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軍隊の文化人類学

軍隊の文化人類学

特殊な集団であっても、兵士たちもまたひとりの生活者として暮らしを営んでいる。戦略や組織論から離れ「軍隊」の真実に迫る。

著者 田中 雅一
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2015/02/20
ISBN 9784894892071
判型・ページ数 A5・604ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序章 軍隊の文化人類学のために(田中雅一)

●第Ⅰ部 軍隊とジェンダー・家族

第一章 モダン・ガール(モガ)としての女性兵士たち──自衛隊のうちとそと(サビーネ・フリューシュトゥック/萩原卓也訳)
第二章 逡巡するも、続ける──軍事組織における女性のキャリア形成とライフ・イベント(福浦厚子)
第三章 自衛隊と家族支援──地域支援力の構築にむけて(河野 仁)

●第Ⅱ部 軍隊と地域社会

第四章 占領という名の異文化接合──戦後沖縄における米軍の文化政策と琉米文化会館の活動(森田真也)
第五章 軍隊・性暴力・売春──復帰前後の沖縄を中心に(田中雅一)
第六章 「愛される自衛隊」になるために──戦後日本社会への受容に向けて(アーロン・スキャブランド/田中雅一・康陽球訳)
第七章 アフリカ系アメリカ人の社会運動にみる軍事的性格──暴力、男らしさ、黒人性(小池郁子)

●第Ⅲ部 軍隊と国家

第八章 殉職と神社──日本の軍隊および警察における殉職者の慰霊をめぐって(丸山泰明)
第九章 日本の自衛隊に見る普通化、社会、政治(エヤル・ベン=アリ/神谷万丈訳)
第一〇章 軍隊と社会のはざまで──日本・朝鮮・中国・フィリピンの学校における軍事訓練(高嶋 航)
第一一章 韓国社会の徴兵拒否運動からみる平和運動の現状(朴 眞煥)
第一二章 グルカ兵はどのようにして英国市民になったのか?──移民退役軍人による多層的な自己包摂の試みと市民権の再構築(上杉妙子)

●第Ⅳ部 軍隊の表象のポリティクス

第一三章 日本における軍隊、戦争展示の変遷(福西加代子)
第一四章 豪従軍カメラマンの描いた日本兵像とその変化──デミアン・ペアラーのニューギニア戦線ニュース映画をとおして(田村恵子)
第一五章 「トモダチ作戦」のオモテとウラ──在日米軍による東日本大震災の災害救助をめぐるポリティクス(クリストファー・エイムズ)

あとがき
索引

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内容説明

「平時の軍隊」を描く注目の論集

私たちはいったいどのくらい軍隊について知っているのだろうか。社会の産物であると同時に、社会にも影響を与える特殊な集団・軍隊。しかしまた、兵士たちもひとりの生活者として暮らしを営んでいる。戦略や組織論から離れ「軍隊」の真実に迫る。

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序章 軍隊の文化人類学のために
田中雅一

 

 

……私たちはいったいどのくらい軍隊について知っていると言えるだろうか。軍隊について知るとは、なにも軍事力や国際情勢、関連政策や法案に通じているということを意味するのではない。軍隊の真の姿とは、なにも武器の数や組織体制図や指導者のプロフィール、あるいは最高機密事項の暴露によって表されるのではない。重要なことは、具体的な形をとって私たちの目に見える平時の軍隊のありかたではないだろうか。軍隊の大半を構成する兵士たちもまたひとりの生活者として私たちとともに一般的な暮らしを営んでいる。このような生活者としての兵士、地域社会に生きる兵士のあり方、かれらと国家やメディアとの関わりこそ、いま理解が求められているのではないだろうか。いたずらに軍隊の存在を無視・非難・疎外し、紋切り型の軍隊像を強化するという状況を克服することにこそ、現代日本の軍隊や戦争をめぐる一面的な議論の閉塞状態を脱する可能性がある。


『軍隊の文化人類学』は、軍隊を主として文化人類学的視点から考察しようとするものである。その際、軍隊とそれを一部とする外部世界との相互関係に注目する。たとえば、軍隊における女性兵士や家族の位置づけは、外部社会のジェンダー規範の影響を受けていると同時に、軍隊での変化が外部社会のジェンダーや家族のあり方に影響を与えるという場合もある。軍隊は社会の産物であると同時に、そのような社会にも影響を与える力をもつ特殊な集団なのである。


具体的には、主としてアジアの軍隊を対象に、⑴ジェンダーと家族、⑵地域社会との関係、⑶国家との関係、⑷軍隊の表象の四つの領域から軍隊を多角的に考察する。本書で扱う軍隊は、戦前の帝国日本軍(丸山、高嶋、福西、田村)、自衛隊(フリューシュトゥック、福浦、河野、スキャブランド、丸山、ベン=アリ、福西、エイムズ)、在日米軍(森田、田中、エイムズ)、英国軍(上杉)などであり、国も日本、韓国、中国、フィリピン、英国、アメリカ合衆国が対象となっている。しかし、本書では、あえて軍隊や国家、さらには時代などで各論文をまとめることはしなかった。本書は軍隊の組織論だけを目指したわけではなかったからである。本書の軍隊への視点は、あくまで広い意味での民軍関係にある。このため、ジェンダー・家族から地域社会、国家、展示やマスメディアに関わる表象へと、民軍関係の多様な位相を念頭に本書を組織した。それはミクロからマクロへの展開、軍隊内部から外部へ展開といってもいいかもしれない。もちろん、多面的な性格を有する軍隊という国家暴力装置をこれら四つだけに限って論じるには無理があるかもしれないし、また、論文によってはこのうちのひとつの領域に収まらないものもあるかもしれない。しかし、ジェンダー・家族から地域社会、国家、表象へという視座は、軍隊が社会のどの次元と接合しているのかを考える上で意義があると思われる。以下では、各論文における領域横断的性格を念頭にいくつか主題を選んで吟味することで、軍隊の文化人類学の課題を考えてみたい。……


3 民軍関係

軍隊・軍人と社会との関係は、一般に民軍関係(civil-military relations)と表される。ここでは社会と軍隊との関係を「軍事化」という視点ではなく、「国民化(nationalization)」という視点から考えてみたい。ここでいう国民化とは、軍隊に参加することで国民主体を形成する過程を意味する。そのうえで、ふたつの軍隊観(モデル)を考察したい。それらをここでは縮図モデルと特殊モデルと名づける。前者は軍隊とは社会の縮図だ、たとえば在日米軍基地はアメリカ社会そのものだ、といった言説を支持するモデルである。もうひとつは、軍隊は一般社会に比べてきわめて特殊だ(保守的だとか、貧困層出身者や低学歴の人たちの集まりだなど)という考え方である。この特殊モデルについてはいくつかのヴァリエーションがある。詳しいことは後述するとして、まず縮図モデルから考察を進めたい。


国民国家においては、国民の重要な義務が国家の防衛である。したがって、国民を対象とする徴兵制度(皆兵制度)によって生まれた軍隊は、そのまま国民の総体(厳密には兵士にふさわしくないとされる女性、 子ども、病人や障がい者は排除されるが)を意味する。徴兵制度は、国家(領土)の防衛に必要な兵隊を、戦闘訓練や軍事的な知識の学習、鍛錬などを通じてつくるだけでなく、軍隊に入ることで「国民」を生み出す。すなわち、徴兵制度によって新兵たちは、軍隊にふさわしい心身を鍛えられることになる。それだけではない。新兵は、あたらしい共同生活を通じて一人前の大人になり、また共通語(標準語)を学習することで「国民」として規格化されるのである。軍隊は一般に、排外的ナショナリズムの象徴であり、また中核となる組織であるというだけではない。それは同時に人びとの「国民化」を実施する教育機関でもある。……

つぎに徴兵制度が放棄されている場合についても考えておこう。志願制度の場合、軍隊は一般社会の縮図と言えるのだろうか。兵隊を志願する人たちは一般に保守的で貧困層が多い。部隊や職種にもよるが学歴も低い傾向がある。また地域的な偏りや人種・民族的な偏りも存在するであろう。これらは、しばしば経済的な(階級的な)格差と関係する。
軍隊が一般社会を反映していると言えないのは、防衛であれ、(防衛という名の)侵略であれ敵国の軍隊と交戦するための暴力装置であるという性格の特殊性から理解できる。この特殊性ゆえに、それは特定の国民や社会を代表しているとは言い難い。それは、どの国家においても主として健康な若い男子のみからなるからである。


ここで軍隊そのものの特殊性を列挙しておく。⑴国家暴力装置である。軍隊は、警察とならんで暴力の行使が正当化されている集団である。このため、圧倒的に男性中心の集団である。⑵全制的施設(total institution)である[ゴッフマン 一九八四]。軍隊は、家族や刑務所、病院のように、兵士の面倒を二四時間見る。それは、兵士の生活に干渉し、監視し、教育する。兵士は「兵士」になるのである。それゆえまた、外部への影響力も大きい。⑶死を前提とする集団である。戦死は、個人的な死ではなく、国家の犠牲と位置づけられ英雄視される。このような死を引き受ける人間こそが国民国家において真の国民とみなされる。換言すると、死を引き受けることのできない人間は、国民とみなされない。戦死を覚悟している兵士こそ真の国民である[アンダーソン 一九九七]。徴兵制度による「国民化」とは国家のために生命を捧げる人間を育てることにほかならない。世俗的な政治制度である国家と軍隊はこうして聖化されることになる。本書、第8章の丸山論文では、こうした軍隊と死の問題が主題となっている。


日本の自衛隊や、多民族世界において支配民族が占有しているような軍隊もまた特殊と言える。前者は違憲だとみなされ、阪神・淡路大震災での救援活動やPKOとしての海外派兵が報道される前世紀末まで日陰者であった。自衛隊は胸を張れる職業とは言い難かった。本書に収められている自衛隊を扱っている諸論文からは、特殊存在である自衛隊がいかにして主流社会に溶けこむために努力しているのかが理解できる。


民族的対立が存在する国家において、支配的な民族からなる軍隊は、外国だけでなく国内の叛乱分子ににらみを利かしている存在と言えよう。アメリカ合衆国においてアフリカ系アメリカ人が軍隊から排除されていたのは、かれらが白人と対立し、武器をもたせるわけにはいかないとみなされていたからにほかならない。兵士たちは、国家や国民のために死んでもいいと思っているかもしれないが、すべての国民がそのような姿勢を真に歓迎してはいない。軍隊から排除されている人びとから見れば、いつ軍隊は自分たちに敵対し、弾圧するか分からないからである。国軍は、恐怖の対象であっても、信頼に足るものとは言えないのである。


他方で、周縁化されている人びとは、軍隊での功績を認められることで「国民化」を目指そうとする。軍隊は主流になるための有効な手段でもあったのである。それは、太平洋戦争における朝鮮や台湾出身の兵隊たちの強い動機づけであった。同じことは、アメリカ合衆国に忠誠を証明しようと勇敢に戦った日系人部隊についても当てはまるであろう。最近では、市民権と引き換えにイラクでの従軍を移民たちに要請するアメリカ政府の政策も、こうした少数派の心理を巧みに操っている事例と考えることが可能である。同じことは「二流国民」から脱しようとする女性兵士にも当てはまるだろう。……


さて、これまで国民化との関係ならびにその任務に由来する特殊性から民軍関係を考察してきた。そのような特殊性が一般社会に影響を与える場合もある。すなわち、軍隊は、効率性を目指すため結果として効率性を損なうさまざまな社会的慣習を改革する前衛的役割を与えられることがある。その典型は、アメリカ社会に根強かった人種隔離政策の変革である。人種隔離政策は軍隊で撤廃され統合政策が導入された。これが、その後一般社会にも普及することになる。
簡単に説明すると、第二次世界大戦後、軍隊の人種隔離政策に大きな変化が生じた。一九四八年にハリー・S・トルーマン大統領による「軍隊における処遇と機会の均等についての大統領委員会の設置」と題する行政命令が発布されたのである。まず前文で次のように述べられている。……

話を効率問題に戻すことにしよう。なにをもって効率的と考えるかは、実際のところそれほど単純ではない。人種隔離政策の方が効率的と考える場合もあろう。人種差別問題に比べ女性の軍隊への統合は、イスラエルをのぞきどの国の軍隊においても遅れている。その理由は、女性が軍隊活動に向いてないという判断からであるのは間違いなかろう。しかし、ジェンダーにこだわらずに個々人の能力が評価されれば、女性兵士の占める率はさらに高くなってもおかしくないであろう。


在日米軍やグルカ兵など、形態は異なるが、外国に長期にわたって駐留する場合、民軍関係は、軍隊と軍が属する市民社会との関係だけでなく、ホスト社会あるいは地域社会との関係を無視するわけにはいかない。在日米軍の場合は日本社会との関係が問われる。ちょうど自衛隊が地域住民への配慮を怠らないように努力を続けているのと同じく、米軍もまた日本社会に受容を促すメッセージをことあるごとに送ろうとしている。その最たる機会が「トモダチ作戦」と名づけられた東日本大震災直後の被災地支援の活動であった(本書第一五章エイムズ論文)。グルカ兵の場合は属する軍隊が外国軍(英国軍)であり、また駐屯地も英国や香港などになる。グルカ兵にとってホスト社会は英国となろう。かれらにとって、同僚でしばしば上司でもある英国兵士、地域住民、そしてマスコミなどを通じて接する英国国民との関係が重要となってくる。それは、たんに法的な問題に留まらない。退役後も英国に住む場合、また家族がともに英国に住み続ける場合、ホスト社会との信頼関係が重要となるからである(詳しくは本書第一二章上杉論文を参照)。


まとめておこう。軍隊は、国家暴力装置としてきわめて特異な集団である。しかし、その集団が、国民国家の体制下で、教育制度とともに国民創出の一翼を担ってきた。その意味で軍隊はけっして特殊ではない。国民と軍隊は相等しいからである。そして相等しくない「国民」は定義から国民ではない。しかし、志願制度が一般化すると、軍隊は国民創出の制度ではなくなり、かならずしも国民を代表するとは言えなくなる。しかし、軍隊の特殊性は、ときに効率を重視することで社会の差別撤廃に貢献する(人種統合政策の導入)と同時に、他方で戦闘に向いていないといった理由から社会に蔓延する差別を反映する(ジェンダー差別や同性愛差別)ということも生じる。さらに、特殊な状況として海外に駐留する軍隊の場合、地域社会は外国(ホスト国)であるという場合が想定できる。……

 

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編者紹介

田中雅一(たなかまさかず)
1955年和歌山県生まれ。
1986年ロンドン大学博士号取得。専門は文化人類学、日本と南アジア研究。
現在、京都大学人文科学研究所教授。
主要著書に『供犠世界の変貌:南アジアの歴史人類学』(法藏館、2002年)、『癒しとイヤラシ:エロスの文化人類学』(筑摩書房、2010年)、編著に『暴力の文化人類学』(京都大学学術出版会 、1998年)、1998『女神:聖と性の人類学』(平凡社、1998年)、共編著に『植民地主義と人類学』(関西学院大学出版会、2002年)、『文化人類学文献事典』(弘文堂、2004年)、『ジェンダーで学ぶ文化人類学』(世界思想社、2005年)、『ミクロ人類学の実践:エイジェンシー/ネットワーク/身体』(世界思想社、2006年)、 『ジェンダーで学ぶ宗教学』(世界思想社、2007年)『コンタクト・ゾーンの人文学』(全4巻、晃洋書房、2011-2012)などがある。

執筆者紹介(掲載順)

サビーネ・フリューシュトゥック
(Sabine Frühstück)
1965年オーストリア生まれ。
1996年ウイーン大学博士号取得。専門は日本の文化人類学、近代文化史。
現在、カリフォルニア州大学•サンターバーバラ校東アジア研究学科教授。
翻訳された単著に『不安な兵士たち:ニッポン自衛隊研究』(原書房、2008)、共著に『日本人の「男らしさ」 :サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013)がある。ほかに、単著Colonizing Sex: Sexology and Social Control in Modern Japan (University of California Press, 2003), 最近の論文に"Sexuality and Nation States." In Global History of Sexuality, ed. Robert Marshall Buffington, Eithne Luibheid, and Donna Guy (Blackwell, 2014), "Sexuality and Sexual Violence." In The Cambridge History of World War II - Vol. III: Total War: Economy, Society, Culture at War, ed. Michael Geyer and Adam Tooze (Cambridge UP, 2015)がある。


福浦厚子(ふくうら あつこ)
1963年京都府生まれ。
1994年京都大学大学院教育学研究科博士課程研究指導認定退学。専攻は文化人類学。
現在、滋賀大学経済学部准教授。
主著書として、『植民地主義と人類学』(関西学院大学出版会、2002年、共著)、『ミクロ人類学の実践:エイジェンシー/ネットワーク/身体』(世界思想社、2006年、共著)、論文として、「配偶者の語り:暴力をめぐる想像と記憶」(『国際安全保障』35巻3号、2007年)、「コンバット・ストレスの視点から考える軍隊:トランスナショナルな視点とローカルな視点からみた自衛隊」(『滋賀大学経済学部研究年報』19巻、2012年)、「シンガポールの寺廟祭祀における主席・道士・童乩」(『文化人類学』79巻3号、2014年)など。


河野仁(かわの ひとし)
1961年山口県生まれ。
1996年米国ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。Ph.D(社会学)。専攻は軍事社会学。
現在、防衛大学校教授、総合安全保障研究科教務主事。
主な著書に、『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊』(講談社学術文庫、2013年)、『近代日本のリーダーシップ』(千倉書房、2014年、共著)、『戦争社会学の構想』(勉誠出版、2013年、共著)、『失敗の本質:戦場のリーダーシップ篇』(ダイヤモンド社、2012年、共著)、『戦後日本の中の〈戦争〉』(世界思想社、2004年、共著)、など。


森田真也(もりた しんや)
1967年大分県生まれ。
1999年神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。博士(歴史民俗資料学)。専攻は、民俗学、文化人類学。
現在、筑紫女学園大学文学部准教授。
主著書として、『境域の人類学』(風響社、2015年、共著)、『はじめて学ぶ民俗学』(ミネルヴァ書房、2015年刊行予定、共著)、『民俗文化の探求』(岩田書院、2010年、共著)、『ふるさと資源化と民俗学』(吉川弘文館、2007年、共著)。論文として、「異郷に神を祀る:沖縄石垣島の台湾系華僑・華人の越境経験と宗教的実践」(『沖縄民俗研究』第32号、2013年)、「沖縄の笑いにみる文化の相対化と戦略的異化」(『筑紫女学園大学・短期大学部人間文化研究所年報』第25号、2014年)、など。


アーロン・スキャブランド(Aaron Skabelund)
1970年アメリカ合衆国アイダホ州生まれ。
2004年コロンビア大学博士号取得。専攻は歴史学(日本近現代史)。
現在、ブリガムヤング大学歴史学部准教授。
翻訳された著書に『犬の帝国:幕末ニッポンから現代まで』(岩波書店、2009年、英語の拡大判は2011年にコーネル大学出版局から出版)。最近の論文に“Public Service/Public Relations: The Mobilization of the Self-Defense Force for the Tokyo Olympic Games,” In The East Asian Olympiads, 1934-2008: Building Bodies and Nations in Japan, Korea, and China, eds. Michael Baskett and William M. Tsutsui (Global Oriental, 2011), 共著論文に“Japan,” In Religion in the Military Worldwide, ed. Ron Hassner (Cambridge University Press, 2013)がある。


小池 郁子(こいけ いくこ)
1977年生まれ。
2005年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。2008年博士(人間・環境学)。専攻は文化人類学、アメリカ研究、アフリカン・ディアスポラ研究。
現在、京都大学人文科学研究所助教。
主著書として、Orisa: Yoruba Gods and Spiritual Identity in Africa and the Diaspora(Africa World Press、2005年、共著)、『時間の人類学:情動・自然・社会空間 』(世界思想社、2011年、共著)、『20世紀〈アフリカ〉の個体形成:南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』(平凡社、2011年、共著)、『コンタクト・ゾーンの人文学3:Religious Practices /宗教実践』(晃洋書房、2012年、共編著)、『シングルのつなぐ縁:シングルの人類学』(人文書院、2014年、共著)、など。


丸山泰明(まるやま やすあき)
1975年新潟県生まれ
2008年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専攻は民俗学。
2010年7月から2013年3月まで国立歴史民俗博物館特任助教をつとめる。
主著書として、『凍える帝国:八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌』(青弓社、2010年)、『渋沢敬三と今和次郎:博物館的想像力の近代』(青弓社、2013年)、共著として『都市の暮らしの民俗学2:都市の光と闇』(吉川弘文館、2006年)、論文として「モニュメントと記憶:八甲田山雪中行軍遭難事件をめぐる記憶の編成」(『日本民俗学』238号(2004年)など。


エヤル・ベン=アリ(Eyal Ben-Ari)
1953年イスラエル生まれ。
1985年ケンブリッジ大学博士号取得。専門は日本の文化人類学、軍事研究。
ヘブライ大学教授を経て、現在はイスラエルのキネレット大学(Kinneret College on the Sea of Galilee)社会・安全保障・平和研究所所長の所長。
主要著作に、Body Projects in Japanese Childcare: Culture, Organization and Emotions in a Preschool (Curzon, 1997), Mastering Soldiers: Conflict, Emotions and the Enemy in an Israeli Military Unit (Berghahn Books, 1998), Rethinking Contemporary Warfare: A Sociological View of the Al-Aqsa Intifada (Albany: State University of New York Press, 2010)がある。


高嶋 航(たかしま こう)
1970年大阪府生まれ。
1997年京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、2001年博士(文学)。専攻は近代中国史。
現在、京都大学大学院文学研究科准教授。
著書として、『帝国日本とスポーツ』(塙書房、2012年)、訳著として、梁啓超『新民説』(平凡社、2014年)、論文として、「近代中国における女性兵士の創出:武漢中央軍事政治学校女生隊」(『人文学報』第90号、2004年)、「菊と星と五輪:1920年代における日本陸海軍のスポーツ熱」(『京都大学文学部研究紀要』第52号、2013年)、「戦時下の日本陸海軍とスポーツ」(『京都大学文学部研究紀要』第53号、2014年)など。


朴 眞煥(ぱく じんふぁん)
1975年韓国ソウル生まれ。
2010年京都大学大学院人間環境学研究科修士課程修了(文化人類学)。専攻は文化人類学、映像人類学
現在、民放の報道番組ディレクター。
論文として、「韓国の大学における軍事文化と日常:徴兵制をめぐる言説と予備役、現役、女子学生の実践」(『コンタクト・ゾーン』2号、2008年)、映像作品として、『筑波日本語Eラーニング』(筑波大学留学生センター制作、2013年)、ドキュメンタリー映画『それぞれの平和』(総合地球環境学研究所制作、2014年)など。


上杉 妙子(うえすぎ たえこ)
1960年東京都生まれ。
1992年、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程単位取得退学。1997年博士(学術)。専攻は文化人類学。
現在、専修大学兼任講師。
主著書として、『位牌分け:長野県佐久地方における祖先祭祀の変動』(第一書房、2001年)、論文として、「英国陸軍グルカ兵のダサイン:外国人兵士の軍隊文化と集団的アイデンティティの自己表象」(『アジア・アフリカ言語文化研究』60号、2000年)、「越領土的国民国家と労働移民の生活戦略─:英国陸軍における香港返還後のグルカ兵雇用政策の変更」(『人文学報 』90号、2004年)、「移民の軍務と市民権:1997年以前グルカ兵の英国定住権獲得をめぐる電子版新聞紙上の論争と対立」(『国立民族学博物館研究報告』38巻2号、2014年)など。


福西加代子(ふくにし かよこ)
1981年大阪生まれ。
2013年京都大学大学院・人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。専攻は文化人類学・博物館研究。
論文に「ミュージアム展示をめぐる人びと:広島県呉市・大和ミュージアムを事例に」(田中雅一・稲葉穣共編『コンタクト・ゾーンの人文学1 Problematique/問題系』晃洋書房、2012)がある。


田村恵子(たむら けいこ)
1955年大阪府生まれ。
2000年、オーストラリア国立大学考古・文化人類学部で博士号を取得。専攻は歴史文化人類学・日豪交流史・太平洋戦争とその記憶。
現在、オーストラリア国立大学アジア太平洋学部客員研究員。
主業績として、『日本とオーストラリアの太平洋戦争』(御茶ノ水書房、2012年、共著)、Forever Foreign: Expatriates Lives in Historical Kobe (National Library of Australia Press, 2007,単著)、Breaking Japanese Diplomatic Codes, (ANU Press, 2012年、共編著)、"Being an Enemy Alien in Kobe” (History Australia Vol. 10, No. 2, 2013) など多数。


クリストファー・エイムズ(Chiristopher Ames)
1967年米国ペンシルバニア州生まれ。
2007年ミシガン大学人類学専攻科にて博士号取得。
現在、非常勤講師として埼玉大学、国際基督教大学にて教鞭をとる。
主著書として、‟Crossfire Couples: Marginality and Agency among Okinawan Women in Relationships with American Military Men,” In Over There: Living with the U.S. Military Empire from World War Two to the Present, ed. Seungsook Moon and Maria Höhn, (Duke University Press, 2010),「『軍人』から『外人』へ:沖縄における沖縄県民と米軍の相互関係についての民族誌学的一考察」 (『コンタクトゾーン』3号、2010年)、「コンタクト・ゾーンとしての『アメラジアンスクール・イン・オキナワ』 :多文化共生社会への課題」(エイムズ唯子との共著、 田中雅一・奥山直司編『コンタクト・ゾーンの人文学4 Postcolonial/ポストコロニアル』晃洋書房、2012)、“Friends in Need: Operation Tomodachi and the Politics of Disaster Relief in the Developed World,” with Yuiko Koguchi-Ames, In Tsunami: Aftershocks and Fallout from Japan's 3/11, ed. Jeff Kingston, (Nissan Institute/Routledge, 2012), “The Himeyuri Cycle: Remakes of an Okinawan Tragedy,” In Chinese and Japanese Films on the Second World War, ed. King-fai Tam, Timothy Y. Tsu and Sandra Wilson (Routledge, 2015)など。


訳者紹介

神谷万丈(かみや・またけ)
1961年京都府生まれ。
国際政治学・安全保障論・日米同盟論を専攻。
現在防衛大学校総合安全保障研究科・国際関係学科教授。

康陽球(かん やんぐ)
1983年京都府京都市生まれ。
文化人類学専攻。在日コリアン社会、ベトナムの枯れ葉剤被害の研究に従事。
京都大学大学院、人間・環境学研究科博士課程在籍。

萩原卓也(はぎわら たくや)
1985年群馬県生まれ。
文化人類学・スポーツ社会学専攻。日本の女子プロレス、ケニアの自転車競技の研究に従事。
京都大学大学院、人間・環境学研究科博士課程在籍。

 

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