目次
サーカス公演移動図
●第一部 サーカス日誌前半
第一章 浦項(一九九四年九月一六日〜一九九四年一〇月一日)
第二章 慶州(一九九四年一〇月一日〜一九九四年一〇月二三日)
第三章 晋州(一九九四年一〇月二三日〜一九九四年一一月一二日)
第四章 順天(一九九四年一一月一二日〜一九九四年一二月一五日)
第五章 木浦(一九九四年一二月一五日〜一九九五年一月一〇日)
●第二部 サーカス日誌後半
第六章 光州(一九九五年一月二六日〜二月二三日)
第七章 亀尾(一九九五年二月二三日〜一九九五年三月二九日)
第八章 井邑(一九九五年三月二九日〜一九九五年四月一九日)
第九章 天安(一九九五年四月一九日〜一九九五年五月二三日)
第十章 江陵(一九九五年五月二三日〜一九九五年六月九日)
第十一章 忠州(一九九五年六月九日〜一九九五年六月一〇日)
あとがき
索引
内容説明
移動集団をフィールドワークするつもりで飛び込んだ異国のサーカス団。慶州、木浦、光州、江陵……と、テントを建ててはバラシの巡業暮らし。肉体労働と人間関係に翻弄されながら必死で書いた日誌から、今は昔のローテク時代の韓国、周縁に生きる人々の心と体が匂うがごとくよみがえってくる。
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はじめに
本書は、筆者が一九九四年九月一七日から一九九五年六月一〇日まで韓国のあるサーカス団の団員となり、人類学的調査をしていたときの日記をもとに加筆訂正したものである。すでに拙著『韓国サーカスの生活誌』(二〇〇七年、風響社)にも書いたように、サーカス団には多くの人が出入りする。それだけ事件も多く起きる。サーカスでは毎日、早朝に起きて大学ノートにフィールド・ノートとして日記をつけていた。多いときには一ページで収まりきれなかったが、毎日の肉体労働に疲れて寝坊し、ほとんど書けなかったり、二、三日まとめて書いたりしたこともあった。時間をみつけて思いだすままに書き足すこともあり、一日に起こった事柄であっても、順序が若干前後している場合もある。かなり整理したつもりであるが、前後した箇所があれば容赦いただきたい。
日記を見返すと、慣れない生活と格闘する中で、何とか適応しようとするフィールドワーカーとしての「私」がみえてくる。今は、完全な斜陽産業となったサーカス団であるが、移動集団としての記録としてみたとき、とても稀な記録であると同時に、またとないおもしろい読み物となる。今となっては、当時、まだ元気であったサーカス草創期の人々に昔話が十分に聞けず、後悔することは少なくないが、このフィールド・ノートに記した内容自体がすでに「昔話」となってきているのも事実である。日誌を通じて、当時の韓国社会、韓国における移動集団の状況をかいまみてもらえるものと考える。
本書の副題は、筆者が木戸口を担当したこと、何十年とサーカスを続けてきた彼らに対して、筆者は本書を執筆するにあたっても、ほんの入口からしかサーカスをみていないという意味でつけた。
今日の韓国サーカスは、以前のような活発な移動生活も行わず、また中国雑伎団の曲芸師を大量に導入するなど、大きく変化した。サーカスの公演や生活も時代によって変わってきたが、二〇〇〇年代以降の形態上の変化はとくに劇的であったように思われる。昔を知る韓国の人々、サーカス関係者も少なくなってきている。調査日記を刊行することで、フィールドワーカーの苦悩とともにサーカスの「昔話」を残せたらと思う。
第一章 浦項(一九九四年九月一六日〜一九九四年一〇月一日)
●九月一六日(金)(ソウル→浦項)
韓国に渡って五日目を迎えた今日、いよいよ明日、サーカスに入団することにし、浦項のバスターミナル近くのある旅人宿でこれを書いている。昨日までは阿峴洞のC先輩の自宅でずっと居候をし、中央大学の大学院生たちと親睦を図るのが毎日の日課であった。大学院生の彼らは本当に気さくで気のおけない連中だった。また韓国の大学院は、討論形式よりも講義形式で進めるものが多く、出席が義務づけられていたため、大学院の講義にも出席する学生が多かった。そのため、各講義担当の大学教員に菓子折をもって挨拶に行き、来週から調査のため講義に参加できないと伝えたときには冷たい反応が返ってきた。今日の昼すぎに、鉄道に乗ろうとソウル駅をでたが、秋夕のために帰省客で混雑しており、なかなか浦項行きの電車のチケットが買えなかった。そこで、仕方なく重い荷物を下げてターミナルへ行き、高速バスで下ることにした。ソウルを一七:〇〇に出発し、浦項には二三:〇〇に到着した。四〇〇キロの距離に六時間かかった計算になる。その日はターミナル近くにある旅人宿に泊まる。ところが私の身なりをみて申告があったのか、警察が調べにやってくる。蚊がでてなかなか寝つけない。二:三〇をまわった頃だろうか。やっと眠れた。
(中略)
●九月二〇日(火)(浦項)
八:〇〇に起床する。最近、疲れがたまっている。朝早くから掃除をする。茶礼の準備を舞台でしている。九:三〇頃から一五分ほど、俊源が祖先祭祀をする。彼がサーカス団の中で唯一の長男で特別に準備してもらったらしい。“顕考學生 府君神位”と書いた紙を牌に貼って前に置いて祭祀を行う。ゴミ箱の提案は快く受け入れられたが、小さすぎて話にならない。今日は秋夕で客の入りが多く、幸運券の配り方でもたつき、注意を受ける。ちょうどアジュンマが通りがかり、相変わらずの態度で、「こいつは三、四回いってやっと一回わかる」などと悪態をつく。朝食は茶礼の後、餅を入れた牛肉スープのトックッと、酒が振る舞われるが、五人くらいしか席を囲んでなく、物足りなさを感じる。夕食はユッケジャンである。なかなか食事はおいしい。よくカメラの不良品苦情や返品を持ちかけられる。結構、姑息な商売をしている。一八万五〇〇〇ウォンを三万ウォンで売るといっているが、元金一万七〇〇〇ウォンで残りが儲けである。幸運券にもう少し工夫すればよいと思うが、末尾が八番と九番以外にない。六〇〇人ほどが一回の公演に入っているのだろうか、大盛況だった。俊源から水やバナナの差し入れをよく受ける。彼も団長には不満を持っているようである。韓国語がもっとできればよいのだが、それが悔しい。公演後、曲芸師の姉妹(慶華か、慶恩)の誕生パーティーをし、二万五〇〇〇ウォンのケーキを買ってきて皆で分けて食べる。ジュースがでる。焼酎と練り天を食べろと現金をもらうが一気飲みなので苦しいものがある。今日、佑燦と酒を飲みに行く約束だったのに、どこに行ったのか会えなかった。〇:〇〇頃、そのまま疲れて寝る。客が多かったにもかかわらず一タンである。
☆一タン二万ウォン
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著者紹介
林 史樹(はやし ふみき)
1968年、大阪生まれ。総合研究大学院大学博士課程修了。
現在、神田外語大学外国語学部教授。
著書に、『韓国サーカスの生活誌』(風響社、2007年)、
『韓国がわかる60の風景』(明石書店、2007年)、共著に
『韓国食文化読本』(国立民族学博物館、2015年)など。