の成立
二 北川羌族自治県における民族文化の復興
結び

広西のチワン族の文化資源──その形成と地域性(塚田誠之)

一 はじめに
二 「劉三姐文化」──宜州市〜陽朔県
三 高床式住居──龍勝各族自治県
四 結びに代えて

●第三部 文化資源をめぐる諸主体と文化資源との関係

観光資源化する上座仏教建築──雲南省徳宏州芒市の景観変容の中で(長谷千代子)

一 はじめに
二 都市の観光スポット
三 村と観光
四 分析とまとめ

文化資源としての民間文芸──トン族の演劇「秦娘梅」の事例から(兼重 努)

はじめに
一 中国共産党の文芸政策
二 トン族とトン劇「秦娘梅」の概要
三 広西におけるトン劇「秦娘梅」の動向
四 貴州におけるトン劇「秦娘梅」の動向
五 トン劇「秦娘梅」から映画「秦娘美」へ
まとめと考察

西南中国のエコミュージアム──少数民族の文化保存と文化資源(武内房司)

はじめに
一 中国における博物館
二 生態博物館理念の導入と展開──梭戛苗族生態博物館とノルウェーの経験
おわりに

あとがき(武内房司)
索引

このページのトップへ

内容説明

民族の記憶、人々の経験が「文化」に育ち「資源」化されるまで。
文化資源という概念で「もの」「こと」を見直す時、多様な存在形態とそれらを生み出す諸主体との関係性が、新たな相貌をもって立ち現れる。中国現代文化論の再構築。

*********************************************

序より


 本書は、二○○八年九月より二○一〇年三月まで、国立民族学博物館において主催された共同研究プロジェクト「文化資源の生成と変貌──華南地域を中心とした人類学・歴史学的研究」での研究成果をもとに編集された論文集である。
 タイトルにも見られるように、このプロジェクトは、近年ユネスコの世界遺産や世界記録遺産などをつうじて、一般にも広く知られるようになった「文化資源」の問題を、中国華南地域からベトナムなどの東南アジア大陸部にまたがる地域に居住する諸民族の場合を事例として検討しようとしたものである。私たちがこれらの地域に着目した理由はそのユニークさにあるといえる。華南・東南アジア大陸部にかけての地域は、かつて多くの国家の興亡を繰り返した華北及びそれに隣接する諸地域に比べ、統一的な国家形成への志向は相対的に希薄であったといえよう。しかし、その要因を単なる国家意識の未成熟に求めることも必ずしも適当ではない。たとえば、近年、本論集が主として扱う華南・東南アジア大陸部を含むベトナム・カンボジア・タイ王国・ミャンマーから中国の雲南・貴州・四川・広西にいたる地域に広がる山間地とその地に住む諸民族に改めて着目したジェームズ・スコットは、これらの地域をゾミアと呼び、さまざまな戦略を駆使して“国家に組み込まれる”ことを回避し、“国家なき社会”(stateless)を維持しようとしてきたひとびとの歴史に光をあてた[Scott 2009]。
 国家の定義もさまざまであり、性急に結論を出すことは控えなければならないが、下位レベルの民族諸集団において強靱な文化伝統とアイデンティティーとが保持されてきた背景には、スコットのいう“回避戦略”を含めて、西南中国・東南アジア大陸部に生きる人々のさまざまな主体的な営みがあったのであり、その際、神話や口頭伝承など、多くの民族集団が不断に生みだし維持・活用してきた文化資源の果たした役割は極めて大きかったといえよう。さまざまな戦略のもとに、不断に生成され活用されていくなかで、民族集団のアイデンティティーもまた強化されるという側面をもっていた。
 では文化資源とは何か。これまで多くの解釈が試みられているが、明確な定義を下すことは難しい。資源を「資源」化する契機はそれぞれの民族が保持する価値観に大きく依存し、それぞれの民族によって重点の置き方が異なるためである。ここでは、さしあたり「文字による記録・モニュメント、衣装や技術、写真・映像等の有形無形の表象形式など、民族の過去の記憶や自らの同時代的経験を文化として継承し発信することを可能とする資料の総体」として位置づけることにしたい。資源は資源それ自体では「資源」たりえず、他者との接触や交信をつうじてはじめてそれが可能と思われるからである。有形・無形の文化は往々、民族を特徴付ける資源として生み出され、かつ種々のメディアを通じて外部に発信される。そうした情報を受取る「他者」の価値観や評価は再び現地にフィードバックされ、資源の再生産や再解釈・発信を促す要因ともなるのである。
 しかし、文化資源に関してはいまなお検討すべき課題が多く残されているともいえる。今回、共同研究に加わったメンバーの多くは、たびたび中国の華南・西南地域やベトナム北部の少数民族地域を訪れ、ときには一〇年を超える長期的なタイムスパンにたち、近年の民族社会の経済的社会的変貌を見つめてきた。そうした私たちが、共同研究を通じて、強く意識したのは、文化資源がだれによって、どのように生み出され、どのように変貌を遂げ戦略的に活用されていくのかという問題であった。単に文化資源と称されるものの生成・応用の過程を静態的にあとづけるだけでなく、それらを生み出す多様な主体を明らかにし、同時に文化資源が生み出す権力構造や占有・分散などのポリティクス、文化資源と特定の民族集団との対応関係などに目を向ける必要があることを痛感したのである。
その際に私たちは、文化資源の問題を、「世界遺産」登録などに象徴的に見られるように、国家や行政の側からとらえるだけでなく、地域の視点に立ちつつ、フィールドワークを重ねてきた民族学・歴史学双方の研究者との共同作業をつうじ華南・西南中国の諸民族集団が発信した「文化資源」のその生成・維持のメカニズムにまで検討を加えることが、文化資源論への新たな展望を得る上で有効であると考えたのである。
 私たちが華南から東南アジア大陸部に住む「少数民族」の「文化資源」に関心を向けたのは、ちょうど中国において改革開放経済が軌道に乗り、世界第二の経済大国へと飛躍をとげた時期とも重なっている。この時期に生じた巨大な変化として、人びとや資本の移動がかつてない規模でこれらの地域に及んだことがあげられるだろう。一九四九年に成立した社会主義体制は人々の移動に厳しい制限を加えるものであった。基本的に、移動は計画経済に基づいた人的資源の再配置や各種の会議参加等を目的とした公務、ないしは親族訪問に限られていたといってよい。
 しかし、改革開放政策の開始は、こうした移動の制限を大きく緩和させた。それにより古くから知られた各地の名勝・旧跡に再び多くの旅行者があふれる活況がもたらされただけではなかった。いち早く工業化・近代化を実現した沿海地域の人々は、伝統農村社会の様相を色濃く残した「少数民族」地域に、改めて熱い視線を振り向け、多くの旅行者が訪れるようになったのである。こうした旅游ブームをあてこみ、観光開発に向けて外部から巨大な資本が流れ込み、次々と自然風景区・「伝統」村落の整備、各種テーマパークの建設ラッシュがあいつぐ状況が生まれたのであった。
 一九九〇年代以降の経済・社会変動を背景とした外部からのまなざしに促されるかのように、中国華南・西南地区においては、「資源」の価値やその存在形態、保護のあり方をめぐって様々な議論が呼び起こされた。単に専門研究者によるアカデミックな実態研究にとどまらず、現地の知識人や政策担当者、現地住民を巻き込み、「伝統」的価値の発掘・顕彰が論議されるようになった点にこの時期の特徴があるといえよう。
 同時に、そうした試みは公開や展示・発信のあり方のみならず、既存の生態・人文環境といかにバランスをとりつつ保全していくか、さらにまたそうした試みを現地の人びとの生活改善にいかに結びつけていくかという、すぐれて実践的な議論へと結びついていたのである。本論文集が価値を持つとすれば、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけてのこれらの地域で起こったこうしたさまざまな議論や経験を踏まえつつ、「資源」の多様性、その政治的文化的「戦略性」に光を当て、多面的な分析を行っていることにあろう。(武内房司)

……(後略)

*********************************************
編者紹介

武内房司(たけうち ふさじ)
1956年、栃木県生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。
現在、学習院大学文学部教授。
編著書に『越境する近代東アジアの民衆宗教』(明石書店、2011年)。「中国近代の民間宗教結社とキリスト教」(深谷克己編『ユーラシア諸宗教の関係史論』勉誠出版、2010年)など。

塚田誠之(つかだ しげゆき)
1952年、北海道生まれ。
北海道大学大学院博士課程修了。博士(文学)。
現在、国立民族学博物館先端人類科学研究部教授。
著書に『壮族社会史研究:明清時代を中心として』(国立民族学博物館、2000年)、『壮族文化史研究:明代以降を中心として』(第一書房、2000年)、編著に『民族表象のポリティクス:中国南部における人類学・歴史学的研究』(風響社、2008年)など。

執筆者紹介(掲載順)

韓 敏(かん びん)
1960年中国瀋陽市生まれ。
1993年東京大学大学院総合文化研究科文化人類学専攻博士課程修了、博士(学術)学位取得
専攻は文化人類学。国立民族学博物館教授。
主要著書として、『政治人類学:亜洲田野与書写』(浙江大学出版社、2011年、阮雲星・韓敏共編著)、 Tourism and Glocalization---Perspectives on East Asian Societies. Senri Ethnological Studies 76(National Museum of Ethnology,2010 HAN MinとGRABURN Nelson共編著)、『革命の実践と表象:現代中国への人類学的アプローチ』(風響社、2009年、編著),『回応革命与改革』(江蘇人民出版、2007年)、『大地は生きている:中国風水の思想と実践』(てらいんく、2000年、聶莉莉・韓敏・曾士才・西澤治彦共編著)など。

吉野 晃(よしの あきら)
1954年東京都生まれ。
1990年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。専攻は社会人類学。
現在、東京学藝大学教育学部人文社会科学系教授。
主著書に、『儀礼・民族・境界:華南諸民族「漢化」の諸相』(1994年、風響社、共著)、『民族の移動と文化の動態:中国周縁地域の歴史と現在』(2003年、風響社、共著)、Written Cultures in Mainland Southeast Asia (2009年、国立民族学博物館、共著)、『東アジアにおける宗教文化の再構築』(2010年、風響社、共著)、『中国国境地域の移動と交流:近現代中国の南と北』(2010年、有志舎、共著)など。

樫永真佐夫(かしなが まさお)
1971年兵庫県生まれ
2001年東京大学大学院総合文化研究科単位取得退学。博士(学術)。
専攻は東南アジア民族学、文化人類学。
現在、国立民族学博物館准教授。
主著書として、『黒タイ年代記:「タイ・プー・サック」』(2011年、雄山閣)、『ベトナム黒タイの祖先祭祀:家霊簿と系譜認識をめぐる民族誌』(2009年、風響社)、『東南アジア年代記の世界:黒タイの《クアム・トー・ムオン》』(2007年、風響社)、『黒タイ首領一族の系譜文書』(2007年、国立民族学博物館、カム・チョンとの共著書)など。編著書に、Written Cultures in Mainland Southeast Asia (2009, Osaka: National Museum of Ethnology)がある。

瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年岩手県生まれ。
1986年東京大学大学院社会学研究科博士課程退学。博士(学術)。
専攻は文化人類学。
現在、東北大学東北アジア研究センター教授。
主著として、『客家:華南漢族のエスニシティーとその境界』(風響社、1993年)、『族譜:華南漢族の宗族、風水、移住』(風響社、1996年)、『中国社会の人類学:親族・家族からのアプローチ』(世界思想社、2004年)など、編著として、『文化のディスプレイ:東北アジア諸社会における博物館、観光、そして民族文化の再編』(風響社、2003年)、『近現代中国における民族認識の人類学』(昭和堂、2012年)など。

長谷川 清(はせがわ きよし)
1956年、埼玉県生まれ。
上智大学大学院博士後期課程単位取得退学。
現在、文教大学教授。
論文に、「都市のなかの民族表象:西双版納、景洪市における『文化』の政治学」(塚田誠之編『民族表象のポリティクス』風響社、2008年)、「宗教実践とローカリティ:雲南省・徳宏地域ムンマオ(瑞麗)の事例」(林行夫編著『〈境域〉の実践宗教の大陸部東南アジア地域と宗教のトポロジー』京都大学学術出版会、2009年)など。

稲村 務(いなむら つとむ)
1966年佐賀県生まれ。
筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退。修士(文学)。
専攻は文化人類学、比較民俗学。
現在、琉球大学法文学部教授。
論文に2005 「ハニ族『文化』の政治学:出版から見た民族表象」(塚田誠之・長谷川清編『中国の民族表象:南部諸地域の人類学・歴史学的研究』風響社、2005年)、「ハニ語と中国語の間:ハニ語の中国語訳における知識人による表象の政治経済」(塚田誠之編『民族表象のポリティクス:中国南部における人類学・歴史学的研究』風響社、2008年)、「フォーク・タクソノミーと民俗分類における範疇化の問題:中国雲南省元陽県におけるハニ種族の植物知識」(『琉大アジア研究』9号、琉球大学国際沖縄研究所アジア研究部門、2009年)など。

松岡正子(まつおか まさこ)
1953年長崎県生まれ。
1982年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。
専攻は文化人類学、中国民俗学。
現在、愛知大学大学院中国研究科および現代中国学部教授。
主著書として、『中国青蔵高原東部の少数民族:チャン族と四川チベット族』(ゆまに書房、2000年)、『四川のチャン族:汶川大地震をのりこえて〔1950-2009〕』(風響社、2010年、共著)、論文として、「羌暦年と国民文化」(馬場毅・張琢編『改革・変革と中国文化、社会、民族』日本評論社、2008年)、「羌族、川西南蔵族、嘉戎蔵族、普米族以及納西族的“祭山”:祭山的系譜」(袁暁文等編『蔵彝走廊:文化多様性、族際互動与発展』民族出版社、2010年)、「汶川地震後におけるチャン文化の復興と禹羌文化の創出」(瀬川昌久編『近代中国における民族認識の人類学』、昭和堂、2012年)など。

長谷千代子(ながたに ちよこ)
1970年鹿児島県生まれ。
2003年九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。
専攻は文化人類学、宗教研究。
現在、九州大学大学院比較社会文化研究院講師。
主著書として、『文化の政治と生活の詩学:中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』(風響社、2007年)、論文として、「『宗教文化』と現代中国:雲南省徳宏州における少数民族文化の観光資源化」(川口幸大・瀬川昌久編『現代中国の宗教』昭和堂、2012年)「仏塔のある風景:雲南省徳宏州における宗教観光」(『中国21』第34巻、2011年)、「『アニミズム』の語り方:受動的視点から」(『宗教研究』第83巻第3輯、2009年)など。

兼重 努(かねしげ つとむ)
1962年、山口県生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。
現在、滋賀医科大学准教授。専攻は文化人類学、中国少数民族研究。
編著に『功徳の観念と積徳行の地域間比較研究』(京都大学地域研究統合情報センターDiscussion Paper Series No.33, 2013年、林行夫と共編)、論文に「人びとに吉凶禍福をもたらす水:西南中国・トン族村落社会における風水知識と実践」 (秋道智彌・小松和彦・中村康夫編『人と水 2 水と生活』勉誠出版、2010年)など。

このページのトップへ