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近代中国南方のメディア言説

辛亥革命期の雲南・広西とベトナム/日本

近代中国南方のメディア言説

植民地主義や南進論へと至る北からの思想連鎖と、東遊運動や独立論という南からの応答、近代アジア思想史の空白を埋める論考。

著者 吉川 次郎
ジャンル 歴史・考古・言語
出版年月日 2020/03/20
ISBN 9784894891500
判型・ページ数 A5・350ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

序章 南方および「辺省」としての雲南・広西

 一 問題の設定
   1 広東の先進性
   2 南方各省のなかの「辺省」――雲南と広西
   3 思想連鎖
   4 「中等社会」の知識人
 二 辺省の近代思想――軍国民主義・地理学・植民論
   1 軍国民主義
   2 地理学
   3 植民論

第一章 辛亥革命期メディアとベトナム

 一 梁啓超のベトナム論──地理学・植民論・亡国史
   1 広東の可能性と南洋植民への期待
   2 『ベトナム亡国史』の出版
 二 辛亥革命期メディアにおけるベトナム
   1 「亡国」を基調とするベトナム像の普及
   2 戯曲「越南魂」の周辺――「亡国史」とベトナム独立運動の新動向
   3 同時代メディアが報道するベトナム独立運動のネットワーク
 三 ベトナムから眺めた中国の知識世界
   1 中国新書の流入
   2 ベトナムの新興メディアと「康・梁」

第二章 遠隔地メディアとしての雑誌『雲南』とその言説

 一 雑誌『雲南』の創刊
   1 雑誌『雲南』の成立
   2 思想論としての「雲南雑誌発刊詞」
 二 雑誌『雲南』の空間認識
   1 雲南の領域と地理学
   2 植民論
   3 他省との連携の模索
 三 「辺省」の軍国国家
   1 軍国民主義による社会編成
   2 地域性と雲南社会像
   3 「新しさ」の連鎖――「新雲南」から『新越南』へ
 四 雑誌『雲南』のベトナム像
   1 留学ルートと地域ネットワーク
   2 編集者趙伸と東京のベトナム人
   3 中国南方とベトナムをめぐる論争
   4 フランス植民地政府下のベトナム人像

第三章 民主主義の練習――雲南同郷会と『滇話報』

 一 自治訓練の場としての雲南同郷会
   1 雲南同郷会の成立
   2 雲南同郷会における自治
   3 雲南出身留学生にとっての日本
 二 白話雑誌『滇話報』の刊行
   1 女子の声と演説
   2 遠隔地と「辺省」――理想化される日本
   3 『滇話報』のベトナム像

第四章 雑誌『粤西』の広西社会像

 一 遠隔地メディア『粤西』と「思想」の優位
 二 『粤西』の空間認識
   1 他省との連携の模索
   2 自己認識――広西社会・地理学・広西人
   3 植民論
 三 「辺省」性と価値観の逆転
 四 地域ナショナリズムについての補論――福建の事例から

第五章 『南報』・『南風報』における南方へのまなざし

 一 『南報』・『南風報』の成立
   1 辛亥革命前の広西における軍国社会と教育
   2 『南報』・『南風報』の創刊
   3 辛亥革命期の趙正平
 二 「南人」の立ち上げ
   1 「南風観」にみる南への注視
   2 外来者にとっての「辺省」と啓蒙
 三 『南報』・『南風報』が目指したもの
   1 軍国社会の提唱
   2 他省との連携の模索
 四 『南報』・『南風報』のベトナム像
   1 ベトナム人による作品
   2 「雑事」欄におけるベトナム情報の蓄積と思想連鎖
   3 フランス観と対南作戦
   4 ベトナム在住華僑との連携
   5 「南進論」の導入――何遂「滇越遊記」における南方地域ネットワークの構築
 五 桂林のベトナム人
   1 広西地域ネットワークによる支援の下での軍事志向
   2 ベトナム・ナショナリズムと広西

終章 中華民国の成立と南方──ベトナム独立運動との断絶・連続を軸に

 一 広東──アジア革命の中心
 二 浙江におけるベトナム独立運動ネットワーク
 三 振り返られる東遊運動――小説「万里逋逃記」の世界
 四 浙江から雲南へ
 五 民国期の趙正平――「辺省」からの離脱と南方への意志

おわりに

主要参考文献一覧

索引

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内容説明

辺省と呼ばれた雲南・広西の近代思想を、雑誌『雲南』など地域メディアから繙き、軍国民主義・地理学・植民論といった当時最先端の知識・議論を分析。植民地主義や南進論へと至る北からの思想連鎖と、東遊運動や独立論という南からの応答を見据えた、近代アジア思想史の空白を埋める気鋭の論考。

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はじめに



 この研究は一九一一年の辛亥革命をはさむ約十年間の中国南方の思想・文化状況を、雲南と広西の両省の言論動向に注目して探るものである。その際、分析の材料としては主に新興の雑誌メディアを扱う。一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、日本で発行された『清議報』・『新民叢報』が典型的な例だが、新しい文体による中国語の雑誌メディアが勃興し、そこに現れた知識や思想は、複合的な状況のなかで近代化を志向する中国全土へ次第に拡散していった。本書では、それらが中国の南方、特に「辺省」(周辺部の省)と呼ばれる地域においてどのようなかたちを描くようになったのかを「思想・文化の展開過程」として解明しようと試みた。なかでも、「軍国民主義」(軍国主義の一形態)や地理学、植民論といった当時の新しい知識世界のいわば「グランド・セオリー」が、南方各省の特殊な社会情勢と結びつくなかで取捨選択・翻訳改変され、いかなる独特な展開を見せたのかということを意識した。なお、雲南・広西両省には、共通する事情としてフランス植民地としてのベトナムの存在が重くのしかかっており、そのことが南方各省の言論活動とそこで主張される内容に対して潜在的にも顕在的にも少なからぬ影響を与えたというのが筆者の考えである。したがって、本書の研究の範囲には、中国南方に深く関係するベトナム(仏領インドシナ)の知識や思想、社会の状況も一定程度含まれている。

 「辺省」とは周辺である以上、そこにはまず何よりも中心との距離が大きく関わる。「中心―周辺」という図式において、「周辺」としての豊かさを想起することは可能だが、こと「近代性」を基準にした場合、社会発展における不利な状況は隠すべくもなく存在している。ただ、一ついえることは、「辺省」は必ずしも行き止まりを意味するのではなく、周辺であるがゆえに、場合によっては境界線を越えて他の「辺省」と出会うことができるということである。その点において、限定された「南方」としての雲南と広西は互いに認めあうなかでベトナムと出会い、さらには、ミャンマー、「南洋」(東南アジア)へと広がりをもっていった。そして、また「辺省」的な仕方で、日本とも出会うことになる。
以下、本書の具体的な枠組みと構成について記したい。

 序章では、まず筆者が関心を抱いている三つのテーマ、1「辺省」、2「思想連鎖」の問題、3「中等社会」の知識人を提示する。さらに、本書で採りあげるさまざまな言論内容に底流する基本思想としての軍国民主義・地理学・植民論についてあらかじめアウトラインを示す。

 第一章では、まずベトナムという外部存在が辛亥革命期の中国の知識世界においてどのようにとらえられていたのかを述べる。当時の中国知識層のベトナムへの関心は、一九〇五年の『越南亡国史』の出版によって大きく規定されることになったが、その後辛亥革命に至るまでの時期に、各地のメディアにおいてさまざまなベトナム像が語られた。そのなかにはベトナム人の大規模な日本留学運動である「東遊運動」が中国人学生の日本留学の動きと交錯することによってもたらされたものもあった。ここでは、中国の雑誌メディアにおけるベトナム像の成り立ちとその内容、さらにベトナムでは中国の新しい思想動向をどのように位置づけていたかという点にも目を配った。それらはベトナムが中国南方各省の言論に対してもたらした影響を考察する次章以降への前提となる。

 第二章では、東京で発行されていた雲南省出身留学生による雑誌『雲南』を主な資料として使用しながら、雲南の現実に対応した「国民軍国国家」や「新雲南」の提唱のなかに「序章」で扱った諸思想が展開していくさまを分析する。さらにベトナムと切り離せない『雲南』雑誌の言論状況を読み解くなかで、「東遊運動」に参加したベトナム人たちの独立運動のネットワークに対応するかたちで措定される雲南人学生の地域ネットワークについても言及した。

 第三章では、東京で設立された留学生団体の雲南同郷会について触れる。同郷会は厳密なルールに従って演説や討論を行うことで「自治」を訓練する場となっていた。また、同郷会と関係の深い雑誌『滇話報』を取り上げた。雲南出身留学生たちは同郷会と『滇話報』というツールを通して民主主義の練習を行っていたととらえることもできる。本章では留学生たちから発せられたことばの中身を、女子の声・日本・ベトナムという角度から分析するなかで、そこに作用する「普遍的」な近代の力のあり方を考察している。
第四章では、広西出身留学生によって創刊された雑誌『粤西』の主張を分析する。同誌は雑誌『雲南』を直接の模範として出発しており、『雲南』と同じ問題意識を持つものであったが、同時に次章の『南報』・『南風報』へと引き継がれる論点のひな型が各所に出ていることに注目した。

 第五章では、「辺省」としての南方各省を代表する存在として、広西の言論情況について考察する。とくに、桂林で発行されていた雑誌『南報』・『南風報』に掲載された各論説、なかでも両雑誌の主筆であった趙正平という人物の思想に焦点を当てて論じていく。そこには本書が関心を寄せる諸思想の地域的展開の姿が、「南方」という縛りの下に十分に表現されていると考えられるからである。
終章では、本書が扱った雲南・広西にかかわる言論情況や人物が辛亥革命以降にどのような推移をたどっていったかをベトナム独立運動を軸に素描した。中国南方において、地域ネットワークの経路に沿って中心から周辺へと至る近代思想の展開過程に刻印されたベトナムの影を改めて浮き彫りにすることを試みた。


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著者紹介
吉川次郎(よしかわ じろう)
1972年生まれ。
2004年、東京都立大学大学院人文科学研究科(中国文学専攻)博士課程を単位取得の上、退学(博士(文学))。
専攻は近代中国思想史。
現在、中京大学国際教養学部准教授。
主要論文に「啓蒙知識人としての趙正平―南方への志向と辛亥革命の精神」高柳信夫編著『中国における「近代知」の生成』(東方書店、2007年)、「物語世界から見た近代ベトナムと中国・日本―浙江『兵事雑誌』(一九一四-一九二六)所収の小説作品について」名古屋歴史科学研究会『歴史の理論と教育』(第133・134合併号、2010年)、「雲南同郷会と『滇話報』」中京大学『国際教養学部論叢』(第10巻第2号、2018年)など。


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