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世俗主義と民主主義 50

家族法と統一民法典のインド近現代史

世俗主義と民主主義

宗教ごとの法律が新たな分断を生み出す現代インド。建国の理想・統一法典への道のりは遠い。「世界最大の民主国家」の夢と現実。

著者 藤音 晃明
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》
出版年月日 2018/10/25
ISBN 9784894894044
判型・ページ数 A5・68ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに――運命との約束

一 イギリス支配下での家族法の生成と展開

  1 宗教別家族法制度の確立 
  2 社会・宗教改革とその限界
  3 コミュニティ間関係の変容
  4 民族運動の展開と植民地時代後期の家族法改革

二 新国家の挑戦――憲法制定とヒンドゥー家族法改革

  1 第二次世界大戦とインド独立
  2 インド憲法の誕生
  3 ヒンドゥー民法典論争
  4 ムスリム家族法をめぐる諸外国の動向

三 見果てぬ夢を追って――統一民法典は可能なのか

  1 憲法第四編「国家政策の指導原理」とは何か
  2 統一民法典をめぐる制憲議会の議論
  3 シャー・バーノー訴訟とその余波
  4 経済成長と宗教暴動の時代――一九九〇年代から現在までのインド
  5 ムスリム家族法改革と統一民法典問題の新展開

おわりに――すべての涙をぬぐうまで

注・参考資料
あとがき

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内容説明

ヒンドゥー家族法とムスリム家族法、、、
宗教ごとの法律が新たな分断を生み出す現代インド。建国の理想・統一民法典への道のりは遠い。「世界最大の民主国家」であるがゆえの矛盾は克服されるのか。

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 …… そうしたインド型世俗主義の精神をある面で体現しているともいえるのが、宗教別家族法の存在である。家族法とは、婚姻(結婚と離婚)、相続、養子縁組、扶養、後見、監護といった、家族に関する事柄を扱う法律の総称であり、日本で言えば民法第四編「親族」と第五編「相続」がおよそこれに相当する。面白いことに、インドでは万人に適用される統一的な家族法が存在せず、その代わりに主要な宗教コミュニティが、それぞれの聖典の規定や慣習をゆるやかに反映した家族法を持っている。ヒンドゥー教徒の家族法(シク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒にも適用される)は独立後に大規模な法改正がなされ、重婚の非合法化や離婚制度の整備などの改革が行われたが、少数派コミュニティ(イスラーム教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒)の家族法は抜本的な改革を経ることなく、植民地時代のものが独立後も継続して使用されている。

 だが、かりそめにもインドが国民国家であるならば、国民はその宗教的帰属にかかわらず、同一の法の適用を受けなければならないのではないだろうか。また、家族法分野における宗教コミュニティの自己決定権を手放しに肯定するならば、仮にある宗教の掟や慣習が社会的弱者に対して抑圧的な内容を含む場合、その施行を許すことによって国家が人権侵害を追認することになってしまうのではないだろうか。

 それゆえに、宗教別家族法に代えて全インド国民に適用される新しい家族法を制定しようという動きは独立前から存在した。たとえば、一八七二年に成立した特別婚姻法(Special Marriage Act)は、当初は非常に限られた集団にのみ適用される法律だったのだが、改革派の指導者たちはこれをすべてのインド人に適用可能なものにしようとし、法改正の努力を行った。改革者たちは、この法律が宗教の垣根を超えて多くの国民に受け入れられ、ゆくゆくは統一民法典(Uniform Civil Code)制定への第一歩になることを期待していた。

 独立後の初代首相ジャワーハルラール・ネルーも、統一民法典を制定することが望ましいという考えの持ち主だったとされる。しかし現実には「時がまだ熟していない」として制定に踏み切らず、当面の課題としてヒンドゥー家族法の改革に注力することを選択した[Smt. Sarla Mudgal, President, Kalyani and Ors. v. Union of India and Ors., 1995]。

 一九五〇年に施行されたインド憲法は、その第四四条で国家が統一民法典制定のために努力すべきことを規定している。しかし、その条項には強制力がなく、また実現までの期限も指定されていなかったことから、この措置は実質的に統一民法典の制定を無期限に棚上げすることを意味した。統一民法典の制定は今日盛んに議論される問題であるが、本書が執筆された二〇一八年現在においても、それが実現する見通しはまだ立っていないというのが現状である。

 本書は、家族法と統一民法典の問題に焦点を当てつつ、近現代のインドを理解するための視点を読者に提供することを目的とする。法律というと、一般には小難しくて退屈なイメージがあるかもしれない。だが、インドの家族法は決してそのようなものではない。それは政治と宗教の交錯点であり、集団のアイデンティティを賭けた主張がぶつかり合う闘争の場である。そして統一民法典をめぐるさまざまな議論は、国家と宗教のあるべき関係を模索する営みにほかならず、それは言い換えるならば、インドの国是である「世俗主義」という概念に内実を与えるための試行錯誤であるともいえるだろう。……

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著者紹介
藤音晃明(ふじおと てるあき)
1991年、大分県生まれ。
東京大学教養学部卒業、ジャワーハルラール・ネルー大学社会科学研究科修士課程(歴史学)修了。
現在の所属は浄土真宗本願寺派教尊寺、東京大学文学部インド哲学仏教学専修課程。
論文に「近代インド仏教についての一考察:ダルマーナンダ・コーサンビーの生涯と思想から」(『マハーラーシュトラ』第12号)など。

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