ムラからカンプンへ 53
京都郊外の先住者がみたジャカルタ郊外の集落
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異なる生活経験を持つものの出会い、そこに生まれる共感を手がかりに、眼前の社会事象を捉えようとする、新たな試みである。
著者 | 中村 昇平 著 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2019/11/25 |
ISBN | 9784894894167 |
判型・ページ数 | A5・56ページ |
定価 | 本体600円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
一 集落(カンプン)と出会うまで
1 調査開始までの経緯
2 「民族意識」の軸が見つからない
3 断片的に見えてきた「集落」――大衆組織の調査と武術練習会への参加
二 集落の調査という経験――ムラを通してカンプンをみること
1 「カンプン」はなぜ見えにくかったのか
2 「ムラ」と「カンプン」のあいだの共感可能性
3 「ムラ」と「カンプン」のあいだの根本的差異
三 共感と比較
1 共感と都市の比較
2 共感と社会の比較
おわりに
注・参考文献
あとがき
内容説明
共感の「比較」都市研究
本書は「都市の比較」でもなく、「社会の比較」「文化の比較」でもない。異なる生活経験を持つものの出会い、そこに生まれる共感を手がかりに、眼前の社会事象を捉えようとする、新たな試みである。
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…… 本書ではまず、私が調査を開始してから集落(=カンプン)と出会うまでの経緯を振り返る。ジャカルタにかつて多くの集落が存在していたことは知られていたが、都市研究の領域では住民コミュニティとしての実態を伴った集落としての「カンプン」は近代化と都市開発の中で消え去ったものだと考えられていた。第一節では、「民族意識」に着目することで先住者のあいだに「集落意識」が存続していたことが明らかになっていく過程を振り返る。
カンプンの「見えにくさ」は私にとっても例外ではなかったが、都市研究の観点からではなく民族・エスニシティ研究の観点からジャカルタを調査したということを差し引いても、私自身にとってある種の「見えやすさ」があったことは無視できない。「集落先住者」の意識に注目して行なったジャカルタ郊外での調査経験は、調査者である私自身が京都郊外に先住者として育った経験と切り離して考えることができない。第二節では、集落がなぜ私にとっては見えやすいものだったのかを、私自身の経験に触れながら説明する。
都市郊外のムラに先住者として生きた経験は、調査対象とする人びとの生活経験を理解する上で大きな助けとなった。その一方で、私の経験と調査地の人びとの経験とのあいだに根本的な差異があったこともまた事実であり、その差異は消えることも埋まることもなかった。私の調査対象への理解は、そうした差異を意識し続けた上で、両者の人生経験や人間性の中に断片的な重なりや部分的な共感を探っていくかたちで形成されていった。第三節では、そうした私自身の調査経験にどのような意味があったのか、現時点でできる限りの整理をしてみたいと思う。
さらには、本書が、日本に生まれ育った、あるいは日本に生活の拠点を置いて長く暮らした者が、他国で当地の人々と人間関係を築き、相互理解を深めるための参考例となれば幸いである。……
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著者紹介
中村昇平(なかむら しょうへい)
1986年、京都府生まれ。日本学術振興会特別研究員(金沢大学)。主な業績に「都市先住者のエスニシティ――『バタヴィア先住民』ブタウィの集落と帰属意識」(京都大学文学研究科博士論文、2018年)、「ブタウィ・エスニシティの歴史的変遷過程――現代ジャカルタでバタヴィア先住民が示す『異質な他者』への寛容性の起源」(『ソシオロジ』第59巻第1号、2014年)がある。