旅する看板絵 別巻21
ガーナの絵師クワメ・アコトの実践
看板絵のビームや呪語・格言が降り注ぐ街に惹かれ、子連れで師匠に弟子入り。制作の現場から、欧米主導の現代美術の立ち位置に迫る。
著者 | 森 昭子 著 |
---|---|
ジャンル | 人類学 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻 |
出版年月日 | 2020/10/15 |
ISBN | 9784894892866 |
判型・ページ数 | A5・72ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
ネット書店を選択 |
---|
目次
一 看板絵とは
1 アフリカの路上を彩る看板絵
2 看板絵師とは
3 看板絵の歴史
二 看板絵を巡る考察
1 「芸術」としての看板絵
2 「モノ」か「アート」か
3 「芸術/アート」を揺さぶる
三 オールマイティゴッド看板工房への弟子入り
1 ガーナ大学、子連れ留学
2 クマシへ
3 弟子生活
4 文字入れの技法の習得
四 看板絵師クワメ・アコトの実践
1 人の視覚の奇跡
2 自己と悪魔の肖像画
3 家族像
旅のあとさき
注・参考文献
あとがき
内容説明
アフリカン・アートを生ききる!
文字や絵が「爆発」する看板、霊力がビームとなり、呪語・格言は道行く人びとを動かす。そんなアートな街に惹かれ、師匠の工房に飛び込んだ幼子連れの著者。制作現場の日々から、欧米主導の現代美術の立ち位置に迫る。
*********************************************
…… このようにアフリカの街の景色に溶け込み、外国人からも認知され始めた看板絵だが、それらを生み出す絵師とはいかなる存在なのだろうか。
基本的に商業看板も肖像画も四角いべニア板やキャンバスに描かれる平面造形で、絵筆で彩色することから、植民地時代に美術教育や識字教育が始まって以降に成立、普及したと考えられる。看板絵師は英語で「Sign Painter / Sign Writer」と呼ばれるように、絵を描くことと文字を描くことが主な職能である。絵師になるには、工房に弟子入りして親方のもとで指導を受け、徒弟として十年程度の修行や鍛練を積んでから独立するのが一般的だ。出身の地域や民族に関係なく、親が教史だろうが物乞いだろうが誰もが徒弟になることができるが、実際は親方は同郷出身や同じ民族や母語の弟子を取り、住居や食事など生活全般の面倒をみる傾向が強い。
仕立て屋や自動車整備工など、アフリカの都市部には統計数字には表れないインフォーマル経済を支える様々な徒弟制の職業があるが、看板絵師もその一つである。工房で文字の入れ方やデッサン、デザイン構成や絵の描き方を学んだ者は、絵師として成功する以外にも、各種のデザイナーや車の塗装屋、彫り師など様々な職に就いており、画家の中にもかつて工房で学んだ者がいる。このように看板工房はいわばインフォーマルな美術・デザイン教育、そして技術訓練を提供しているのだ。
それにしてもかつて無文字社会といわれた地で、どうしてこのように文字に溢れた広告看板や標識、サインを日常風景で目にするのだろうか。ガーナは、ゴールドコースト領になる以前の一五、六世紀にすでに都市国家が成立していたが、たとえばアサンテ王国の職人たちが生み出す真鍮の鋳物、王権の象徴である床几や傘、ケンテ、そしてアディンクラと呼ばれる標章が示すように、西アフリカの他の地域同様に立体造形に優れた無文字社会でもあった[阿久津 二〇〇七:三二八―三九一]。そんなギニア湾森林地帯の人々が最初に文字文化に接触したのは、近隣諸国との交易だった。特にイスラーム伝道師がつくる護符には需要があり、沿岸部で取れるコラの実や金、木材と交換するコラ交易により護符と精霊祭祀が沿岸部へ広がったという[石井 二〇〇七:一二〇―一二四]。ガーナ南部に住むのアカン系の人々は文字を目にする機会は少なく、文字には特別な力が宿っていると人々が感じていただろうことが想像される。
識字率の向上は、二〇世紀の近代化、都市化、そして教会や学校の増加に伴う。看板絵師はアカン語でチレチレニ(ɔkyerɛkyérɛní)とも呼ばれるが、これは「学校教師」と同意語である。すなわちチレ(kyere)とは「教える」「書く」という意味で、ニ(ni)は「人」を指すため、「文字を描く人」「教える人」ということになる。識字教育が普及した現在においても看板絵師は文字と絵を自在に操る職能として人々に認知され、文字や絵にまつわるあらゆる依頼が看板工房には舞い込むのだ。
……
*********************************************
著者紹介
森 昭子(もり しょうこ)
1983年、神奈川県生まれ。
2006年に青山学院大学国際政治経済学部を卒業後、みずほコーポレート銀行に3年間勤める。
2009年から2年間、青年海外協力隊としてガーナ共和国で活動する。
「SHOKOLA」名義でフリーランスの現地コーディネーターとして、TICAD5文化関連事業・国際交流基金主催『小沢剛、高木正勝、アフリカを行く』(2013年)等を手掛ける。
2014年に東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士前期課程に入学、2018年に卒業(修士号取得)。
2016年から2017年の1年間、ガーナ大学アフリカ研究所に留学。
2018年より公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京に勤務。
2020年に『萌える人類学者』(共編著、東京外国語大学出版会)を出版予定。