目次
はじめに
序論 生物医療・信頼・治療ネットワーク
一 研究の枠組み
二 先行研究の検討
三 本書の構成と調査の背景
第一章 民族的境界の諸相
一 マココ地区の位置
二 マココ地区におけるエグンの歴史
三 ヨルバに対する忌避
四 故郷の位置
五 小結
第二章 エグンの日常的実践
一 外部からの小規模支援
二 エグンの自助努力
三 小結
第三章 マラリア対策とマココ地区における生物医療の展開
一 マラリア対策の変遷
二 マココ地区における生物医療の展開
三 小結
第四章 エグンのマラリア認識
一 オバ――マラリアと腸チフスの区別
二 マラリア認識の背景
三 小結
第五章 治療の探求
一 マラリア対処の方法
二 マラリア対処の変化
三 出産の場所
四 小結
第六章 エグンとヨルバの狭間
一 教会を通したかかわり
二 会社を通したかかわり
三 ナイジェリアで生まれ育ったエグン
四 小結
結論 治療を渡り歩く人びと
一 限界状況における実践
二 本書の学術的意義
三 政策的インプリケーション
あとがき
参照文献
索引
内容説明
人間にとって「正しい」医療とは何か
生物医療によって制圧されたかに見えるマラリア。だが、エグンの人びとは、より劣悪な故郷ベナンでの治療を求め長駆する。科学的合理性や技術・施設という価値観に背を向け、時に自殺行為ともなる彼らの行動原理とは。フィールドから、正解のない問題として見直す、現代医療の功罪。
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はじめに
(前略)
「私たち」には一見理解しがたいように見える現象を分析の対象とすることは、とりわけ政策的に重要とされる課題を扱う場合において、容易なことではない。世界中の人びとの命を奪い、その「解決策」が長年議論されているマラリアという問題はその典型である。
マラリアはHIV/エイズ、結核に並ぶ三大感染症の一つとして知られる。二〇一六年の世界のマラリア件数は推定二億一六〇〇万件、死者数は四四万五〇〇〇人で、いずれも九〇パーセント以上がアフリカ地域で発生している[WHO 2017]。現在に至るまで多くの研究機関や民間企業が厖大な資金を投じて抗マラリア薬や蚊帳、ワクチンの開発を行い、巨大財団が各国政府に見劣りしない額を拠出し、国際/各国援助機関やNGOが現場でマラリア対策を実施している。
フィールド調査を行う者は、調査の対象となった人びとや彼らが暮らす地域が抱える問題に関与し、その解決に貢献する研究成果を出したいと少なからず考える。調査期間が長かったり、より政策的に重要性が高い問題を扱ったりする場合はなおさらであろう。それは民族誌を描きたい研究者にとってもおそらく同様である。特権的な立場にあることへの徹底的な自己批判を経て、課題の解決に寄与する成果を提示することは、調査者自身がお世話になった人びとに対してできるせめてもの応答の一つであろう。ゆえに政策課題に対応した「役に立つ」研究をしたいという衝動は、国際的な公衆衛生課題であるマラリアを扱うと決めた筆者にも、常に付き纏った。しかしそうした「熱い想い」は、それを胸に抱いて訪れた現場によって見事に打ち砕かれることになる。
その最初のきっかけとなったのは、二〇一一年七月、予備調査を経て筆者がマココ地区で調査を行うことを決めたときのことであった。筆者はラゴス大学の修士課程に所属する調査協力者とともに、調査の許可を得るため、マココ地区のチーフと呼ばれる人物の一人を訪ねた。州保健省主催の会合にマココ地区の代表としてしばしば参加していた彼ならば、保健医療や公衆衛生分野における議論の文脈を理解しているはずだと、筆者は考えていた。
挨拶を交わした後、筆者はマラリアについてマココ地区で調査する旨を、丁重に説明した。するとチーフは質問した。「なぜマココ地区で調査をするのか。なぜほかの地区ではないのか」。適切で、当然の質問であった。筆者はマココ地区を知るきっかけとなった特集番組を英国のBBCで見たこと、都市貧困層のマラリア対処に関心があること、スラムではマラリアの被害が特に深刻であることを伝えた。するとチーフは次のように述べた。「ならばここで調査するのはおかしい。大体マココ地区はスラムではない。一見スラムに見えるのは沿岸部や潟湖上のエリアだけだ。ここを見てみろ、立派な家はたくさんある。マラリアなんて大した問題ではない」。筆者はスラムの定義と、マラリアの症例数や死者数の統計情報を示した。「ほら、このようにたくさんの人が死んでいる。すでに何人かに話を聞いたが、彼らもまたマラリアは問題だと言っていた。だからマココ地区で調査すべきなのだ」。これに対して、チーフは半ば怒りをこめて言った。「マラリアで人は死なない。死ぬはずがない」。この答えに名状しがたい衝撃を受け、筆者は黙り込んでしまった。筆者の様子を見かねた調査協力者が、筆者の研究は、ある一定の地域を対象に、聞き取りと観察による調査が必要であることを丁寧に説明した。最終的にチーフは筆者の調査について理解を示し、全面的な協力を約束してくれた。
宿に戻りフィールドノートをまとめる過程で、筆者はチーフとのやり取りを振り返ってある気づきを得た。それは、マラリア対策を講じる側にとっての「問題」が、その場で暮らす人びとが抱える「問題」の認識とは合致しないということだった。チーフにとってマラリアは、これまで多数の人びとの命を奪ってきた恐ろしい病気ではない。確かにチーフの発言を見当違いだと断じ、忘れ去ることは容易い。あるいは行政の会合に出席するような人物でもなお、マラリアや公衆衛生に関する知見が乏しいと嘆き、対策の必要性を考えることは大事かもしれない。しかしそのように考えた途端、ある地域社会において、マラリアという問題がどのように形作られているのかという素朴な疑問が、置き去りにされる。
チーフとのやり取りを起点としてこの最後の疑問を追求するために、筆者はまず、自身が無意識に持っていた「マラリアで苦しむ人びと」という対象の想定や、調査前に学習したマラリア罹患時における医療者や病者の「正しい」対応にかかわる知識を忘れ去ることにした[スピヴァク 一九九八(一九八八)]。なぜなら、こうした想定や知識からは、国際社会が練り上げてきたマラリア対応の在り方や方法を踏襲した疑問しか生まれ得ないからである。すなわち、国際社会で確立されたマラリアへの対応や撲滅という解決策に対して、現状で何が不足しているか、どのような改善が必要か、などといった疑問である。こうした疑問に対する費用対効果の高い効率的な処方箋は、開発援助に携わる実務者らが長年に渡り膨大な数の報告を行ってきた。
本書は、政策課題としてのマラリア対策に直接的に貢献する何らかの解決策を提示することを企図していない。あるべき「解決」を一旦脇に置き、またそれが少なくとも短期的には達成不可能な状況下にあることを認めた上で、現場の「問題」はどのように形作られているのかを丹念に模索することを行う。筆者がこだわり続けたのは、政策課題とその解決というセットの枠組に社会的現実を安易に押し込めるのではなく、ある現象が政策課題として設定される背景そのものを現場から掘り崩していくことにある。「私たち」には一見理解しがたい現象を理解するには、こうした回り道をするしかない。ではそれは具体的にどのようにして可能なのか。序章ではまずこのことを示していく。
(後略)
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著者紹介
玉井 隆(たまい たかし)
1986年生まれ。
2015年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。
東洋学園大学グローバル・コミュニケーション学部専任講師。
専攻はアフリカ地域研究、医療人類学。
著書として、『子どもたちの生きるアフリカ――伝統と開発がせめぎあう大地で』(昭和堂、2017年、共著)、論文として、「ナイジェリア国政選挙――ブハリ大統領再選の背景と今後の課題」(『アフリカレポート』57巻、2019年)、“Establishing Therapy Networks in the Era of Global Health: The Case of Procuring for Malaria Treatment among the Egun People in Lagos State, Nigeria” (Senri Ethnological Reports, Vol.143, 2017)、「グローバル・ヘルス時代におけるアフリカの生物医療と医療人類学――国家保健医療システムの「不在」状況に着目して」(『社会人類学年報』41巻、2015年)など。