越境する〈発火点〉 54
インドネシア・ミュージシャンの表現世界
ハリー・ルスリのアルバム『発火点』=ロックと伝統音楽が融合したこの1970年代の楽曲は、現代インドネシア社会を鋭く切り取る。
著者 | 金 悠進 著 |
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ジャンル | 人類学 芸能・演劇・音楽 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2020/10/15 |
ISBN | 9784894892873 |
判型・ページ数 | A5・70ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
一 なぜバンドンか
1 二人の人物との「出会い」
2 エリートと民衆
二 「インドネシア音楽」を対象化する
1 地方都市バンドンからみる
2 インドネシア音楽史からの逸脱
三 ハリー・ルスリの風景
1 音楽家ハリー・ルスリの評価
2 末っ子ハリー・ルスリの生い立ち
3 ハリー・ルスリの政治
4 不自由(?)のなかの「抵抗」
5 路上の社会奉仕
四 真面目に生きる、不真面目に表現する
1 ロックスターにはならない
2 ハリー・ルスリとスカルノの息子
3 反骨のなかの愛国
五 「民衆」との向き合い方
1 ダンドゥット嫌い
2 〈エリートと民衆〉の脱構築
六 死に方、行く末
1 黒くぬれ!――ハリー・ルスリの「遺書」
2 ハリー・ルスリの現在地
発火点への追憶
参考文献・ハリー・ルスリ関連年表
あとがき
内容説明
ハリー・ルスリの代表アルバム『発火点』との出会いがすべてだった。それは、ロックと伝統音楽を融合させた1970年代の楽曲でありながら、現代インドネシア社会の様々な断面を切り取る、「導きの書」でもあった。
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ズドーンッ!
まさに雷だった。私が大学院に入って間もない二〇一五年、大阪での出来事である。
インドネシアの音楽家ハリー・ルスリ(Harry Roesli)の代表アルバム『発火点(Titik Api)』(一九七六年)は、オープニングから強烈な印象を私に与えた。ギー……ギー……と古びた扉が不気味に鳴る。急にバタン! バタン! と勢いよく扉が閉まる音に緊張が走る。一瞬、静寂が来る。息を呑む。そこで突然、ズドーンッ! と激しいエレキギターにドラムとベース、さらには伝統楽器ガムランのアンサンブルが一気に襲いかかってくる。それは「音」ではなく、間違いなく「雷」だった。異国の地の〈発火点〉が時代と国を超えて、私の胸を燃やした。
正直、こんな言い方は大げさだと思う。似たような語りは嫌というほど聞いてきた。私の高校時代のヒーロー矢沢永吉は、ラジオから流れるビートルズの曲を聴いて、「雷がドーンと落ちたくらいの衝撃」を受けたという。あるいは、パンクロッカーたちは、「セックス・ピストルズをみて背中に電流が流れた」という。「ほんまかいな」と、にわかには信じられなかった。そんな経験をしたことがなかったからだ。
しかし、誇張ではなかった。確かに雷が落ち、電流が流れた。それぐらいの衝撃を受けた。私はハリー・ルスリに一目惚れした。それ以来、完全に彼の虜となってしまった。
二〇一四年大学院入学当時、インドネシアの音楽にほとんど興味はなかった。そもそも「インドネシアの音楽」が何かよくわからない。「伝統的」、「民族的」と言われる打楽器(のようなもの)を使っているイメージがあったかもしれない。しかし、ハリー・ルスリの音楽は、私の貧しい固定観念を覆した。七〇年代の欧米ロックを基調としつつ、インドネシアの伝統音楽を融合させた楽曲は、まったく新しい音楽として聴こえた。『発火点』は、インドネシアで、しかも一九七〇年代に作られていたとは思えないほど、新しい。
ハリー・ルスリは、二〇歳前後でインドネシア初のプロテストソングを作曲し、商業性を度外視した技巧的で複雑な作品をつくり続け、すべての思考、観念を破壊してきた。一方で、裕福な家庭で生まれ育ちながら、超エリートとしての出世街道を拒み、貧しい子供たちの社会的支援活動を行ってきた。不真面目な表現活動と真面目な私生活を併せ持つ稀有な男であった。他に類を見ない、すべてが異例づくしの音楽家は、「鬼才」といったやや古びた言葉では言い表せないほどである。
この理解しがたい音楽家ハリー・ルスリの表現世界について書くこと、ひいては、彼を通してインドネシアを対象化すること、これが本書を貫くテーマである。
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著者紹介
金 悠進(きむ ゆじん)
1990年、大阪府生まれ。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。
現在、国立民族学博物館機関研究員。
主な業績に「自立と依存の文化実践――音楽シーンの発展構造からみるインドネシア民主主義」(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士論文、2020年)、「インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟」(『東南アジアのポピュラーカルチャー――アイデンティティ・国家・グローバル化』スタイルノート、2018年)などがある。