目次
序章
●第Ⅰ部 社会変化期を生きる連家船漁民
第一章 「連家船漁民」とは誰か
第二章 土地と家屋獲得の歴史
──集団化政策と陸上定居を経て
●第Ⅱ部 陸上の世界に自らを位置づける
第三章 祭祀活動に見る連家船漁民の集団意識
──共存する「宗族」・「角頭」・「大隊」
第四章 連家船漁民の眼に映る陸上の人々との差異
──葬送儀礼と「祖公」をめぐる理解
●第Ⅲ部 水上/陸上のはざまで
第五章 船に住まいつづける連家船漁民
終章 「水上に住まう」ことが意味するもの
あとがき
参考文献
索引
内容説明
水上/陸上に住まうという行為を、単に住む場所に関連させるのではなく、また被差別の問題に置き換えるのでもなく、日常の実践の総体と捉える。船に住まう人々の生きざまを描く、気鋭の民族誌。
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序章より
水上は、人が住まうには苛酷で悲惨な世界だ──。船上に住まう人々を貶めてきたこの通念は、近代において、彼らを水上から陸上へと解き放つように働いてきた。一九五〇年代からアジア各地の水辺に次々と建てられた、杭上家屋や鉄筋の集合住宅。この時、水上を漂う根なし草のような小船での暮らしは、蔑みの対象から、憐みの対象へと変わった。「陸上には、学校も病院もある。あなたたちにも、安全で、豊かで、文化的かつ科学的な生活を営む権利がある。さぁ、陸上へ!」と。そう、船上生活者は、陸上の世界へと救済されたのだ。──それから半世紀。船には今日も、人が住まいつづけている。
本書の主人公、中国福建省南部の河と海で暮らしてきた「連家船漁民」もまた、そのような人たちである。まっとうな人間ならば、とうてい望むはずのない、危険で、貧しく、文明から遠く離れた船上での暮らし。そのために、周囲の農民や都市民から、奇怪な人種や民族として貶められた過去。それが一転、今度はすべてをもたざる弱者の彼らに「国家の主人」たる地位を授け、公民の基本的権利としてわずかばかりの土地と集合住宅を与えてくれた共産党政権。職業や住まう場所の自由な選択を可能にした改革開放は、彼らの暮らしをいっそう人間らしいものにしてくれた。皆でがむしゃらに働き、求めた陸上の豪奢な家屋。その家屋を後目に、彼らの多くは今も、船に住まっている。海洋自然保護という地球規模で追求される高邁な理念や、世界中を巻き込み展開される国防政策といったものに取り込まれながら……。
連家船漁民にとって、水上とはただ寝泊まりをするだけの空間ではない。自然の脅威との闘い、人種・エスニシティ・経済格差をめぐる被差別的状況、国家建設・定住化・教育・福祉・環境保護・国防に関わる国策。かくも複雑な要素が絡み合うなか、今日も水上でくり広げられるのは、連家船漁民の「生」の営みである。
本書は、約一〇〇年にわたる現代中国を舞台に、連家船漁民の日常実践を見つめながら、水上に住まうことの意味を問う民族誌である。同時にこれは、国家の政策によりもたらされた住まう環境をめぐる大きな変化について、船の上で生きるマイノリティがいかに解釈し、いかに自分のものとしてきたのかを描く試みであり、中国の現代史を周縁から逆照射するものである。
第一節 問題の所在
⑴ 水上居民研究の系譜
海や河川で漁業や運搬業を営みながら、船に住まう人々。江蘇・浙江・福建・広東・広西といった中国東南部の海・河川・淡水湖には、「船上生活者」・「漂海民」とカテゴライズされる人々が数多く暮らしてきた。各地の船上生活者は、「水上居民」(=水上に住まう民)と総称される。だが、このいかにも客観性と中立性に彩られた語は、一九五〇年代になって登場した標準語の表現である。歴史のなかで彼らは、奇怪な人々として知識階級の興味を集め、まったく別の名で呼ばれてきた。それでは、そもそも、水上居民とは、中国社会でいかなる存在としてまなざされてきたのだろうか。
以下では、歴史書や学術研究において、「陸上/水上」という住空間の境界が、「漢族/蛮族」、「良民/賤民」といった社会的地位の境界へと重ね合わされてゆくさまを概観する。ここで展開されるのは、単なる先行研究の回顧などではない。これは水上居民たちが、いかなるまなざしに曝されながら、いかなる歴史を歩んできたのかを明らかにする道程である。すなわち、研究者もまた、陸上の農民や商人、為政者や地方の知識人とともに自らの目論見のもとで何がしかの水上居民像を作り上げる共犯者であり、それが水上居民の生きる現実社会を動かす力をもち得るという事実を押さえておくことが肝要である。
以下のまとめからは、水上居民に関するこれまでの研究が、概して次の三つの問いにより分断される形で遂行されていることが確認できよう。それはすなわち、①彼らはなぜ、船上へと追いやられているのか(=船上生活を生み出す根本的要因の追求)、②彼らはいかに、マイノリティの立場へ追いやられているのか(=水上居民を排除することで成り立つマジョリティ社会の解明)、③彼らが脱却したいと望む船上生活とは、いかなるものなのか(=過去の負の記憶たる船上生活の再構成)というものである。ここでの最終的な狙いは、これらの問いに通底する「物言わぬ弱き被差別者」という水上居民像こそが、船に住まう営みに関わる彼ら自身の論理を理解することから遠ざけていることを批判的に再考することにある。
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著者紹介
藤川美代子(ふじかわ みよこ)
1980年、愛知県生まれ。
2014年、神奈川大学歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。博士(歴史民俗資料学)。
現在、南山大学人類学研究所第一種研究所員。
主要論文に、「福建の船上生活者にとって『家』とは何か―ある家族の年代記から」(『物質文化』96、2016年)、「現代中国の社会変化期における水上居民の暮らし」(『年報非文字資料研究』第9号、2013年)など。