目次
第1章 本書の目的と方法
第1節 本書の目指すもの
第2節 本書の研究手法
第2章 族譜の分析から何が見えるか
第1節 族譜の真実性と仮構性
2-1-1 香港新界沙田W氏族譜
2-1-2 信頼度の検証―父と息子・系譜関係の整合性
2-1-3 信頼度の検証―生没年情報の真実度
第2節 族譜から見える宗族の人口動態
2-2-1 人口と寿命
2-2-2 世代サイクルと家族形態
2-2-3 妻たちの属性
第3節 族譜における連続性への希求とそれを支える価値意識
2-3-1 「承継」ならびに「附祭」の分析から
2-3-2 絶えることへの耐え難き思い
第3章 族譜から「家族」はどこまで見えるか
第1節 家族形態の経年変化
3-1-1 W氏一族全体における家族形態の経年変化
3-1-2 個別家系の家族形態変化に関する事例分析
3-1-3 家族概念とその諸形態
第2節 寡婦事例の分析
3-2-1 W氏族譜全体に見る婚入女性のライフ・ステージ
3-2-2 寡婦のライフ・ステージの個別事例分析
3-2-3 寡婦の分析から見えるもの
第3節 「承継」「附祭」の具体事例の分析
3-3-1 「承継」の個別事例の検討
3-3-2 「附祭」事例の個別的分析
3-3-3 「育子」に関する個別事例の分析
第4節 再婚・側室事例の分析
3-4-1 族譜全体を通してみた複数妻の事例の頻度と分布
3-4-2 再婚男性とその妻たちのライフ・ステージ
3-4-3 側室ならびにその夫のライフ・ステージ
第4章 もう一つのW氏族譜
第1節 「総譜」と「支譜」の比較
第2節 「支譜」に見る家族構造
第3節 「支譜」と分節共有財産
第5章 本書の結論
跋
引用参考文献
資料編
資料1 W氏一族系譜のサムネイル
資料1 W氏一族系譜
資料2 族譜データの整理票(全体)
資料3 親子間年齢差チェック(全体)
資料4 全成員の世代シーケンス
資料5-1 各家族形態に所属する家族数(数値)
資料5-2 各家族形態に所属する家族数(パーセント)
資料6-1 各家族形態に所属する人数(数値)
資料6-2 各家族形態に所属する人数(パーセンテージ)
資料7 各家族形態に所属する人数(女子加算値)
資料8 全ての妻のライフ・ステージ
資料9 系図(支譜所載部分)
索引・写真図表一覧
内容説明
宗族=父系承継400年の記録を繙く
香港新界の一族譜資料を、①史料批判的に吟味し、②統計的手法により人口動態を数値化。その「点と線」を③人類学的に分析。14世代にわたる家族のかたちの詳細を具体的に明らかにすると同時に、系譜を書き継ぐこと=男系出自の永続を求めた人々の、規範意識の根源に迫る、画期的業績。
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序
これは「家族」についての研究である。しかし、「家族」についての研究ではあるが、そこには夫婦の笑い合う声も、子どもの甲高い叫びも、米飯の炊ける香りも、中庭から流れてくる洗濯物のにおいも、およそ家族たちの日常の営みを感じさせるような事物は一切出てこない。そこに見える人々の姿は、そうした生活の喧噪やにおいをそぎ落とされ、ただ父として、息子として、妻として、母として、互いの関係性の網の目の中で黙々と生きては死んで行った、一種無機質な人の群れである。なぜならばこれは、「族譜」という特殊な記録だけを頼りに、それを覗き窓とすることによって、影法師のようにそこに写り込んでいる過去の時代の家族の姿を、どこまで探り出せるのかに挑む試みだからである。
通常考えられている「族譜」は、今は亡き祖先たちの名前や生没年などが延々と書き記されされた死者の書であり、人々の肉声や生々しい生活の痕跡は根こそぎ削り取られてしまった、色あせた文字の羅列である。とりわけ、個々の祖先の事績を書き連ねたその本体部分は、子孫でさえそれを通読することに意味を見出し得ないほどに形式化され簡略化された無味乾燥な帳簿に過ぎず、たまたま特定祖先の名前や没年などを調べようと思い立った物好きな老人がめくり返す以外は、滅多にその頁に陽が差し込むことなどない。
しかし、中国社会に関心をもち、その家族や宗族(1)を研究対象としてきた筆者にとっては、「族譜」は常に心のどこかに引っ掛かり続ける存在であった。それというのも、研究対象とする地域や一族の歴史を知るための補助資料として、たびたび「族譜」を斜め読み的に参照する機会があったにもかかわらず、それと真っ正面から向き合って、その内容を一から十まで理解しようと努めたりしたことは、一度たりとも無かったからである。本当は一体そこに何が書かれているのか、それを書いた人々は一体何故にそれを記録しようとしたのか、それを記録することによって何を後世に残そうとしたのか、それらのことには目を閉ざしたまま、素通りすることが慣例となってしまっていた。これは筆者のみではなく、多かれ少なかれ「族譜」というものに触れたことのある研究者の大半も、同様であろうと推測される。
そこで本書が目指すのは、普段研究者も読み飛ばしてしまうことの多い族譜の本体部分をひたすら丹念に、精密に読み込んでみることによって、そこからどのような家族・親族のあり方が見えてくるのか、またそれらを記録することに対して過去の人々がどのような意識をもっていたのか、ということを明らかにしてみようという、ひとつの挑戦的な試みである。それはもっぱら過去に書かれた文書を用いて、過去の社会状況や過去の人々の観念を明らかにしようとしたものであるという点で「歴史人類学」的な研究である。これまで、主にフィールドワークによって同時代の社会関係や文化的慣行について研究しようとしてきた筆者にとっては、それはその意味でも新たな挑戦である。
とは言え、何のゆかりもない遠い昔の時代の異国の地の人々が、いつ生まれていつ誰と結婚し、何人子どもを生んでいつ死んだか、などということがらの分析に延々と突き合うことは、読者には些か退屈であるかもしれない。そうした個別事例の分析は、主に第3章に集約してあるので、こまごまとした事例には関心がなく、ただ物事の結論のみを知りたい読者には、その章を読み飛ばすことも一法かもしれない。また、人々の入り組んだ系譜関係や、個々人のライフスパンの重複度合いなど、文字での記述のみでは感覚的に理解しがたいことがらについては、図表を多用することによって読者の、そして何よりも筆者自身の、理解の助けとすることを心がけた。したがって、こうした図表のみを読み進んでゆくことも、読者によっては有効な方法かもしれない。
丸と三角によって描かれた家系図は、最近の人類学者による研究の中ではめっきり見かけることの少なくなった古風な代物であり、その意味では過去の学術的「習慣」に属するものとも言えるかもしれない。ただ、人類学において未だ親族・家族の研究が主要トピックのひとつとしての座を保っていた時代に育った筆者(おそらくその最後の世代?)としては、個人の直近の人間関係のあり方、とりわけ親族・家族関係についての分析こそは、依然として人類学の取り組むべき主要な研究課題のひとつであると、強固に信ずるものである。その意味では、そうしたフォーマルな親族・家族研究の連続性への希求もまた、本書が意図するところのもののひとつである。
跋
これは「家族」についての研究である。しかし、「家族」についての研究ではあるが、そこには娘たちの嬌声も、老人の嗄れたつぶやきも、竈から立ち上る白い湯気も、門口に張られた対聯の色あせた朱の色さえも、およそ家族たちの日常の営みを感じさせるような事物は一切出てこない。そこに見える人々の姿は、そうした日常の音声や色彩を根こそぎそぎ落とされ、ただ親として、子として、嫁として、夫として、互いの関係性の網の目の中で黙々と生きては死んで行った、一種無機質な人の群れである。なぜならばこれは、「族譜」という特殊な記録だけを頼りに、それを覗き窓とすることによって、かすかな影のようにそこに見え隠れしている過去の時代の家族の姿を、どこまで身近に理解することができるかに挑む試みだからである。
その試みに関しては、結論において述べたように、ある程度の成果に到達することができたと言えよう。その無味乾燥な体裁に反し、族譜からは過去に生きた人々の人生の輪郭を、それなりの具体性とリアリティーをともなったものとして取り出すことができるということを本書は証明し得たと考える。ただし、ひとつ心がけなければならないことは、我々が慣れ親しんできたホームドラマの中の「親密圏」としての日常を、過度に、あるいは当然のものとして、そこに追い求めないことである。族譜が描き出している「家族」は、現代のわれわれが定義ないしイメージするそれではなく、過去の中国社会を生きた人々が人としての基本的つながりと認識していたところの、文化的に設定された紐帯とその連続に関わる価値意識を反映したものだからである。
筆者はそれを、できる限り余分な解釈を付加することなく、そのままの形で取り出すことに努めたつもりである。そこに明らかとなるのは、前近代の一時期の中国社会に存在したと思われる価値規範と、その実現を阻む諸々の現実的要因との相克の姿であった。ただし、筆者はそれを中国社会、とりわけ現代の中国社会に対して普遍化したり、あるいはその現代に至る持続性を無条件に主張したりする意図はもっていない。本書の分析から得られた家族・親族規範を、超時代的に中国社会に通底する「本質」のように見なすことは時代錯誤の極致であろう。その意味でもこれは、あくまで過去についての研究である。
文書資料を用い、過去の社会の状況を知ろうとするだけであるならば、それは基本的に歴史学者の仕事である。しかし、人々の親族関係・家族関係の複雑な襞の中に分け入り、その逐一を模式的に概念化して捉えてゆく作業は、筆者がこれまで同時代的な社会調査において実践してきた人類学者特有のスキルに大いに依拠した。興信所まがいの、他人のプライベートな家族関係に思い切り首をつっこむ調査手法は、現今の「個人情報」を重んじる社会倫理と、親族研究のパラダイムから離れて久しい人類学の潮流からすれば、如何にも流行らない昔風の分析である。最近は人類学の論文や専門書の中に、親族関係図を見ることさえ極めて希になった。その点では、本書の研究は過去の文書資料を題材に、そうした人類学者の古典的スキルを誰に憚ることもなく存分に駆使することができる研究であった。
とは言え、自分の家の先祖でもない異国の親族集団の記録を微に入り細にわたってこねくり回し、挙げ句の果てには誰の2番目の妻は妾であったとか、誰の実の息子は早死にしただとかを暴き立てるわけであるから、たとえそれが数百年前に生きていた過去の人々であるにはしても、子孫たちにとっては私的な領域への侵害と映るかもしれない。よって、本書の冒頭でも述べたように、一族の姓は「W氏」と伏せ字にするとともに、個人名は全て偽名に置き換えてある。これが歴史的に著名な有名人の家系であれば、少なくともその著名人当人とその直近の親族に関しては偽名とするわけには行かず、こうした措置は取り得なかったかもしれないが、幸か不幸かここで分析の対象とした「W氏」はそのような著名人を生んだ一族でもなく、それが可能であった。
ただ、たとえ歴史上無名の一族であるにしても、おそらく歴史学者の見識からすれば、資料に表れた固有名詞は可能な限り正確に記述し、同業者による相互的な参照や検証に供すべきと考えるであろう。その点では、筆者は人類学的な調査サンプルの匿名性に依拠する立場に立った。個人名や地名が特定されなくとも、対象のもつ固有の構造とその背景を可能な限り詳細に描述することを通じ、他の同種の匿名的描述との間に比較、検討、一般化が可能であるとの立場である。そこでわれわれが知ろうとしているのは、あくまで個別事象の「真偽」そのものではなく、そうした事象のもつ構造やその普遍性なのである。
数百年の永い眠りから、異国の赤の他人によって揺り覚まされたW氏の祖先たちにしてみれば、迷惑千万なことであるに違いないが、族譜を記し続けた人々の意志は、そこにそれぞれ固有の形をともなって継起した人々の人生の軌跡を後世に残すことにあったのだとも考えられる。だから、彼らの予期せぬ部外者であったにせよ、後世それをあらためて詳細にたどり直そうとする風変わりな訪問者が現れたこと自体は、必ずしもその意志に全く反するものだとも言えまい。少なくともそれは、人々の存在を後世に伝えようという彼らの意志の一部には沿ったものであるはずである。そのことを理由に、W氏一族の祖先たちには許しを請うこととしたい。
(後略)
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本文の紹介:
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著者紹介
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、岩手県花巻市生まれ。
1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。国立民族学博物館助手、東北大学教養部助教授、同大学文学部助教授等を経て、1996年より同大学東北アジア研究センター教授。学術博士(東京大学、1989年)。主要な著書に『中国人の村落と宗族──香港新界農村の社会人類学的研究』(弘文堂、1991年)、『客家──華南漢族のエスニシティーとその境界』(風響社、1993年)、『族譜──華南漢族の宗族、風水、移住』(風響社、1996年)、『中国社会の人類学──親族・家族からの展望』(世界思想社、2004年)、『中国文化人類学リーディングス』(風響社、2006年、西澤治彦との共編著)、『〈宗族〉と中国社会──その変貌と人類学的研究の現在』(風響社、2016年、川口幸大との共編著)ほか。