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韓国演劇運動史

韓国演劇運動史

開化期、日帝時代、動乱、そして民主化。百余年の曲折を、韓国人社会と舞台の表裏から克明に描く。

著者 柳 敏榮
津川 泉
ジャンル 歴史・考古・言語
芸能・演劇・音楽
出版年月日 2020/12/08
ISBN 9784894892835
判型・ページ数 A5・720ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

日本版序文(柳敏栄)

プロローグ

●第一部 開化期と伝統公演芸術
 
  一 開化期の劇場文化
  二 日帝侵略直後の伝統公演芸術
  三 伝統芸術の自助努力と唱劇運動の哀歓
  四 そのきらびやかな女性国劇の盛衰
  五 唱劇再建とその確立のための摸索
 
 ●第二部 日本新派劇の流入とその土着
 
  一 日本新派劇の韓国上陸
  二 新派劇の各種ハプニング
  三 韓国観衆と日本新派劇の接木
  四 スターの明滅と裵亀子
  五 東洋劇場と演劇大衆化
  六 楽劇の定立と消滅
 
 ●第三部 民族自覚と民衆演劇
 
  一 先駆演劇人と学生の民族劇運動
  二 ロマン劇運動のみじめな挫折
  三 天才演劇人の人と死
  四 プロレタリア劇の登場と衰退
 
 ●第四部 暗黒と混沌の演劇
 
  一 知識人演劇の栄光と挫折
  二 植民地時代演劇の屈折と解放
  三 左右両翼演劇の葛藤と離別
  四 その後の北朝鮮演劇
  五 国立劇場設立事情
 
 ●第五部 戦争と演劇基盤の崩壊
 
  一 朝鮮戦争と演劇基盤の崩壊
  二 避難演劇と収復演劇
  三 映画の挑戦に萎縮した演劇
 
 ●第六部 演劇再建の険しい道
 
  一 柳致真のドラマセンターと演劇中興運動
  二 同人制劇団時代の開幕
  三 実験劇の胎動と演劇活性化の兆し
  四 維新時代の演劇危機
  五 演劇大衆化という虚像
 
 ●第七部 産業社会と演劇多様化
 
  一 秋松雄とモノドラマ
  二 演劇人の自省と海外交流
  三 第五共和国時代の演劇の様相
  四 民主化とソウルオリンピック演劇祭
  五 激動社会の中のマダン劇
  六 李海浪の生と死、その後
  七 さまよえる世紀末演劇
  八 ミュージカル時代の開幕
 
 エピローグ

『韓国演劇運動史』補遺
韓国ミュージカルの急膨張と今後解かなければならない課題
創作ミュージカルの可能性と尹浩鎭・朴明誠の挑戦精神-「明成皇后」「アリラン」と関連して

訳者ノート──日本人が見た植民地朝鮮の演劇(界)(津川泉)

訳者あとがき(津川泉)

参考文献

索引(人名・脚本・劇団・劇場・事項)

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内容説明

「朝鮮人は芝居を観るのでなく芝居を食べるのだ」(『雨雀自伝』より)。
開化期、日帝時代、動乱、そして民主化。百余年の曲折を、韓国人社会と舞台の表裏から克明に描く。

●『韓国演劇運動史』(2001年、太学社)に、その後の動向を補遺として加えた完訳・決定版。
●演劇史の第一人者が、詳細な資料と聞き取りにより、低迷も隆盛も、そしてその素因も描ききった大著。韓国演劇史の名著を完訳。

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日本語版序文




 公演芸術である演劇が芸術分野に占める比重は、概して重いといえる。したがって演劇の社会的機能はやはり無視できない。にもかかわらず、誰もが容易に接することができる演劇関連書籍、特に演劇史に関する本はごく僅かにすぎない。その結果、演劇を愛するファンはいうまでもなく、演劇従事者たち、さらには大学で演劇を教えている教授たちですら自国の演劇の歴史に疎い人もいる。「歴史とは、現在と過去との間の尽きることなき対話」といったE・H・カーの言葉を借りるまでもなく、歴史を知らないということは、今日の演劇人たちが先達からの成功や失敗に対する反省材料や教訓を体得していないということである。これでは今日の演劇創造者が過去のあやまちをいたずらにくり返し、今後の難局を乗り越えるべき力を養えないことになるのではないか。

 本書を書いた動機は、まさにこのような現実をある程度正したいという意図によるものだ。一九八〇年代中盤、総合公演芸術誌である『客席』が創刊され、韓国演劇の発展過程について読者に容易に理解できる文章を書いてほしいという連載依頼があった。そこで、二年余りかけて一九世紀末から一九六〇年代までの演劇史の連載を終えた。後年、連載後の二〇年にわたる演劇史を自分なりに追補したのが一九九〇年に出版した『われらの時代の演劇運動史』(檀国大出版部)である。すると、思いがけなくも新聞雑誌各社が競って取り上げ、小生が書評誌の表紙になり、放送にまで出演したのは、望外の慶事であった。

 その後、政治社会の急変により演劇界も大いに変化した。とりわけ映像文化の躍進は目覚ましく、演劇もまたミュージカル時代に突入し、その形態自体が様変わりしつつある。アメリカや英国などのように韓国演劇もストレートプレイよりはミュージカルが徐々に演劇の主流になりつつある。それゆえ、このような演劇地図の変容をフレキシブルに受け止め韓国演劇の展望を提示する必要があると考え、一九九五年に一〇〇〇ページに達する『韓国近代演劇史』(檀国大出版部)を出版、これを以って演劇の流れを新しく掌握した次第である。しかし、この著書の要点を絞り、さらに新しい観点に立って、原稿用紙にして前半二五〇枚、後半三五〇枚ほど修訂したのが、二〇〇〇年に太学社から刊行したこの『韓国演劇運動史』である。

 学術方式に拠らない平易な語り口で興味をかきたてるように書いた。当初は『客席』の要請によるものだったが、なによりも一般大衆に気軽に演劇に接し、関心を持ってもらいたいためであった。これまで演劇史の裏に隠されていた秘史を正史の表に引き上げた理由も、実は無味乾燥で貧弱な演劇史を立体的に生き生きと描き、読者に面白く読んでいただきたいためであった。

 周知のとおり、観衆を前にして制限された時間内に展開する公演、即ち演劇は幕が下りると同時に雲散霧消、ただ観客の記憶の中におぼろげな痕跡を残し、戯曲と劇場の舞台だけが残るのみである。それほど演劇は虚しい「瞬間の芸術」である。したがって、これまで世界で刊行されたほとんどの演劇史はいわば戯曲文学史ないしは劇場舞台史に近いものといえよう。しかし、幸いにも韓国の近代演劇はせいぜい一世紀前に始まり、その当時、活躍した主役たちが一九六〇年代まで存命だったため、彼らの証言をつぶさに採録することによって不足箇所を補塡し、過去をありありと浮き彫りにすることができた。

 その結果、読者の好評を得て、本書が大いに売れ、政府の文化観光部によって二度(一九九〇年、二〇〇〇年)に亙り優秀図書に選定され、二〇〇二年には「学術研究書の専門性と大衆的教養書籍としての普遍性を併せ持ち、学術書の叙述方式と韓国演劇学分野に新しい領域を開拓した」として第一回蘆汀・金在喆〔韓国演劇史研究の先駆者〕学術賞を授けられた。

 ところで、小生の幸運はこれにとどまらなかった。思いがけなくも韓国文化芸術に明るく、日韓の文化交流に尽力しておられる多才な津川泉先生が拙著を見事に翻訳してくださり、韓国・朝鮮文化を始め、広く東アジアを視野に入れた刊行物を数多く出版されている風響社から上梓されることになった。津川泉先生と風響社の石井雅社長に衷心から感謝の言葉を捧げるとともに、韓国文化に関心が高い日本の読者にこの本を読んでいただけたら幸いである。




エピローグより


 「はじめ良ければ終わり良し」ということわざがあり、韓国の二〇世紀演劇発展の歴史にあてはめてみると、今日の韓国演劇が他の芸術ジャンルに比べ、後れを取っているのかどうかを知ることができないだろうか。実は歴史の流れを振り返れば、韓民族は遊び(演劇)をとりわけ好きだったことを確認できる。各種雜伎は文字が生じる以前から活発だったし、クンノリ〔巫儀〕から仮面劇、人形劇、才談劇、パンソリ、影絵劇などは大衆の公演芸術として庶民生活を潤した最高の文化様式だった。にもかかわらず、このような有形の演戯形態を賎民の芸能とさげすみ、疎外、冷遇してきたのは事実である。これは何といっても儒教文化と関連があり、そのような残滓は二〇世紀末の今日までも色濃く残っている。
古典文芸分野から見る時、演劇は絵画や音楽、文学分野などに比べ、質量の面で後れをとる理由もまさにこうした遊び賎視思想と無関係ではない。その結果、演劇分野に卓越した人材が参集しない雰囲気が醸成され、そのような雰囲気は二〇世紀が始まる開化期にも例外ではなかった。

 文学の世界には、六堂・崔南善とか春園・李光洙などが現れ、新文学を主導したが、演劇の場合は伝統劇をそのまま伝授したり、でなければ唱劇のように変形の様式が誕生する程度であり、日本の低俗新派劇を無批判に受け入れるレベルだった。いわゆる新文芸を主導した六堂とか春園などは、すべて日本留学生であって知的にも優れた人材だった反面、パンソリの名唱たちはパンソリ以外知らない一本気な芸能人であったし、新派劇を始めた林聖九は初等教育を受けただけの凡庸な人物だった。三・一運動が過ぎてから、ようやく知的能力を備えた演劇人が登場してきたのである。

 演劇はその他の芸術ジャンルとは本質的に違い、総合芸術形態という点で環境の影響を絶対的に受け易い宿命を持つ。演劇は絵画や文学などのように個人作業で終わることはなく、作家、演出家、俳優、舞台美術家、照明、音響専門家など職種の違う人々が劇場という創造空間に集まって作り出す合同作品である。まさにその点で演劇は、豊かで自由な社会でなければ隆盛できない芸術様式だといえよう。このような前提のもとに二〇世紀韓国演劇を振り返る時、非常に難しい状況下にあったという事実を悟らざるをえない。一九世紀末から国運が衰えるにつれて、日本帝国主義の侵略をこうむり、この地には貧困と抑圧だけが存在するようになった。演劇が隆盛を極めるに必要な基本環境が根こそぎなくなってしまったうえに、卓越した人材まで冷遇されることによって、演劇は初めから立ち後れを免れることができなかったのだ。

 幸い文芸に一見識があった高宗皇帝の計らいで劇場(協律社と光武台)が開設されたことから、伝統公演芸術が現代に継承され、同時に近代劇の芽生えを迎えることもできた。しかし、一九一〇年代まで、優れた演劇人材が登場しなかったために韓国演劇は時代に即した芸術様式を創出できないでいた。しかし朴承弼という劇場経営者が登場し、衰退一路にあった伝統劇と国楽を活性化し、継承を可能にさせたのである。彼が演劇史上初めて劇場の効率的経営方式を披露し、新文化に押されて困難に直面した伝統公演芸術を愛国心によって守ったということは注目に値する。

 結局、演劇の新機運は一九一九年三・一運動が起きた後から沸き上がった。玄哲とか金祐鎮、朴勝喜などのような先覚者的な演劇人が時代の潮流に乗って登場し、新しい形態の演劇と演劇理論を紹介し、実践することで演劇界も世界に対する認識の目を少しずつ啓いていった。この時、先駆者たちはこの地にふさわしい新しい演劇形態とは何であり、また、それをどのように育成するかについて苦悩を重ね、ひとつひとつ実践に移していった。たとえば、玄哲は西欧近代劇を韓国に紹介し、演劇人の養成に力を傾け、金祐鎮は先鋭な演劇思潮を理論化し、創作に反映させ、朴勝喜は劇団運動によって演劇界を変えようとした。三人の活動家は現実の壁にぶつかり挫折したものの、彼らが撒いた近代劇の種は一九三〇年代になり、劇芸術研究会として芽生え、演劇を運動として捉えねばならないという強いメッセージも暗黙の裡に残してくれた。

 この時期に特に注目しなければならないのは、いわゆる写実主義劇を追究する柳致真など一群の本格劇作家の登場と洪海星を泰斗にした本格演出家が演劇界を導き始めた点であり、東洋劇場が開館されることによって、黄澈など素晴らしい職業俳優が大衆の中に芝居の息吹をみなぎらせた点といえる。他方、文壇のカップ〔朝鮮プロレタリア芸術家同盟〕と共に社会主義理念劇を追究した一群の演劇人たちは、東洋劇場を中心にした大衆劇ブームの中に埋没してしまう。ここで、劇場の存在がどれほど大きなものだったかがわかる。もし、東洋劇場という演劇専用劇場がなかったなら大衆劇ブームは起こらず、日帝の弾圧だけでは、社会主義理念劇がそう簡単に消滅してしまうこともなかっただろう。

 ところで三〇年代の先鋭な演劇運動も日帝の世界戦略、すなわち大東亜建設という大きな目標の中で激しい屈曲を強いられる。たとえば日帝の植民地弾圧と収奪、そして、その中での民族の鬱憤と挫折から誕生した抵抗劇は、日本警察によって容赦なく踏みにじられ、代わりに国民劇という政治目的劇をするよう強要された結果、韓国演劇は急速に低級な商業劇に追いやられてしまう。それゆえ韓国の近代劇は満身瘡痍となってぐずぐすしているうちに光復(解放)を迎えることになったのだ。(後略)


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編著者
柳 敏 栄(Yoo Min-young)
1937年、京畿道龍仁市に生まれる。
1966年、ソウル大学大学院国文学科卒業(文学碩士)。
1974年、AUSTRIA WIEN大学演劇学科修学。
1986年、国民大学大学院国文学科卒業(文学博士)。
1970から、漢陽大学文理大教授、檀国大学芸術大学長、芸術の殿堂理事長、檀国大学文化芸術大学院長及び碩座教授、ソウル芸術大学碩座教授を歴任。

現在、檀国大学校名誉教授。

主要著書
1978年『韓国演劇散考』文芸批評社
1982年『韓国現代戯曲史』弘成社、 『韓国演劇到美学』壇国大出版部
1984年『伝統劇と現代劇』檀国大出版部
1990年『われらの時代の演劇運動史』壇国大出版部
1991年『韓国演劇の位相』檀国大出版部
1996年『韓国近代演劇史』檀国大出版部
2000年『20世紀後半の演劇文化』国学資料院、 『激動社会の文化批評』檀国大出版部
2001年『韓国演劇運動史』太学社
2004年『文化空間改革と芸術発展』演劇と人間
2006日『韓国人物演劇史1.2』太学社
2009年『悲運の先駆者尹心悳と金祐鎮』新文社
2010年『韓圏演劇の史的省察と指向』青思想
2011年『韓国近代演劇史新論上・下巻』太学社
2012年『人生と演劇の痕跡』青思想
2015年『韓国演劇の父 東郎 柳致真』太学社
2016年『韓国演劇の巨人 李海浪』太学社、 『舞台上の世相 舞台外の世相』青思想
2017年『芸術経営から見た劇場史論』太学社
2019年『盛況な文化芸術界の明暗』太学社、など。

訳者紹介
津川 泉(つがわ いずみ)
1949年生。
1969年、小劇場運動参加。
1975・1976年、創作ラジオドラマ懸賞公募佳作。1976年より放送作家活動開始。
1989年、芸術選奨文部大臣新人賞(放送部門)、第3回ゴールデンアンテナ国際テレビ祭グランプリ受賞。
1990年、『韓国放送史』を読むために韓国語を学ぶ。
1993年、『JODK 消えたコールサイン』白水社。
2001~03年、韓国に下宿、生きた韓国語と韓国演劇に触れる。

日韓演劇交流センター専門委員。日本脚本家連盟員。

【主な翻訳】
2005年、李康白「真如極楽」(『韓国現代戯曲集Ⅱ』日韓演劇交流センター)
2006年、李康白「野原にて」(『読んで演じたくなるゲキの本』幻冬舎)
2007年、尹大星「離婚の条件」(『韓国現代戯曲集Ⅲ』)
2009年、呉泰栄「統一エクスプレス」(『韓国現代戯曲集Ⅳ』)
2009年、尹正煥「ちゃんぽん」(第一回日韓演劇フェスティバル上演)
2011年、朴炸烈 ラジオドラマ「フィンランディアの息子」「総督帰る」(3月「テアトロ」)
2011年、尹泳先「旅路」(『韓国現代戯曲集Ⅴ』)

編集・共訳
2013年、『金志軒 韓日対訳創作シナリオ選集』(集文堂・韓国)
2015年、金相烈「ぼんくらと凡愚」(『韓国現代戯曲集Ⅶ』)

共同執筆
2016年、『在朝日本人情報事典』(高麗大学校グローバル日本研究院)、
2017年、朴暁善「クミの五月」(『韓国現代戯曲集Ⅷ』)、
2019年、李相宇「老いた泥棒の話」(『韓国現代戯曲集Ⅸ』)、
2020年、尹正煥「ちゃんぽん」(韓日合本『アルクヒト戯曲選4』・韓国)、
2021年、金祐鎭「李永女」(『韓国現代戯曲集Ⅹ』)

【未発表翻訳戯曲】
金仁慶「納棺師ユ氏」、呉泰栄「燃えるソファー」、裴三植「三月の雪」

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