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豚を殺して偉くなる

メラネシアの階梯制社会におけるリーダーへの道

豚を殺して偉くなる

おびただしい豚の撲殺が階梯の登攀に不可欠な社会。平和な島に残る一見奇妙な風習を、人類学の立場から読み解く。

著者 吉岡 政徳
ジャンル 人類学
シリーズ 風響社ブックレット
出版年月日 2018/02/10
ISBN 9784894894013
判型・ページ数 A5・66ページ
定価 本体600円+税
在庫 在庫あり
 

目次


一 階梯制社会
 1 ヴァヌアツの階梯制
 2 伝統的貨幣
 3 ボロロリ儀礼で豚を殺す
二 ビジネス・ピッグ
 1 豚のやり取り
 2 記章に対する支払い
 3 ボロロリの各ステップ
三 贈与交換と互酬性
 1 北部ラガにおける贈与の形態
 2 贈与交換の論理
 3 階梯制社会における贈与のあり方
四 あるリーダーを巡って
 1 チーフとアセッサー
 2 あるチーフの生活史
 3 ビッグ・チーフとしての信念
 4 悪評 5 挑戦
五 階梯制社会におけるリーダーシップの構造
 1 交換とリーダーシップ
 2 リーダーの力
 3 ビッグマンと首長を橋渡しする
注・参考文献
あとがき

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内容説明

おびただしい豚の撲殺が階梯の登攀に不可欠な社会。平和な島に残る一見奇妙な風習を、人類学の立場から読み解く。名著の著者自身によるダイジェスト版。専門書のエッセンスが手軽に。

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    本書より




 ところで、ヴァヌアツの人々は一般に、昔から続いてきたと考えられる伝統的慣習をピジン語でカストム(kastom:英語のcustomからの転用)と呼び、西洋と接触することで流入してきた伝統的慣習以外のものをスクール(skul: 英語のschoolからの転用)と呼んで区分している。北部ラガでもこの両者の区別は意識されており、後者は世界の情勢に合わせて変わるが前者は変わらないものとして位置づけられている。確かにスクールの側面は、グローバル化の進行とともに大きく変わってきた。私は一九七四年に初めて同地を訪れ、以後七回にわたってフィールド調査を実施してきたが、植民地からの独立、近代国家の建設、貨幣経済や学校教育の浸透などによる影響が年を経るごとに進行するのを見てきたのである。

 一方、変わらないとされているカストムの側面も、当然のことながら現実には大きな変化をこうむってきた。特に一八〇〇年代の半ばにキリスト教が布教されて以来、伝統的な宗教体系が崩壊し、宗教的な事柄に関するカストムは劇的に変化した。変化したというより消滅したと言った方がいいかもしれない。その意味で、カストムの領域においても、「かつて、あるいは昔」(西洋世界と接触する以前)と「現在」(キリスト教や学校教育が普及した今)の間には大きなギャップがある。「現在」においても近代化の浸透はカストムの領域をますます侵食することで、カストムは変化を余儀なくされる。しかしこうした状況にあっても、人々は、「現在」という時間的くくりの中におけるカストムの変化には抵抗を続けている。例えば儀礼で用いる道具や衣装など個々の要素については変化があったとしても、人々はその内容や意味づけを変化させないようにしておこうとする。事実、私が一九七四年に観察したボロロリと二〇一三年に観察したボロロリは、中心となる儀礼的内容の部分については大きな違いはないということができるのである[吉岡 二〇〇五]。

 以上の点を踏まえ、本書では、私が四〇年というタイムスパンの中で得たデータに基づいて北部ラガ社会のカストム(伝統的慣習)について記述していく。第一節「階梯制社会」では、階梯制の仕組みやボロロリ儀礼を詳しく紹介し、第二節「ビジネス・ピッグ」では、ボロロリ儀礼で行なわれる支払いや交換の仕組みについて考察していく。これらの記述では、長いタイムスパンの中でも大きな変化をみせていない部分が取り上げられる。続く第三節「贈与交換と互酬性」では、日本で見られる贈与の仕組みを例に挙げながら、一般的な贈与交換と階梯制社会で行われる交換や贈与との違いついて考える。第四節「あるリーダーを巡って」では、私を息子として受け入れてくれたあるチーフに焦点を当てて、カストムとスクール両面にわたって指導力を発揮してきたリーダーの姿を具体的に描く。そして最後の第五節「階梯制におけるリーダーシップの構造」では、それを踏まえて階梯制社会におけるリーダーシップのあり方を考える。



 このように豚名というのは、それを持っている人物の所属する階梯を常に人々に知らしめる役割を持っているのであり、人々の序列を明確に提示するものとなっている。現在は最終階梯を除けば階梯間に実質的に大きな違いはないといえるが、かつては、集会所であるガマリの中に階梯に合わせていくかの炉が作られており、自分の階梯の炉のところでしか食事ができなかったとされているなど[cf. Codrington 1891]、階梯間は社会的に差異化されており、なかば階層化されていたようである。つまり、階梯名が豚名に組み込まれて人々に知られることで、階梯名があたかも序列のあるタイトルのようにして意識されていたと考えることができよう。従来のオセアニア研究では、タイトルは首長制との関係だけで考えられており、それが生得的に継承されるという視点からだけしか考察されてこなかった。しかし、獲得されるタイトルという視点を導入すれば、本節で取り上げたヴァヌアツのグナ島、サモアのシステムをはじめとして、北部ラガの階梯制、ニューギニアのカラヴァルの事例、そしてゴドリエの言う「偉大な戦士」などのグレートマンでさえ、タイトル・ホールディング・システムという地平から見直すことが可能となろう。
 オセアニアにおける伝統的な政治体系は、従来はビッグマンと首長という対比、つまりは差異の指標を軸にして論じてられてきた。しかし、ヴァヌアツの階梯制社会におけるリーダーの姿は、差異よりも連続という視点からオセアニアの政治形態を考える必要があるということを教えてくれるのである。


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執筆者紹介
吉岡政德(よしおか まさのり)
1951年生まれ。奈良市出身。東京都立大学大学院社会科学研究科単位取得退学。社会人類学博士。神戸大学名誉教授。現在、放送大学兵庫学習センター客員教授。主な著書として、『メラネシアの位階階梯制社会―北部ラガにおける親族・交換・リーダーシップ』(1998年、風響社)、『反・ポストコロニアル人類学―ポストコロニアルを生きるメラネシア』(2005年、風響社)、The Story of Raga―David Tevimule’s Ethnography on His Own Society, North Raga of Vanuatu.(2013, The Japanese Society for Oceanic Studies)、『ゲマインシャフト都市―南太平洋の都市人類学』(2016年、風響社)など。

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