目次
序章
一 問題の所在
1 人類学における宗教に対する視座
2 イスラーム復興をめぐる議論
3 中国における宗教復興をめぐる議論
4 本書の視座
二 調査地の概要
三 調査について
四 本書の構成
第一章 ムスリムから「回族」へ
一 預言者ムハンマドの末裔としての雲南回族
1 中国へのイスラームの伝来
2 元代における外国人ムスリムの大量移入
3 ムスリムに統治された雲南
二 外国人ムスリムから中国のムスリムへ
1 ムスリムの中国への定着とイスラーム教育改革
2 ムスリムの貧困化とムスリムへの弾圧
三 宗教的マイノリティから「民族」へ
1 中国イスラーム新文化運動
2 創られた「民族」としての「回族」
3 再びの弾圧
四 回族社会の現在
1 イスラーム復興の進展
2 漢化する回族社会
3 回族とムスリムの分化
第二章 イスラーム復興と漢化のあいだ
一 宗教的権威の変容
1 「文化」のないアホン
2 イスラームのあり方の変化
二 ムスリム大学生によるダアワ運動
1 ダアワ運動の概要
2 「礼拝堂」に集まる回族大学生
3 支教活動の展開
4 参加者たちの異なる意図
5 支教活動として展開されるダアワ運動
三 インターネットが媒介する公益活動
1 回族のインターネット・コミュニティ
2 敬虔なムスリムの参加
3 公益活動の展開
4 イスラーム化しきれない公益活動
四 宗教と世俗の連鎖
第三章 「宗教」に抗するイスラーム
一 国家に取り込まれる「宗教」
1 中国共産党による宗教管理制度
2 国家に飼い慣らされるアホン
二 トランスリージョナルなイスラーム学習活動
1 雲南省におけるイスラームの中心地・沙甸
2 地域を移動して学ぶイスラーム
3 移動によるポリティクスの回避
三 インフォーマルな宗教活動の動態
1 昆明市におけるイスラーム教育
2 取り締まりをかわす
3 動き続ける回族
四 動きのなかの自律性
第四章 揺れ動く宗教性
一 「敬虔な」ムスリム
1 敬虔な回族
2 二重の婚姻
3 「原則」に従うことによるイスラーム実践
二 「漢化した」回族
1 漢族のように見られる回族
2 実家でのみ着用されるヒジャーブ
3 折り合いをつけることによるイスラーム実践
三 回族と漢族の境界の揺らぎ
1 潜在的なムスリムとしての漢族
2 回族と漢族の通婚の余地
四 回族とムスリムのあいだ
終章
一 もつれ合う宗教と世俗
二 生きにくさを生きる
三 再び開かれゆく回族のあり方
あとがき
初出一覧
資料 NGO設立に向けた会議の告知文
参考文献一覧
索引
内容説明
イスラーム系10民族2300万人の半数近くを占める回族は、各地でモスクを中心とした小規模なコミュニティを形成し、漢族を主とする非ムスリムと隣り合って暮らしてきた。雲南ムスリムの調査から、彼らの日常と信仰に迫る。
第12回 国際宗教研究所賞(2017年2月)
第12回 日本文化人類学会奨励賞(2017年5月)
*********************************************
終章より
本書では、現代中国の都市部における回族を中心に行われるダアワ運動やイスラーム教育活動などのイスラーム運動、さらにこれらの運動に関わる人びとのムスリムとしてのあり方について、教義としてのイスラームとの関係におけるイスラームと非イスラームという区分、および世俗主義的な国家の制度における宗教と世俗の区分を前提とせず、記述、分析してきた。本章では、まず第一節でこれまでの議論を踏まえ、回族によるイスラーム運動の特徴について論じ、そのうえで序章において概観した先行研究の議論に立ち返り、宗教と世俗を分けて捉えることの有用性とその限界について考察する。第二節では、イスラーム運動と回族のムスリムとしてのあり方との関係から、教義としてのイスラームおよび世俗主義的な国家の制度との関係において曖昧性を持った回族によるイスラーム運動の意味について論じる。さらに、第三節では、そうした回族によるイスラーム運動を、回族の歴史との関わりから考察したい。
一 もつれ合う宗教と世俗
1 イスラーム運動を通して現れる回族にとってのイスラーム
本書では、人類学における儀礼研究のように、宗教をその他の諸領域から分割された領域とみなすことを前提とせず、現地の人びとの実践を記述、分析してきた。本節では、そうすることで回族によるイスラーム運動のどのような側面に新たな光を当てることができたのかを論じたい。
第二章第二節で取り上げたダアワ運動は、その運動を支援する宗教指導者やそれを主導する回族大学生にとって、イスラームの発展を目的とした宣教活動であった。しかし、この活動は、普通教育の普及による回族の発展を目指す一般信徒の支援者や、娯楽や観光、ムスリムの異性との出会いを求める回族大学生の担い手を巻き込むことで、その規模を拡大し発展してきた。
また、対照的に第二章第三節で取り上げた回族のインターネット・コミュニティを基盤とした活動は、第一章第四節で述べたように都市部において分散して居住するようになった回族の相互扶助、あるいは異性との出会いの場の確保、回族企業への就職といった目的で始められたものであった。しかし、敬虔な回族ムスリムたちがそこに加わることで宣教活動やムスリムのための公益活動として展開された。
第一章第四節で述べたように、当該社会では、より厳格なイスラーム言説、すなわち何がハラールで、何がハラームでないかをより明確に区分する聖典主義的な言説が影響力を増している。そのため、特に敬虔さの度合いの高い参加者たちがこれらの活動をムスリムの活動ではないと批判することや活動のあり方をめぐるコンフリクトがたびたび起きる。そこから明らかになるのは、これらの活動が聖典主義的なイスラーム言説のレベルにおいて、イスラーム的要素と非イスラーム的要素が混在しているということである。
しかし、現地の社会的文脈に即してみると、それらは必ずしも異質なものではないことがわかる。現地では、回族がモスクを中心に集住する伝統的コミュニティが解体し、日常的に回族が顔を合わせる機会はほとんどなく、また回族は漢族など非ムスリムを中心とした職場に就職せざるをえない状況下にある。そのため、ムスリムとの婚姻のための異性との出会いやイスラームを実践しやすい回族企業への就職は、敬虔な回族が「原則」、「正しい道」などと呼び重視する教義としてのイスラームと切り離して理解することが必ずしもできないのである。
加えて、第二章第一節で述べたように、当該社会では、よりよいイスラームの理解、「認識安拉(アッラーを知る)」と語られるイスラームへの目覚めのためには、中国政府により提供される普通教育を通して近代的知識を習得することが必要であるとみなされる傾向にある。上述のダアワ運動の主要な担い手が大学生であることや、第三章第三節で取り上げたイスラーム教育活動の担い手がアホン資格を持たない世俗的エリートであったことは、イスラームへの目覚めと近代的な学校教育が密接な関係にあることを反映している。その意味で、ムスリムとしての敬虔さは、一見すると教義としてのイスラームと関係しない非イスラーム国家である中国の公的教育と不可分な関係にある。
これらのことから、現代中国における回族の様々な活動やイスラームのあり方を理解するうえで、ア・プリオリにイスラームのあり方を設定することはできないといえる。それは彼らの実践を通して立ち現れるものなのだ。ゆえに、ダアワ運動が宣教活動として始められながら、民族運動やレクリエーション活動でもあるようなものとして、あるいは対照的にインターネット・コミュニティを中心としたレクリエーション活動が宣教活動やワクフの設立といった活動でもあるようなものとして発展してきた過程が示すように、実践を通して現れる「イスラーム」は、その地域の文脈に即して、多様な目的を持ったアクターを巻き込みながら、変化していくのである。
言い換えれば、回族によるイスラーム運動は、実践に先立つ、第四章第一節で取り上げたような普遍的な「原則」としてのイスラーム、あるいは教義としてのイスラームに基づいて展開されているわけでは必ずしもないということである。その意味で、回族によるイスラーム運動は、先行研究における社会レベルでのイスラーム化を推進するイスラーム復興運動やイスラーム的社会運動[e.g. Nagata 1982; Eickelman and Piscatori 1996; 小杉 一九九四、Gillette 2000]、あるいは聖典主義的なイスラーム言説に基づいてムスリムが敬虔な自己を形成していく敬虔運動[e.g. Mahmood 2005; 松本 二〇一〇]といった枠組みでは十分に理解することができない。回族によるイスラーム運動は、普遍的な教義としてのイスラームを志向する運動ではなく、そうした「イスラーム」に規定されながら、それとは矛盾する要素をはらむ回族の生活世界のなかで、彼らの実践を通して立ち現れる「回族のイスラーム」をめぐる運動なのである。
上述のように教義としてのイスラームに依拠すれば、回族のイスラーム運動は、イスラーム的要素と非イスラーム的要素が混在しているといえ、その意味でこの運動は宗教と世俗を横断して展開しているとみなすこともできる[cf. 大塚 二〇〇四、多和田 二〇一〇]。しかし、敬虔な回族が重視する聖典主義的なイスラーム言説からすれば非イスラーム的とされる男女混合による活動や普通教育の振興なども、先に述べたように当該地域の文脈において回族の実践を通して現れる「回族のイスラーム」に即していえば、必ずしも非イスラーム的なものではない。そのため、宗教と世俗との分離を前提にしては、回族によるイスラーム運動のあり方、あるいは彼らが実践する「回族のイスラーム」のあり方をよりよく理解することを妨げることになってしまう。その意味で、序章で概観した宗教概念批判、すなわち宗教と世俗を密接な関係にあるものとして捉えようとする試みは[e.g. Asad 1993; McCutcheon 1998]、回族のイスラーム運動を理解するうえで部分的にしか有用ではないといえる。
2 制度化しないイスラーム運動
しかし、国家の制度上は宗教と世俗が分離される、という点には留意が必要である。現在の昆明市においてイスラームは、戦前の回族コミュニティとは異なり、回族の生活世界の全体を秩序づけるものではない。第三章第一節で論じたように、現代中国では中国共産党政府によって宗教は、世俗すなわち政治、司法、教育などの諸領域から切り離され、管理統制が可能な領域として対象化される。すでに取り上げたように、現代中国において宗教活動は制度的に「拝仏、誦経、焼香、礼拝、祈祷、講経、講道、ミサ、受洗、受戒、サウム、宗教上の祝祭日を過ごすこと、神父の聖油による祝福、追想など」[中共中央文献研究室総合研究組・国務院宗教事務局政策法規司編 一九九五:六三]と規定され、その活動場所は政府の公認を得た宗教施設に、宗教指導者は政府発行のアホン資格を持つ者に限定される。
本書で取り上げた回族によって実際に行われるイスラーム運動と、国家の宗教政策における宗教の境界づけを安易に結びつけることには注意が必要である。しかし、国家の宗教政策は回族のイスラーム運動に介在し、そのあり方を規定する大きな要因のひとつとなっている。
上述のダアワ運動の事例では、参加者たちはその活動が国家により法的に定義される宗教の範疇を超えていることを意識しており、実際の活動の際にかたまって移動しない、ダアワ運動と公言しないなどと注意が払われる。また、公益活動についてはワクフのための基金運営を目的としたNGOの設立が公安による取り締まりで頓挫した。
さらに、第三章第三節で示したように、宗教を管理しようとする国家権力は、モスク管理委員会や宗教事務局などの機関を通して、インフォーマルな活動の取り締まりというかたちで働く。それは上述のように教義としてのイスラームに還元されないという意味で宗教と世俗という区分には回収されない拡がりを持つ「回族のイスラーム」を、宗教政策において宗教と名づけられた領域に囲い込もうとする。
その意味で、先行研究において論じられてきたように[e.g. McKinnon 2002; Asad 2003]、世俗主義的な国家による宗教と世俗の分離は、単に政策のレベルでだけではなく、実際の回族によるイスラーム実践にも影響を及ぼしている。
以上を踏まえると、現代中国の都市部における回族のイスラーム運動は、上述のように宗教と世俗というカテゴリーを前提としては理解しえない「回族のイスラーム」をめぐる運動であると同時に、国家の宗教政策によって制度的に世俗的諸領域から切り離され、宗教という特定の領域に限定されている。そのため、ここにはアサドが指摘するように、世俗主義が対象化する「宗教」と回族の実践を通じて立ち現れる「回族のイスラーム」とのあいだにズレがあるといえる[Asad 2003: 199]。
しかし、ここで重要なのは、回族のイスラーム運動では、先行研究において論じられてきたように[e.g. Nagata 1982; Gillette 2000; Asad 2003: 200-201; 野中 二〇〇八]、このズレが国家と人びととのあいだでの宗教の境界線をめぐるポリティクスには必ずしも向かわないということである。
第二章第三節で取り上げたワクフのためのNGO設立の運動には、それまで現地のムスリム社会においてワクフを担う「領導(lingdao、指導)」が欠けていたという認識の下、従来モスクが主要な引き受け手となっていたザカートを集約し、社会的に還元する「領導」を、政府公認の宗教指導者ではない一般信徒が中心となって担っていこうとするものであった。そのため、これは政府の宗教管理制度下における宗教的資源の配置に転換をもたらそうとするものであり、その意味で、国家が定める宗教の境界線の再定義に関わる運動であったと解釈することができる。また、本書で取り上げた事例以外でも、序章で述べたように、中国の近代化の過程で、国家や宗教集団など多様なアクターの相互作用のなかでいかに宗教が制度化されてきたのかが主要な問題として論じられてきたように[e.g. Chau 2005; Ashiwa and Wank 2009]、宗教の境界線をめぐるポリティクスは、イスラームに限らず、中国においても広くみられる現象である。
このように世俗と対置して規定される制度上の宗教と、人びとが実践する、その区分には還元されない人びとによって生きられる宗教、本書でいうところの「回族のイスラーム」との齟齬が、宗教の境界線の再定義へと向かう状況がみられる。よって、制度上の「宗教」と「回族のイスラーム」とのズレが国家への抵抗や社会的な変革を目指す運動へと向かうとみなす視座は、現代中国における宗教現象の重要な一側面を説明するものではある。
上述のように、NGO設立運動には、たしかに中国共産党政府の宗教政策に対する挑戦とみなされうる面があった。しかし、そこで等閑視すべきではないのは、その後の展開である。公益活動は、公安による取り締まりを受けた後、政治的に先鋭化するのではなく、政府の宗教政策の射程に入らないグレーな領域で、政府の取り締まりを惹起しにくい形式で、それまでと同様に世俗主義の立場からすると宗教と世俗とを横断するものとして継続されていった。たとえば、その後も継続されている活動のひとつとして、ムスリムを対象としたお見合いパーティーがある。お見合いパーティーは、政府が管理の対象とする宗教の領域に含まれないため、原則的には政府の宗教管理の対象とはならない。ただし、そこでは異性との出会いの場を提供すると同時に、政府の管理統制の対象となる宣教活動も行われる。しかし、重要なのは、ここでは制度上の宗教の範疇に変更を加えようとすることが目指されるのではなく、むしろ政府の注意を引かないことが重視されるということである。
このように行政当局との関わりを避ける態度は、本書で提示した事例に共通して見られるものである。宗教管理制度上、それを逸脱し、政府の取り締まりの対象となるダアワ運動は、「支教」という、政府が使用し、社会的に流通する形式を援用して展開され、実際の活動の際に上述のように目立たないよう注意が払われていた。また、第三章第二節で取り上げた「ジャマーアト訪問」の事例では、人びとは政府の宗教活動に対する取り締まりの緩やかな地域へ移動することで、居住地では取り締まりを受ける可能性の高い活動の実施を可能にしていた。さらに、上述のインフォーマルなイスラーム教育活動は、政府の取り締まりを受ける度に取り締まりを受けにくいように実施する場所やその活動のあり方自体を変えていくことで、断続的ながら継続されていた。
このように、回族のイスラーム運動は、宗教の境界線をめぐるポリティクスへと収斂していくわけではなく、むしろその基調をなすのは、ポリティクスの回避なのである。言い換えれば、回族によるイスラーム運動は、中国共産党政府の宗教管理制度における宗教として実体化せず、世俗主義的な国家の制度においても宗教でも世俗でもあるような曖昧なものとして展開されるのである。……
*********************************************
著者紹介
奈良雅史(なら まさし)
1982年北海道生まれ
2014年筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程修了。博士(文学)。
専攻は文化人類学、イスラーム研究、中国研究。
日本学術振興会特別研究員PD(国立民族学博物館)、ボルドー政治学院Les Afriques dans le monde客員研究員を経て、現在、北海道大学メディア・コミュニケーション研究院助教。
主著書として、『「周縁」を生きる少数民族――現代中国の国民統合をめぐるポリティクス』(勉誠出版、2015年、共編著)、Revisiting Colonial and Post-Colonial: Anthropological Studies of the Cultural Interface(Bridge21 Publications, 2014年、共著)、主な論文として、「動きのなかの自律性:現代中国における回族のインフォーマルな宗教活動の事例から」(『文化人類学』80巻3号、2015年)、「漢化とイスラーム復興のあいだ:中国雲南省における回族大学生の宣教活動の事例から」(『宗教と社会』19号、2013年)、「『国家の余白』としての『宗教的なるもの』:中国雲南省昆明市における回族の結婚活動を事例として」(『史潮』74号、2013年)など。