目次
まえがき
序章
第一章 モンの概要
第二章 民族識別と「民族衣装」の真正性
第三章 衣装の変化の様相
第四章 既製服化による流行と審美性の希求
第五章 葬送儀礼における装いの規範性
第六章 婚姻衣装における規範性と審美性
終章
あとがき
参考文献一覧
図・表・写真・資料一覧
索引
内容説明
伝統的な衣装が日常生活で着られる雲南。しかし、村々には商品化・工業製品化の波が押し寄せ、伝統的衣装の多くは既製服化・化繊化している。民族衣装の置かれた現実を見つめ、装うという人間の行為の普遍性とその現在に迫る。民族性への新たな視座。
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まえがきより
本書は、中国雲南省に居住するミャオ族のうちモン(Hmong)と自称する人びとの「民族衣装」が、日々の生活のなかで、いかに作り出され、着用されているのかといった装いの実践を、民族誌的アプローチによって記述したものである。
「民族衣装」という言葉は、どのような衣装を想起させるだろうか。少数民族が着ているものは中国では「民族衣装(民族服飾min zu fu shi)」と見做されている。「民族衣装」は日本語としてもありふれた用語であるため、その使用にそれほど違和感を覚えないかもしれない。しかし、「民族衣装」という用語には、多くの既成イメージが付きまとっている。それを示すために、私がモンの「民族衣装」と接し始めたころの個人的なエピソードを紹介したい。
私は2004年10月に約2年ぶりに雲南省を訪れた。雲南大学でのある会議に出席した後、エクスカーションとして文山壮族苗族自治州(以下、文山州と表記)へ行くことになった。朝9時ごろ省都昆明を出発した車が、午後を過ぎて文山州へと差しかかったころ、車窓からみえたモン女性の装いに、私は驚いた。それは、私が以前に見知っていたものと見た目が異なるものだったからだ。従来の文山州のモンの衣装は、大麻を素材とした布に、藍によるろうけつ染めや刺繍をほどこしたものだった。細かいプリーツのついた膝丈のスカートは、藍色の幾何学文様と、赤色やピンク色、黄色など暖色系の毛糸を使用したクロス・ステッチで彩られる。しかし、2004年にみたモン女性たちは、青色や白色など寒色系の色の衣装を着ていた。しかもそれは遠目にも化繊布だと分かるものだった。
博士論文のための調査を開始したばかりの2007年1月に、旧正月の準備に向けた買い物でにぎわう文山州文山県の定期市を訪れた。市内中心部の古い通りに、新鮮な肉や野菜、日用雑貨、衣類や布団などを販売する露店がところ狭しと並び、往来する人や車でごった返していた。そこにモンの衣装ばかりを販売する200mほどの通りがある。細い通りに60以上の露店が立ち並び、ビーズ飾りやスパンコール、レースなどで華やかに装飾されたモンの衣装-スカート、上衣、前掛け、腰帯、脚絆、帽子が並んでおり、地元のモン女性たちが新しい年を迎えるための衣装を真剣に吟味していた。
続いて、文山州のモン居住村で住み込み調査を始めた2007年10月ごろのことである。当時、農村に居住するモン女性たちのほとんどは、モンの衣装を日常的に着用していた。そしてその多くは、上述したように化繊布で作られたものであった。衣装について知りたいと伝えた私は、まずホストファミリーの従兄の家に連れていかれた。ホストファミリーの家には、もう古い衣装が残っていないからだという。従兄の家で、従兄の妻の所有する大麻を素材とし、藍染めや刺繍をほどこした手仕事による衣装を何着かと、かつて使用していた糸車をみせてもらった。その後、別の親戚の家に連れていかれ、そこでも老年女性の所有する手仕事によるスカートを2枚みせてもらった。しかし女性たちはそれをもはや日常的には着ていない。そればかりか多くの世帯では、着古したり、わずかな現金を得るために売ったりして、古い衣装を所有さえしていない。女性たちは(男性たちも)、鮮やかなプリントがほどこされている化繊布の美しさ、手軽さに夢中になっており、私にもそのすばらしさを語ってくれる。彼らは外部者にみせるべき「伝統的」な衣装がなんであるかを認識している。しかし自分たちの日常的な実践としては、「伝統」を手放すことになんら躊躇を感じていないようだった。
1997年に初めて雲南省を訪れて以来、私は当地の少数民族の多彩な服飾文化に魅了されていた。中国は、漢族と55の少数民族からなる多民族国家である。そのうち24の少数民族で人口の約30%を占める雲南省は、中国屈指の多民族地域である。雲南省は、中国西南部のベトナム、ラオス、ミャンマーと国境を接した地域に位置し、多様な少数民族文化や豊かな自然を資源とした観光地としても有名である。1996年までは、まだ外国人が訪れることのできるいわゆる開放地区は限られていたが、1997年に麗江古城が世界遺産に登録され、1999年には省都昆明で世界園芸博覧会が開催された。その時期には、関西国際空港から昆明までの直行便が運航し、日本でも雲南省の自然や少数民族の文化を題材としたテレビ番組が多く放送された。私が雲南省に行き始めたのも、ちょうどこの「秘境の少数民族地域を旅する」というブームに乗った時期であった。
雲南省の魅力のひとつに、そこに暮らす人びとの多彩な装いがある。少数民族の人びとは、居住する環境に合った素材、例えば苧麻、大麻、綿、羊毛などを使用し、紡績、染織、刺繍をほどこし、風土や暮らしに沿った服飾文化をはぐくんできた。それは、日本で生まれ育った私の服飾文化とは全く異なっているように思えた。私のワードローブのほとんどは大量生産された既製品である。お金のない学生時代でも流行に無関心ではいられず、シーズンごとに新しい服が欲しくなる。一方で、和服を着る機会は成人式や卒業式、結婚式などごく限られている。そのような私にとって、雲南省に暮らす人びとが日常的に独自の衣装を着用していること、生活環境に沿ってそれらを製作していること、それぞれが独特の形態、文様を保持していることがとても新鮮に魅力的に映った。
中国において少数民族の衣装は、多数派である漢族との対比において「民族衣装」と見做されていた。しかしその結果、私は「民族衣装」という用語に備わる既成イメージと、フィールドで実際に起こっていることとの間にギャップを感じることとなった。最初の2004年のエピソードでは、「民族衣装」自体がラディカルに変化しているという事実に驚いた。そして2007年1月の定期市の様子から、観光地での土産物でもないのに、予想以上の規模で既製の「民族衣装」が生産され、ローカルな消費者に向けて販売されていることを知った。さらに2007年10月の村での経験から、「民族衣装」に関する染織技術が失われることを、彼ら自身が取り立てて重視していないことを意外に感じた。そればかりか当初私は、すでに染織をおこなっていない調査地で、どのように衣装に関する調査をおこなえばいいのかと悩んだ。つまり私は、「民族衣装」とは伝統的で不変であり、手作りであり、染織技術にその肝があると考えていたのである。モンの人びとが着ているものは、世界規模に流通しているTシャツやジーンズといった、いわゆる洋服とは明らかに異なる。しかし、彼女たちが着ているものは、果たして「民族衣装」と呼べるものなのだろうか。私は「民族衣装」という用語を、鉤括弧でくくらずには使用できなくなった。
このフィールドでの気付きは、そもそも人にとって服を着ることはどういうことなのか、その日常的で当たり前の行為の背後にはどのような論理があるのかといった、装うこと全般に対する関心へと広がった。調査に入った段階ですでに染織が過去のものとなっていたことが、かえって私をこのような問題関心に導いたのかもしれない。
本書が扱うのは、中国雲南省におけるモンの装い、それも「民族衣装」と呼ばれるものである。そのため私たちの日常的な装いからはかけ離れたものであると感じられるかもしれない。しかし、私がこの調査研究および本書の執筆を通じて感じたことは、同時代を生きる我われにとって、装うという行為自体には大きな隔たりはないということだ。日々、何を着ようかと悩んだり、おしゃれに着飾りたいと願ったり、場違いな出で立ちをしないよう気を配ったりすることは、国や民族の違いに関わりなく誰もが共有する思いではないだろうか。そのような人にとって普遍的で日常的な装うという行為が、文化によって異なる衣装や装い方を生み出すことの論理を解きほぐしていくのが本書の目的である。本書の試みが、「民族衣装」について改めて考え、装いの実践を文化的視点から考察するための一助になればと願う。
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著者紹介
宮脇千絵(みやわき ちえ)
1976年、兵庫県生まれ。
2012年総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻単位取得満期退学。博士(文学)。
現在、南山大学人類学研究所国際化推進事業担当研究員。
共著に『論集モンスーンアジアの生態史―地域と地球をつなぐ―第3巻くらしと身体の生態史』(弘文堂、2008年)、論文に「民族服飾的品牌和流行―以雲南省文山州蒙支系苗族服飾的成衣商品化為例」(韓敏・末成道男 編『中国社会的家族・民族・国家的話語及其動態―東亜人類学者的理論探索(Senri Ethnological Studies)』90、2014年)、「民族衣装における現代的流行―中国雲南省モンの事例から」(『民族藝術』30、2014年)など。