ホーム > モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料13
目次
第一部 資料解説
一 はじめに
二 ジェノサイドの指揮者と実行者たち
ジェノサイドを指揮した人物の証言
党中央の公文書
暴力の急先鋒の結成
「革命の成果」
三 加害者に対する調査
被害の実態
加害者の位置づけと区分
モンゴル人の不満と抗議
政府の調査で明るみになった加害行為
軽く処分された「三種の人間」
選別される群専の指導者たち
四 地方末端組織の加害者たち
党籍剥奪される殺人者たち
強制収容施設内の暴力
五 おわりに
参考文献
本書所収資料の出典
第二部 本書所収資料一覧
1.滕海清将軍写給華国鋒主席、党中央、中央軍委併総政治部、中央組織部的信,1978年12月15日
2.「我對在内蒙支左時所犯錯誤的補充檢查和幾點意見」,滕海清,1978年12月
3.中央關於處理内蒙問題的有關文件和中央負責同志講話匯編,第一輯,1967年5月30日
4.中央關於處理内蒙問題的決定和中央負責同志講話匯編,第二輯,1967年6月5日
5.情況與動態,1968年1月18日至1968年8月31日
6.常委(擴大)會議記錄和常委委員發言。1968年5月2日,1969年1月8日
7.常委閲件,1978年12月22日
8.常委閲件,1978年10月23日
9.資產階級幫派骨幹分子登記表,1979年10月
10.丁山同志到底是怎麽死的?;關於結束王鴻祥專案和對王鴻祥同志在文化大革命中所犯錯誤的處理決定,1979年11月1日;我個人對問題的看法;我是怎麽到毛澤東思想學習班的
(中略)
60.關於王秉禮在文革中所犯錯誤的審查結論和處理意見,1985年
61.關於秦三曉在“文化大革命”中所犯錯誤和罪行的審查結論,1984年?
62.關於郭和在“文革”中所犯錯誤的審查結論,1984年?
63.關於趙成威在“文革”期間所犯錯誤的審查結論,1985年
64.關於趙成威在“文化大革命”期間所犯錯誤的調查報告,1985年7月10日
65.關於秦金龍在“文革”期間所犯錯誤的審查結論,1984年?
66.關於對海濤同志在“文革”中所犯錯誤的審查結論,1985年
67.關於柴文在“文革”期間所犯錯誤的審查結論,1985年
68.關於核查“東風農大”挖“内人黨”案件的主要做法和體會,1985年9月9日
69.再接再厲,善始善終,完成清理“三種人”任務,曹志同志在清理“三種人”工作會議上的講話,冊子,1986年6月7日
一 はじめに
二 ジェノサイドの指揮者と実行者たち
ジェノサイドを指揮した人物の証言
党中央の公文書
暴力の急先鋒の結成
「革命の成果」
三 加害者に対する調査
被害の実態
加害者の位置づけと区分
モンゴル人の不満と抗議
政府の調査で明るみになった加害行為
軽く処分された「三種の人間」
選別される群専の指導者たち
四 地方末端組織の加害者たち
党籍剥奪される殺人者たち
強制収容施設内の暴力
五 おわりに
参考文献
本書所収資料の出典
第二部 本書所収資料一覧
1.滕海清将軍写給華国鋒主席、党中央、中央軍委併総政治部、中央組織部的信,1978年12月15日
2.「我對在内蒙支左時所犯錯誤的補充檢查和幾點意見」,滕海清,1978年12月
3.中央關於處理内蒙問題的有關文件和中央負責同志講話匯編,第一輯,1967年5月30日
4.中央關於處理内蒙問題的決定和中央負責同志講話匯編,第二輯,1967年6月5日
5.情況與動態,1968年1月18日至1968年8月31日
6.常委(擴大)會議記錄和常委委員發言。1968年5月2日,1969年1月8日
7.常委閲件,1978年12月22日
8.常委閲件,1978年10月23日
9.資產階級幫派骨幹分子登記表,1979年10月
10.丁山同志到底是怎麽死的?;關於結束王鴻祥專案和對王鴻祥同志在文化大革命中所犯錯誤的處理決定,1979年11月1日;我個人對問題的看法;我是怎麽到毛澤東思想學習班的
(中略)
60.關於王秉禮在文革中所犯錯誤的審查結論和處理意見,1985年
61.關於秦三曉在“文化大革命”中所犯錯誤和罪行的審查結論,1984年?
62.關於郭和在“文革”中所犯錯誤的審查結論,1984年?
63.關於趙成威在“文革”期間所犯錯誤的審查結論,1985年
64.關於趙成威在“文化大革命”期間所犯錯誤的調查報告,1985年7月10日
65.關於秦金龍在“文革”期間所犯錯誤的審查結論,1984年?
66.關於對海濤同志在“文革”中所犯錯誤的審查結論,1985年
67.關於柴文在“文革”期間所犯錯誤的審查結論,1985年
68.關於核查“東風農大”挖“内人黨”案件的主要做法和體會,1985年9月9日
69.再接再厲,善始善終,完成清理“三種人”任務,曹志同志在清理“三種人”工作會議上的講話,冊子,1986年6月7日
内容説明
本書は内モンゴル自治区でおこなわれた中国文化大革命に関する第一次資料を解説し、影印するシリーズ。文革の最中に行われたモンゴル人への弾圧は、収束後どう清算されたのだろうか。その詳細を伝える第一級の史料群。
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五 おわりに
以上、本書では中国政府が進めた加害者に対する調査資料を紹介した。具体的にはいわゆる「三種の人間」に対するリストアップと初期の調査(清理)、そして審査という段階を示した資料である。こうした調査と審査は全国的に実施され、内モンゴル自治区でも行われたが、私が収集して手に入れたものは、主として自治区西部のウラーンチャブ盟と包頭市に関する資料である。今後は、その他の地域についての資料群の出現に期待したいものである。
今回公開した資料から、文革に対する中国政府の清算には以下の特徴があった、と指摘できよう。
第一、モンゴル人ジェノサイドを現場で指揮していた最高指導者の滕海清将軍に対し、中国政府から何ら処分が下されることはなかった。滕海清だけでなく、自治区書記処の書記だった高錦明と権星垣らも皆、無罪放免していた。彼らはいわば、中共の古参幹部であった。「革命に参加」した時期が長いほど、その犯罪を不問に付していたのである。当然、モンゴル人は、共産党中央が滕海清将軍を裁判にかけなかった素地に不満だった。それでも、党中央に改善する意志はまったくなかったのである。モンゴル人の最高指導者ウラーンフーも、部分的な復活は許されたものの、実権はすべて剥奪された。
第二、1949年以前に「革命に参加」した者ではなく、文革期に造反して自治区高官の地位に上り詰めた「新興の資本階級分子」にはそれなりの処罰が言い渡されていた。造反派の高樹華と劉立堂、「群専」の指導者だった戈志盛らはその類に入る。彼らは庶民の出身で、共産党の政策に不満だった。しかし、共産党そのものの打倒を目論んでいたことはない。共産党に問題があっても、それは「党内にいて、ブルジョアの路線を歩む劉少奇やウラーンフーが原因」だ、と彼らは思っていた。なかにはウラーンフーによって抜擢された中国人もいた。
しかし、党中央は文革の初期から彼らの思想パターンを見抜いて、問題の本質を転換させた。内モンゴル自治区の場合は「問題の原因はすべてウラーンフーにある」、と周恩来と江青、それに康生らが煽動したし、中国人造反派もその指示に従った。ここから、モンゴルは民族全体で中国政府と中国人の敵とされ、ジェノサイドの対象とされたのである。具体的には「中央關於處理内蒙問題的有關文件和中央負責同志講話匯編」と「中央關於處理内蒙問題的決定和中央負責同志講話匯編」がその証拠である。
第三、文革期に中国人の造反派は暴力の急先鋒を演じた。その具体的な「革命の成果」を、彼ら自身が編纂し、発行していた新聞と雑誌、例えば本書所収の『情況與動態』が詳しく例示している。文革が終息を宣言された後、造反派たちは犠牲の羊とされた。彼らは調査の対象とされ、「三種の人間」に認定された。
第四、造反派たちを「三種の人間」として認定する政策は、一見したところ、中共が真摯にその過ちを是正しているように見えるが、実際はどれも処分が軽いのが、最大の特徴である。党中央は最初から「寛大の精神」と「過ちを犯した同志を徹底的に否定しない(不要一棍子打死)」政策を打ち出していたので、調査と審査はすべて緩かった。モンゴル人を複数名殺害した者でも、死刑判決を受けていなかったという事実が、そうした中共の本質を物語っている。
第五、中共が如何にモンゴル人ジェノサイドの本質を隠蔽しようと、中国人たちがどんなに犯罪をごまかし、隠蔽しようと、加害者の語りとその自供資料から、モンゴル人の被害状況と中国人の組織的な加害行為は歴然と浮かんで来る。資料から読み取れるのは、中国政府の推進と煽動に、一般の中国人たちが熱心に呼応し、政府と人民が一体となって、モンゴル人ジェノサイドを長期間にわたって、組織的に実施した、という事実である。ここに、本書所収資料の最大の意義が認められよう。
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編者紹介
楊 海英(Yang Haiying)
日本国国立静岡大学人文社会科学部教授。専攻、文化人類学。
主な著書
『草原と馬とモンゴル人』(日本放送出版協会、2001年)
『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』(風響社、2004年)
『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』(平凡社、2005年)
『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社、2007年)
『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』(風響社、2008年)
『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上・下、岩波書店、2009年、第十四回司馬遼太郎賞受賞。続、2011年)
『植民地としてのモンゴル―中国の官制ナショナリズムと革命思想』(勉誠出版、2013年)
『中国とモンゴルのはざまで―ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(岩波書店、2014年)
『ジェノサイドと文化大革命―内モンゴルの民族問題』(勉誠出版、2014年)
『チベットに舞う日本刀―モンゴル騎兵の現代史』(文藝春秋、2014年、第十回樫山純三賞受賞)
『日本陸軍とモンゴル―興安軍官学校の知られざる戦い』(中公新書、2015年、国基研・日本研究賞受賞)
『逆転の大中国史』(文藝春秋、2016年)
『モンゴル人の民族自決と「対日協力」―いまなお続く中国文化大革命』(集広舎、2016年)
『「中国」という神話』(文春新書、2018年)
『「知識青年」の1968年―中国の辺境と文化大革命』(岩波書店、2018年)
『最後の馬賊―「帝国」の将軍・李守信』(講談社、2018年)
『モンゴル人の中国革命』(筑摩新書、2018年)
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五 おわりに
以上、本書では中国政府が進めた加害者に対する調査資料を紹介した。具体的にはいわゆる「三種の人間」に対するリストアップと初期の調査(清理)、そして審査という段階を示した資料である。こうした調査と審査は全国的に実施され、内モンゴル自治区でも行われたが、私が収集して手に入れたものは、主として自治区西部のウラーンチャブ盟と包頭市に関する資料である。今後は、その他の地域についての資料群の出現に期待したいものである。
今回公開した資料から、文革に対する中国政府の清算には以下の特徴があった、と指摘できよう。
第一、モンゴル人ジェノサイドを現場で指揮していた最高指導者の滕海清将軍に対し、中国政府から何ら処分が下されることはなかった。滕海清だけでなく、自治区書記処の書記だった高錦明と権星垣らも皆、無罪放免していた。彼らはいわば、中共の古参幹部であった。「革命に参加」した時期が長いほど、その犯罪を不問に付していたのである。当然、モンゴル人は、共産党中央が滕海清将軍を裁判にかけなかった素地に不満だった。それでも、党中央に改善する意志はまったくなかったのである。モンゴル人の最高指導者ウラーンフーも、部分的な復活は許されたものの、実権はすべて剥奪された。
第二、1949年以前に「革命に参加」した者ではなく、文革期に造反して自治区高官の地位に上り詰めた「新興の資本階級分子」にはそれなりの処罰が言い渡されていた。造反派の高樹華と劉立堂、「群専」の指導者だった戈志盛らはその類に入る。彼らは庶民の出身で、共産党の政策に不満だった。しかし、共産党そのものの打倒を目論んでいたことはない。共産党に問題があっても、それは「党内にいて、ブルジョアの路線を歩む劉少奇やウラーンフーが原因」だ、と彼らは思っていた。なかにはウラーンフーによって抜擢された中国人もいた。
しかし、党中央は文革の初期から彼らの思想パターンを見抜いて、問題の本質を転換させた。内モンゴル自治区の場合は「問題の原因はすべてウラーンフーにある」、と周恩来と江青、それに康生らが煽動したし、中国人造反派もその指示に従った。ここから、モンゴルは民族全体で中国政府と中国人の敵とされ、ジェノサイドの対象とされたのである。具体的には「中央關於處理内蒙問題的有關文件和中央負責同志講話匯編」と「中央關於處理内蒙問題的決定和中央負責同志講話匯編」がその証拠である。
第三、文革期に中国人の造反派は暴力の急先鋒を演じた。その具体的な「革命の成果」を、彼ら自身が編纂し、発行していた新聞と雑誌、例えば本書所収の『情況與動態』が詳しく例示している。文革が終息を宣言された後、造反派たちは犠牲の羊とされた。彼らは調査の対象とされ、「三種の人間」に認定された。
第四、造反派たちを「三種の人間」として認定する政策は、一見したところ、中共が真摯にその過ちを是正しているように見えるが、実際はどれも処分が軽いのが、最大の特徴である。党中央は最初から「寛大の精神」と「過ちを犯した同志を徹底的に否定しない(不要一棍子打死)」政策を打ち出していたので、調査と審査はすべて緩かった。モンゴル人を複数名殺害した者でも、死刑判決を受けていなかったという事実が、そうした中共の本質を物語っている。
第五、中共が如何にモンゴル人ジェノサイドの本質を隠蔽しようと、中国人たちがどんなに犯罪をごまかし、隠蔽しようと、加害者の語りとその自供資料から、モンゴル人の被害状況と中国人の組織的な加害行為は歴然と浮かんで来る。資料から読み取れるのは、中国政府の推進と煽動に、一般の中国人たちが熱心に呼応し、政府と人民が一体となって、モンゴル人ジェノサイドを長期間にわたって、組織的に実施した、という事実である。ここに、本書所収資料の最大の意義が認められよう。
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編者紹介
楊 海英(Yang Haiying)
日本国国立静岡大学人文社会科学部教授。専攻、文化人類学。
主な著書
『草原と馬とモンゴル人』(日本放送出版協会、2001年)
『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』(風響社、2004年)
『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』(平凡社、2005年)
『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社、2007年)
『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』(風響社、2008年)
『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上・下、岩波書店、2009年、第十四回司馬遼太郎賞受賞。続、2011年)
『植民地としてのモンゴル―中国の官制ナショナリズムと革命思想』(勉誠出版、2013年)
『中国とモンゴルのはざまで―ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(岩波書店、2014年)
『ジェノサイドと文化大革命―内モンゴルの民族問題』(勉誠出版、2014年)
『チベットに舞う日本刀―モンゴル騎兵の現代史』(文藝春秋、2014年、第十回樫山純三賞受賞)
『日本陸軍とモンゴル―興安軍官学校の知られざる戦い』(中公新書、2015年、国基研・日本研究賞受賞)
『逆転の大中国史』(文藝春秋、2016年)
『モンゴル人の民族自決と「対日協力」―いまなお続く中国文化大革命』(集広舎、2016年)
『「中国」という神話』(文春新書、2018年)
『「知識青年」の1968年―中国の辺境と文化大革命』(岩波書店、2018年)
『最後の馬賊―「帝国」の将軍・李守信』(講談社、2018年)
『モンゴル人の中国革命』(筑摩新書、2018年)