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覚醒される人と土地の記憶

「台湾シリコンバレー」のルーツ探し

覚醒される人と土地の記憶

戦前の台湾新竹に設置された国策研究施設。やがて世界のハイテク産業をリードする地となる、その数奇なドラマとは。

著者 河口 充勇
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2019/03/10
ISBN 9784894892651
判型・ページ数 4-6・220ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

プロローグ
 一 天然瓦斯研究所とは
 二 ある日本人青年技師の物語
 三 未来への遺産

第一章 渡台までの紆余曲折
 一 東京へ
 二 北海道へ
 三 台湾へ

第二章 研究所設立時の奔走
 一 研究所設立の背景
 二 「何でも屋」の奔走
 三 研究所のテイクオフ

第三章 苦悩と挫折
 一 戦場へ
 二 戦場から戻って
 三 陸軍委託研究プロジェクトの遂行と挫折

第四章 地域のために、後進のために
 一 地域産業界への技術協力
 二 後進人材の育成

第五章 終戦前後の苦難
 一 軍時拠点としての新竹
 二 終戦へ
 三 接収、留用、引き揚げ

第六章 残された種
 一 工研院に受け継がれたもの
 二 地域産業界に受け継がれたもの――ガラス工業を中心に

第七章 未来への遺産
 一 産業遺産保存の系譜――英国、日本、台湾
 二 「台湾シリコンバレー」新竹の地域特性
 三 旧天然瓦斯研究所現存施設を取り巻く好条件
 四 「台湾シリコンバレー」の持続的発展のために

エピローグ
 一 大内一三との邂逅
 二 消えゆく記憶の記録
 三 拙著『台湾矽谷尋根』の刊行
 四 覚醒される人と土地の記憶

あとがき

参考文献

附録一 大内一三の履歴

附録二 天然瓦斯研究所の研究成果物一覧参考文献

索引

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内容説明

世界有数のハイテク産業の集積地として知られる台湾の新竹市。日本統治時代その地には天然ガスを中心とした化学工業地帯の存在があり、中核には天然瓦斯研究所があった。本書は、研究所中心メンバーの一人・大内一三の証言をもとにした、過去から現在につながる人と土地の物語である。

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プロローグより

 


 ……この新竹一帯は、かつて世界有数の天然ガス産地にして、台湾随一の化学工業集積地であった。そして、この地にかつて「天然瓦斯研究所」(以下では「天研」)という名の研究開発機関があった。……

 天研は、一九三六年八月に台湾総督府が新竹郊外に設立した天然ガス資源に関わるさまざまな研究開発業務を専門的に行なう公的機関であった。日本統治期最後の一〇年間、天研では、国家権力の庇護のもとで、各地から理化学分野の先進技術ならびに高度人材が集められ、短期間のうちに高度な研究開発機能が構築された。日本の敗戦により天研はわずか一〇年でその使命を終えたが、中華民国政府に接収された土地、建物、装置、人材、技術は、中国石油有限公司(国営企業)が引き継ぐことになった。

 こうして誕生した中国石油公司新竹研究所には、やはり国家権力の強力な庇護のもと、中国本土各地から先進技術ならびに高度人材が集められ、研究開発機能のさらなる高度化が達成された。一九五四年、同研究所は中央政府経済部直轄の聯合工業研究所に再編され、さらなる拡大発展をとげた。そして迎えた一九七三年、聯合工業研究所が母体となって工研院が設立され、その後の「台湾経済の奇跡」のキーアクターとなる(第六章で詳述)。

 このように、天研の遺産は、新竹における研究開発機能の基層となり、そのうえにハイテク産業が築かれてゆくことになる。もちろん、その間に当地の研究開発機能の主軸は理化学分野から電子工学分野へと大きく移行しており、天研の遺産がそのまま一九七〇年代半ば以降の工研院でのIC関連プロジェクトに直結したわけではないが、とはいえ、その間に断絶があったというわけでもない。……

 本書では、工研院ならびに「台湾シリコンバレー」新竹のルーツと位置づけられる天研の物語を記述する。物語は、一人の日本人青年技師を主人公としている。彼の名は大内一三(一九〇五〜二〇〇五年)。天研の設立メンバーの一人にして、その最後の生存者である。筆者は一〇〇年を生きた大内の最後の三ヵ月に遭遇し、まさに消えゆく記憶を記録に留める作業を託された。それは図らずも彼の「遺言」となってしまった。

 大内青年の物語は決してヒロイックなものではない。彼が語った天研での一〇年間は、戦時下植民地の軍事関連施設という非常に制約の多い環境に身を置いた青年技師のまさに「もがき苦しみ」の軌跡であった。その一〇年間、彼は研究業務にとどまらないさまざまな業務の遂行のために奔走し、戦争や植民地支配の理不尽な現実に苦悩し挫折しながら、それでも母国のため、組織のため、地域のため、後進のためにあらんかぎりの知恵をしぼりつづけた。結局、奮闘努力の甲斐なく、日本の敗戦により、彼は一〇年かけて台湾で築いたもの一切を失い、故郷へ引き揚げた。しかし、努力はまったく報われなかったわけではなく、彼が新竹に残したさまざまな「種」は、彼が当地を去った後、彼の思惑をはるかに超えて、大きく結実してゆくことになる。

 本書で描かれる物語は、一人の日本人青年技師が「もがき苦しみ」の一〇年間に蒔いた「種」にまつわるエピソードを中心としたものである。

 この物語を通して明らかになるのは、天研が戦時下植民地の軍事関連施設のステレオタイプ的なイメージに反し、外部に対して「開かれた組織」であり、地域産業界への技術協力に積極的であったという事実である。実際、天研を媒介として、欧米や日本の先進技術が新竹地域の産業界に移植されて根付き、ごく短期間のうちに当地において化学工業分野の原初的な産業クラスターが形成された。その結果、天研の遺産は後身機関のなかだけでなく、地域産業界においても受け継がれることになった。

 この天研をめぐる物語は、今日、ハイテク産業のグローバル・サプライチェーンにおいて確固たる地位を築いている「台湾シリコンバレー」新竹の知られざるルーツを具体的に映し出すものであり、そこには単なる郷土史の次元を越えた文化的付加価値が備わっているといえよう。

 さらに、本書は、現在も工研院の一施設として機能しつづけている旧天研本館の「産業遺産」としての可能性に着目し、同時代の新竹地域の環境条件を踏まえつつ議論を展開する。実は、これもまた大内から託された「遺言」に端を発している。インタビューの折、大内は、新竹を離れてから六〇年近い歳月を経てもなお自らが設計・建設に深く関与した旧本館の行く末を案じていた。そして、この建物が「台湾シリコンバレー」のルーツを表象するモニュメントとして保存され、先人たちの物語を次世代に伝えるための博物館施設に再構築されることを強く願っていた。

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著者紹介
河口充勇(かわぐち みつお)
1973年生まれ
2004年、同志社大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了
博士(社会学)
現在、帝塚山大学文学部教授
主要著書として、『アジア企業の経営理念――生成・伝播・継承のメカニズム』(文眞堂、2013年、共著)、『産業集積地の継続と革新――京都伏見酒造業への社会学的接近』(文眞堂、2010年、共著)など

 

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