目次
序論 「生物医療」に抗しながら書くこと
一 「生物医療」から〈生物医療的な要素〉へ
二 〈生物医療的な要素〉の内在性を認めること
三 〈生物医療〉の切り取り方の複数性
四 アガンベンの装置論と装置としての生物医療
五 雑多な要素が共同で効果をもたらすこと
六 「要素から出発する装置」の複数の効果
七 まとめと本書の構成
一章 プランカシの概要
一 ガーナ共和国とその疾病構造
二 クワエビビリム郡とプランカシ
三 プランカシの人々の外部理解
四 プランカシ周辺の医療施設
五 小結
二章 薬剤の流通をめぐるポリティクス
一 生物医療的な要素としての薬剤
二 アフリカにおける薬剤
三 ガーナ南部における薬剤の流通
四 プランカシにおける薬剤の供給
五 〈生物医療〉の切り取り方とケミカルセラーの曖昧さ
六 小結
三章 行為とモノからなる装置と医療に関する知識
一 西アフリカにおける薬剤と治療の意味
二 モジャとアポム・ディンの複数性を考える
三 複数性を再考する
四 フラエの語られ方の複数性
五 フラエの複数性を維持する装置
六 小結
四章 医療費を支払う二つの方法
一 健康保険と医療費の支払い
二 NHISの特徴と普及状況
三 健康保険の入り方:個人化と相互扶助のゆくえ
四 小結
結論 装置としての生物医療による複数の社会性の構築
一 システムとしての「生物医療」から装置としての生物医療へ
二 装置としての生物医療と複数の社会性の構築
三 結
あとがき
索引
内容説明
生物医療(病院で行われているタイプの医療)が先進国のようには普及していないと思われるアフリカにおいて、「意外にも」身近な存在となっている薬剤や健康保険。その実態を起点に、医療と人間・社会の関係を逆照射する野心的な論考。
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序論より
今日、ガーナ南部の農村部で暮らす人々は、薬剤・ヘルスセンター・看護師・健康保険といったモノや人、制度と日常的に触れ合っている。人々は毎日のように町の薬屋で抗生物質や解熱剤を買い求め、町中を歩く看護師と会話する。健康保険の加入を勧める宣伝は、看板や横断幕、ラジオ、テレビといったメディアを通して頻繁に行われている。これらの通常「生物医療」の一部と見なされるような要素がどのように人々の生活や社会を内側から構築しているのかを記述することが本書の目的である。
本書を通じて議論していくように、現代アフリカにおける生物医療をめぐる状況はめまぐるしく変化している。アフリカは、どうしてもすべてが足りない場所として想像されがちである。人々は貧困に苦しんでおり、医師も薬剤も看護師もすべてが足りない。そこに健康保険など存在するはずもないし、まだそれが必要な段階を迎えてはいない。人々は、呪医の治療や薬草を用いることで病気に対処している。そんなイメージが一般的なのではないだろうか。アフリカに足を踏み入れたことのある人ならば、そのようなイメージが極めて一面的であることに気づくかもしれない。しかし、メディアにおけるアフリカの語られ方を鑑みれば、このようなアフリカの医療をめぐるイメージが一般的であることは致し方ないことなのだろう。同時に、より重大な問題は、人類学者が紡いできた言説もまた、そのようなイメージの構築に寄与してきたことである。
これから序論で詳しく述べていくように、アフリカを対象とする医療人類学の先行研究は、「生物医療」を現地社会と相互作用しうるようなひとつの総体として扱ってきた。そこでは、「生物医療」の一体性が強調されると同時に、それが現地社会の外部であるヨーロッパから持ち込まれたことが繰り返し強調されている。本書は、このような「生物医療」のイメージを用いては、現代アフリカの生物医療をめぐる状況を記述することができないという立場をとる。つまり、⑴「生物医療」をひとつのまとまりとして扱う枠組みや、⑵「生物医療」の外部性を強調する枠組みを用いては、これまで「生物医療」の一部と見なされてきた諸要素が現地社会を構築していく様子を記述できないと主張していく。
欧米を対象とする人文・社会科学の先行研究が、「生物医療」が社会を内部から構築していることを繰り返し指摘してきていることを考えるならば、このことは決して些細な問題ではない。欧米においては、「生物医療」は社会や人間についての想像力を社会の内側から変容させる主要な要因として扱われるのに対し、なぜ、アフリカにおいては、「生物医療」は社会の外側にあると考えられ続けるのであろうか。私達は、両者を同じように論じることができるような新しい枠組みを鍛造する必要があるのではないか。
このような従来の「生物医療」概念の困難を乗り越えるため、本書では、フーコーやアガンベンの発想に由来する「装置」(dispositif)という概念を採用する。つまり、「生物医療」を、「現地社会と相互作用する外在的な領域」としてではなく、「現地社会の内部にあって社会そのものの構成や範囲を組み換えていく内在的な要素の分散的な複合」として扱う。序論では、このアプローチの必要性と有効性を明らかにするために、アフリカを対象とする人文・社会科学において「生物医療」がどのように扱われてきたのかを明らかにした上で、フーコーやアガンベンの議論に依拠しながら「装置」という発想について説明していく。
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著者紹介
浜田明範(はまだ あきのり)
1981年東京都生まれ。
2010年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(社会学)。
専攻は医療人類学、アフリカ地域研究。
現在、国立民族学博物館先端人類科学研究部機関研究員。
主著書として、『カルチュラル・インターフェイスの人類学』(新曜社、2012年、共著)、『共在の論理と倫理:家族・民・まなざしの人類学』(はる書房、2012年、共著)、『アフリカ・ドラッグ考:交錯する生産・取引・乱用・文化・統制』(晃洋書房、2014年、共著)、論文として、「薬剤の流通をめぐるポリティクス:ガーナ南部における薬剤政策とケミカルセラー」(『文化人類学』73巻1号、2008年)、「医療費の支払いにおける相互扶助:ガーナ南部における健康保険の受容をめぐって」(『文化人類学』75巻3号、2010年)、「書き換えの干渉:文脈作成としての政策、適応、ミステリ」(『一橋社会科学』印刷中)など。