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村落エコツーリズムをつくる人びと

バリの観光開発と生活をめぐる民族誌

村落エコツーリズムをつくる人びと

地域社会の文脈に合わせた観光という理念と、ローカルNGOやその協力者の現実の行動をつぶさに記述。21世紀型の観光に迫る。

著者 岩原 紘伊
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2020/07/20
ISBN 9784894892064
判型・ページ数 A5・328ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

  主な略語一覧 本書に記載する主な人名一覧

序論 問題の所在と理論的背景

    1 国際観光の発展と功罪――オルタナティブ・ツーリズムとしてのCBT
    2 人類学における観光研究――批判的検討
    3 アクター・オリエンティッド・アプローチ――仲介者と「翻訳」
    4 調査方法とプロセス
    5 本書の構成

第1章開発、環境運動、NGO

    1 制度化される開発
    2 開発による生活の再編
    3 ポスト・スハルト期のアダットと環境運動
    4 民主化、NGO、村落開発
    小括

第2章 バリにおける観光開発と社会

    1 バリと観光開発
    2 バリ人の日常生活と観光
    3 バリ社会の現在
    4 岐路に立つバリ観光
    小括

第3章 村落エコツーリズム NGOによる観光開発

    1 NGOとしてのウィスヌ財団
    2 ウィスヌ財団と村落エコツーリズム
    3 村落エコツーリズムの運営
    4 村落エコツーリズムの伝達
    小括

第4章 村落エコツーリズムの村 I村の事例から

    1 I村の概要
    2 I村における村落エコツーリズム
    3 村落エコツアー
    4 エコツーリズム観をめぐるズレ
    小括

第5章 村落改革運動としての村落エコツーリズム A村の事例から

    1 A村の概要
    2 A村における村落エコツーリズム
    3 慣習村に働きかけるメンバー
    4 マストラ氏の村落エコツーリズム解釈
    小括

第6章 NGOアクティビストたちの活動の作法 World Silent Dayキャンペーンを事例として

    1 多元化するバリ社会とNGOコミュニティ
    2 NGOの協働――World Silent Dayキャンペーン
    3 バリの環境運動の現在
    4 協働のための作法
    5 往還の先にある関係性
    小括

第7章 村落観光開発をめぐる試行錯誤

    1 CBT開発をめぐるNGOと行政のせめぎあい
    2 村落エコツーリズムから村落エコロジカル・ツーリズムへ
    3 Bali DWEの普及をめぐる試行錯誤
    4 プロジェクトと社会運動の狭間で
    小括

結論 まとめと展望

    1 ポスト・スハルト期バリにおけるCBTの「翻訳」
    2 社会運動としてのCBTの促進
    3 今後の展望

あとがき

参照文献 索引 写真・図表一覧

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内容説明

バリ人たちが実現したいバリ観光の姿を探る
インドネシア随一の観光地バリは、観光開発の負の影響が最も大きい地域でもある。コミュニティベースト・ツーリズム=地域社会の文脈に合わせた観光という理念と、ローカルNGOやその協力者の現実の行動をつぶさに記述。21世紀型の観光に迫る。

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まえがき




 本書は、スハルト政権期に大規模な観光開発が進められインドネシア随一の観光地となったバリ島を調査地とし、グローバルに流通するコミュニティベースト・ツーリズム(CBT)がローカル社会の文脈に合わせて適用されていく動態を、NGOやその協力者といったアクターの動向に焦点を当てながら記述した民族誌である。

 本書の舞台であるバリは、東南アジアを代表するリゾート観光地として知られている。だが、1990年代以降、観光はバリにおいて、環境、国内移住者、地域内経済格差ならびに不平等などバリ社会が直面する様々な問題と関係づけられて語られるようになっている。本書は、バリにおいてマス・ツーリズム開発の負の影響が強く意識されるなかで、マス・ツーリズムのオルタナティブとして探求されるCBTのローカルな現場への導入・適用に光を当てている。CBTは地域の生活者が運営や観光活動の主体となるよう開発が行われる観光形態であり、1980年代後半から参加型開発の手法として広く用いられてきた。

 筆者が本書で中心的に述べるCBTというテーマとバリで出会ったのは、まさに偶然であった。筆者が観光というテーマにはじめて興味を覚えたのは、大学4年生に進級する直前の2005年夏だったと記憶している。筆者が在学していたエディンバラ大学の社会人類学コースでは、当時(今もそうかもしれないが)民族誌の執筆を卒業課題として選択することができた。そこで筆者は、母方の親族が住む新潟県佐渡島におけるトキの野生復帰に向けた住民の活動について調査を行うことにした。

 2カ月に満たない短い調査であったが、そのなかで最も印象的だったのは、トキの野生復帰のために地域づくりを進めている人びとの環境保全活動や農業を、島外から「観光客」が繰り返しやってきては支援していることであった。こうした営みにおいて、観光は地域文化の再発見を地域住民に促す役割をももつと評価されていた。だがそうは言っても実際に観光はどのようにして、どの程度その役割を果たしうるのか。この時頭に浮かんだ疑問から筆者は、観光が何かのために意識的に利用されている現象に興味をもつようになった。

 そこで筆者は、観光という現象を人類学の視点からもう少し掘り下げてみたいと思い、大学院に進学した。修士課程では、文化表象をめぐるポリティックスを検討するため、東南アジアの世界遺産を比較し、文化遺産観光の文脈で提示される文化のあり方について研究を行った。実は、筆者は博士課程進学直後からCBTを博士論文の研究テーマとしようと考えていたわけではない。博士課程に進学し、当初はフィールドワークを通して文化遺産観光という研究テーマを発展させていくつもりだった。

 ちょうど博士課程1年生であった2009年頃、バリの棚田景観を形成しているスバック(灌漑組織)システムが、文化的景観としてユネスコ(UNESCO)の世界文化遺産に登録されようとしていた。この世界遺産登録のプロセスのなかでバリの人びとが自己の文化をどう意識するのか、ポスト・スハルト期の変化はそれにどのように影響するのか、それを捉えることを目的に筆者はバリをフィールドワーク先として選んだ。
ところが、2010年4月にバリへ出発し、いざ調査を開始してみると文化遺産観光をフィールドワークすることが難しいことが判明する。はじめの6カ月はウダヤナ大学の外国人向けクラスでインドネシア語の習得に努めつつ、バリ州観光局に対して英語で聞き取り調査を行ったり、辞書を駆使して地元紙や雑誌を読んだりして情報収集を行っていた。さらに、インドネシア語で会話が少しできるようになると、ウダヤナ大学で教鞭をとる研究者にも話を聞きに行ったりした。しかしながら、この中で世界文化遺産登録をめぐって「何かが動いている」という感覚をどうしてももつことができなかった。しかも、下宿先のバリ人家族やウダヤナ大学の学生に話を聞いても、ほとんどの人が世界文化遺産登録に無関心であった。インドネシア語を習得し、現地の事情にも通じるようになった今から振り返ると、文化遺産観光を調査する方法はいくらでもあったのかもしれない。だが、限られた情報と語学能力しかなかった当時の筆者は、研究テーマを設定し直すことを選択した。

 このように調査の雲行きが怪しくなりつつあるなか幸運だったのは、2010年9月末に前年の予備調査で偶然知り合って連絡を取っていたバリ人の友人が、「村落ツーリズム」をタバナン県F村で立ち上げるから視察に来てみないかと誘ってくれたことである。そこで活動の中心となっている人びとに話を聞くうちに、村落がバリ文化の基礎として関心をもたれ、その保全が観光と結び付けられている事態に強く興味を抱くようになった。F村に連れて行ってくれた友人は、F村が参加表明していたBali DWEと名付けられた村落ツーリズムプロジェクトについて詳しい話が聞きたければ、「ウィスヌ財団へ行ってみたらいいよ」と筆者に助言してくれた。それ以前に実はバリ州観光局への聞き取り調査の過程で、エコツーリズムを実施しているNGOとして「ウィスヌ財団」の名前を耳にしたことはあった。だが、今度はより強くその名前が頭に残った。早速翌日ウィスヌ財団に電話で連絡し、アポイントメントを取り付けた。そして、出迎えてくれたウィスヌ財団のスタッフらに筆者の研究関心について拙いインドネシア語で説明すると、活動を調査することを快諾してくれた。こうして、筆者はウィスヌ財団にたどり着き、NGOアクティビストたちのネットワークに巻き込まれていったのだ。

 こうした経緯から記述された本書では、NGOアクティビストやその協力者たちという特殊な集団(村落コミュニティとは異なるリアリティをもった現代的なコミュニティ)へのアプローチから、ローカルな現場へのCBTを導入・適用のあり方を描き出すことを試みた。CBTをテーマとして扱ってきた先行研究では、観光客を受け入れるコミュニティの参加の度合いや取り組みにおける主体性のあり方に主眼が置かれてきた。そのため、CBTに関する知識をローカルな現場へと接続する「仲介者」の営みにはほとんど目が向けられてこなかった。その結果、CBTはフォーマット化された固定的な開発手法として記述されることが多い。これに対して本書では、NGOアクティビストたちを仲介者として位置付けることで、硬直的に理解されがちだったCBTを、個々の仲介者の社会変革の意図が織り込まれた営みとして論じていく。
本書において用いている主なデータは2010年から2012年のフィールドワークの成果に基づいている。そのため、本書はバリのエコツーリズムに関して最新の情報を提供するものでは決してない。また、バリのCBTの事例を持続可能な観光に貢献しているか/していないか、あるいは事業として成功/失敗しているかという視点から評価するものでもなし、ボトムアップ的な地域社会の努力として手放しに賞賛するものでもない。

 「仲介者」に注目することで本書において問うのは、誰が誰に対し、何のためにどうやってCBTを導入しようとしているのかである。こうした問いは今思えば、私がかつて佐渡で抱いた観光という現象への興味と連関している。今日、CBTという観光形態は世界各地で導入されており、バリでも本事例以外にCBTと分類される観光形態が実践されている。このため筆者が扱うのは、世界的に見られるCBT適用をめぐる動きのほんの一部である。しかし、1つの地域にじっくり時間を掛けて向き合うことで得られる知見もあるだろう。本書で目指したのは、CBTの普及に関わる当事者の視点を可能な限り生かして、観光の現場で進行している複雑な動態やCBTが導入されるローカル社会ごとの実情を具体的に描き出すことである。

 このようにCBTにアプローチしていく本書が、バリに限らずある地域における適切な観光のあり方を考える機会を提供し、観光実践のより良い未来に結びつく一助となれば幸いである。


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著者紹介
岩原紘伊(いわはら ひろい)
1981年生まれ。The University of Edinburgh, School of Social and Political Science卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。博士(学術)。
専攻、文化人類学、観光研究。
現在、東京大学大学院総合文化研究科国際交流センター特任講師。
主な業績として、「インドネシア・バリの文化的景観:世界遺産とコミュニティのレジリエンス」『文化人類学』、2020年。「ポスト・スハルト期バリにおけるエコ・ツーリズムの形成に関する一考察:ウィスヌ財団のプロジェクトを事例として」『白山人類学』、2014年。“Heritage Tourism and Cultural Policy in Indonesia: The Impact of National Culture on Tourism Development in Borobudur”, Japanese Review of Cultural Anthropology, 2009など。

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