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東南アジア上座部仏教への招待

東南アジア上座部仏教への招待

似て非なる? もう一つの仏教! 豊富な現地調査や出家体験から語る、人々の信仰と実践、そして社会。待望の入門書。

著者 和田 理寛
小島 敬裕
大坪 加奈子
増原 善之
下條 尚志
杉本 良男
ジャンル 民俗・宗教・文学
シリーズ 風響社あじあブックス
出版年月日 2021/10/25
ISBN 9784894893047
判型・ページ数 A5・204ページ
定価 本体1,800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次

口絵

 ◆コラム――仏典について(第一章)
 ◆コラム――同じ? 違う? 各地の仏教用語(第一章)
 ◆コラム――功徳を分かち合う(第三章)
 ◆コラム――されど眉毛(第四章)

はじめに  (和田理寛)

第一章 上座部仏教徒の社会とは何か  (和田理寛)

 一 在家者の仏教
 二 出家者の仏教
 三 仏教のリズム
 四 仏像

第二章 出家生活の実際  (小島敬裕)

 一 出家まで
 二 出家生活
 三 出家と在家

第三章 カンボジア  (大坪加奈子)

 はじめに――上座部仏教国としてのカンボジア
 一 仏教と暮らし
 二 出家者と俗人組織
 三 仏教の断絶と復興
 おわりに

第四章 タイ  (和田理寛)

 一 制度仏教
 二 民衆仏教

第五章 ラオス  (増原善之)

 一 ラオス仏教の歴史的背景
 二 はじめに「精霊」ありき――宗教の二層構造
 三 仏教は山登りが苦手?――平地と山地のコントラスト
 四 アイデンティティのよりどころ――社会主義体制下の仏教
 五 就学機会への扉――見習僧たちの出家理由

第六章 ミャンマー  (和田理寛)

 一 仏塔信仰
 二 出家者の自立性――政治、宗派、民族
 三 若者と仏教
 小括

第七章 中国雲南省徳宏州  (小島敬裕)

 一 徳宏との関わり
 二 中国とミャンマーの狭間で
 三 出家者のいない寺院
 四 在家者中心の仏教実践
 五 上座部仏教と社会に関する今後の研究

第八章 ベトナム南部メコンデルタ  (下條尚志)

 はじめに
 一 「正しい」クメールとは何か?
 二 メコンデルタにおける上座部仏教とクメールの歴史
 三 カンボジアにおける仏教改革の受容をめぐる対立
 四 上座部仏教と大乗仏教の狭間で
 おわりに

特別コラム スリランカ  (杉本良男)

おわりに  (和田理寛)

索引・関係年表・主要語彙対照表

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内容説明

似て非なる? もう一つの仏教!!

カンボジア・タイ・ラオス・ミャンマー・雲南省・ベトナム。豊富な現地調査や出家体験から語る、人々の信仰と実践、そして社会。待望の入門書。(付・カラー口絵、特別コラム:スリランカ)

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 はじめに

和田理寛

 

 上座部仏教とは何か。東南アジアの僧(お坊さん)は、日本の僧とどう異なるのか。上座部仏教徒はいつお寺に行き、どのように僧と接しているのだろうか。この本はそんな素朴な疑問に答えていきたい。

 仏教を研究する方法は大きく二つある。ひとつは仏典を紐解きながら、ブッダの教えやその歴史的展開に迫るものである(この本で断りなく「ブッダ」と呼ぶときは仏教を始めたゴータマ・ブッダを指す)。もうひとつは現在の仏教徒たちが実際にどんな仏教を行っているかを明らかにする研究である。この本は後者のスタイルを用いて東南アジアの人々に実践されている上座部仏教の姿を伝えたい。

 さて、上座部仏教は日本の仏教と違うのだろうか。

 二〇一九年、タイの女子大生がウルトラマンとブッダを合成した美術作品を地方都市の大型ショッピングモールの展示として発表した。するとこれが仏教冒瀆にあたると反感を招き、ちょっとした騒動になった。思えば日本でも二〇〇八年に「せんとくん」(現・奈良県マスコットキャラクター)をめぐって同じような反発の声があがったが、せんとくんは最終的にそうした一部仏教界の批判を振り切り、今も活躍中である。これとは対照的に、このウルトラマン×ブッダの絵を創作した女子大生は、結局、高僧(偉いお坊さん)への謝罪に追い込まれた。なかには女子大生に同情する僧や、これを芸術として評価する人々もあり、最終的にオークションを経て同作品は高額で購入されたのだが、それでも彼女は批判の声を無視することができなかったことになる。謝罪には副学長や県知事まで同席し、お偉方に囲まれて涙声で釈明する女子大生の姿は、私たち外国人からすれば行き過ぎにもみえる。これを表現の自由と宗教をめぐる議論として展開することもできるが、それはさておき、この事件はタイ社会にとってのブッダの在り方、つまりブッダとは不可侵かつ神聖な存在だという考えが根強いことを改めて確認する機会となった。

 この女子大生が高僧に謝罪する写真がネットに広まると、日本ではこれを「土下座」と表現するブログや報道が一部にみられた。だが、もし土下座そのものを謝罪と捉えるならそれは誤解だろう。上座部仏教徒の社会では、民衆が僧に面会するとき、地面に座り合掌したあと、掌とおでこを三度地面につける「五体投地」(両膝、両掌、額の五つ)の礼拝が一般的である(図1)。民衆や僧は仏像に対しても同様の五体投地を行う。つまり、女子大生の五体投地の姿そのものに謝罪の意味はなく、これは僧に対する日常的な挨拶に過ぎない。日本からみると大それた挨拶だと思うかも知れない。だが、上座部仏教徒の間では、ブッダだけでなく、生身の僧もまた、民衆から手を合わせて拝まれる神聖な存在と見なされている。ある日本の方は、タイの仏教寺院で観光客として列に並んでいたとき、仏教僧がそれを飛び越して先に案内されるのを目撃し、まるで特権階級のように感じたという。また、私たちがミャンマーやタイで路線バスに乗れば、高齢者や妊婦だけでなく、仏教僧にも席を譲るよう案内があったり、優先座席が設けられていたりするのに気が付くだろう。タイでは首都の高層ビルの谷間を走る高架鉄道(BTS)の車両や、外国人が行き交うスワンナプーム国際空港の搭乗口にも同様の優先座席を見ることができる(写真1)。

 もちろん僧といっても国中で広く尊敬を集める高僧や、村の仏教の支柱である住職(寺院の長)もいれば、なかには生臭坊主だっている。しかし「どんな僧であっても敬意を払わなければならない」という価値観が社会に染み透っている。なぜ民衆は僧を尊敬するのか。

 本書ではこうした上座部仏教の基本について社会との関わりのなかから学んでいきたい。他人の信仰とはいえ、友人やビジネス・パートナーとして私たちが上座部仏教徒と付き合っていくのであれば、きっと何かの役に立つと思う。

 また、一般の上座部仏教徒と関わることはあっても、仏教僧が普段どのような生活を送っているか実際に目にする機会は限られているだろう。そのため、本書では、執筆者の一人(日本人)が実際に出家したときの体験を載せることにした(第二章)。この体験記では、寺院の日課を描くとともに、出家を通した東南アジアの人々との繋がりについても触れている。


           中略


 また本書では、上座部仏教国である四か国以外に、中国雲南省の徳宏、そしてベトナム南部のメコンデルタという二つの地域について個別の章を設けた。徳宏のタイ系民族の村では上座部仏教が信仰・実践されており、東南アジアとも文化的な連続性をもっている。ただし、他の地域と大きく異なり、この徳宏には僧の住んでいないお寺が少なくない。仏教僧なしにどうやって仏教儀礼を行っているのか。関心のある人は第七章を読んでみてほしい。

 ベトナムは中国文化圏の影響を受けてきたため大乗仏教のお寺が多い。ところが南部に足をのばせば、数は少ないが、上座部仏教の寺院も点在している。こうした寺院を支えるのはどのような人たちか。第八章では、大乗仏教世界と上座部仏教世界とが隣り合い、また重なり合うメコンデルタの一面を浮かび上がらせる。

 さらに、上座部仏教を考えるうえで外せないのがスリランカである。かつて東南アジア大陸部はスリランカ経由で上座部仏教を受容したと考えられており、いわばスリランカは先輩だ。また、一八~一九世紀、スリランカから仏教僧が減ったりいなくなったりしたときは、タイやミャンマーが困った先輩を助けたこともあった。本書では、巻末の特別コラムにてスリランカの上座部仏教を取り上げる。南アジアに位置するスリランカと、地理的に隔たった東南アジアについては、その歴史的な交流はもちろん、上座部仏教をめぐる両者の比較もまた、カースト制の有無など社会構造上の違いもあって興味深い。本書は東南アジアに主眼を置くため、スリランカには必ずしも十分な紙幅を割くことができなかったが、特別コラムをヒントに、地域を超えた関心の広がりへとつながることを期待したい。

 それでは東南アジア大陸部とその周辺に広がる上座部仏教の世界をのぞいてみよう。

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著者紹介(掲載順)

和田理寛(わだ みちひろ)
1984年生まれ。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。
現在、神田外語大学外国語学部講師。
主な業績として、『民族共存の制度化へ、少数言語の挑戦――タイとビルマにおける平地民モンの言語教育運動と仏教僧』(風響社、2016)、“The Third Nikāya-like Order in Thailand: Rāmañña Dhammayuttika, an Unknown Ethnic Mon Order throughout the 20th Century”(『パーリ学仏教文化学』第33号、2019年)などがある。

小島敬裕(こじま たかひろ)
1969年生まれ。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。
現在、津田塾大学学芸学部国際関係学科教授。
主な業績として、『中国・ミャンマー国境地域の仏教実践――徳宏タイ族の上座仏教と地域社会』(風響社、2011)、『国境と仏教実践――中国・ミャンマー境域における上座仏教徒社会の民族誌』(京都大学学術出版会、2014)などがある。

大坪加奈子(おおつぼ かなこ)
1977年生まれ。
九州大学大学院人間環境学府博士後期課程単位取得退学。
現在、佐賀大学国際交流推進センター国際コーディネーター。
主な業績として、『社会の中でカンボジア仏教を生きる――在家修行者の経験と功徳の実践』(風響社、2016年)、「政教関係と寺院の社会活動――カンボジア南東部村落を事例として」(『宗教と社会』第23号、2017年)などがある。

増原善之(ますはら よしゆき)
1963年生まれ。
タイ国チェンマイ大学人文学部歴史学科修士課程修了。
現在、島根県立大学松江キャンパス人間文化学部准教授。
主な業績として、Prawattisat Setthakit khong Ratchaanacak Lao Lan Chang Samai Kritsattawat thi 14 -17〔14~17世紀ラオス・ランサン王国経済史〕(Matichon, Bangkok, 2003, タイ語)などがある。

下條尚志(しもじょう ひさし)
1984年生まれ。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。
現在、神戸大学大学院国際文化学研究科准教授。
主な業績として、『戦争と難民――メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー』(風響社、2016)、『国家の「余白」――メコンデルタ 生き残りの社会史』(京都大学学術出版会、2021)などがある。

杉本良男(すぎもと よしお)
1950年生まれ。
東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻博士課程単位取得退学。
国立民族学博物館名誉教授。
主な業績として、『スリランカで運命論者になる――仏教とカースト制が生きる島』(臨川書店フィールドワーク選書14、2015)、『ガンディー――秘教思想が生んだ聖人』(平凡社新書、2018)、『仏教モダニズムの遺産――アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』(風響社、2021)などがある。

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