目次
●第一部 海外編
〈南アジア〉
民族衣装を読む:インド、アルナーチャル・プラデーシュのモンパの事例から(脇田道子)
神々に贈られるバター:ラダックの遊牧民による乳加工と信仰(宮坂 清)
姉妹の儀礼的守護:インド・ベンガル地方のバイ・フォタ儀礼における兄弟姉妹関係(外川昌彦)
農耕祭祀から都市祭礼へ:インド・カルカッタのチョロック・プジャの場合(澁谷俊樹)
インド舞踊の表現とジェンダー:男性ダンサーとマスキュリニティ(古賀万由里)
多文化主義の中のチベット仏教:スイスにおける異文化の共存についての一考察(久保田滋子)
〈東南アジア〉
人びとを結びつけ隔てる:タイ北部のムスリム・コミュニティに見るイスラームの力と限界(高田峰夫)
流動のなかの文化的持続:フィリピン南部スールー諸島のサマ人における民間信仰と儀礼(床呂郁哉)
バリにおける階層変動と浄・不浄:食物のコントロールに見る上下の意識(中野麻衣子)
〈東アジア〉
民族集団間の関係に見る「民族文化」の動態:中国貴州省雷山県ミャオ族地域の一事例の考察(陶 冶)
神話から伝説へ、そして史実へ:西南中国のヤオ族の場合(鈴木正崇)
旧植民地にて日本語で礼拝する:台湾基督長老教会国際日語教会の事例から(藤野陽平)
〈中南米〉
「現代」マヤイメージの生成と変容:グアテマラ高地・女性の織りと装い(本谷裕子)
メキシコ市内の旧先住民村落における情報空間:誰に何を伝えられるのか(禪野美帆)
ストリートを彩る:ブラジル・サンパウロにおける第一世代グラフィティ・ライターの実践(中野紀和)
〈アフリカ〉
ベナンのメディアとパブリックなるもの:参加型番組の事例から(田中正隆)
葬送儀礼についての語り:ウガンダ東部・アドラ民族におけるオケウォの儀礼的特権(梅屋 潔)
日常生活での文化的他者の構築:シエラレオネでのハンドサニタイザーによる差異化を通して(ドーア根理子)
●第二部 日本編
〈神と仏〉
顕密のハビトゥス:修験道を再考する(白川琢磨)
神社の儀礼にみる歴史性と政治性:能登一宮の鵜祭を事例として(市田雅崇)
祭壇となる盆飾り:葬祭業の関与と葬儀化する盆行事(山田慎也)
ケガレの発生と操作:近世伊勢の御師史料の解読(濱千代早由美)
穢れの統御:尾張大國霊神社の儺追神事を事例として(谷部真吾)
〈巡礼と講〉
日本近世の寺社参詣の文化人類学的考察:行動文化論の深化(原 淳一郎)
「地域活性化」の担い手としての修験集団:近代の鳥海修験を事例として(筒井 裕)
巡礼の力学(中山和久)
篠栗新四国霊場における現代の修行活動(ラモット・シャールロット)
歩き遍路と海の風景:現代四国遍路のコスモロジー(浅川泰宏)
〈祭礼と風流〉
芸術としての青森ねぶた(阿南 透)
「船型だんじり」の地域的展開:徳島県の事例より(高橋晋一)
鬼のイメージ変遷:酒呑童子を中心として(コジューリナ・エレーナ)
〈民俗芸能〉
民俗芸能を取り巻く視線:広島県の観光神楽をいかに理解すべきなのか(川野裕一朗)
「船乗りの村」の戦後:大分県臼杵市諏訪津留の場合(厚 香苗)
見世物興行の民俗誌(門伝仁志)
〈沖縄〉
開かれる聖地:沖縄宗教文化の観光活用をめぐって(塩月亮子)
〈せめぎあう場〉としての門中:慣習と近代法、そして系譜意識の錯綜(宮下克也)
●第三部 理論と実践
嫉妬と民俗(中西裕二)
世界観に表出する野生(織田竜也)
親族研究の現在:「親族に代わる新しい概念」と「親族の新しい概念」(仲川裕里)
医療人類学教育の実践:その課題と授業研究の提示(濱 雄亮)
日本仏教の現実を求めて:現代から近代へ(碧海寿広)
アニミズムの地平:岩田慶治の方法を越えて(鈴木正崇)
鈴木正崇履歴・研究業績一覧
鈴木正崇研究会の歩みと関係者一覧
あとがき(編集委員)
内容説明
「鈴木正崇退職記念論集」として企画され、文化人類学・宗教学・民俗学の多様な視点から、地域社会と人々が織りなす「いま」に迫る渾身の42論考。脈々と受け継がれ、かつ進化をとげる学統の現在および展望を示す。
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まえがき
本書は民俗宗教研究の現状を多岐に亘って広く展望することを意図した論集である。二〇一五年三月に編者が慶應義塾大学を定年退職する記念の論文集として研究会OBが企画して実現した。内容は第一部海外編、第二部日本編、第三部理論と実践からなる。海外編では南アジア、東南アジア、東アジア、中南米、アフリカに関する論考を一八本、日本編では神と仏、巡礼と講、祭礼と風流、民俗芸能、沖縄に関する論考を一八本、理論と実践の論考を六本、総計で四二本を収録した。多くの方々のご協力によって幅広く論考を集めることができた。関係者各位の周到な準備と粘り強い編集力に感謝申し上げたい。
副題に掲げた民俗宗教とは、教祖・教典・教団から構成される「宗教」概念とは異なり、この三つの構成要素がないものも広く「宗教」に包摂しようとした拡張概念である。特に、日本のように西欧のキリスト教とは異なる歴史と文化をもつ社会に、西欧由来の「宗教」概念を適用しようと試みた時に起こる違和感を克服しようとする意図をもっている。その点では、日本に止まらず世界各地の状況にも適用できる。宗教人類学の視野からいえば普遍的な概念の提示によって比較の視野が開けたと言える。本書に収録された論文の全てが「民俗宗教」に関わるとは言えない。しかし、編者の専門分野が宗教人類学であることから、論集の作成にあたっては民俗宗教を論題に掲げて、各人には自由に書いてもらうことにした。収録論文は、文化人類学・宗教学・民俗学という学問の視野は共有するものの、近年の研究動向を反映して広範囲に展開している。ただし、副題を「民俗宗教研究の諸相」とした以上、学説史を紐解いて、本書の位置付けを試みておくことにする。
民俗宗教の概念が広く普及したのは、一九八〇年代以降である。それ以前は民間信仰が使用されていた。その提唱者こそ日本における宗教学の祖といわれる姉崎正治である。ただし、学術用語として民間信仰を一般的に普及させたのは宗教学者の堀一郎である(堀一郎『民間信仰』岩波書店、一九七一)。民間信仰とは成立宗教とは異なり、自然発生的で教祖・教典・教団がないこと、呪術も含み、成立宗教と融合するとした。自然宗教が中核にあり外来宗教との混淆や複合も生じる。民間信仰論は、柳田國男が日本文化に関して、外来から伝わった仏教や意図的に創出された神道の要素を排除して、固有信仰を抽出する試みを行ったことへの批判が含まれている。固有信仰の探究は、国学者の本居宣長や平田篤胤の系譜に立つ柳田國男にとっては必然の方法論であったが、民衆の世界を把握する視点としては狭すぎ、抽出は不可能である。あまりに極端な本質主義である。堀一郎は宗教学の立場から現実に即した研究視野を提示したと言える。ただし、民間信仰の用語は徐々に民俗宗教へと変わっていった。文化人類学者で都市も視野に入れたR・レッドフィールドが提唱した「都市」と「農村」の間に形成される「民俗社会」の概念に示唆を受けたからである。
一方、日本民俗学を専門とする櫻井徳太郎は民間信仰を「成立宗教の領域に属さないで、地域社会共同体の一般民衆の間に成立し、育成された日常的な庶民信仰」と定義して数多くの事例研究を積み重ねた。そして、堀一郎の民俗宗教論を視野に入れて、成立宗教と基層信仰の間の混淆形態を「民俗宗教」とし、現実に機能している混淆の実態にこそ日本人の信仰生活の特質を見出すべきだとした(櫻井徳太郎『日本民俗宗教論』春秋社、一九七二)。固有信仰は非実体的な幻想であるとして柳田民俗学の超克を試みたのである。かくして、学問分野では、民間信仰から民俗宗教への移行が進んだ。その理由は信仰には個人の内面的な心情を含むので集合表象の把握には適さないことと、民間の概念は曖昧模糊としていて範囲を定めるのが難しいことの二点である。ただし、信仰も宗教も共に明治以降の翻訳概念なので、西欧の視点が含まれどちらにも難があることは事実である。
他方、宗教民俗学を専門とする宮家準は「生活の中の宗教」の研究を提唱し、民俗宗教の再定義をおこなった。民俗宗教とは、「地域社会の人々の生活のなかに深く根づいていて、いわば彼らの生活体験にもとづく宗教的世界観を物語る」「生活慣習として営まれる民間信仰」と、「民間宗教者が民衆の救済に応じるような形に超克、再編した習合宗教」の二つを含むとする(宮家準『日本の民俗宗教』講談社、一九九四)。「民間信仰」と「習合宗教」の双方を含む「民俗宗教」という見方は、日本・海外を問わず、地域社会の実態や民衆の行動と思想を把握する場合には有効に働く。その成果は、宮家準の退職記念論文集『民俗宗教の地平』(春秋社、一九九九)に収録された諸論文で示された。
それから一五年の歳月がたち、今回、再び本論集の副題に民俗宗教研究を掲げた。その意義は何か。明らかに学問状況の質的な変化がある。インターネットの普及により、情報量は飛躍的に増大し、航空機の発達によって人々の移動は加速した。様々な文化の交流は、異種混淆の状況を常態化すると共に、客体化や資源化によって文化が流用・活用されるようになった。現代では、インターネットを利用すれば、かつては苦労して収集した資料が瞬時に得られる。もちろん、その内容には慎重な吟味が必要である。専門家養成のための大学院は、師匠から弟子へ秘儀的に知識を伝達し共有する場ではなくなりつつある。学問分野も領域性が薄れ、学説史が顧みられなくなり、方法論も確固たるものを喪失しつつある。また、グランドセオリーが無くなったので、大局的な視野を見通せなくなり、小さな分野の細かい議論に閉じ籠る傾向がある。特に地域研究にこの状況が顕著である。
編者の立場はどうか。実はグランドセオリーが好きなのである。一挙に全体が把握できる場所に立ちたい。方法論を越える「ものの見方」にこだわりたい。その願いが本書の題名の「森羅万象のささやき」に籠められている。ここ至るまでには明らかに岩田慶治の影響がある。編者が東京工業大学に助手として勤務していた時代、研究会やシンポジウム、そして対馬やスリランカでのフィールドワークを通じて、折々の対話の中で独自のアニミズム論をうかがう機会があった。その中には異次元へのワープのような体験も含まれる。道元の『正法眼蔵』の屹立する言葉を独自の解釈で読み解く独特の方法は、宗門の方々にとっては冒瀆にも等しい行為かもしれないが、世界の全体を一挙に把握する見方がちりばめられている。「尽十方世界是一顆明珠」。森羅万象がキラキラと光り輝く宝石になる一瞬に出会う。そこに世界が一挙に開陳される。道元は中国唐代の玄沙師備の言葉を手掛かりにして、世界の真の姿に迫る。自然と人間が照応する「呼べば応える世界」を探究して人間の在り方を考える。細かいことにこだわらず、宇宙と自己、自然と人間を同時に見つめる「心の眼」を養う。「森羅万象のささやき」とはその願いを籠めるのにふさわしい言葉だと思う。この願いに応えて素晴らしい本を造って頂いた関係者各位と、風響社の石井雅氏に深く感謝申し上げたい。
二〇一五年一月一日
鈴木正崇
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編者紹介
鈴木正崇(すずき まさたか)
1949年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。
専攻:文化人類学、宗教学、民俗学。
現在、慶應義塾大学文学部教授。慶應義塾大学東アジア研究所副所長。
著書:『山岳信仰―日本文化の根底を探る』(中央公論新社、2015年)、『ミャオ族の歴史と文化の動態―中国南部山地民の想像力の変容』(風響社、2012年)、『祭祀と空間のコスモロジー―対馬と沖縄』(春秋社、2004年)、『女人禁制』(吉川弘文館、2002年)、『神と仏の民俗』(吉川弘文館、2001年)、『スリランカの宗教と社会―文化人類学的考察』(春秋社、1996年)、『山と神と人―山岳信仰と修験道の世界』(淡交社、1991年)、『中国南部少数民族誌―海南島・雲南・貴州』(三和書房、1985年)。
共著:『西南中国の少数民族―貴州省苗族民俗誌』(古今書院、1985年)、『スリランカの祭』(工作舎、1982年)。
編著:『南アジアの文化と社会を読み解く』(慶應義塾大学出版会、2011年)、『東アジアにおける宗教文化の再構築』(風響社、2010年)、『東アジアの民衆文化と祝祭空間』(慶應義塾大学出版会、2009年)、『神話と芸能のインド―神々を演じる人々』(山川出版社、2008年)、『東アジアの近代と日本』(慶應義塾大学出版会、2007年)、『大地と神々の共生―自然環境と宗教』(昭和堂、1999年)
共編著:『拡大する中国世界と文化創造―アジア・太平洋の底流』(弘文堂、2002年)、『〈血縁〉の再構築―東アジアにおける父系出自と同姓結合』(風響社、2000年)、『仮面と巫俗の研究―日本と韓国』(第一書房、1999年)、『民族で読む中国』(朝日新聞社、1998年)、『ラーマーヤナの宇宙―伝承と民族造形』(春秋社、1998年)、『東アジアのシャーマニズムと民俗』(勁草書房、1994年)。
執筆者紹介(掲載順)
脇田 道子(わきた みちこ)
1951年生まれ
日本ブータン研究所研究員
「ブータン東部におけるツーリズム導入に関する一考察─メラとサクテンの事例から」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第70号、2010年)。
宮坂 清(みやさかきよし)
1971年生まれ
名古屋学院大学法学部講師
「ラダックにおけるルー信仰と病い」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第64号、2007年)。
外川 昌彦(とがわ まさひこ)
1964年生まれ
広島大学大学院国際協力研究科准教授
『聖者たちの国へ─ベンガルの宗教文化誌』日本放送出版協会、2008年。
澁谷 俊樹(しぶや としき)
1982年生まれ
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程
「インド・コルカタの都市祭礼の変容─カリ女神祭祀を中心として」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第70号、2011年)。
古賀 万由里(こがま ゆり)
1972年生まれ
慶應義塾大学文学部非常勤講師
「儀礼と神話にみる神と人─ケーララのテイヤム」(鈴木正崇〔編著〕『神話と芸能のインド─神々を演じる人々』山川出版社、2008年)。
久保田 滋子(くぼた しげこ)
千葉商科大学非常勤講師
「アジアの外部のアジア」(片岡樹・シンジルト・山田仁史〔共編〕『アジアの人類学』春風社、2013年)。
高田 峰夫(たかだ みねお)
1957年生まれ
広島修道大学人文学部教授
『バングラデシュ民衆社会のムスリム意識の変動─デシュとイスラーム』明石書店、2006年。
床呂 郁哉(ところ いくや)
1965年生まれ
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授
『越境─スールー海域世界から』岩波書店、1999年。
中野 麻衣子(なかの まいこ)
1970年生まれ
慶應義塾大学文学部非常勤講師
「モノの消費のその向こうに─バリにおける顕示的消費競争と神秘主義」(吉田匡興・石井美保・花渕馨也〔編著〕『来たるべき人類学③ 宗教の人類学』春風社、2010年)。
陶 冶(Tao Ye)
1969年生まれ
山東大学哲学与社会発展学院人類学系副教授
「観光開発に見る『民族文化』の表象」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第69号、2010年)。
藤野 陽平(ふじのようへい)
1978年生まれ
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員
『台湾における民衆キリスト教の人類学─社会的文脈と癒しの実践』風響社、2013年。
本谷 裕子(ほんや ゆうこ)
1970年生まれ
慶應義塾大学法学部准教授
「マヤ先住民女性の衣文化の謎を探る」(青山和夫・米延仁志・坂井正人・高宮広士〔編〕『文明の盛衰と環境変動─マヤ・アステカ・ナスカ・琉球の新しい歴史像』岩波書店、2014年)。
禪野 美帆(ぜんの みほ)
1964年生まれ
関西学院大学商学部准教授
『メキシコ、先住民共同体と都市─都市移住者を取り込んだ「伝統的」組織の変容』慶應義塾大学出版会、2006年。
中野 紀和(なかの きわ)
1967年生まれ
大東文化大学経営学部教授
『小倉祇園太鼓の都市人類学─記憶・場所・身体』古今書院、2007年。
田中 正隆(たなか まさたか)
1967年生まれ
高千穂大学人間科学部准教授
「ジャーナリストと生活戦略─民主化以降ベナンにおける人とメディアの関わり」(『文化人類学』第77巻1号、2012年)。
梅屋 潔(うめや きよし)
1969年生まれ
神戸大学大学院国際文化学研究科准教授
梅屋潔・浦野茂・中西裕二『憑依と呪いのエスノグラフィー』岩田書院、2001年。
ドーア 根理子(どーあ ねりこ)
1967年生まれ
ラマポ大学サラメノ人文グローバル学部(Ramapo College, Salameno School of Humanities and Global Studies)非常勤講師
『Meaningful Inconsistencies: Bicultural Nationhood, the Free Market, and Schooling in Aotearoa/New Zealand』Berghahn Books、2009年。
白川 琢磨(しらかわ たくま)
1953年生まれ
福岡大学人文学部教授
「神仏習合と多配列クラス」(『宗教研究』第81巻第2輯353号、2007年)。
市田 雅崇(いちだ まさたか)
1973年生まれ
国学院大学日本文化研究所共同研究員
「近代神社の講的組織」(長谷部八朗〔編〕『「講」研究の可能性Ⅱ』慶友社、2014年)。
山田 慎也(やまだ しんや)
1968年生まれ
国立歴史民俗博物館研究部准教授・総合研究大学院大学日本歴史研究専攻准教授
国立歴史民俗博物館・山田慎也・鈴木岩弓〔編〕『変容する死の文化─現代東アジアの葬送と墓制』東京大学出版会、2014年。
濱千代 早由美(はまちよ さゆみ)
1969年生まれ
帝塚山大学・奈良大学・日本福祉大学非常勤講師
「宗教都市におけるケガレの操作と『清浄』概念の共有」(鈴木則子編『歴史における周縁と共生─女性・穢れ・衛生』思文閣出版、2014年)。
谷部 真吾(やべ しんご)
1970年生まれ
慶應義塾大学文学部非常勤講師(2015年4月より)
「町を浄化する祭り」(『HERSETEC』Vol.5 No.2、2011年)。
原 淳一郎(はら じゅんいちろう)
1974年生まれ
山形県立米沢女子短期大学日本史学科准教授
『江戸の旅と出版文化─寺社参詣史の新視角』三弥井書店、2013年。
筒井 裕(つつい ゆう)
1976年生まれ
帝京大学文学部講師
「山岳崇敬者の参拝活動にみられる地域的差異とその形成要因」(原淳一郎・中山和久・筒井裕・西海賢二〔共著〕『寺社参詣と庶民文化』岩田書院、2009年)。
中山 和久(なかやま かずひさ)
1969年生まれ
人間総合科学大学准教授
「巡礼と現代─関東三十六不動霊場を中心として」(『日本民俗学』第211号、1997年)。
LAMOTTE Charlotte(ラモット・シャールロット)
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程
「巡礼と地域社会に関する方法論的考察─篠栗新四国霊場の事例を通して」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第75号、2013年)。
浅川 泰宏(あさかわやすひろ)
1973年生まれ
埼玉県立大学准教授
『巡礼の文化人類学的研究─四国遍路の接待文化』古今書院、2008年。
阿南 透(あなみ とおる)
1958年生まれ
江戸川大学社会学部現代社会学科教授
「『東北三大祭』の成立と観光化」(『観光研究』22巻2号、2011年)。
髙橋 晋一(たかはし しんいち)
1963年生まれ
徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部教授
「徳島県における祭礼山車の展開─文化交流史の視点から」(地方史研究協議会〔編〕『歴史に見る四国─その内と外と』雄山閣、2008年)。
KOZHURINA Elena(コジューリナ・エレーナ)
1983年生まれ
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了
「酒呑童子伝説の地域的研究─首塚大明神の生成と変容」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第70号、2011年)。
川野 裕一朗(かわの ゆういちろう)
1984年生まれ
平成国際大学法学部非常勤講師
「高度経済成長による備中神楽の変遷─神楽会計帳の分析から」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第70号、2011年)。
厚 香苗(あつ かなえ)
1975年生まれ
立教大学文学部兼任講師
『テキヤ稼業のフォークロア』青弓社、2012年。
門伝 仁志(もんでん ひとし)
1972年生まれ
見世物学会事務局
「大衆文化の展示─見世物絵看板を事例として」(『人間と社会の探究─慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第58号、2004年)。
塩月 亮子(しおつき りょうこ)
1965年生まれ
跡見学園女子大学マネジメント学部観光マネジメント学科教授
『沖縄シャーマニズムの近代─聖なる狂気のゆくえ』森話社、2012年。
宮下 克也(みやした かつや)
1968年生まれ
北里大学一般教育部非常勤講師
「記憶の刻印・喚起と自己確認─現代沖縄社会の金武御殿巡拝」(『日本民俗学』206号、1996年)。
中西 裕二(なかにし ゆうじ)
1961年生まれ
日本女子大学人間社会学部教授
梅屋潔・浦野茂・中西裕二『憑依と呪いのエスノグラフィー』岩田書院、2001年。
織田 竜也(おだ たつや)
1971年生まれ
長野県短期大学多文化コミュニケーション学科准教授
織田竜也・深田淳太郎〔編著〕『経済からの脱出』春風社、2009年。
仲川 裕里(なかがわ ゆり)
1965年生まれ
専修大学経済学部教授
「『行ったり来たりする人たち』─1990年代韓国農村社会における移動と定住」 (専修大学人文科学研究所〔編〕『移動と定住の文化誌─人はなぜ移動するのか』彩流社、2011年)。
濱 雄亮(はま ゆうすけ)
1981年生まれ
慶應義塾大学文学部ほか非常勤講師
「自己エスノグラフィの実践と医療人類学における活用」(『文化人類学研究』第13巻、2012年)。
碧海 寿広(おおみ としひろ)
1981年生まれ
龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員
『近代仏教のなかの真宗─近角常観と求道者たち』法藏館、2014年。