目次
序章
一 二〇世紀前半のエジプト
二 エジプトとナショナリズム
三 本書の目的
第一章 アラビア語とナショナリズム
一 フスハーとアーンミーヤ
二 パンイスラーム主義とアラビア語
三 アラブナショナリズムとアラビア語
四 領土的ナショナリズムとアラビア語
第二章 一九二九年度の教科書とナショナリズム
一 一九二九年度の教科書とアラブ
二 一九二九年度の教科書とイスラーム的言説
三 一九二九年度の教科書とエジプト
第三章 アラブ連合共和国時代における教科書のアラビア語文学史
一 アラビア語文学史とイスラーム
二 アラブ人的気質と反植民地主義
三 アラブ世界の中心としてのエジプト
第四章 研究者の編む文学史
一 カウミーヤとナショナリズム
二 研究者におけるカウムの見方
三 領土的ナショナリズムにおけるアラブ意識
第五章 ヨルダンにおける文学史
一 ヨルダンの歴史
二 ヨルダンの近代アラビア語文学史におけるカウム
三 ヨルダンの近代アラビア語文学史における二つのナショナリズムの包含関係
結論
あとがき
参考文献
図表一覧・索引
内容説明
「アラビア語を話す全ての人はアラブ人である」
領土、アラブ人、そしてイスラーム。これら三つのアイデンティティー濃度を持ち、それぞれへの帰属意識の交錯の中に生きるエジプト人。本書は、教科書にみる言説や歴史から、フスハー(正則アラビア語)を国語とする意味を問い、ナショナリズムとは何かを再考する。
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まえがき
エジプトと聞いて何を想像するであろうか。ツタンカーメンやピラミッドといったファラオ時代の遺物、遺跡であろうか。それともエジプトに恵みをもたらすナイル川であろうか。しかし私にとってエジプトは、ファラオでもナイル川でもなく、政治、文化的に重要なアラブ国家の一つであり、同時にイスラームに関する学問の中心地の一つである。そして、アラビア語が国家の言語であると憲法に明記されているにもかかわらず、「アラビア語」でコミュニケーションが取れない不思議な国の一つである。
なぜそのような状況が生じるのであろうか。それはエジプトで使用される「アラビア語」の種類に関係している。後で詳しく述べるが、アラビア語は二つの種類に分けることができる。フスハーとアーンミーヤである。この二つのうち一般的に「アラビア語」といった場合、それはフスハーのことを意味する。私たち日本人のような非アラビア語話者がアラビア語として学ぶのもフスハーである。またエジプトの学校教育で国家の言語、つまり国語として教えられるのもフスハーである。フスハーはエジプトにとって極めて重要な言語であるのだが、その一方でそれが日々の生活の中で使用されることは、ほとんどない。言い方を変えれば、フスハーは教育を通して習得される言語であるのだが、それを日常的に使用し自らの言葉として定着させる機会がエジプトのどの地域においてもない言語なのである。そのため、エジプトで学校教育を終えた者でさえも、フスハーで話したり、書いたりすることに苦手意識を持つ者が存在している。
エジプトの人々の母語に該当し、日々の生活の中で使用されるのはアーンミーヤの方である。アーンミーヤは、日本でいうところの方言に該当するものであるという説明がなされることがある。その説明に即せば、エジプトのアーンミーヤはアラビア語のエジプト方言ということになる。とはいっても、エジプトという国家全土で使用されているという点で、日本の方言とは性質が大きく異なっている。日常的に使用され、地域に関わらず意思疎通の手段として使用されるという意味で、アーンミーヤはエジプトの「言葉」といえる。つまり、私たちがエジプトの人達と話そうと一生懸命「アラビア語」を勉強したところで、それはエジプトの「言葉」ではないため、彼らとコミュニケーションを取ることは難しいのである。たとえ私たちがフスハーで彼らに話しかけたとしても、多くの場合はアーンミーヤで返答されてしまうため、アーンミーヤの知識がなければ、彼らが何を話しているのかを理解することは容易ではない。
当然ではあるが、言語は「我々」と「他者」を区別する重要な指標として機能する。エジプトと他の地域との違いを際立たせるのは、間違いなくエジプトの「方言」であるアーンミーヤである。それにもかかわらず、人々の意識においても国家の選択においても、エジプトで「我々」の言葉として選ばれているのは、既に述べたように日常的に使用されることがないフスハーである。
本書は、このような言語的状況にあるエジプトで現れた言語文化の歴史、つまりアラビア語文学史を取り上げている。一般的にアラブ文学史と表現されるアラブ人の文学史を、本書がアラビア語文学史としていることには理由がある。誰にとっても母語ではない言語であるフスハーというアラビア語を、エジプトの国語として選択し、その言語の文学の歴史を「我々」の言語文化の歴史としているためである。本書では、母語ではない言語文化を選択しているということを強調するために、アラビア語文学史と表現している。
では、その選択がフスハーというアラビア語を共通の言語とする共同体、すなわちアラブ人という民族への意識的な帰属意識を意味しているかというと、必ずしもそうではない。二〇世紀前半のエジプトでは、ナイル河谷に広がる領土への帰属意識からエジプトの独自性を強調し、その歴史、文化はアラビア半島を起源とするアラブ人のものとは異なるという主張が主流であった。つまり、国語としてフスハーというアラブ人の言語を選択する一方で、歴史、文化的にはアラビア半島のアラブ人とは違うとする主張がエジプトで現れていたのである。そのような複雑な理解を必要とするエジプトの帰属意識のあり方を、具体的に明らかにすることが本書の目的である。
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著者紹介
平 寛多朗(たいら かんたろう)
2017年、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。
専門は、文学、アラブ地域研究。
現在、日本学術振興会特別研究員PD(桜美林大学)としてチュニジアの教育、アラビア語文学の研究を行っている。
東京外国語大学 非常勤講師。
主な業績:“Al-Thawra al-DaHiKa: The Challenges of Translating Revolutionary Humor,” Translating Egypt’s Revolution: The Language of Tahrir (The AUC Press, 2012) 183-211、 「ヨルダン近代文学史から見るナショナリズムの重層性と多様性」(『言語・地域文化研究』23号、2017)、『デイリー日本語・アラビア語・英語辞典』(三省堂、2020)ほか。