ホーム > 年表 移住150年史
目次
●カラー口絵
発刊にあたって(海外日系新聞放送協会 理事長 新実慎八)
凡例
●地域別移住略史 付・写真で見る移民の歩み
ブラジル移住略史
アメリカ(本土)移住略史
ハワイ移住略史
ペルー移住略史
カナダ移住略史
アルゼンチン移住略史
パラグアイ移住略史
ボリビア移住略史
メキシコ移住略史
ドミニカ共和国移住略史
コロンビア移住略史
ベネズエラ移住略史
オーストラリア移住略史
フィリピン移住略史
付・写真で見る移民の歩み
●年表
1841年(天保12)〜
1851年(嘉永4年)〜
1858年(安政5年)〜
1860年(安政7年/万延元年)〜
1864年(元治元年)〜
1865年(元治2年/慶応元年)〜
1868年(慶応4年/明治元年)〜
1872年(明治5年)〜
1877年(明治10年)〜
1882年(明治15年)〜
1887年(明治20年)〜
1892年(明治25年)〜
1897年(明治30年)〜
1902年(明治35年)〜
1907年(明治40年)〜
1912年(明治45年/大正元年)〜
1916年(大正5年)〜
1921年(大正10年)〜
1926年(大正15年/昭和元年)〜
1930年(昭和5年)〜
1935年(昭和10年)〜
1940年(昭和15年)〜
1945年(昭和20年)〜
1950年(昭和25年)〜
1955年(昭和30年)〜
1960年(昭和35年)〜
1965年(昭和40年)〜
1970年(昭和45年)〜
1975年(昭和50年)〜
1980年(昭和55年)〜
1985年(昭和60年)〜
1989年(昭和64年/平成元年)〜
1993年(平成5年)〜
1998年(平成10年)〜
2003年(平成15年)〜
2008年(平成20年)〜
2013年(平成25年)〜
2018年(平成30年)〜
2019年(平成31年/令和元年)〜
あとがき(岡野 護)
出典・引用・参考文献
索引(キーワード解説)
写真図表一覧
発刊にあたって(海外日系新聞放送協会 理事長 新実慎八)
凡例
●地域別移住略史 付・写真で見る移民の歩み
ブラジル移住略史
アメリカ(本土)移住略史
ハワイ移住略史
ペルー移住略史
カナダ移住略史
アルゼンチン移住略史
パラグアイ移住略史
ボリビア移住略史
メキシコ移住略史
ドミニカ共和国移住略史
コロンビア移住略史
ベネズエラ移住略史
オーストラリア移住略史
フィリピン移住略史
付・写真で見る移民の歩み
●年表
1841年(天保12)〜
1851年(嘉永4年)〜
1858年(安政5年)〜
1860年(安政7年/万延元年)〜
1864年(元治元年)〜
1865年(元治2年/慶応元年)〜
1868年(慶応4年/明治元年)〜
1872年(明治5年)〜
1877年(明治10年)〜
1882年(明治15年)〜
1887年(明治20年)〜
1892年(明治25年)〜
1897年(明治30年)〜
1902年(明治35年)〜
1907年(明治40年)〜
1912年(明治45年/大正元年)〜
1916年(大正5年)〜
1921年(大正10年)〜
1926年(大正15年/昭和元年)〜
1930年(昭和5年)〜
1935年(昭和10年)〜
1940年(昭和15年)〜
1945年(昭和20年)〜
1950年(昭和25年)〜
1955年(昭和30年)〜
1960年(昭和35年)〜
1965年(昭和40年)〜
1970年(昭和45年)〜
1975年(昭和50年)〜
1980年(昭和55年)〜
1985年(昭和60年)〜
1989年(昭和64年/平成元年)〜
1993年(平成5年)〜
1998年(平成10年)〜
2003年(平成15年)〜
2008年(平成20年)〜
2013年(平成25年)〜
2018年(平成30年)〜
2019年(平成31年/令和元年)〜
あとがき(岡野 護)
出典・引用・参考文献
索引(キーワード解説)
写真図表一覧
内容説明
日本人が世界に残した足跡
幕末から令和(2020年)まで、14か国・地域と日本国内の移民に関する出来事を年表に網羅。写真口絵、重要語句解説、地域別移住略史、索引などで、外地に暮らす邦人・日系人の歴史の全容を展望。各地で刊行された邦字新聞やラジオ等の活動もおさめた決定版。
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北アメリカ、南アメリカの各地で邦字(日本語)新聞を発行している新聞社の集合体である海外日系新聞放送協会がまもなく半世紀を迎えます。当協会はこの機会に、すでに150年の歴史を刻んだ“日本人の移住”にかかわる出来事を年表にまとめ出版することにしました。
当協会はサンフランシスコ講和条約が発効した1950年に、北アメリカの新聞社が米国日系新聞協会を設立したのがはじまりでした。当初これらの新聞社は母国日本とのつながりを重視し、協会の事務局を日本(東京)に置いたうえ、多くの新聞社が東京支社を開設し、さらに記者を米国から一時帰国させ日本の国会記者記章まで取得して活発な取材活動を展開しました。
結成46年の歴史の中では、各社が同一テーマで紙面を展開した「共同編集企画」をはじめ、「海外日系新聞の過去、現在、未来」「日系新聞の火を消すな」などのシンポジウムを、節目ごとに日本で開催しました。2000年から「海外日系新聞放送協会賞」を設けて優れた記事や紙面企画を顕彰し、2004年からは毎年「海外日系文芸祭」を催して、海外国内双方からの短歌、俳句の投稿を募り、優秀作品に協会の「文芸祭賞」を贈りました。その授賞式を、毎年東京で開く協会の年次大会の場で行い、すべての応募作品を毎回小冊子にまとめて発行しました。
「協会賞」「文芸祭賞」とも残念ながらマンパワーや予算の関係から10回の節目で終了しましたが、この記録や出版物は後世に「日系社会の時代」を理解するうえで貴重な資料になると思います。
邦字新聞は海外移住の歩みの中で実に大きな役割を果たしてきました。移民の耳目となり、時には悪質な移民会社をやり玉にあげました。言語の不自由な移民に居住地の事情を日本語で知らせ、生活の指針を与え続けました。邦字新聞は日本人移住者と日系人社会の歴史を書き続けてきたのです。このことはこの年表によって明らかにされています。
北アメリカ、南アメリカの日系社会は、1世から2世へさらに3世4世の世代へと移りつつあります。でもまだまだ多くの読者が邦字新聞を必要としています。デジタル社会が進展しているいま、旧来の紙媒体による邦字新聞は、経営的に苦戦を強いられていますが、努力を重ねて時代への対応を模索し続けているところです。
本年表は、協会設立時から勤務してきた現専務理事の岡野護氏が20年にわたって作成し続けてきた年表を元に、あらたな情報を掘り起こし事実調査を積み重ねて充実させ、発行に踏み切りました。この年表によって海外日系社会と邦字新聞に対する読者の皆様のご理解が深まることを念じて発刊のご挨拶といたします。
2020年(令和2年)9月
一般社団法人 海外日系新聞放送協会
理事長 新実慎八
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希望と成功、衣錦還郷の夢を抱き、日本人が最初に海外に集団移住したのは明治元年(1868年)のことだった。以後76万人が、いろいろな目的をもって日本から海を渡り移民した。2018年6月には最初に集団移住したハワイ移民から数えて150周年を迎え、ホノルルで皇室のご臨席を得てお祝いの式典が開催された。7月には、サンパウロでも移民110年記念式典が、皇室のご臨席を得て開催される節目の年となった。
私は、1973年に海外日系人協会に就職した。同年、第14回海外日系人大会にアルバイトとして参加したことがきっかけだった。また1974年設立の海外日系新聞協会にも最初から関与してきた。これが移住者・日系人と出会った最初である。またその当時、日本学生海外移住連盟という学生団体組織で役員をしていた関係もあり、先輩や後輩が卒業と同時にカナダや南米に移住していった。以来、この業界では足掛け50年となろうとしている。150年の移住の歴史の3分の1を、移住者や日系人と関係してきたことになる。日系人大会の参加者だけでも総計16,000人を超えており、25か国以上の海外在住の日本人と日系人に会う事が出来た。
いまや海外日系人と表現される、1世から6世、7世までの人口は380万ともいわれ、日本の都道府県の人口順位では、9番目の福岡県の511万に次ぎ、10番の静岡県の365万人に匹敵、京都府259万人、広島県281万人、茨城県288万人の人口を超えている。
各国の移住の歴史を調べていると、どの国、地域においても記念すべき日、記憶に残る日、歴史に残さなければならない日が存在し、それぞれの日系社会で関連の行事や、祝典などが開催されてきた。いわゆる移住周年行事等がそれである。
これらの記念日は、その地域だけの行事といえばそうともいえるが、それらほとんどの国は日本の国策で移民を送りだしてきた歴史があり、第2次世界大戦時において、海外在住日系人はそれまでに築き上げてきた社会や生活を失うことにもなった。日本の政策の影響を多く受けてきたのである。
本書をつくる過程で、移住者の悲憤慷慨の身上を思い、時には喜びの気持ちを同じくしたことがたくさんあった。また、特に1世の方々が日本の窮状時に多くの支援をしていただいたことも、日本人として忘れてはならないことの一つだ。ララ物資、阪神淡路大震災、東日本大震災等、数えればいくつも出てくる。私はその多くの義捐金の受付窓口の担当者となり、取り次ぎの仕事もしてきた。海外に住む日系人は日本を忘れてはいない。日本人も、海外在住の日本人・日系人を忘れてはいけないと思う。
プラザ合意があった1985年に、円高が一挙に進み、ブラジル・ペルーでのハイパーインフレが相まって、日系人の日本への出稼ぎが始まった。在日日系人はピーク時には32万人を超えていた。日本政府は、日系人を人出不足の労働力として扱いながら、生活に必要な日本語を覚えることができるような政策を当初とってこなかった。彼らの滞在が長くなるにつれ、問題は大人だけではなく、児童生徒の教育問題が新たに生じた。社会保険、年金未加入の現状を放置したまま30年が経過し、今後年金生活に入る年齢になってきた日系人は、国民年金においても満額加入した人はほとんど皆無なのが現状だ。日本人でも老後の生活が不安な経済状態を思う中で、在日日系人の今後が心配でならない。
本書には、移住者を送りだした日本側の組織の設立、各国への移住の始まり、海外で日本人会の組織づくり、日本語学校の設立、邦字新聞の発行、仏教寺院やキリスト教会の創建、農業協同組合の設置などを網羅した。団体名や出来事で説明が必要と思うものは、別項でキーワード解説として説明を施した。また、ブラジル、アメリカ、ハワイ、ペルー、カナダ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、メキシコ、ドミニカ共和国、コロンビア、オーストラリア、フィリピンの12か国、1地域については、移住略史としてまとめたので移民史の理解が深まるだろう。
海外移住の歴史も150年が経過し、その歴史について日本に住む日本人にももっと知ってほしい、日系人にとっての記念日に思いを馳せてもらいたいとの思いから本書の執筆に至った。今日という日は日系社会では何があった日なのか、と調べるときの参考書となることも発行の意図にはある。偶然にも1月1日から12月31日まで、閏年をいれて366日の全ての日を網羅できた。年月日については可能な限り正確に確定しまとめたつもりだが、間違いも多くあると思う。読者の方々のご叱責、ご指摘を乞いたい。
最後に、本書の出版にあたり、海外日系新聞放送協会事務局の渡辺裕子さんには資料の確認、収集等で大変お世話になった。さらに、ボリビア在住の佐藤信壽氏、サンパウロ新聞の瀬頭明男氏からはアドバイスや資料の提供も受けた。ここにあらためてお礼申し上げる。
海外日系新聞放送協会の会員社から出版の賛同とご支援を得、紙面からも引用させていただいた。その他の文献も含めて、「出典・引用・参考文献」を作成、掲載させていただいた。本書は、このような多くの出版物があってまとめることが出来た。これらの著者、関係者の皆さまにも、ここに改めて感謝する次第である。
岡野 護
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制 作 一般社団法人 海外日系新聞放送協会
編著者
岡野 護(Okano Mamoru)
1954年石川県羽咋市生まれ。
1977年亜細亜大学経営学部卒業。
1977年財団法人海外日系人協会入会。業務部長、資料館業務総括、総務部長、事務局長、理事を務める。2016年退職。海外日系人協会在職中は、季刊「海外日系人」(年2回発行)の編集・製作に、1977年創刊から2014年の終刊まで携わる。
海外日系新聞放送協会では、事務局長、理事、専務理事を務め、2015年に代表理事として一般社団法人の法人格を取得した。2018年にはハワイ日本移民150周年を記念した、パネル展「日本移民と邦字紙の展開―ハワイ・ジャーナリズムの足跡」を企画制作し、ハワイ州庁舎等に展示した。
現在、一般社団法人海外日系新聞放送協会事務局長・専務理事。公益財団法人海外日系人協会常務理事(非常勤)。
幕末から令和(2020年)まで、14か国・地域と日本国内の移民に関する出来事を年表に網羅。写真口絵、重要語句解説、地域別移住略史、索引などで、外地に暮らす邦人・日系人の歴史の全容を展望。各地で刊行された邦字新聞やラジオ等の活動もおさめた決定版。
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発刊にあたって
北アメリカ、南アメリカの各地で邦字(日本語)新聞を発行している新聞社の集合体である海外日系新聞放送協会がまもなく半世紀を迎えます。当協会はこの機会に、すでに150年の歴史を刻んだ“日本人の移住”にかかわる出来事を年表にまとめ出版することにしました。
当協会はサンフランシスコ講和条約が発効した1950年に、北アメリカの新聞社が米国日系新聞協会を設立したのがはじまりでした。当初これらの新聞社は母国日本とのつながりを重視し、協会の事務局を日本(東京)に置いたうえ、多くの新聞社が東京支社を開設し、さらに記者を米国から一時帰国させ日本の国会記者記章まで取得して活発な取材活動を展開しました。
結成46年の歴史の中では、各社が同一テーマで紙面を展開した「共同編集企画」をはじめ、「海外日系新聞の過去、現在、未来」「日系新聞の火を消すな」などのシンポジウムを、節目ごとに日本で開催しました。2000年から「海外日系新聞放送協会賞」を設けて優れた記事や紙面企画を顕彰し、2004年からは毎年「海外日系文芸祭」を催して、海外国内双方からの短歌、俳句の投稿を募り、優秀作品に協会の「文芸祭賞」を贈りました。その授賞式を、毎年東京で開く協会の年次大会の場で行い、すべての応募作品を毎回小冊子にまとめて発行しました。
「協会賞」「文芸祭賞」とも残念ながらマンパワーや予算の関係から10回の節目で終了しましたが、この記録や出版物は後世に「日系社会の時代」を理解するうえで貴重な資料になると思います。
邦字新聞は海外移住の歩みの中で実に大きな役割を果たしてきました。移民の耳目となり、時には悪質な移民会社をやり玉にあげました。言語の不自由な移民に居住地の事情を日本語で知らせ、生活の指針を与え続けました。邦字新聞は日本人移住者と日系人社会の歴史を書き続けてきたのです。このことはこの年表によって明らかにされています。
北アメリカ、南アメリカの日系社会は、1世から2世へさらに3世4世の世代へと移りつつあります。でもまだまだ多くの読者が邦字新聞を必要としています。デジタル社会が進展しているいま、旧来の紙媒体による邦字新聞は、経営的に苦戦を強いられていますが、努力を重ねて時代への対応を模索し続けているところです。
本年表は、協会設立時から勤務してきた現専務理事の岡野護氏が20年にわたって作成し続けてきた年表を元に、あらたな情報を掘り起こし事実調査を積み重ねて充実させ、発行に踏み切りました。この年表によって海外日系社会と邦字新聞に対する読者の皆様のご理解が深まることを念じて発刊のご挨拶といたします。
2020年(令和2年)9月
一般社団法人 海外日系新聞放送協会
理事長 新実慎八
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あとがき
希望と成功、衣錦還郷の夢を抱き、日本人が最初に海外に集団移住したのは明治元年(1868年)のことだった。以後76万人が、いろいろな目的をもって日本から海を渡り移民した。2018年6月には最初に集団移住したハワイ移民から数えて150周年を迎え、ホノルルで皇室のご臨席を得てお祝いの式典が開催された。7月には、サンパウロでも移民110年記念式典が、皇室のご臨席を得て開催される節目の年となった。
私は、1973年に海外日系人協会に就職した。同年、第14回海外日系人大会にアルバイトとして参加したことがきっかけだった。また1974年設立の海外日系新聞協会にも最初から関与してきた。これが移住者・日系人と出会った最初である。またその当時、日本学生海外移住連盟という学生団体組織で役員をしていた関係もあり、先輩や後輩が卒業と同時にカナダや南米に移住していった。以来、この業界では足掛け50年となろうとしている。150年の移住の歴史の3分の1を、移住者や日系人と関係してきたことになる。日系人大会の参加者だけでも総計16,000人を超えており、25か国以上の海外在住の日本人と日系人に会う事が出来た。
いまや海外日系人と表現される、1世から6世、7世までの人口は380万ともいわれ、日本の都道府県の人口順位では、9番目の福岡県の511万に次ぎ、10番の静岡県の365万人に匹敵、京都府259万人、広島県281万人、茨城県288万人の人口を超えている。
各国の移住の歴史を調べていると、どの国、地域においても記念すべき日、記憶に残る日、歴史に残さなければならない日が存在し、それぞれの日系社会で関連の行事や、祝典などが開催されてきた。いわゆる移住周年行事等がそれである。
これらの記念日は、その地域だけの行事といえばそうともいえるが、それらほとんどの国は日本の国策で移民を送りだしてきた歴史があり、第2次世界大戦時において、海外在住日系人はそれまでに築き上げてきた社会や生活を失うことにもなった。日本の政策の影響を多く受けてきたのである。
本書をつくる過程で、移住者の悲憤慷慨の身上を思い、時には喜びの気持ちを同じくしたことがたくさんあった。また、特に1世の方々が日本の窮状時に多くの支援をしていただいたことも、日本人として忘れてはならないことの一つだ。ララ物資、阪神淡路大震災、東日本大震災等、数えればいくつも出てくる。私はその多くの義捐金の受付窓口の担当者となり、取り次ぎの仕事もしてきた。海外に住む日系人は日本を忘れてはいない。日本人も、海外在住の日本人・日系人を忘れてはいけないと思う。
プラザ合意があった1985年に、円高が一挙に進み、ブラジル・ペルーでのハイパーインフレが相まって、日系人の日本への出稼ぎが始まった。在日日系人はピーク時には32万人を超えていた。日本政府は、日系人を人出不足の労働力として扱いながら、生活に必要な日本語を覚えることができるような政策を当初とってこなかった。彼らの滞在が長くなるにつれ、問題は大人だけではなく、児童生徒の教育問題が新たに生じた。社会保険、年金未加入の現状を放置したまま30年が経過し、今後年金生活に入る年齢になってきた日系人は、国民年金においても満額加入した人はほとんど皆無なのが現状だ。日本人でも老後の生活が不安な経済状態を思う中で、在日日系人の今後が心配でならない。
本書には、移住者を送りだした日本側の組織の設立、各国への移住の始まり、海外で日本人会の組織づくり、日本語学校の設立、邦字新聞の発行、仏教寺院やキリスト教会の創建、農業協同組合の設置などを網羅した。団体名や出来事で説明が必要と思うものは、別項でキーワード解説として説明を施した。また、ブラジル、アメリカ、ハワイ、ペルー、カナダ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、メキシコ、ドミニカ共和国、コロンビア、オーストラリア、フィリピンの12か国、1地域については、移住略史としてまとめたので移民史の理解が深まるだろう。
海外移住の歴史も150年が経過し、その歴史について日本に住む日本人にももっと知ってほしい、日系人にとっての記念日に思いを馳せてもらいたいとの思いから本書の執筆に至った。今日という日は日系社会では何があった日なのか、と調べるときの参考書となることも発行の意図にはある。偶然にも1月1日から12月31日まで、閏年をいれて366日の全ての日を網羅できた。年月日については可能な限り正確に確定しまとめたつもりだが、間違いも多くあると思う。読者の方々のご叱責、ご指摘を乞いたい。
最後に、本書の出版にあたり、海外日系新聞放送協会事務局の渡辺裕子さんには資料の確認、収集等で大変お世話になった。さらに、ボリビア在住の佐藤信壽氏、サンパウロ新聞の瀬頭明男氏からはアドバイスや資料の提供も受けた。ここにあらためてお礼申し上げる。
海外日系新聞放送協会の会員社から出版の賛同とご支援を得、紙面からも引用させていただいた。その他の文献も含めて、「出典・引用・参考文献」を作成、掲載させていただいた。本書は、このような多くの出版物があってまとめることが出来た。これらの著者、関係者の皆さまにも、ここに改めて感謝する次第である。
岡野 護
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制 作 一般社団法人 海外日系新聞放送協会
編著者
岡野 護(Okano Mamoru)
1954年石川県羽咋市生まれ。
1977年亜細亜大学経営学部卒業。
1977年財団法人海外日系人協会入会。業務部長、資料館業務総括、総務部長、事務局長、理事を務める。2016年退職。海外日系人協会在職中は、季刊「海外日系人」(年2回発行)の編集・製作に、1977年創刊から2014年の終刊まで携わる。
海外日系新聞放送協会では、事務局長、理事、専務理事を務め、2015年に代表理事として一般社団法人の法人格を取得した。2018年にはハワイ日本移民150周年を記念した、パネル展「日本移民と邦字紙の展開―ハワイ・ジャーナリズムの足跡」を企画制作し、ハワイ州庁舎等に展示した。
現在、一般社団法人海外日系新聞放送協会事務局長・専務理事。公益財団法人海外日系人協会常務理事(非常勤)。