目次
序章
一 問題の所在
二 目的
三 理論的背景
四 フィールドワーク概要
五 本書の構成
第一章 調査地の説明
一 地理的、社会的特徴
二 歴史の概観
三 一年の生活
第二章 チベット系社会における婚姻、家族と親族
一 婚姻と家屋
二 世帯
三 家の概念──キュムとカンパ
四 父系出自の観念
第三章 スピティにおける婚姻、家族と親族
一 婚姻規則と実状
二 カンパ
三 相続と祖先祭祀
四 父系出自の観念の変容
五 日々の生活におけるニリン
第四章 農作業におけるニリン関係
一 経済活動
二 商人同士の関係
三 農作業概要
四 農作業における相互扶助関係
五 農地で築かれる親密な関係
六 農業用水をめぐる緊張関係
第五章 宗教実践におけるニリン
一 宗教実践
二 誕生儀礼
三 死者儀礼
四 厄災
五 嫁盗り婚を契機とした対立
第六章 階層と親族
一 領主層と下層の人びとの親族
二 階層間関係
三 選挙と階層
第七章 隣人と友人関係
一 日々の生活における隣人関係
二 儀礼
三 親密な関係
四 関係の表現のされ方
五 両義的な関係
第八章 ニリンの集団化と政治利用
一 政治制度
二 選挙制度
三 政治動向
四 選挙の位置づけ
五 政党間の対立
六 選挙とニリン
終章 サブスタンス論を超えて
一 本書を振り返って
二 理論的考察──新たな親族研究に向けて
あとがき
参考文献
索引
内容説明
ヒマラヤ山脈中腹、スピティ渓谷に暮らす人々のゆるやかな親族範疇、ニリン。本書は、系譜や婚姻によるだけでなく、身体を寄せ合う暮らしの中でつくりだされる「つながり」に着目。生活の機微やリアリティの生成過程に身を置いて考究。注目の実験的民族誌。
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はじめに
本書は、インド北部、ヒマラヤ山脈中腹に位置するスピティ渓谷に暮らすチベット系民族の親族に関する民族誌である。はじめに、どのようにしてフィールドへ入ったのか、なぜ「つながり」なのか、親族なのか、それについて描くことで本書が何を目指しているのかについて述べたておきたい。なお、本書は親族をメインに扱うが、親族を理解する際、家族や隣人への言及を避けて通ることはできない。そのため、それらも含めて、家族、親族、隣人の間の絶え間ない揺れ動きに注目しながら記述していく。
初めてスピティを訪れたのは、二〇〇九年九月である。最初の印象は、山が険しく緑がほとんどなく、「閑散としているところ」だっ
た。村々を転々とした結果、私を快く迎え入れてくれる家族に出会い、ともに住むようになった。ほどなくして印象的な出来事があった。それは、他村に赴き二週間ぶりに滞在先の家に戻った際、息子アンジンが「母も(隣人の)タシも、チヒロがいなくて、何か欠けているような(無いような)気がするって言っていたよ」と言った。タシも、「心の中が空になった」と話した。それは私にとって意外な言葉だった。
その後、二〇一〇年と二〇一一年に修士論文のテーマである選挙活動の調査に訪れた。その際、政党員や住民が「ニリン(親族)は助け合わなければならない」、「ニリンには人生を捧げなければならない」と語った。私が相互扶助のような関係かと聞くと、「あなたが言っているような助け合いではない。私たちのいう助け合いは、本当の助け合い」と言われ、正直よくわからないと思った。ニリンとは、親族範疇の一つであり、血縁、姻戚関係のなかでも日々の関わりを通して築かれる親密な関係を指す。時に他人が含まれることもある。
修士課程での最後の調査が終わり、村から離れるとき、毎日のようにラモの家でともに過ごしていた隣人女性が、「あなたがいなくなると辛い」といって涙を流した。私はそのことにとても驚いた。それと同時に、私はまたここに来なければいけないと思った。滞在先の家族や、近所の女性、お世話になった僧侶、友人、調査を手伝ってくれた方々との関係を切ることはできないと思った。この関わらざるをえないという感覚は何だろうか。「ニリンは助け合わないといけない」というのは、こういう感覚なのだろうか。
博士課程では、選挙の際に資源として用いられていた親族ニリンについて調査することになり、二〇一四年四月に本調査を開始した。関係が密になるにつれ、私にとってはとても些細なこと──昨日どこで誰と何をしていたのか、葬式で泣いたのか、など──を、ラモの家族や隣人たちに頻繁に聞かれるようになった。私は、何か意図があって質問しているのだろうかと警戒したり、どこどこに誰といたという目撃情報がすぐに広まることに対して、あまりいい気持ちはしなかった。また、ラモの家族と隣人タシは、私がどこにいて何をしているのかを、家の中でさえ逐一把握しようとし、暇をしていれば居間にくるように私に伝えた。夜にはトイレにまでついてくるほどである。なぜそこまで知りたがるのだろうか、一緒にいようとするのだろうかと不思議に思った。
ある日、いつもより遅くまで寝ていると、タシが「まだ寝てるの」と窓の外から声をかけてきた。しかし、私は、返事をしなかった。しばらくして居間にいくと、「体調が悪いんじゃないかと心配した」と話し、安心した表情を浮かべた。このとき、私は、彼女たちは単に興味本位で何をしているのかを把握しようとしているわけではなく、把握することで私の無事や元気であることを確認し、安心しているのだとわかった。その後、次第に、あれこれ質問をされることや居場所を確認されることにも居心地の悪さを以前よりは感じなくなった。
そして、滞在先の母親ラモに、「昼間は店に行った後、どこに行ったの?」と私が聞いたとき、ふと、いつの間にか、私も同じように相手に些細なことを質問していることに気がついた。どこで何をしているのか、どういう気分なのかは互いに知っていて当たり前であり、特にいつもと違う行動をした際には、なぜそうしたのかを聞いて納得し、安心する。ラモたちも私も、そうすることで互いに一緒にいるような、つながっているような感覚を維持しようとしていた。このつながっている感覚は何なのだろうか。どのように生じたのだろうか。
以上の経験から、私は「つながるとはどういうことなのか」、「どのように人々はつながるのか」をテーマにした本書を執筆することに決めた。具体的には、「ニリンとはどのような関係なのか」、「隣人との関係と異なるのか」、「どのようにニリンや隣人になるのか」という問いを立てた。
スピティの人々のつながりには、調査者である私自身の存在も必然的に組み込まれている。本書は、深く調査地の人々のあいだに入り、私自身の人々との関係とその変化を通して、人々の生活の機微やリアリティがどのように成り立っているのかを明らかにするものである。この点において、本書は、著者が頻繁に登場する実験的民族誌であるといえる。そして、これまで十分に記述されてこなかったインドにおける少数民族の女性たちの世界を生き生きと描き出そうと試みる。
これらを通して本書が目指すことは、チベット系民族の人々の親族をはじめとしたつながりが、系譜や婚姻によるだけでなく、身体の共在と、そこで繰り広げられる物質に還元できないふるまいによってつくりだされる側面を実証的かつ理論的に明らかにすることである。
人が人と居合わせる場で否応なしに生じる「つながり」に注目し、人々のあいだに築かれる豊かな関係のあり方または共在のあり方の様態を記述、分析したい。
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著者紹介
中屋敷 千尋(なかやしき ちひろ)
1987年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。
現在、京都大学人文科学研究所研究員。専攻は社会/文化人類学、南アジア研究。
主な論文に、「北インド・チベット系社会における選挙と親族――スピティ渓谷における親族関係ニリンの事例から」(『文化人類学』第79巻3号: 241-263、2014年12月)、「隣人関係における親密さと不安定さ――インド・スピティ渓谷におけるチベット系民族の事例から」(『コンタクト・ゾーン = Contact Zone』009巻: 2-33、2017年12月)ほか。